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ケンのブログ

日々の雑感や日記

声をかけない接客

2017年09月26日 | 日記
最近声をかけない接客と言うのが注目を集めている
というニュースを新聞で読んだことがある。
僕が、学生の時、家電量販店というかオーディオ量販店で
オーディオを買ったとき、予算だけ店員の方に伝えて
アンプからプレーヤー、レシーバに至るまで
全部量販店の店員の方に選んでもらったことがある。
下宿にそのオーディオが配達されてきて
それでヘンデルの水上の音楽を再生したら
ビックリするくらい音がよくて感動したことがある。
さすがにオーディオ量販店の店員さんは違うなと。
それから35年が過ぎた今、家電量販店に行っても
声をかけてくる店員さんはほとんいない。
ラジオはどのコーナーにありますか?と店員さんに
尋ねるとラジオのあるコーナーを店員さんは教えてくれる。
じゃああとは自分で探しますというと店員さんは
はいどうぞという感じになりすぐにどこかへ行ってしまわれる。
店員さんがいなくてもポップにその商品のスペックが
書いてあるから書いてあるものを読んで比較した方が
正確な情報が得られるし、商品相互の価格とスペックの比較も
しやすい。おちついてじっくりとすぺっくを書いたポップと
価格を見て考えそして判断することができる。
わからないことだけ聞けばいい。
ところが最近は家電量販店も扱う商品があまりにも
多岐にわたり聞いてもあいまいな答えに終始する
店員さんも多い。
そんなときは店員さんに聞くよりも自分でネットを
検索しておよそのことを調べてしまう。
ところで、僕はオーケストラを聴くとき大概は
上階の後方の席で聴く。学生の時からの経験則で
後方の席の方がオーケストラ全体を見渡せるし
音も全体的によく聴こえるように感じる。
ところが僕は音を全体的に聴く習慣が身に付いてしまって
木管楽器がなっているときにそれがオーボエなのかクラリネットなのか
はたまた違う楽器なのか区別がつかないことが多い。
フルートだけは横笛だから区別はつくけれど。
後方の席でオーケストラを聴いて木管の音が鳴ったときだけ
ワンポイントで双眼鏡を使おうかなと思った。
今日、○○カメラという家電量販店にいって
必要な買い物を済ませたあと、僕は
その量販店の双眼鏡のコーナーに行った。
最初に2000円のものを手にとって5メートルほど先の
対象物を眺めた。ちょっとピントがボケる。
次に3000円ほどの品物をとってまた同じ対象物を眺めた。
同じ対象物を眺めなければ比較にならない。
2000円と、3000円、1000円の価格差は大きいと思った。
3000円の品物はピントがボケない。
眼鏡をかけて、そして眼鏡をはずして両方の場合において
僕はそれを確かめた。
眼鏡をかける、かけないにかかわらず同じ結果が得られると。
そこまでの結論を僕が出したとき店員さんがどこからともなく声をかけてきた。
「こちらの6000円の品物なんですけどね、これはコーティングの
グレードが高くて3000円の品物とは比べ物になりません。
先日も、U劇場で観劇をされるお客様が開演前にお店にこられて
これから劇を見に行くけれど後ろの方の席で双眼鏡がないから
安くていいものを選んでくださいとおっしゃたので私これをお薦めしました。
するとそのお客様は劇が終わったあとでまたお店に
来られて、今日はこれを買って本当に劇がばっちり見れてよかったと
お礼にこられました」と店員はおっしゃった。
「ここ、お客様ごらんになられますと蛍光灯の光が緑に
反射してますでしょ。これがグレードの高いコーティングの証拠です」と
店員さんは続けた。
僕は自分がかけていた眼鏡をはずして
「この眼鏡を買ったときにも眼鏡屋の方が緑色に光るから
いいコーティングだとおっしゃいましたが、この眼鏡もいい
こーてぃんぐなんですか?」と僕は言った。
「それはもうこの眼鏡もいいコーティングです」と店員さんは言った。
僕は3000円の双眼鏡を手にとって
「そういえばこの3000円の方は蛍光灯の光の反射が
白と緑に別れますね」と僕は言った。
「そうです、その分コーティングのグレードが低いと言うことです
このレベルの商品を買って、結局後悔して
またグレードの高いコーティングに買い直すお客様が
いっぱいおられます。はっきり申し上げます
この6000円の品物は定価が9000円は下らない品物です
このレベルのコーティングになりますと
6000円が最低価格です。これは断言できます」と店員さんは言った。
「そうですか。では3000円と6000円を比べてみます」と僕は言った。
実際に比べてみるとピントの度合いはそれほど変わらないものの
双眼鏡から見る像のクリアさは6000円の方がかなり勝る。
しかし、木管楽器が鳴ったときだけピンポイントで見るのという
目的だけのために3000円を6000円に価格を倍増させる必要が
あるのだろうかと僕は思った。
それに、双眼鏡からみた像は手振れがさけられず。
手振れの度合いは3000円も6000円もかわらない。
「確かに6000円の方は視界がクリアですね、しかし
手振れは6000円の品物でもさけて通れませんね」と僕は言った。
「いやいや、この双眼鏡は8倍ですから手振れはお客様、もう
大丈夫ですよ」と店員はおっしゃった。
双眼鏡の倍率と手振れとの間にどういう相関関係があるのか
僕にはわからなくなってしまった。というか倍率が高いほど
視界が狭い分手振れの影響が大きくなるのではないかとさえ僕は
思った。
「もう一度その点も含めてチェックさせていただけますか」と僕は言った。
「はいどうぞ」と店員さんはおっしゃった。
もう一度、3000円の双眼鏡で対象物を見て
横を見るとそこにはもう店員さんの姿はなかった。
これだけ手振れがあるのならば、いっそ少しくらいの
ピンぼけはがまんして2000円のにしようか、あるいは
もっと値段を落として片目だけでのぞけるもののほうが
ピンポイントで使用するのにはいいかとさえ思った。
店員さんも僕の視界から去っただけでどこかから
僕のことを見ているかもしれない。
あれだけ6000円の話をしたあとでいまさら
1500円の片眼の商品を買うのも気が引けてしまう。
もう今日はやめやと思った。
僕は最初にT劇場で貸し出している双眼鏡ですという
ポップのある商品から見始めたので店員さんは
僕のことを熱烈な演劇ファンでいいかもだと思われたのかもしれない。
それにしても、演劇を見るために急場しのぎで双眼鏡を買って
結果報告およびお礼にまでこられる律儀な方もおられるんだなと思った。
でも、それはまんざらオーバーな話でもなく
本当に感動すればそういうことは十分にありうると思う。
しかし、僕の場合残念ながらそういう種類の感動はないようだ。
家電量販店でも○○カメラと名前がついている以上
販売員の方にもこだわりがあるのかもしれない。
しかし、僕は今後は双眼鏡がほしい場合は
ホームセンターなど店員さんが声をかけてこないお店に行こうと思う。




おばちゃんの会話

2017年09月25日 | 日記
隣町の市民交流センターの踊り場で
おばちゃんがこんな会話をしていた。
「あの先生、試験監督みたいに机の間を
ざーっと歩いていくだけで、配色がどうとか、構図がどうとか
全然気にとめてくれへんやろ、本当にこまるわ、ああいう先生」
「せやな、ほんでもってあの若い人、早口で
話に外国語がよけ混じっとるやろ、こちらが聞きかえてしても
全然ゆっくりしゃべろうとせえへんやろ
ほんとうに勘が悪すぎるわ」
会社に勤めていた頃、自分のプロフィールに
苦手なもの、おばちゃんの苦情、と書いていた人がいるけれど
その気持ち僕も本当にわかるような気がする。
神社の祝詞には「もろもろのまがごと罪、けがれあらんをば
払いたまえ清めたまえと申すことをきこしめせと
かしこみかしこみも申す」という言葉が
共通に入っている場合が多い。
本当に、人は誰でも生きている以上知らず知らずのうちに
無礼、粗末をはたらいているということが誰にでもあると思う。
僕も自分自身を深く反省して、悪いことは
払っていただけるような自分でありたいと思う。
また、それを祈り願っている。

山口百恵好きです

2017年09月24日 | 日記
今日、電車に乗って座っていたら僕の前に
高校一年くらいの感じの女の子がお父さんと一緒に
立っていた。
女の子が手から下げている袋から
夢一夜を収録した南こうせつのLPレコードが
透けて見えていた。
きっとお父さんと一緒に最近はやりの中古レコード屋へ行って
買ってきたのだろう。
南こうせつのLPは中学生の頃
クラスメイトの女の子に借りて
カセットに録音して何度も聴いた。
女の子が持っているLPを見て
時間が40年前にタイムスリップしてしまった。
思わず女の子に「南こうせつのLP買ったの?」と話しかけてしまった。
「そうです」と女の子が言った。
「ええなあ」と僕は言った。
その僕の態度を見てお父さんが横で苦笑いしてた。
きっと僕より10才以上若いお父さんだと思う。
「その夢一夜っていう曲、阿木耀子が作詞したんだよ」と僕は続けた。
女の子はキョトンとしていた。
「阿木耀子、宇崎竜童の奥さん」と僕は言った。
それでも女の子はわからないみたいだった。
「阿木耀子と宇崎竜童で山口百恵の横須賀ストーリーとか作ったの」と僕は言った。
「あ、私、山口百恵好きです」と女の子は反応してくれた。
「あ、そう」と僕は言った。
女の子は僕に持っていたもう一枚のLPを袋越しに見せて
「この人も今日知ったんですよ」と言った。
「あ、そう、でもその人は知らない」と僕は言った。
というか緊張して袋の中がよく見えなかった。
お父さんがいるのに袋の中を見せてとまでは言いにくい。
でも山口百恵に反応してくれて嬉しかった。
そのあとは嬉しさと照れ臭さが重なって言葉が出なかった。
でも高校一年くらいの女の子が南こうせつや
山口百恵を知っているなんてたのもしいなと思う。
きっと芸術的感性の優れた子なんじゃないかなと勝手に想像してしまう。


ドビュッシー弦楽四重奏団京都公演

2017年09月23日 | 音楽
京都コンサートホールにドビュッシー弦楽四重奏団演奏会を聴きに
行った。
今日は小ホールの方で聴いた。
いつも大ホールでオーケストラを聴いているけれど
小ホールもいい感じだなとおもう。
オールモーツァルトプログラム。
最初に演奏されたのはディベルティメントK.138
第一楽章
柔らかい音色だなとおもう。
和声も柔らかく響いているなとおもう。
第二楽章
メロディーをたっぷりと歌っている。
彼岸の音楽のように聞こえる。
素晴らしい第二楽章と思った。
第三楽章
軽快に、そして鋭く音楽が流れる。
曲の要所でファーストバイオリンとセカンドバイオリンの方が
互いに目配せをしておられるのが印象的だった。
次に演奏されたのはクラリネットに小谷口直子さんを
むかえてクラリネット五重奏曲K,581
小谷口さんは明るいグリーンの衣装で出てこられた。
音楽とお衣装に何か関連があるのかどうか
それは僕にはちょっとわからない。
第一楽章
柔らかいメロディーとハーモニー。
クラリネットの音は深く美しく響く。
天国のような音楽。
クラリネットの音は形容しがたいほど美しい。
クラリネットの高音部と低音部で
これほど音色が違うのかと認識したのは
生まれて初めてのような気がする。
低音部は深く、高音部は天に抜けるように美しい。
この美しさは生演奏でなければわからないとおもう。
ファーストバイオリンも旋律を美しく歌っている。
半分、向こうの世界に行ってしまっているような音楽。
カルテットと小谷口さんのテンションがよくあっている。
第二楽章
演奏が始まる前、ファーストバイオリンの方と
小谷口さんが目配せをして微笑んでおららたのが印象的だった。
ファーストバイオリンのかたはクラリネットの方に
目配せをしながら弾いておられる。
ファーストバイオリンとクラリネットのからみが美しいと思った。
チェロもとてもうまくて安定している
それなのにチェロが表に出すぎないところがまたなんとも言えずいいなと思う。
第三楽章
チェロの方もクラリネットに目配せをしながら弾いておられることに気づく。
ファーストバイオリンが鋭い音を出してそれをビオラとチェロが受ける。
その掛け合いが耳に心地よく聴こえる。
小谷口さんも時々自分から他の奏者に目配せをしておられる。
奏者の動きを見るとメヌエットは舞踏の音楽であることを感じる。
第四楽章
明るく透明。透き通るような音楽。
クラリネットの音色の深さを改めて思う。
急に音楽が深く沈む。
そのコントラストが美しい。
また、音楽が楽しくなり、クラリネットが譜割りの細かい音を
転がすように吹いておられる。
また、音楽が静かになる。
楽しいところと深いところのコントラストが美しかった。
小谷口さんが演奏の途中で微笑んでおられる場面があった。
いい、演奏だったなと思う。
休憩をはさんで次に演奏されたのが
レクイエムK.626
チェロの方以外は立って演奏される。
レクイエムのカルテットバージョンを聴くのは初めて。
深い世界の音楽なのだけれど音色が柔らかいというのが
演奏の基調になっているように思う。
柔らかさを基調に演奏に色々な変化をつけておられるように思えた。
演奏の途中でチェロ奏者の姿勢がとてもよいことにようやく気づいた。
一生懸命プログラムを見ながら聴いていたのだけれど
8曲目以降は今、何曲目が演奏されているのかわからなくなってしまった。
こういう曲を聴くときに僕にありがちなパターンになってしまった。
7曲目は映画アマデウスでかなり聴いたので印象深かった。
プログラムの解説によるとモーツァルトの筆はこの曲の
8小節目で終わりとなっている。
映画アマデウスではモーツァルトがサリエリに自分が歌って
楽譜を口述筆記させる場面だったかなと演奏に関係ないことを
考えてしまった。
鋭い音形と柔らかい音形のコントラストが素晴らしいと思った。
鋭いところも突っ込みすぎないところが奥ゆかしくていいなと思った。
最後の音楽はバッハの教会音楽のような感じだなと思った。
コンサートのチケットを買うときにはレクイエムを
こういう形で聴くとがっかりするかなと心配したけれど
全然そんなことなかった。素晴らしい演奏だった。
曲の終わりくらいになってチェロが柔らかくてうまい
それでいて表にそれほど出てこないのがいいなと改めて思った。
アンコールにハイドンのop.51のソナタ7番が演奏された。
エンディングがピチカートになっていてハイドンらしいユーモアだなと思った。
今日は小さいホールの前の方で聴いたのでプレーヤーの目配せなどが
よく目に入って今まで知らなかったことをいろいろと知ることができたような気がする。
コンサートが終わって京都植物園ゲート前で空を眺めたら
薄曇りの雲が幾重にも重なりその中に青空も本のほんの少し見えて綺麗だった。
家に帰ってからお彼岸の日にこんな演奏会に行けて本当によかったな
としみじみ思った。






どうしたよ大関が

2017年09月22日 | 日記
大相撲9月場所13日目豪栄道と貴景勝の相撲を
僕は隣町の青少年センターで大相撲アプリで見た。
5回以上再生したけれどもう豪栄道は動きが
コチコチ、体が固まってしまっている。
立ち会いの当たりで不利になった瞬間から
もう引き技の連続、相撲で相手を圧倒しようというより
何とか勝ちたいという気持ちだけが空回りしてしまっているのが
素人目にもわかる。
決まり手は貴景勝のはたきこみとなっているけれど
豪栄道が自分で足を滑らせて勝手にこけたという
感じになっている。
それはあれだけ動きがごてごてに回っては
足ももつれると思う。
本当に大相撲アプリの正面からとった動画では
左の膝が内側にはいるようなこけかただったから
まだ怪我をしなかったのが不幸中の幸いと思えるような
感じだった。
家に帰ってきて午後8時頃ユーチューブで検索したら
運よくNHKの大相撲中継の動画がアップされていた。
それを再生すると時間いっぱいになったとき
解説の北の富士さん、うふん、と咳払いをしている。
北の富士さん、内心、豪栄道を応援しているのが
ばればれというような感じの咳払いだ。
豪栄道が負けてアナウンサーに話を振られると
北の富士さん絞り出すような声で
「弱すぎるね、気持ちがね。どうしたよ、大関が
きのう、きょうの連敗はないよ」とおっしゃった。
なんか北の富士さんがそうおっしゃるのを聞いて
僕はちょっと涙ぐんでしまった。
本当に北の富士さんって男前で色気があって
心が優しいんだなと思う。
北の富士さんの声のトーンから
豪栄道しっかりしてくれよ、という気持ちが
なんだかありありと伝わってくる。
北の富士さんは「あすは誰だっけ」と言葉を続けられた。
アナウンサーが貴ノ岩ですと答えると
「わからんね、こりゃ」と北の富士さんはおっしゃった。
北の富士さんがそうおっしゃりたくなる気持ち、わかるような気がする。
僕は実は5日目か6日目くらいに今場所は豪栄道、動きが
いいな、と思ってひそかに応援してきたのだけれど
本当に、豪栄道を応援するのは精神衛生上よくないと
思えてきた。
明日からは北の富士さんを見習って
今場所はわからん、と思って相撲を見ようとおもう。