ケンのブログ

日々の雑感や日記

二月二十三日

2018年02月23日 | 日記
昨日に引き続き今日も暖かいと思う。こうして暖かい日が続いたり
寒さがぶり返したりしてだんだん本格的な春になっていくのだろうと思う。
キャンディーズの春一番という歌が僕が中学生の頃に流行ったけれど
春一番はいつ頃吹くのだろうそもそも春一番の定義とは
ちょっと調べてみないとわからない。
僕の中学の体育の先生で春一番のことを台湾坊主と呼んでいた先生がいた。
いろいろな呼び方があるのだろうなと思う。
僕の中学には市内から生徒同士で市外に遊びに行ってはいけないという
都会では考えられない田舎独特の校則があった。
僕と友達二人はその校則を破って岐阜県多治見市方面にある
鬼岩というところにサイクリングに行ったことがある。
途中でその先生の乗った車が僕たちの自転車を追い越して止まった。
先生は車から降りてきて「おまえらどこへ行くんや」と言った。
「鬼岩に行きます」と僕は行った。
「そうか、へこたれるなよ」と先生は行った。
そしてまた車にのってブンとエンジンをふかしてどこかへ行ってしまった。
僕たちは校則を破って市外に自転車で出掛けている。
しかも体育の先生に見つかった。
ビンタでもくらわされるかとおもったら先生は見逃してくれた。
今の時代ああいう形で生徒のことを見逃してもし事故でもあったら
教師の責任問題になりかねない。
でも、見逃してくれて本当にいい先生だなと思った。
あのとき先生が見逃してくれたこと僕は忘れられない。
いつか、僕は寝違いでその先生の体育の授業で見学に回ったことがある。
僕が寝違いですというと
「おまえ相撲のやりすぎで首の筋ちがえたんやろ。寝違いはうそやろ」と先生は言った。
「そうです、相撲のやりすぎで寝違いと同じことになりました」と僕は言った。
「そうや、おまえは相撲のやりすぎや」と先生は言って
「そんなら今日は見学しとけ」と言った。
僕の寝違いが直ったころ先生は「ナカシマ寝違い直ったか」と言った。
僕が「なおりました」と言うと先生は「そんなら僕と一番相撲やろか」と言った。
それで先生と一番体育館で相撲をとった
どちらが勝ったかは忘れたけれど僕はその相撲で
左でひねりながら右で内無双を放った。
先生は「ナカシマなかなかええひねりしとるなあ」と誉めてくださった。
勝ち負けは忘れたけれどそのことは覚えている。
当時僕の中学には今、確か市会議員をしておられる先生とその先生の二人の
先生がいらして人気を二分していた。
僕の友達の野球部のエースはその鬼岩を見逃してくれた先生の事を
あの先生は性格があっさりしとってええぞと言っていた。
言われれてみればその通りだなと思った。
生徒ってけっこう先生の事をみているもんだなと思う。
中学生や高校生だからと言ってなめてかかるとえらいことになると思う。
もちろん、もう一人の体育の先生ともいい思いではいっぱいあるけれど、、、。

ここ数日ブラームスの室内楽を聴いてその勢いでショスタコーヴチ弦楽カルテットを
聴きたくなるという流れになっていて今日もそんな感じになっている。
ショスタコーヴィチを聴きたくなるという気持ちがわいてくるのは
かれこれ二年ぶりであるような気がする。こういう感覚が
どこまで続くかわからないけれど僕にとってある程度の年齢になってから
ショスタコーヴィチはベートーベンについで聴く頻度の高い作曲家に
なっていたのでそれをまた聴きたくなるというのはきっといいことのような気がする。
しかし、それにはこだわらず何事も流れにまかせるようにしたいと思う。

自宅マンションの床のフローリングがめくれているところが以前からあって
気になっていた。それに加えて畳の部屋の畳がすり減って中の糸が
見えているところがあってこれも気になり始めた。
養生テープか布製ガムテープで補修しようと思って100えんショップへいったら
リビングのコーナーにリメイクテープというそういう補修をしたり
するためのテープが売ったいた。ならばこれを使おうと思い
買ってきて該当箇所にはって補修した。何日持つかわからないけれど
剥離紙を剥がすのにかなり苦労したので接着力はかなり
強力であるようだ。業者の方に来ていただいて補修すると大事だし
畳なら全部換えるように勧められる可能性が高い。
ならばこれで様子を見て一日でも長く持ちこたえられればと思う。

二月二十二日

2018年02月22日 | 日記
昨日は二月二十一日。日付を見て今年二度目の弘法大師の日だなと思う。
弘法大師と言えば同行二人という言葉が思い浮かぶけれど
いつも祈るようにして神様と一緒という気持ちを大切にしたいなと思う。
金光様も普段から祈って神様と心安くなっておかないといざというときの
うろたえ信心では間に合わない。これは人とも常日頃あいさつして
こころやすくなっておかないといざというとき助けてもらったり
相談にのってもらったりできないのとおなじことという主旨のことを
言っておられる。
そういう考え方、僕も大切にしたいと思う。
ともすれば、今、人とあまり話をできていない僕だけれど
それもだんだん少しづつと思っている。
曇りのお天気だけれど昨日はやはりいくぶん暖かくなっていると
感じた。
家を出るときにマフラーをしわすれてとりに戻ったときそれを思った。
ところが今日は昨日していた、薄手のマフラーでは
ちょっと心もとなくてユニクロのヒートテックマフラーにした。
こうして寒い暖かいを繰り返しながらだんだん本格的に
はるになっていくのだろうと思う。

二月二十日

2018年02月20日 | 日記
今日はさすがに昼間は暖かいなと思う。
こうして暖かい日の頻度がだんだん高くなっていって
次第に春になっていくんだと思う。
暦の上ではもう春だけれど。
今、自宅マンションに桃のはなと菊の花を水差しに入れて飾っている。
聴くの花は七、八輪咲いた。桃の花は三輪ほど咲いている。
水差しを見ると菊の花の方が水が減るスピードが速い。
水差しに生けてある花は桃の花は葉がないけれど菊のはなには葉がある。
きっと菊は葉から水を蒸散させているので水の減りかたが速いのだと思う。
植物を入れない二本の水差しを並べておいていたら
きっと水の減りかたは二本とも同じだろう。
しかし、これだけ桃と菊で減るスピードが違うのはやはり
植物が生命活動を営んでいる証拠なんだなとしみじみと思う。
国公立大学の入試日程を見ると二月二十五日から前期の二次試験となっている。
もう二次試験まで五日なんだなと思うと当事者でない僕の方まで
なんだかちょっと緊張してきてしまう。
ひとりでも多くの子が希望のところへ合格するといいなと思う。
CDプレーヤーでショスタコーヴィチの弦楽カルテットを聴く。
ブラームスの室内楽を何曲か聴いているうちにそういう流れになった。
ここ十五年くらいショスタコーヴィチはベートーベンについで
聴く頻度の高い作曲家だったけれどここ一二年かなり頻度が落ちていた。
改めて聴くとショスタコーヴィチのカルテットは内省的で透明感の
高い世界だなと思う。
やはり弦楽カルテットの分野では僕にとってショスタコーヴィチとベートーベンが
双璧かなと思う。
またそういう感覚が再び戻ってくればいいのにとも思う。
こればかりは自分でもどうなることやらわからない。
その時の流れに任せようと思う。

さばの缶詰

2018年02月19日 | 日記
曇りのお天気。
隣町のアマチュア絵画展を見る。
受付の当番になった女性が二人
「やっぱ年を取ると骨がもろくなるしこけんようにせなあかんなあ。
こけたりして骨がおれたらかなわんし、でもこけるときはこけるし」
「ほんまにせやな」というような話をしておられた。
確かに年を取ってこけて骨折って割りとよく聴く話だなと思う。
骨を丈夫にするにはやはりカルシウムかなと思う。
八王源先生はカルシウムという言葉が好きだった。
「魚はカルシウム。カルシウムをとると骨が丈夫になります
そう言って魚を売ると本当によう売れるよ。
な、人間は口先が肝心、口先な、口先」と八王源先生は
魚がよく売れたときの体験を本当に嬉しそうに僕に話してくださった
ことがある。にこっと笑って本当に嬉しそうだった。
魚がよく売れたときの事を本当に懐かしく思い出しておられる感じだった。
八王先生は魚を三枚におろすこともできて、何度かさばの味噌煮をつくって
食べさせてもらった。
八王源先生が作ったさばの味噌煮はおいしかったけれど
先生は翌日の味噌汁にその味噌煮に使った味噌を入れられた。
そのみそしるは生臭くて本当に飲むのに難儀した。
魚の味噌煮に使った味噌をそのまま味噌汁に使う人を
僕は八王源先生以外に知らない。
けれど八王源先生にさばの味噌煮をつくって食べさせていただいたことは
僕の印象にけっこう強く残っていて今でもさばの味噌煮の缶詰を時々食べる。
缶詰の鯖は骨が柔らかくなるまで煮込んであって骨を気にせずに
全部食べられるから一般の調理法よりさらにカルシウムが豊富と言われている。
その他血液のバランスを整える成分が色々はいっていると言われている。
あと感覚的にさばの缶詰は腹持ちがとてもいいように思える。
なのでカロリーが豊富なわりには太りにくい食べ物だと思う。
ただ、さばのような青魚、光り物を食べるときにはどうしても
たとえそれが缶詰であっても生臭さがさけて通れない。
生臭さに対処するには一般的には生姜、わさび、薬味などが考えられるけれど
僕は酢をよく使う。酢には生臭さをとる作用が十分にある。
缶詰をあけると缶の外の縁いっぱいくらいまで僕は酢を注ぐ。
すると生臭さはほとんどなくなり味もとてもマイルドになる。
また、この酢にも好ましい効果が調べるといっぱいでてくる。
高血圧を防ぐ作用、太るのを防ぐ作用など。
なるべくお酢もとるようにしている。
以前たこの酢の物を食べたらすっとしたことがあって
それから酢はすっとするという感覚が僕のなかに生じている。

二月十七日

2018年02月17日 | 日記
何を勘違いしたか今日は日曜日だと思っていたら土曜日だった。
時々こういう勘違いがある。
晴れたり曇ったり寒いけれど二月初旬よりはましだなと思う。
それに日差しそのものはやはり春らしくそれなりに強くなってきたいるなと思う。
CDでブラームスのヴァイオリンソナタ第一番を聴く。
レオニタス カヴァコスさんのヴァイオリン、ユジュウ ワンさんのピアノ。
こぼれるように美しい。ロマン派という言葉のもっとも適切な具体例は
ブラームスだと思う。とても慎重な物腰の中から謹み深く
浮かび上がってくるロマンチックな感情。それがブラームスの真骨頂だと
思う。こんな作曲家ほかに例をみない。あたりまえと言えばあたりまえだけれど。
交響曲第一番の作品番号が68、そして交響曲の数がたった四曲。
しかし四曲とも極めて高品質の名曲。この事実がブラームスの多くの部分を
語るのではないかと思う。三日前に買ってきて100えんショップで買った
水差しに生けた菊が五輪花をさかせている。白と黄色のはな。
これに赤がそろうと
赤白黄色でチューリップの歌と同じ色揃えになる。
子供の頃、僕が家の庭に植えたチューリップが野生化して
何も手入れをしていないのに毎年花をさかせるようになった。
花がさいたのに気づくのはまいとしおばあちゃんだった。
おばあちゃんが「ケンちゃんの植えたチューリップ今年も咲いたよ」と教えてくれた。
小学校二年のころ植えたチューリップが二十歳をすぎてもまだ
毎年のように咲いていた。
途中からは記憶があいまいになっているけれど
最後の方はおばあちゃんが手入れをしていてくれたのかも知れない。
おばあちゃんはさいごは仙台の長男の所へ行きそこでなくなった。
青葉城恋歌という仙台を舞台にした歌に
あの人はもういない、という歌詞のくだりがある。
そこをおばあちゃんについ重ねて歌を聴いてしまう。