ケンのブログ

日々の雑感や日記

二月十六日

2018年02月16日 | 日記
新聞を見たら今日は日蓮上人の誕生日と出ていた。
そうなのかまたひとつ勉強になったなと思う。
毎月二十一日が弘法大師の日というのは知っていたけれど
二月十六日が日蓮さんの日とは知らなかった。
でも僕はなぜか南無妙法蓮華経はあまり唱えたことがない。
一番唱えるのは南無阿弥陀仏、それから
南無大師遍照金剛、それから南無大慈大悲観世音菩薩
それから南無救世光華観世音菩薩、
それぞれ6文字 8文字 11文字 11文字となっている。
南無妙法連華経は今数えたら7文字だった。
またひとつ勉強になった。
字数を数えてなんの意味があるのかわからないけれど、、、。
7文字と言って思い出したけれど
具志堅用高さんは天然ボケのところがあって
具志堅さん一桁の好きな番号を言ってくださいと言うと
ラッキーセブンの5と言ってしまうらしい。
マクドのドライブスルーで注文したときこれちょうだいと用高さんが
言って、店員のかたから名前で注文してください、と言われたら
具志堅用高ですと言ってしまわれたとか。
具志堅さんの母校の伝統はと聞かれて
僕の高校の電灯はナショナルでしたと答えたという噂もあるらしい。
郵便局で国民健康保険の保険料を払ったら
局員のかたがカードを作りませんかと言ってこられた。
ここのところ毎月言ってこられる。
「カードはつくりません」と僕は言った。
八王源先生は「銀行は預金、郵便局は貯金
だから、郵便局は余計な話はしてこない
銀行は預金やから銀行にあれこれ言われるままに
あちこちお金をいじっとったら結局なくなってまう。
郵便局は貯金やから堅いの」というのが口癖のひとつだったけれど
郵便局も民営化で八王源先生の論理も今や通用しないなとしみじみと思う。
CDショップで一枚録音が古くて安いCDを買う。
だいたい、クラシックのCDは録音が古いものは
それなりの時代を生き延びた品質がある。
ショボい演奏なら演奏家がなくなるとあっという間に
売れなくなってしまう。
録音の古いものを廉価で買うのが一番堅い買い方と言えば堅い買い方
というのは長年の経験でわかってきた。
お勘定の時、「カードをお持ちですか?」と店員さんが言った。
「持ってません」と僕
「無料でお作りできますが」と店員さん
「要りません」と僕
「駐車券はお持ちですか」と店員さん
「持ってません」と僕
「これ抽選券になります、4階で抽選会してます」と店員さん
「はい」と僕
抽選会には行かなかった。券はほかすかメモにでも使おう。
今度は何を聞かれるんやろうと身構えているうちに五円玉と
五十円玉を間違えて出してしまった。
財布からお金を出すのにずいぶん手こずってしまった。
ものを買ったら
「まいどお買い上げありがとうございます
またお越しください」とすっと言ってくれると
こっちもすっとするんだけれどなかなかそういうお店がなくなってしまった。
どこへ行ってもカード’、駐車券、おまけの連続。
おまけをもらっても家に帰ればがらくたになるだけ。
子供の頃父の実家の米屋でポイントクーポン券を配っていた時期が
あったけれどこどもの頃すでにあんなものやめておけばいいのに
と思っていた。
レコード店のポイントクーポンだけは集めていたけれど。
相撲茶屋で相撲の切符を買っても料金はちけっとぴあの倍になり
力士のしこ名入りのゆのみなどがらくたのおまけがついてくる。
琴桜と北の富士のしこ名の入った下駄と大鵬のしこなの入った
ゆのみと玉の海の手形は子供の頃部屋にかざっていたけれど
このとしになるとその手のぐっずはがらくたでしかない。
その点100えんショップはカードと言って来るところはないから
ありがたいと思う。商品の値段で十分に魅力があるから
カードで客をつる必要もないのだろう。
たのお店もカードをやめて浮いた経費で値下げしてくれると
ありがたいのだけれど。会計もすっといくし、、。
おかげで100えんショップにはいくとこんにちはとあいさつしてくださる
店員さんがたまにいるけれどありがたいことだなと思う。

二月十四日

2018年02月14日 | 日記
今日はバレンタインデーということだけれどあまりピンとこない。
晴れの天気でけっこう暖かい感じがする。少なくとも昼間は二月に
入ってから一番暖かいのではないかと思うほどだ。
大阪きたのターミナルに来てターミナルから一本南の大道沿いの
喫茶店に入る。
左の男の人はノートパソコンを広げていて仕事をしておられる。
電話もスマホのハンズフリーの機能を使ってしておられ
新しい店舗をどこにするか話し合っておられるというか
そのかたの考えをのべておられる。
話の内容からすると郊外に店舗を出したいと考えておられるようだ。
そういえばここは大阪でも有数のオフィス街だなと思う。
回りを見るといろんな会社がある。あるビルには婚カツパーティーを
営む会社が複数入っている。
同業者が同じビルに入っているとエレベーターで顔を会わせたときに
気まずいのではないかとよけいなことを考えてしまう。
ここは中之島に近く大阪でも最高の場所のひとつだなと思う。
井上靖の小説に大阪のこの地域に戦後次々とやみ市や
バラック建ての仮店舗ができていく様が描かれている場面が
ある。そんなことをふと心に思い浮かべた。
戦争と言っても日本にとってはずいぶん遠い昔になったような気がする。
喉元過ぎた頃にということにならないように気を付けないとと思う。
ガンジーのように無抵抗、非暴力ということに徹すれば
戦争になる可能性は低いと思うけれど
世界中の人がなかなかそういう気持ちになれないから
みんな苦労していると思う。
続いて入ってきたおばさん二人は過去に行った旅行の話、独立した子供の
話、子ともにどこまでお金を出しているか、そんなはなしをしていて
それから人間ドックの話になった。
人間ドックももちろん受けたければそうするべきだけれど
下手をすると見つからなくてもいい病気が見つかって
治療するのが逆にしんどくなりかねないという昨今でもあるとおもう。
できるだけ自分のからだの声に自分の直感をかたむけるようにしたいとは
思う。金光さんは食べ物でもここがちょうどよいと思ったときが
食べるのをやめるとき、それをもう少し、もう少しと我食いをするから
それが病気のもとになるという主旨のことをいっている。
そういう考え方を僕はできるだけ大切にしたいと思う。
あるかたが義理チョコやめようという話になって
そんなん義理やなかったら渡さへんやんと言っていたけれど
そういう理屈もなんだかわかるような気がする。
バレンタインデーって僕が中一くらいの頃に降ってわいたような
気がする。
チョコレートをもらえないものにとっては因果な日だと中学生の
頃には思っていた。
だいたい、もらう子はたくさんもらう、もらえない子はまったく
もらえないというその子のモテ度が明らかになるわびしい日だった。
イエスの言葉に持てるものはますます与えられいよいよ豊かになり
持たざるものはあるものまでとりあげられてますます貧しくなる
という主旨のものがあるけれど、そういう言葉のもつ深い意味を
ちょっとしたことをきっかけに考えることがある。

二月十三日

2018年02月13日 | 日記
晴れのお天気。そのせいか昨日よりも暖かく感じる。
しかし、日が落ちるとやはり寒い。
駅近のドトールコーヒーに入る。
ネットにここは意外とすいていて一人で本を読んだり自習には
おすすめと書いてあったけれど、なるほどその通り適度にすいていて
落ち着いていた。
向かいのおじさんは新聞を読み隣の若いおとこの人は化学の問題集を
解いている。
けっこういい雰囲気だなと思う。
午後は歌声サロンに。
歌の先生は濃く鮮やかなピンクのセーターにグレーのスラックス
ハートのわくにパールをあしらったブローチをしておられる。
ピアノの先生は赤いセーターにライトグレーの厚手のスカート。
歌の先生はサロンの外ではアイボリーのコートを着ておられたけれど
コートを脱いでピンクのセーターになると雰囲気がはなやぐ。
「先生、やはりピンクのセーターになると雰囲気がかわりますね」と僕は言った。
すると先生は「そう?後ろも見る?」と言ってクルっと回転して
僕の方に背中を向けられた。
僕がすこしあっけにとられていると
「私、後ろ姿を見ると若いって言われるんですよ」と先生はおっしゃった。
「いいえ、そういうのに関係なくお若いです」と僕は言った。
途中までみんなで歌ったあと先生は岩谷時子さんの歌詞で
愛の讃歌を歌われた。
いつものことながら歌もうまいし伴奏もうまいなと思う。
クラシックの歌いかたをしたので2度おとを上げたとのこと。
僕は絶対音感がないのでいわなきゃわからない。
でも越路吹雪さんの歌のキーは総じて低いなと思う。
岩谷時子さんの歌詞はもちろん美しい。
サロンが始まるときあるおばさんが
「私、あんたの声聞きたいからここにすわるわね」と言って
僕の斜め後ろに座られた。
「ありがとうございます」と僕は言った。
本当にそうおっしゃってくださるかたがいることはありがたいなと思う。

二月十一日

2018年02月11日 | 日記
M神宮のお茶会にいく。
神宮の正門のところで行事表をみるとお茶会の他に
紀元節と書いてある。そうか、今日は建国記念の日だなと思う。
境内へ進んでJ天皇ゆかりの都忘れの菊をみると
幹のしたの方でスパッと切り落としてある。
僕は植物を育てた経験がないのでよくわからないのだけれど
これはきっと来年も菊の花がよく咲くようにこうしてあるのだろうと
思った。
本殿にお参りをすませてお茶席の方へいく。
受付の先生に「あけましておめでとうございます」と挨拶する。
今年はじめて会うのでこれでいいかなと思った。
待ち合い室の軸は春をいめーじする絵と文字が書いてあったけれど
具体的に何かは忘れてしまった。
お茶室のお軸には枯木開花春○○
とかいてあったけれど春以下の二文字を忘れてしまった。
ようするに花が開くともう春ということが書いてあった。
近くに座ったかたがアート鑑賞型の方だと
いい形ですねというような話になるのだけれど
今日は○○焼きで○○の作ということに重点を置くかただったので
「ああそうですか」と返事をしていた。
ご亭主側の方が茶碗を下げに来られたときも
これは誰の作ですかということを聞いておられ
ご亭主側の方は奥にいって確認して参りますと答えたおられた。
もちろん確認した結果誰の作かはわかった。
そのようなやりとりが二回あった。
茶碗の裏の銘を読もうとしてもどうも老眼鏡をかけても
近くが見えないらしく作者を質問せざるをえないような状況もあった。
僕は近眼なので眼鏡をはずすと近くはどんなに細かいものでも
はっきり見える。
そういう点だけは近眼のメリットもあるかなと思う。
お点前のかたの着物はクリームいろ
先生のお着物はクリームがかったピンク
その他うすい紫、お抹茶いろのお着物の方もいらした。
お茶会をあとにしてもう一度本殿にお参りした。
社務所をのぞくと奥で宮司さんが書き物あるいは
事務作業をしておられた。
一瞬声をかけようかとおもったけれど今日はちょっと遠慮した。
そとに出るとあられが降っていた。
さむいなと思う。

二月九日

2018年02月09日 | 日記
先日吉野家で黒カレーを食べているとき僕のあとから
入ってきたおじさんが白カレーを注文して食べていた。
吉野家のポスターにも黒カレーに続いて白カレー登場と出ている。
それで今日は白カレーを注文して食べてみた。
うーんなんか微妙な感じ。
カレーとながつくので確かにスパイスは入っているのだけれど
なんかごはんにホワイトシチューをかけて食べているような気がする。
味においても見ための感覚においても。
やっぱり僕は黒カレーかなと思う。
黒カレーを中心にたまに気分転換に白カレーかなと思う。
その他にも吉野家にはいろいろメニューがあるし。
皇族m子様が結婚を二年ほど延期されるという報道に数日前接した。
M子様のお言葉全文を読むと主語が私たちとなっているところと
私となっているところがあるのでいろいろと考えた上での延期の
決断だったのだと思う。
あくまでも個人的な感想だけれど
日本国憲法では婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し
となっている。
これはまわりからあれこれ言われたときによいエクスキューズのカードのような
気がする。
両性の合意のみに基づいて成立するのだから回りから
とやかく言われる筋合いはないと自分自身に言い聞かせると
かなり気持ちが楽になるような気がする。
しかし、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である
家系のかたにはこの理屈はなかなか通用しない面もあるのでは
なかろうかと思った。
二年延期されたということなので今後のことは
またお二人を中心にじっくりと考えていただきたいと
国民の一人として願ってやまない。

昨日の朝10時頃電車に乗った。
電車のドアのところでガタッと音がした。
みると女の人が倒れている。
そとが寒かったので内外の気温差で貧血を起こされたように思える。
頭から血が出ていて居合わせた女の人がハンカチで出血箇所をおさえている。
ガタッというおとから判断してほとんと気絶同然の状態で倒れられた気がするので
かなり強く頭を打ったと思われる。
最後部の車両だったので車掌さんにもすぐ目に入るところだった。
車掌さんは女性だった。
車掌さんは駅員さんに連絡して応急手当と救急車を呼ぶ手配をした。
倒れた方は時々悲鳴をあげながら「大丈夫です」と言った。
「頭から血が出ているのでいまは大丈夫と思ってもあとで
困るといけないので救急車を呼びます」と車掌さんは倒れたかたを説得していた。
倒れたかたの家族を呼ぶ手配もされていた。
救急車で病院に行くといろいろな手続きで一日つぶれてしまうことも
覚悟しなければならないけれどやむを得ないと思う。
倒れてあれだけ長い時間起き上がれない、出血はしている。
どうみても救急車はだとうな判断だと思う。
それだけ手配して電車の遅れはたったの5分程度。
本当に日本の鉄道員の方はすごいなと思う。
定時運行があたりまえという常識を含め日本の誇りではないかと思うことがある。