ケンのブログ

日々の雑感や日記

そろそろブルゾンの用意もしなくては

2020年10月16日 | 日記
日中はまだ温かい日が多いけれど、朝晩は冷え込むことも多くなった。日中もこの分ではいつ冷え込むかわからない。もう立冬まで一ヶ月切っているし、、、。

そろそろブルゾンの用意もしなくてはと思う。

定年が70歳って

2020年10月13日 | 日記
新聞に定年70歳時代、というようなタイトルの本の広告が出ていた。

ええ。定年が70歳になるの?と思ってしまう。

それで、そのことに関してネットでちょっと調べてみると、法律を改定して定年を70歳まで引き上げていく流れが確か来年あたりから順番にできていくというようなことが書いてあった。

僕は今、70歳くらいの人が多い集まりや場所に顔を出すことが多い。

そういうところでは、腰が痛い、膝が痛い、スマホ老眼になった(本来スマホ老眼などどいう言葉はなく単に老眼でスマホが見にくいという話だと思うけれど)血圧が高い、とかそんな話が頻繁に出てくる。

毎週、水曜日は病院でリハビリとか病院にいくことが大切なスケジュールの一つになっている人も少なからずいる。

平均寿命が長くなったと言っても70歳になって、若い人と同じように、働ける人ってそんなにいないというかほとんどいないと思う。

特にこれからITの時代になってタブレットの画面を見たりすることが必須の世の中になってくると目の衰えは仕事の遅さやミスに直結してしまう。

そして目の衰えは人のいろんな老化現象の中で特に誰にでも比較的平等に現れやすい部分と思う。
(村上春樹さんがあるエッセイで老眼にならない人はいないですかと医者に聞いたら、若くして亡くならない限りはみんな例外なく老眼になりますと言われたという主旨のことをかいておられたと思う)

僕も自分のブログも後で読み返すと、漢字変換の間違いや、そもそも文章の綴りかたの間違いが40歳代の頃より多くなったなと思うことがある。

文章の綴り方で言えば、「僕が好きなのはりんごが好きです」という文の綴り方は間違った綴り方のお手本のような文だけれど、ちょっと長い文になってくると自分自身もそういう間違いのお手本のような文を書いていることにあとになって気づくことも多くなった。

やはり目が悪くなってきて老眼鏡をかけないと見えないことが多いし、老眼鏡をかけてもタブレットの画面など見ているとすぐに目がつかれて集中力がとぎれてしまうことも一因と思う。

足腰は僕は年齢の割にはしっかりしている方だと思うけれど、それでも体のバランスのとり方が下手になってきて、マクドに行ってお盆に飲みものを載せて階段を登ろうとするとバランスを崩してこけるのが怖くてできなくなってしまった。

若い店員の方に「お盆を持って階段上がるのが苦手なのでお盆はいりません」というと不思議そうな顔をされることも時々ある。

それは20前後の年齢のバイトの子だと、なんでお盆を持つと階段を登れないの?ということになってしまうと思う。

僕も若い頃はお盆を持って階段を登るのになんの苦労も感じなかったから。

そういう諸々を考えると定年70歳と言われてもその歳まで働くのはきついなということを思ってしまう。

70歳になって定年を迎えて、旅行とか行こうと思っても、その年齢になると、もう旅行に言ったりする気力もわかないということも多いと思う。

本当にどんな世の中になるのか心配になることが多い。

また、定年が70歳ということになると、今の僕のように、特に具体的にこれこれという仕事をしているというわけではなく、いろいろ街を歩いて観察したり、新聞や本を読んで勉強したり、音楽とか信心とかそういう具体的には目に見えないものに心を注ぐ生活になってくると、自分では決して遊びほうけているつもりはなくても、なんか、世の中に対する言葉では表現できないような後ろめたさと感じてしまうこともある。

僕の父が現役の頃はちょうど定年が55歳から60歳になる変わり目くらいの頃だったと思う。

とにかくまだ定年の年齢がはっきりわかっていて、それが世の中に広く認知されている時代だった。

だから、というわけではないかもしれないけれど、僕の父も「お父さんは定年になったらこれをするんや」というようなことを割と口癖のように言っていた。

それを聞いて、僕も子供心にも父は定年というのを人生の一区切りのときと考えているんだなと思っていた。

今は、どんな年齢を人生の一区切りと考えればいいのかわからなくなってしまったと思う。

もう本当に働く年齢にしても、その他の多くのことについても、基準というものがわからなくなってしまって、そういう意味での不安とかストレスとかそういうものが多い時代になってしまったなと思う。

そんな中でもなんとか自分なりに考えて努力して地道に進んでいきたいなと思う




筒美京平さん亡くなる

2020年10月12日 | 音楽
作曲家の筒美京平さんがなくなったと出ている。

生年をネットで見るとジョンレノンと同じ歳になっている。

僕の親より年下の人がそれでも80歳という年齢でなくなるのは寂しいなと思う。

代表作として尾崎紀世彦さんが歌った「また逢う日まで」などいくつかの曲が出ている。

僕は筒美京平さんを思い浮かべるとき、自分が知っている範囲で一番好きな曲はたぶん南沙織さんが歌っていた
「色づく街」かなと思う。

メロディラインの進行が精緻で美しいと感じるから。

ユーチューブで検索したら南沙織さんがもうアイドルとはいえない年齢になってから久しぶりにこの曲をライブで歌ったというような感じの映像が出てきた。

その映像では歌い終わった瞬間に南沙織さんが「ああ、きつかった。でも、でも、まあこんなもんか」というような感じのちょっと微妙に恥ずかしそうな顔をしておられる。

色づく街は、アップテンポのリズムを終始アタック気味に歌わなければならないので、歌う側にとってはきついというか、しんどい曲のはずと思う。

それで久しぶりに歌って南沙織さん、ああ、きつかった、というような顔になってしまったのだと思う。

しかし、あくまでも個人の感想だけれど、きれいな人は、どんな表情になってもきれいなものだなと思ったりもする。

あくまでも個人の感想ですけれど、、、。



ジョンレノン生誕80年

2020年10月09日 | 音楽
スポーツ新聞の芸能欄に今日10月9日はジョンレノンの生誕80年にあたり、なんかの展覧会が催されると書いてあった。

レノンが生きていたらもう80歳なのかとも思うし、逆にビートルズはもうすでに歴史的存在なのでまだ80歳かとも思う。

僕の記憶では王貞治さんも今年80歳で僕の子供の頃のヒーローだった人がもうそんな歳になるんだなと思う。

王さんもレノンも僕が子供の頃からスーパースターだったのでときが流れるのが速いようにもおもうし遅いようにも思える。

それが不思議だ。

レノンといえばやはりポールのことが気になるので調べてみるとポール・マッカートニーはレノンより2つ年下で今年78歳となっている。

78歳になってもロックが歌えればいいなと心の中で密かに思ったりすることもある。

ちなみにポール・マッカートニーのポールは聖書に出てくるパウロの英語の発音
ジョンレノンのジョンは、聖書に出てくるヨハネの英語の発音である。

人名に与える聖書の影響力はヨーロッパでは本当に大きいなと思う。

僕がビートルズの音楽を初めて意識して聴いたのは小学校5年生くらいの頃。

アルバムの名前は忘れてしまったけれど父の一番上の兄の次女(つまり僕のいとこだけれど、父と一番上の兄の歳がかなり離れているのでそのいとこと僕の歳もかなり離れていた)に、あるアルバムを貸してもらって家のステレオで聴いたのが僕が初めてビートルズの音楽に接する機会だった。

そのアルバムの中にいきなりエレキギターのビヨーンというへんてこな音がなって、それからエレキギターのきれいなアルペジオのイントロで始まる曲があった。

僕にはそのイントロがとても印象的に思えたので、その曲を何度も繰り返して聴いていた。

母が僕がその曲を繰り返して聴いているのを聴いて
「なんて変な音楽や」と言った。

それは昭和30年代くらいまでの歌謡曲や童謡、唱歌などが音楽のスタンダードになっていた母にしてみれば当然の反応だったと思う。

僕もそれは変だと思ったけれどその変なところがなんかすごいと思ったし、変な音に続いて出てくるエレキギターのアルペジオはエレキギターの音そのものは当時の僕には奇異なものだったけれどアルペジオの音階は極めて正当なものと子供なりに思った。

なのでその曲のメロディラインはずっと覚えていて、高校生になって、これまた友達のお姉さんからビートルズのレコードを借りて聴いたときにその曲はI feel fineというタイトルの歌だと知った。

僕はそれほどコアなビートルズのファンではないのでそれがポールの曲なのかレノンの曲なのかはよく判別できないというかI feel fineはなんしかビートルズの曲というふうに認識してきた。

このブログ記事を書くにあたってちょっとウィキペディアで調べてみるとこの曲は作曲はレノンアンドマッカートニーになっているけれど、実質はジョンレノンの作曲という主旨のことが書いてある。

あらためてそうなのかと思った。

こういう言い方が適切かどうかはわからないけれど、I feei fineはレノンの曲の中では伸びやかでストレートな曲だと思う。

なので子供の頃の僕の印象に残ったのかなとも思う。

ユーチューブで検索してI feei fineを聴いてみるとやはりエレキギターのイントロはユニークでかつ正当なものだと感じる。

改めて聴くと曲はビートルズの楽曲の多くがそうであるようにA B Aの構成になっている。

ABAのAメロの最後の部分、歌詞のI’m in love with her and I feel fineに相当する部分の歌声のハーモニーはとても美しいなと思う。

今、こんなに美しい歌声のハーモニーを聴かせてくれるバンドがはたしてあるだろうかと思うほど美しい。

歌詞としてもこのI’m in love with her and I feel fineはこの曲で最も重要な言葉。

その部分のメロディが最高に美しくておまけにハーモニーも最高。

歌詞とメロディとハーモニー、この3つの音楽的頂点が見事に一致している。

やはりビートルズって伝説のバンドというところを超えて、もう誰もが認める歴史的存在なんだなと思う。






大きな玉ねぎの下で

2020年10月08日 | 日記
僕の実家でとっている全国紙に、リニューアルされ、ライトアップされた日本武道館の写真が出ている。

屋根の色合いそして形が美しいと思う。

日本武道館に1980年代に一度だけコンサートを聴きに行ったことがある。

それはズービンメータが指揮するニューヨークフィルハーモニックで前半にはたぶんジョージガーシュインの曲が演奏され後半にはドヴォルザークの交響曲 新世界よりが演奏された。

武道館はクラシックを演奏するためには決して音響のよいホールではなくオーケストラは力みかえっていて、随分荒削りな演奏だった記憶がある。もう武道館でクラシックを聴くことはないだろうとその時思った。

実際、その時以来武道館でクラシックを聴いたことはないけれど、、、。

日本武道館の最寄り駅が九段下。

九段下の駅で降りて皇居のお堀の回りを散歩しながら肉まんを4つくらい食べて、お堀端に腰掛けて読書して、そんなふうに一日過ごしたこともある。

それはそれで僕にとって印象深い思い出になっている。

日本武道館の屋根のてっぺんにある擬宝珠は玉ねぎの形に似ていて、大きな玉ねぎという愛称がある。

爆風スランプの大ヒットナンバー「大きな玉ねぎの下で」が九段下の駅の電車発着時の音楽になったと数年前に聞いたときとき、それはいいことだなあと思った。

あのナンバーは、ペンフレンドの彼女に貯金箱をこわして日本武道館でのライブのチケットを送って、その時、彼女と初めて会う約束だったけれど、彼女はなぜかコンサートの当日に来ない。彼女のための席が冷たい。という本当に切ないラブソングだ。

でも、叶えられない恋でもそれが決して悪い思い出のように聞こえないところが、大きな玉ねぎの下でという歌の一番の魅力だと思う。

そして、彼女が来ないという経験は少なからぬ人が経験することでもあるし。

歌のサビの部分の歌詞はこんなふうになっている。

“”
九段下の駅を降りて、坂道を、人の流れ追い越していけば
黄昏時 雲は赤く焼け落ちて 屋根の上に光る玉ねぎ “”

僕もコンサートに女の子を誘って、当日、その子は来なかったという経験がある。

それに僕もコンサートに行くと大概は、最寄り駅からコンサートホールまで人の流れを追い越して歩くことが多いので
この歌詞は僕の経験にオーバーラップすることが多い。

なので聴いていてときどき泣きそうになることがある。

いい歌だなと思う。