ケンのブログ

日々の雑感や日記

港町 ジョンソン首相 魔法の鏡

2022年01月21日 | 日記歌入り
■知らなかった

新聞に名古屋港の輸出高が10年ぶりに首位から転落したと出ている。

ええ? では、この10年ずっと首位だったということになる。

知らなかった。

子供のころから関西に割と縁の深い生活を送っていたので港と言えば神戸、そしてライバルが横浜。

輸出も輸入もこの二港で競っているといまだに思っていた。

名古屋って港町という雰囲気ないような気がするし、、、。

やはり港町の雰囲気って歴史的に醸し出されるものだと思う。

丘の上から港が見えるとか、異人館があるとか、、、。

神戸も横浜もこの条件は満たしていると思う。

名古屋はどうなのだろう。

岐阜県の出身であるにも関わらず名古屋のことあまり知らないから、へたに書かない方がいいと思うけれど。

ちょうど30歳くらいの時、北海道に一人で旅行に行って、函館の電話ボックスから、母の知り合いのおじさんに電話した。

「今、函館です」と僕が言うと「そう、港町だねえ」とおじさんは言った。

そのとき僕がいた電話ボックスから函館港が見えていた。

あの、おじさんの一言がいまでも忘れられない。

もう、おじさん、この世にいないけれど。

函館も、異国情緒があって丘から港が見えるという条件は満たしているんだなと思う。

■ジョンソン首相

イギリスのジョンソン首相って、自分自身コロナにかかって、あわや、というところまで行ったと聞く。

かと思うとコロナの時に飲酒のパーティーをしたと追及されたり。

しかし、一方で、コロナと共生する政策をかなり前面に押し出したり。

髪型はユニークだし。

多様性があって、ちょっとユーモラスなので何かあるはずだと思って調べてみた。

するとジョンソン首相、イギリス国王ジョージ二世の血を引いているらしい。

そしてオックスフォード大学では古典ギリシャ語とラテン語を専攻と出ていた。

日本で、国文科で、漢文と古文を専攻した人が総理大臣になるというのはちょっとありえないこと。

大学で古典ギリシャ語とラテン語を専攻した人が首相になるって、さすがは大英帝国と思う。

やっぱり違うなと。

そして、ジョンソン首相の、ちょっとユーモラスでゆとりのある態度と、そういう育ち、受けた教育との相関性は高いと思う。


日本の高校では、国語で小説はあまり扱わないようにする動きがあるというニュースを見るとやはりちょっと心配になってくる。

こんなこと書いたとたんに、ジョンソン首相、辞任に追い込まれるかもしれないからあまり書かない方が無難と思ったけれど、、、。

■魔法の鏡

松任谷由実さんの「魔法の鏡」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければ嬉しいです。

その歌詞は日本人の新たな心象風景を作り上げた、という理由で松任谷由実さんは2018年に菊池寛賞を受賞されました。

「魔法の鏡」。この歳になって改めて聴くと、その歌詞は、日本のポップスのために書かれた歌詞として、最も美しい心象風景を持ったものだと思います。

この、歌がリリースされたとき松任谷由実さん20歳。

今、68歳、信じられない。

すごい人は20歳のときには、もう、すごいですね。

↓↓松任谷由実さんの「魔法の鏡」をDAMの音源で歌いました。







桶狭間タンメン イクメン 横恋慕

2022年01月20日 | 日記歌入り
■桶狭間タンメン
国道を走っていて「桶狭間タンメン」という看板を見かけた。

ちょっと見ると、ラーメンのお店のようだ。

桶狭間って織田信長が勝利した、古戦場の地名だったと思う。

織田信長が勝ったということしか記憶に残ってないけど、、、。

やはり東海地方らしいラーメン店の名前だなと思った。

家に帰ってきて調べると、岐阜県にも何店舗かあるようだ。

ラーメンをここ10年くらいはあまり食べないので知らなかった。

10年以上前は、天下一品のこってりラーメンをよく食べていたけれど。

■ イクメン
数日前に、イクメンに関する新書の広告が新聞に出ていた。

その新聞が手元にないので記憶で書くと
イクメンに関して、女性は不満だらけ 男は自信をなくしがち、その結果自立できない子供が育つ。というような主旨のキャッチコピーが書いてあったように思う。

言われてみれば、ありがちな話という気がする。

本当に、いろいろと男も女もしなければならないことが増えて大変だなと思う。

けれど、男と女を社会の中でまったく平等に扱うというのは、困難であることには違いないと思う。

なぜなら、男と女 つまり異なるものを等しいとみることは、やはり困難だから、、、。

ただ、男も女も ヒト(人類)という くくり(カテゴリー)の中にあることは間違いないと思う。

僕は、そのことを信じていたいという気持ちが強い。


■横恋慕
中島みゆきさんの「横恋慕」をカラオケDAMの音源で歌い、ICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただけるとうれしいです。

この歌は僕には、悲しいようにも聴こえますし、楽しいようにも聴こえます。
ちょっとおどけたところがあるようにも思えます。

様々な側面を持つこのような歌に接すると、時々、中島みゆきさんって、ウルトラセブンなどと同じで、地球と違う星から来た人なのではないかと思うことがあります。


↓↓中島みゆきさんの「横恋慕」をDAMの音源で歌ったものです。




まん延防止措置 東海三県にも適用

2022年01月19日 | 日記歌入り
■まん延防止措置

愛知県でも21日からまん延防止措置が21日から適用されると新聞とネットに出ている。

またか、という気持ちになってきた。

措置が適用されるとどうなるのか、適用されなければわからない面もある。

情報を集めても情報が変わる可能性もある。

また、僕以外の人も、情報は変わると思っているだろうから、安易に確定的な情報は発表しないし、聞きづらいし。

まん延防止になったらどうなりますか?と人に聞いても、これは状況によって変化するのでわかりません という答えが返ってくのが関の山という気もする。

本当に先の読めない状況が続くなと思う。

まあ、コロナでなくでも先の読み通せる人は誰もいないわけだけれど、、、。


状況を見ながら進んでいきたい。

今は、状況を見ながら進むということの練習の時かもしれない。

■松任谷由実さんの誕生日

今日は松任谷由実さんの誕生日だなと思いながら、牛丼を食べていたら、ショップのBGMで由実さんの「雪だより」が流れていた。

誕生日だから流したのかとも思ったけれど、「雪だより」は今の季節の歌だから、誕生日だからというわけではなさそうだ。

今日で由実さんは68歳になるはず。

僕が中学生のころ、僕と由実さんは8歳の年の差があった。

そして、歳の差は何年たっても変わらないので今も僕より8歳上ということになる。

松任谷由実さんが68歳かと思うと、僕の人生もずいぶん来たものだなあと思う。

「人生も来る」って正しい言い方かどうか微妙にわからないけれど、、、。

■ ロマンスの神様
広瀬香美さんの「ロマンスの神様」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければ嬉しいです。

ある年の会社の忘年会がカラオケのある居酒屋でありました。

女性の社員の方がこの歌を歌い、みんな、すごいなあと言って感心していたことを思い出します。

僕も、すごいなあと思って聴いてました。

当時、その方は、アマチュアの合唱団で第九を歌うために練習していた時だったので、よりいっそう声が出ていたのだと思います。

会社を辞めてからは本当に数えるほどしか居酒屋にいってないなと思います。

外でお酒で盛り上がりたい人はコロナでいろいろ制約を受けますね。

早く収まればいいと思います。

↓↓「ロマンスの神様」をDAMの音源で歌いました。





阪神大震災 勘違い

2022年01月18日 | 日記
■勘違い

昨日は1月17日。

阪神大震災の日。

新聞の一面にそのニュースが載っていない。

毎年、載っていたのに。

やはり、名古屋では阪神大震災も27年にもなると、新聞の一面には載らないのか?

もう年月が経ったから、関西のローカルニュースになってしまったのか。

それとも、コロナなどの影響でニュースが多すぎて紙面を割けないのか。

いろいろ考えた。

そうしたら今日18日付の新聞には神戸市中央区で灯篭に火をともすひとの姿が載っている。

そうか、新聞はニュースが一日遅れになることを忘れていた。

テレビができて野球がテレビで放映されるようになったらスポーツ新聞がうれなくなるのではないかという懸念が出たという。

ところが、テレビで勝利を知って、翌日も新聞でその余韻に浸りたいという人は案外多くてその心配は杞憂に終わったという話を読んだことがある。

だぶん本当の話と思う。

いまはネットの時代になってどうなったかわからないけれど、、、。

たぶん、つかこうへいさんだったと思うけれど、好きなチームが負けた翌日は日経新聞を買うとどこかに書いておられたような気がする。(記憶違いだったらごめんなさい)

日経はスポーツの扱いが小さいからとのことだった。

■悪気はありません

大阪で軽乗用車を買ったころ、車線変更になれるのが一つのテーマだった。

岐阜は片道一車線の道が多いし、仮に二車線だったとしても大阪ほどの車線争いになることはない。

それで、大阪で今日は車線変更の練習とテーマを決めて運転したことがある。

サイドミラーに頃合いの車が迫ってきたので、よし、この車を対象にして練習しようと思った。

その車が右に車線変更したので、よし、僕もその車の前に出る練習と思ってその車の前に車線変更した。

すると、こんどはその車が左に車線変更した。よし、こんどは僕も左の練習だと思い
その車が、サイドミラーとバックミラーに写っていることを確認しながら左に車線変更した。

そして、前の信号が赤になったので、何気に停車して、信号を待っていたら、僕の車の後ろの方でボコっと音がした。

何かと思って後ろを見ると、僕が車線変更の練習台にした後ろの車を運転していたおじさんが立っている。

ああ、おじさんが僕の車を蹴(け)ったんやな、と思って、なんでやろうと思い、窓を開けておじさんの方を振り返ったら、おじさんが窓のところにやってきて「おまえ、どんだけ人の前ふさいだら気がすむんや?」と言った。


そうか、車線変更の練習という一心で意識を集中していたけれど、後ろのおじさんにとっては単に前方の進路を右、左と二回も妨害されたうえ信号が赤になって止まったんやなと初めて気づいた。

僕がポカーンとした顔で謝ると おじさんは怒っているとも、あきれているとも判断できないような顔つきで自分の車に戻っていった。

いやあ、でも、それは右 左と進路を妨害した挙句、赤信号で止まったら、いやがらせと思われてもっとひどい目にあっても仕方のないところだったなあとあとから振り返って怖くなってきた。

悪気がなかったので逆に気づくのが遅くなってしまった。

また、南の方の繁華街で駐車場から自動車を出すとき、中途半端にバックで歩道にはみ出したら、歩道を歩いていたおばちゃんに、リアウインドを小突かれたこともある。

そういうのは自分がされたこともあるし、他人どうしてそういう車両を蹴ったり小突いたりというのは何回か見かけた。


こちらに来て、そういうのはおかげさまでまだ経験していない。

ただ、なんとなく感覚的に、こちらのほうがスピードを落とせばそれで、すむようなケースでパー とクラクションを鳴らされる頻度が高いような気がする。

クラクションを鳴らす頻度が高いか、蹴ったりする頻度が高いかにもある程度、地域性があるような気がする。(統計を取ったわけではないから、個人の感覚ですけど、、、)

ても、カーッと来るのを我慢する練習をみんなお互いにしなければと、しみじみと思う今日この頃だ。

人生 取り返しのつかないことになったら、遅いし、、、。

「荒々しい言葉を言うな。言われた人は汝に言い返すであろう。怒りを含んだ言葉は苦痛である。報復が汝の身に至るであろう」 ブッダ感興の言葉 岩波文庫より引用。

仏教は報復という教えが基本的にはない宗教と僕は思っているけれど、怒りの言葉には報復があるとなぜか書いてある。

でも、僕の59年余りの人生を振り返ってみるとなるほどそうだなと思うことがある。
気を付けていきたいと思う。

ちなみに他の箇所には「怒らないことによって怒りに打ち勝て」と書いてある。

心にとめておきたいと思う。

アンガーマネジメントと言っていろいろ方法を考えるよりも、このようなシンプルな言葉を心にとめておいた方がいいように僕は思う。












共通テスト会場での傷害事件

2022年01月17日 | 日記
■情報が遅れる
トンガの海底噴火による津波の情報が新聞に載っている。

高知県の室戸市で転覆した漁船の写真が新聞に出ている。

新聞で見てこれだけ大きい津波が来たことを初めて知った。

テレビがないと情報が遅れるなと思う。

■共通テスト会場での傷害事件

共通テスト会場での傷害事件に関して、読売新聞の社説にこのような記述がある。

“”最近、「生きている意味が見いだせない」「人を殺して死刑になりたかった」などの理由で、若者が電車内で刃物を振り回したり、飲食店に立てこもったりする事件が相次いでいる。

自分だけが不幸だと思い込んでいるのだろうか。失敗や挫折などは誰にでもある。本を読んで他者の苦悩に触れたり、日記をつけて内面と向き合ったりして、視野を広げてほしい“”と。

本当に僕も人間の苦悩について書かれた本をそれほど読んでいるわけではないけど
「ブッダの感興の言葉 中村元訳 岩波文庫」には次のように書かれている。

“”「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。“”と。

本当に、苦しいのがあたりまえ、と思うことはしんどいときに逆に救いになると思う。

僕はしんどいときには苦しいのが当たり前と自分に言い聞かせるように心がけている。

八王源先生も「人生は、しんどいことの連続。たまに、ちょっといいことがある、そして、またしんどい、そんなもんです」と言っておられた。

そして おいしいものを食べて僕が「おいしい」と言ったときの先生の口癖は
「たまに食べるでおいしいの」「ちょびっと食べるでおいしいの。こんなものいつもかも食べとったらどうやらなってまう」だった。

※「たまに食べるでおいしい」 は岐阜の方言で 「たまに食べるからおいしい」 の意味です。

同様に、「ちょびっと食べるでおいしい」は 「ちょっと食べるからおいしい」 という意味です。


夏目漱石の草枕には次のように書いてある

“”喜びの深きとき 憂(うれい)いよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。 (中略) 金は大事だ、大事なものがふえれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。(中略)うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽きたらぬ、存分食えばあとが不愉快だ。“”と。

要するに八王源先生と夏目漱石は同じことを言っているように僕には思えてくる。

ちなみに、草枕は、中学生の時よんで、よくわけもわからずそのまま時が過ぎた。

ある時、ネットで、大ピアニスト グレングールドがこの草枕を大変な愛読書にしていたと知って、もう一度読み直してみた。

読み直してよかったと思った。

本当に、新聞の社説に書いてあるとおり、少しは本でも読んで視野を広げることも大切と思う。

僕が通っていたある歌声教室の先生がこんな主旨のことを話されていた。

「昔の歌は歌詞の中にいろいろ言外の意味がありました。最近の歌を見ていると、言いたいことを全部ちょこまか言ってしまっているようで言外の意味というものが感じられないですね」と。

今の歌が全部、そうとは言えないと思うけれど、それでも、中島みゆきさんとか 小椋佳さんの歌詞に目を通した後で、最近のシンガーソングライターの歌詞に目を通すと、言葉数が多い割には、、、と思うことも多いのは一つの事実だ。

そして、言外の意味の少なさは 想像力の欠如につながり 短絡的な行動につながる恐れが多いと僕は思う。


昔の歌、たとえば小椋佳さんの「ただお前がいい」という歌の歌詞にはこんな一説がある。

“”落とすものなど何もないのに 伝言板の左の端に 今日もまた一つ 忘れ物をしたと 誰にともなく書く“”と。

本当に少ない言葉の中に多くの意味が含まれていると思う。

そしてこの歌の決めゼリフはこうだ。

“”また会う約束など することもなく それじゃあまたな と別れる時の お前がいい“”と。

約束も何もなくても ただ、お前がいることが いい  それだけでいい と小椋佳さんは言いたかったのではないでしょうか。

この世に 自分がいるだけでいい そして 他者がいてくれるだけでいい とそう思うことは感謝ということの基本であると僕は思う。

イエスが 自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい と言ったことも注目に値する。

まず、自分を愛さなければ他者を愛することはできない。

なぜなら 自分を愛するように他者を愛せ とイエスは言っているから。

そう僕は思う。