シン・ギョンスクの長編小説。
내가 그쪽으로 갈까?
내가 그쪽으로 갈게.
これだけ見ていると男か女かわかんないけど(この辺改めて書きますね)
僕がそっちに行こうか。
私がそっちに行くわ。
です。
まあ、ラジオのCMが男性と女性の声になっているからわかるんですけどね。
엄마를 부탁해 のように最初から読者の心をわしづかみにする衝撃的な展開はありません。
ただ、このまま先に進んだら悪いことが起こりそうな・・怖いもの見たさで読み進めてしまうような。
読むとだんだんと暗~くなってゆく、寂しい感じ。
長くてつらい本ですが最後の最後に救いがあります。
作者が伝えたいこともこの救いの部分だと思います。
分かり合うだけでは足りなくて寄り添っているだけでもだめで、相手に近づいてゆく気持ち。
今読みかけてしんどいなぁ・・と思っている人がいたらがんばって最後まで読んでくださいね。
主な舞台は80年代の韓国。当時大学生だった主人公の女性と、パートナーとなる男性にはそれぞれ幼馴染として育った男友達と女友達がいます。
主人公たちは街を歩き、本を読み、文を書きながら成長していきますが、辛い話が続きます。
왜 이래야만 했었나?
どうして、そうするしかなかったのか?
という疑問を持ちながら読んだし、登場人物たちも強烈にそう思っていたことでしょう。
大学時代の恩師がキー・パーソンとして出てくるので、私の大好きな하게体もたくさんあり、堪能しました。
自分では使わないけど、恩師を敬う気持ちとか、恩師の人生の先輩としての生きかたとかやはり하게体でなくちゃね、という重みがあると思うのです。
回想中心の私=女性の視点と、男性が当時書いていたノートが交互に出てきます。
これだけ読むとちょっとコン・ジヨンの『私たちの幸せな時間』と似ていますが、
他にもあるのかな?私が他を知らないのでなんとも言えません。
내.가.그.쪽.으.로 갈.까. や 우.리.는.숨.을 쉰.다 のように、ところどころピリオドで分けた文章が出てきて、目を引きます。
途中で、それが多すぎてうるさいな~という気持ちになるのですが、これタイプライターで一時ずつ字を打っているイメージなのだと気づきました。
そして、最後にまた印象的な使われ方をしています←ここが鳥肌です。
う・・うまいな~!
途中でうるさいな~とか言っちゃってすみませんでした。という気持ちになりました。
時間軸がまっすぐ進まないのは、엄마를 부탁해 も同じでしたが、こちらは回想シーンの中でさらに昔の思い出話が挿入されていたりして、さらに重層的で複雑です。
入れ子になった箱をひとつひとつあけて核心に迫るような書き方は、魅力があるのですが、正直外国語で読んでいると厳しいです。
ノートに書いて整理してみるとなるほど~。と思えるんですけどね。
ストーリーの本筋ではわからなかったところが後から告白や会話や手紙の形で
「実は~だった」と明らかになります。
その前のところはぼかして書いているんだけど、なんとなく予感できたり引っかかる部分が、改めて読むとあ~やっぱりそうだったのかと納得できます。
その辺りの伏線が寂しい感じで緊張させられるのですが。
寂しくて暗い青春小説ですが、ヘッセとかジイドの青春小説という話が作者のあとがきにあって納得。
韓国の社会運動や学生運動といった時代背景がなくてはならない小説で、韓国人が読むのと私たちが読むのと受け取り方が違うのだろうとも感じました。
悔しいけど、というか、だからこそ一生懸命読むのです。
そういえば本のデザインが、엄마를 부탁해 とそっくりで色違い。
出版社は違うのですが・・デザイナーさんが同じなのかなぁ、とも思いますが装丁家の名前は出ないんですよね、韓国の出版物。
(今回はグリムショウの絵を使っているので、その名前だけ書いてあります)
シン・ギョンスクだからこんな感じ、とか変な縛りがあったらやりにくいだろうなぁ。
ちなみに日本では装丁には著作権がないそうです~。
読み返してみたんですけど、ああ~、ネタバレにならないように書いたらわけがわかりませんねぇ。
読書の秋にぐっと心に残る1冊を読みたい方にはオススメです。