一度整理した本を偶然再入手した。ピーター・ボグダノビッチの『ハリウッド・インプレッション-映画、その日その日。』(高橋千尋訳・91・フィルムアート社)である。これは映画評論家から映画監督になったボグダノビッチの映画に関する文章をまとめたもの。
ボグダノビッチの著書は、ほかにも『インタビュー ジョン・フォード 全生涯・全作品』(高橋千尋訳・78・九藝出版)、『私のハリウッド交友録 映画スター25人の肖像』(遠山純生訳・08・エスクアイア マガジン ジャパン)がある。
いずれも興味深い内容なのだが、翻訳に分かりづらいところがあり、文章の流れもよくないのが難点。従って、読むのに時間がかかって骨が折れる。多分、一度整理したのは、その性もあったのだろう。
1979年の大河ドラマ「草燃える」の原作となった永井路子の直木賞受賞作で、頼朝の異母弟・阿野全成を主人公にした「悪禅師」、頼朝の寵臣・梶原景時に焦点を当てた「黒雪賦」、北条政子の妹・保子の半生を描く「いもうと」、頼朝を補佐し、後に2代執権の座に就いた北条義時を主人公とした「覇樹」からなる連作短編集。
同時代を、異なった4人の人物の視点から描き、どれも読み応えがあるが、とりわけ、頼朝の異母弟・全成の目を通して語られる「悪禅師」、いつもは憎まれ役の梶原景時を気骨のある人物として描いた「黒雪賦」が出色。
「鎌倉殿の13人」の脚本の三谷幸喜自身が、「草燃える」の影響を口にしているのだから、当然原作となったこの小説も、大きな影響を与えていると思う。
こちらもドラマに影響されて、また読んでみようかと思っている。
「鎌倉殿の13人」と「草燃える」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/d1c36450859482d0466097e0b3b053b3
伊豆長岡「鎌倉殿の13人」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b1079bf8c5c4e478f7db5800506e6f80
【インタビュー】「鎌倉殿の13人」三谷幸喜(前編)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/c7da9b5b02ac56987b16cbf63b901204
【インタビュー】「鎌倉殿の13人」三谷幸喜(後編)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/00c5fbc4696195e085877a8224fa89f5
『怪獣大図鑑』(朝日ソノラマ・1966.10.1.)
『写真で見る世界シリーズ 怪獣画報』(秋田書店・1966.12.5.)監修・円谷英二
『写真で見る世界シリーズ 図解 怪獣図鑑‐続・怪獣画報‐』(秋田書店・1967.3.1.)大伴昌司
『怪獣解剖図鑑』(朝日ソノラマ・1967.3.10.)
『世界怪物怪獣大全集』(キネマ旬報・1967.5.15.)監修・大伴昌司
『月刊ぼくら』付録『怪獣大百科事典』(講談社・1967.6.)
『別冊少年サンデー 怪獣怪物大特集』(小学館・1967.8.1.)
『写真で見る世界シリーズ『カラー版怪獣ウルトラ図鑑』(秋田書店・1968.5.30.)大伴昌司
これらは、今でいうメディアミックス。功罪はあるが、怪獣ブームの仕掛け人は紛れもなく大伴昌司だったと思う。このうち『図解 怪獣図鑑』は、浩宮時代の今の天皇が買ったことでも話題になった。それほど、怪獣ブームはすごかったということだ。
佐々木朗希の完全試合を見て、思い出した本。彼の場合は、運や偶然がほとんど感じられなかったのがすごかった。
『完全試合-15人の試合と人生』(北原 遼三郎)東京書籍
(1994.2.14.)
完全試合。それはどう達成され、それを行ったピッチャーは、その後の人生をどう生きたか。藤本英雄から槙原寛己まで、全国に取材を敢行したノンフィクション。
偶然見掛けた新聞記事によってこの本と巡り合ったのだが、少々うがった見方をすれば、去年(94年)の槇原(巨人)の完全試合がなければ、日の目を見なかった企画だったのかもしれない。
とはいえ、内容的には、槇原以前に完全試合を達成した14人への取材だけでも、十分なものがあった。そこには、完全試合とは、ちょっとした運や偶然の積み重ね、巡り合わせ、人生の綾などが微妙に絡み合って始めて起こる一種の奇跡だということが書かれ、達成者各々のその後の人生に与えた意味にまで迫っていたからだ。
加えて、この筆者は野球をよく知っていると感じさせるような、試合経過の描写が見事で、それだけでも読み応えがあった。筆者にとっては、地道な取材から出版へとつながるきっかけとなった槇原の完全試合こそが、奇跡の出来事だったといえるのかもしれない。
完全試合を描いた映画『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/22d17e0ac185bc365f650deda217a5ce
『忍者ハットリくん』『怪物くん』『魔太郎がくる!!』『笑ゥせぇるすまん』『プロゴルファー猿』…。藤子不二雄Aのブラックな話とごつごつした感じの画調は、盟友・藤子・F・不二雄のほのぼのとした話と柔らかい画調とは対照的で、よくこの2人が共作をしていたものだと思った。自分は、どちらかと言えば藤子・F派なのだが、不二雄Aの作品で大好きなものが一つある。半自伝漫画として描かれた『まんが道』だ。
これは、藤子不二雄Aこと安孫子素雄をモデルにした満賀道雄と、藤子・F・不二雄こと藤本弘がモデルの才野茂が富山県高岡市の小学校で出会ってから、上京してトキワ荘で漫画家生活を送るようになるまでの、若き日々を描いたもの。
この漫画は、もちろん、2人を中心にトキワ荘の住人を描いた青春群像漫画としても面白いのだが、当時2人が見た映画が、紙上で再現されるところが興味深かった。
『大いなる幻影』(37)『駅馬車』(39)『荒野の決闘』(46)『第三の男』(49)『チャンピオン』(49)『アスファルト・ジャングル』(50)『遊星よりの物体X』(51)『雨に唄えば』(52)『革命児サパタ』(52)『君の名は』(53)『ヴェラクルス』(54)『血槍富士』(55)『OK牧場の決斗』(57)…。
藤子不二雄はもちろん、手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫…、皆映画が大好きで、パロディ的なものを描いたり、漫画の中に映画的な技法や見せ方を取り入れたりもした。映画が衰退し、漫画が発展する中、「本来は映画監督になるような才能の持ち主が、漫画家になってしまった」と嘆いた映画関係者もいたという。
後にNHKの銀河テレビ小説でドラマ化された「まんが道」(86・87)も、満賀(竹本孝之)が勤める立山新聞社の虎口部長(蟹江敬三)、先輩の西森光男(イッセー尾形)。トキワ荘仲間の手塚治虫( 江守徹)、寺田ヒロオ(河島英五)、赤塚不二夫(松田洋治)、森安直哉(森川正太)。ケーシー高峰、頭師孝雄、赤塚真人、北村総一朗、高田純次らが演じた出版社の漫画担当の記者たちなど、満賀と才野(長江健次)を取り巻く人々が皆魅力的に描かれ、忘れ難いドラマとなった。長渕剛の曲を竹本がカバーしたテーマ曲『HOLD YOUR LAST CHANCE』も印象深い。この中でも、トキワ荘の住人たちが、見てきた映画を熱く語る場面があったと思う。
この人の映画評論も随分読んで、勉強になった点と、共感できない点が、相半ばするところがあったのだが、言い換えれば、それだけ主張が強かったということだろう。学歴のない、叩き上げの映画評論家という点では尊敬に値するが、その分、映画学校の学長(権威)になったときは、ちょっとがっかりしたものだ。
うちの本棚に残っているものを。
『黒澤明の世界』(69)三一書房
『現代アメリカ映画』(70)評論社
『映画をどう見るか』(76)講談社現代新書
『長谷川伸論』 (78)中公文庫
『現代世界映画―1970年-1978年』 (79) 評論社
『映像の視覚』(83) 川本三郎共著・現代書館
『黒澤明の世界』(86)朝日文庫
『みんなの寅さん-「男はつらいよ」の世界』(88)朝日新聞社
『黒沢明解題』(90) 同時代ライブラリー新書
『アメリカ映画』(90)第三文明社
『映画の中の東京』(02)平凡社ライブラリー
『天国と地獄』『黒澤明の世界』(佐藤忠男)『黒澤明の映画』(ドナルド・リチー)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/288cc39acc9763ba35cc3522e7530541
ずっと“ビートルズについて書かせたらこの人”だと思っていた松村雄策さんが亡くなった。特にポールに対する思いには共感するところが多々あり、ファンの一人として元気づけられたこともあった。
『アビイ・ロードからの裏通り』ちくま文庫
(1988.12.)
俺たちよりも少し年上の、もろにビートルズと共に育ってきた者にしか書けない、自分史の中にビートルズを組み入れて語る形のエッセー集。アフター・ザ・ビートルズの四人に対する思いは、相通じるところが少なくなかった。
特にポールに対する優しさや思い入れは、とかくジョンにばかり好評価が集中しがちな世評の中で、自分と同じような考えを持っている人を見付けられた喜びを感じることができた。
一体、ポールのどこが悪いってぇんだい。彼ほど素晴らしいラブソングを作って歌えるやつがほかにいるかってぇんだい。ねえ、松村さん。
『岩石生活(ロックンロール)入門』ちくま文庫
(1990.1.)
ポール・マッカートニーの『タッグ・オブ・ウォー』は、ここ数年のポールが全て出ているようだ。スタジオ以外での、楽器を持っていない時の、ポールが全て出ているように思える。それはポールの全存在であって、そこには彼の音楽も生活も、そして当然ジョンの死も含まれているのだ。
ポールは才能がありあまっているから、ふだんは適当なところで手を打っていて、追い込まれて考え込まなければ、本当の才能を出さない゜みたいである。(ジョンもそうだった)。ひさしぶりに彼は追い込まれたのだろう。どれくらいひさしぶりかというと、1973年12月の『バンド・オン・ザ・ラン』以来と正直に答えないわけにはいかないだろう。
このレコードは、殆ど十年ぶりの、十年に一枚といった傑作である。この十年分の蓄積を、全部吐き出しているようだ。こういうとんでもない名曲を作るポール・マッカートニーのファンであって良かったと思う。
以上、松村雄策のエッセー集からの抜粋である。近々、ついに来日公演を行うポールについて書かれたものを読みながら、我が意を得たりと思わされ、思わず、ポールの来日について書かれた『ロッキング・オン』を買ってしまった。
そこには、去年のリンゴのコンサートに関するジレンマに始まり、ポールに対する思いがめんめんとつづられており、最後は我々の共通の願いの一言で締めくくられていた。「神様、仏様、ポール様、お願いですから大麻だけは持ってこないでください」と。
『悲しい生活』ロッキング・オン
(1994.8.)
今回の“松村雄策生活報告”の白眉は、やはりポールの来日に関する部分であったのだが、その割に、お互い二度目はあまり熱くなりませんでしたね、という思いが浮かんできた。うわさされる三度目の時は、もっと冷静になってしまうのでしょうか。
『ビートルズは眠らない』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/14a766a31084cf05165ba9771f78bb6e
『ウィズ・ザ・ビートルズ』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/58a81ab4b7b1af8d0f1de72a52b7b4e5
『私、プロレスの味方です』『当然、プロレスの味方です』村松友視(角川文庫)
(1983.5.26.)
この本が最初に出版された当時(80年)の、明るいプロレスブームには付いていけず、プロレスに対する興味を失っていた自分にとっては、関係のない本だと思っていた。
ところが、今回、時期を経て読んでみると、栃内良が書いた『馬場派プロレス宣言』同様、本当にプロレスが好きでたまらない人が書いた本だったのだと納得させられた。
つまり、プロレスという一言を、例えば、映画でも音楽でもいい、自分の好きなジャンルに置き換えてみれば、実にすんなりと読めてしまう。
村松いわくの「ジャンルに貴賎なし。されどジャンル内には貴賤は存在する」という言葉通り、好きな道に貴賤はないが、その道を好きなればこそ、厳しくも温かい目で見つめながら、常に最高のものを求めたいという思いは、自分にもあるからだ。
それとともに、巻末のアントニオ猪木へのインタビューが、ジャイアント馬場は好きだけど猪木は苦手という偏見を改めさせてくれた。プロレスラーでも、猪木クラスになれば、当たり前のことだが、自分の哲学や信念を持ち、それを貫くために必死に努力している。見掛けの派手さからは想像もできないような壮絶な生きざまが伝わってきた。猪木もまた、見果てぬ夢を追い掛ける、ドン・キホーテの一人なのかもしれないと思った。
『馬場派プロレス宣言』栃内良(白夜書房)
(1982.9.1.)
この本は、「プロレスと言葉にした時、生じるイメージはジャイアント馬場そのものだ。力道山やアントニオ猪木ではないはずだ」という、まさに自分のプロレスに対するイメージとぴったり合う書き出しで始まる。
そうなのだ。伝説の力道山の試合をリアルタイムで見た記憶はないし、当時の熱狂ぶりを知るよしもない。そして、猪木を筆頭とする、今の派手で華やかなプロレスも、どうも肌に合わない。
かといって、全くのプロレス嫌いというわけではない。確かに、少年時代の一時期プロレスに熱中した時があった。そしてその主役は紛れもなくジャイアント馬場だったのだ。
いつから猪木の新日が面白くて、馬場の全日がつまらないと、世間で言われるようになったのかは定かではないが、恥ずかしながら、その傾向が強まるにつれて、自分のプロレス熱は急激に冷めていった。そんな自分の気持ちと反比例するかのように、プロレス人気は盛り上がり、華やかになっていった。
ところが、この本の筆者は、そんな世間の流れには目もくれず、「馬場さん、馬場さん」と言い続け、あげくにこの本を書いてしまったという、愛すべき頑固者である。
少々、思い入れが強過ぎるきらいはあるが、ここまでやられると、むしろ拍手を送りたくなる。誰かに思いを寄せるということに、難しい理屈は必要ないし、他人が思い入れる人間に第三者がけちをつける権利もないからだ。
そこには、決して他人には分からない、自分だけが分かる世界が存在する。そして、たまたまその思いを共有できる他人と出会えれば、それは喜びに堪えない。この本を読んでいると、思わずそんな気にさせられてしまう。
そして、この本のすごいところは、ジャイアント馬場という、一人のプロレスラーへの思いを語りながら、立派なヒーロー、アイドル論になっているところだ。
中でも出色は、ドラマ「前略おふくろ様」の名セリフをなぞって、最近、馬場以外のプロレスに目が行きがちな筆者が、自分を見つめ直している件だった。
「前略、馬場様。オレはあなたの青春を忘れていました。ピカピカに輝いていた…ハツラツと戦っていた、そうしたあなたの青春を、オレは忘れていたわけで…」
この言葉は、筆者がジャイアント馬場に向けて発したものだが、同じことは、自分たちが憧れを持って接してきた全ての人たちにも当てはまる。時代の流れとともに、昔のことは忘れ、新しいものに走るのは、人の世の常だからだ。
この本を読むと、思い入れを無理に捨てる必要はない。自分にうそをつく必要もない。人が何といおうが、世の中の流れがどう変わろうが、好きなものは好き。それででいいじゃないかと言われているような気がした。
試合観戦以外で、一度だけ生の馬場さんと接したことがある。
高校2年の暮れ正月の間、後楽園飯店でボーイのアルバイトをした。その時、全日本プロレス御一行様が、新年会を行うために、馬場社長を先頭にやって来たのだ。
ジャンボ鶴田、天龍源一郎、ザ・デストロイヤー、大熊元司、グレート小鹿、レフリーのジョー樋口あたりがいたのは覚えている。
馬場社長はショートホープをくるらせ、バイキングなのに自分では料理を取りにいかず、俺たちアルバイトのボーイが取りに行かされたのだった。その際、二言三言何か話したのだが、具体的な内容は覚えていない。多分、緊張していたこともあるが、その体と存在感の大きさに圧倒されたのだろう。