田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

蒲田2『未来元年・破壊都市』『ラスト・ワルツ』『天国の門』

2014-07-11 09:14:07 | 雄二旅日記

§マイ・シネマパラダイス・カマタ§

 かく言う私は、1976年(昭和51)から1984年(昭和57)まで蒲田近くの矢口という街で暮らした。この頃はちょうど我が高校から大学時代に当たり、浴びるように映画を見ていた時期とも重なる。当時、蒲田にはたくさんの映画館があり随分とお世話になった。今はそのほとんどがこの世から消えたが、この機会に少し思い出してみたい。

 

 蒲田駅の東口には美須興行が川崎と並行して展開していた映画館街“ミスタウン”があり、東宝(プラザ③)、松竹(ロキシー④)、東映(トーエイ②)といった各社の封切館が軒を連ねていた。

 『犬神家の一族』(76)『ダイナマイトどんどん』(79)『二百三高地』(80)『日本の熱い日々 謀殺下山事件』(81)『蒲田行進曲』(82)…。そして『男はつらいよ』シリーズも随分ここで見た。川崎のミスタウンはチネチッタへと変貌したのに蒲田のミスタウンは今や跡形もない。何とも寂しい限りだ。
        
 蒲田駅西口の線路沿い、今の東京工科大学の辺りに洋画3本立ての「蒲田パレス座(⑥)」があり、サンライズ通りには4本立ての「蒲田アポロ(⑦)」があった。ここで映画を見る時はまさに1日掛かりだった。

 パレス座やアポロでの印象的なプログラムは、例えば、『ピラニア』(78)『ザ・ドライバー』(78)『タッチダウン』(77)の三本立て、『クルージング』(79)『ラスト・ワルツ』(78)『アメリカン・ジゴロ』(80)の三本立て『未来元年・破壊都市』(79)『宇宙の7人』(80)『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』(79)の三本立て『タップス』(81)『未知への飛行』(64)『天国の門』(81)の三本立て…。ポルノ映画もたまに見た。

 当時は安価な料金でたくさんの映画が見られることを単純に喜んでいたのだが、実はここらはゲイのたまり場で、オールナイトなどは特に危険だったということを後から知って驚いた。怖いもの知らずの紅顔の美少年?がよく無事でいられたものだ。

 また、アーケード商店街内の蒲田文化会館には東宝系と東映系の二番館「カマタ宝塚(⑨)」と「テアトル蒲田(⑧)」があり、前者で『隠し砦の三悪人』(58)『用心棒』(61)『椿三十郎』(62)という黒澤明監督作の3本立てを見たことは今も鮮烈に覚えている。この2館は今も健在だという。久々に訪れてみようかなどと思うのはもはや郷愁に過ぎないのだろうか。

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蒲田1『蒲田行進曲』『キネマの天地』『早春』『砂の器』

2014-07-11 08:23:36 | 雄二旅日記

 先日、久しぶりに大田区の蒲田を訪れる機会があり、自分の思い出も含めて「映画との関わりが深い街・蒲田」について書いてみた。

§昔、蒲田に撮影所があった!§

 現在、JR蒲田駅の発車メロディーには「蒲田行進曲」が使われている。これはその昔、蒲田に「松竹キネマ蒲田撮影所」があったことに由来する。撮影所は1920年(大正9)に創設され、島津保次郎、牛原虚彦、野村芳亭、清水宏、五所平之助、小津安二郎、成瀬巳喜男といった名監督を輩出。小市民の日常を明るく描く“蒲田調”と呼ばれる作風を確立し、蒲田は“キネマの都”と呼ばれた。また、スターシステムの導入により、栗島すみ子、田中絹代らの女優が活躍。彼女たちは蒲田近辺の久が原などに居住し、池上線や目蒲線の沿線ではロケもよく行われたという。

 ところが昭和に入ると周辺に町工場が増大。騒音が録音を妨げ、煤煙による被害も甚大なものとなった。撮影所長の城戸四郎は撮影所を神奈川県の大船に移転することを決め、1936年(昭和11)蒲田撮影所は17年間の映画製作に幕を降ろすことになる。大田区史は「蒲田は工業都市を選択し、キネマ(映画)という文化を失った」と記している。

 

§映画製作者たちへの賛歌「蒲田行進曲」§

 ところで「蒲田行進曲」という曲はもともとアメリカで上演されたオペレッタのために作られた曲。これに堀内敬三が日本語の歌詞を付け、五所平之助監督の『親父とその子』(29)の主題歌としたが、いつしか松竹蒲田撮影所の社歌のようになっていったという。明るいメロディーに映画への夢と愛に満ちた七五調の歌詞を乗せたこの曲は心地良く耳に残る。

1 ♪虹の都 光の湊 キネマの天地
  花の姿 春の匂い あふるるところ
  カメラの目に映る かりそめの恋にさえ
  青春燃ゆる 生命(いのち)は踊る キネマの天地

2 ♪胸を去らぬ 想い出ゆかし キネマの世界
  セットの花と 輝くスター 微笑むところ
  瞳の奥深く 焼き付けた面影の
  消えて結ぶ 幻の国 キネマの世界

3 ♪春の蒲田 花咲く蒲田 キネマの都
  空に描く 白日の夢 あふるるところ
  輝く緑さえ とこしえの憧れに
  生くる蒲田 若き蒲田 キネマの都

 その後「蒲田行進曲」は、つかこうへい原作、深作欣二監督の『蒲田行進曲』(82)で映画製作者たちへの賛歌として久しぶりに復活。映画も大ヒットしたが、諸事情から松竹製作にもかかわらず撮影は東映の京都太秦撮影所で行われた。松竹にしてみれば庇を貸して母屋を取られたような複雑な心境だったのではあるまいか。

 1986年、蒲田から大船への移転50周年を記念して、松竹蒲田撮影所を舞台にした山田洋次監督の『キネマの天地』が製作され、「蒲田行進曲」がテーマ曲として使われた。現在は蒲田駅の発車メロディーとして親しまれているこの曲は、長い間巡り巡ってやっと故郷に帰ってきたことになる。

   

§蒲田が登場する映画§

 また『キネマの天地』のほかに蒲田が登場する映画として、地元の産婦人科を舞台にした渋谷実監督の『本日休診』(52)、主人公の夫婦が住む街として登場する小津安二郎監督の『早春』(56)、最初に蒲田操車場で被害者の死体が発見される松本清張原作、野村芳太郎監督の『砂の器』(74)、ヒロインが蒲田周辺を巡る廣木隆一監督の『やわらかい生活』(06)などがある。松竹の映画が多いのはスタッフに土地勘があったためか、それとも不思議な縁に導かれたからなのか。

 今やかつて蒲田に撮影所があったことを示すものはほとんどないが、撮影所跡地の大田区民ホールに『キネマの天地』製作の際に造られた「松竹橋」のレプリカと撮影所の復元ジオラマがあり、わずかに往時をしのぶことができる。まさに兵どもが夢の跡。

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