名画投球術No.2「ダメな人間ばかり出てくる映画を観て安心したい」黒澤明
“世界のクロサワ”=黒澤明の映画は、その力強さだけが強調されがちで、一見今回のテーマとは対極にあると思われるかもしれないが、実は彼の映画はそのほとんどが「ダメ人間の成長、変身物語」という側面を持っている。多くは未熟な若者が年上の師とも呼ぶべき人物と出会い、変化を遂げていく姿が描かれるのだが、中には今回ご紹介するようなダメ人間ばかりが集まった“群像劇”ものがある。
だが、黒澤は決して彼らを特別な存在としては描いていない。むしろ共感できる人物=「オレにもこんなところがあるよなあ」として、人間の弱さや悲しさが浮き彫りになってくるところがある。そんな力強さの中に潜む弱さ=人間の真理があったからこそ、彼の映画は世界中で受け入れられたのではないだろうか。
落ち過ぎたフォークボール 『どん底(1957・日本)』
江戸の場末の棟割長屋には誰一人として明日に希望を持つ者などいないという自堕落な連中が集まり住んでいた。まさにダメ人間の吹き溜まり。そんな中、一人の巡礼の老人(左ト全)が現れ、彼らにつかの間、希望を説くが、その老人ですら、都合が悪くなるや姿をくらます偽善者であった。そんな彼らは仲間が捕まっても、自殺しても相も変わらず酒に酔い、浮世を忘れてばか囃子に興じるのだった。
ロシアの文豪、マクシム・ゴーリキーの原作を黒澤が江戸時代に置き換えて映画化。撮影に入る前、俳優たちに雰囲気をつかませるために古今亭志ん生を招いて長屋ものを一席演じさせたのは有名な話。つまり黒澤はゴーリキーの世界を落語のような「ダメ人間たちの開き直りの姿」として描いてみせたのだ。ダメな自分を自覚して開き直れれば人生は案外楽しいものになるかもしれないと…。俳優たちのアンサンブルも見事な一作。
パーフェクトゲーム 『生きる(1952・日本)』
市役所生活30年余、間もなく定年を迎えようとする渡辺(志村喬)は、自分が胃がんで余命幾ばくもないことを知って絶望するが、頓挫していた公園建設に余命を注ぐことにより、自分の生きた証を立て、満足しながらその人生を終える。
この世界に名高い名作を“ダメ人間もの”として紹介するのはいささか抵抗がなくもないが、生きる意義を見いだすまでの渡辺はまさに生きながら死んでいるダメな男だ。その彼が死を間際に生き返る姿に、私たちは人生の無常や悲しさを見るのだ。そして彼の通夜の席で繰り広げられるダメ人間の最たる同僚たちの醜態、渡辺の行為に対する一時の高揚、酔いが覚めた後に再び繰り返される無為な日常にも、私たちは共感を憶えずにはいられない。そして彼らが自分の分身であることに気づき、妙に悲しかったり、安心したりするのである。
ビーンボール 『どですかでん(1970・日本)』
平気で夫婦交換をしてしまうお気楽な2組の夫婦(田中邦衛、吉村実子、井川比佐志、沖山秀子)、理屈ばかりこねてわが子を見殺しにするインテリ浮浪者(三谷昇)、悪妻をかばう顔面神経痛の男(伴淳三郎)、父親が分からない子供たちを笑顔で育てるブラシ職人(三波伸介)…。電車ばかの六ちゃん(頭師佳孝)を狂言回しに、謎のスラム街に住むさまざまな人間模様が描かれていく。
これまた『どん底』同様、人生に敗れたり絶望したりしたダメ人間たちの悲しくもおかしな群像劇だ。山本周五郎の『季節のない街』を原作に、黒澤が初めて撮ったカラー映画。現在では放送コードに引っ掛かりかねないスレスレのビーンボール映画ではあるが、黒澤自身が撮影終了後に「もう彼らに会えなくなるのかと思うととても淋しかった」と語ったほど思い入れを込めて描いたためか、私たちもまたダメな彼らと別れ難くなる。
「東京音頭」の中山晋平と黒澤明の『生きる』
昨日は神宮球場でヤクルトVS広島戦を観戦。6本のホームランが飛び交う乱打戦で花火も上がった。結果は贔屓の広島が勝ってめでたしめでたし。ところで、神宮球場ではヤクルトが得点した時と7回裏の攻撃前に、いつの間にかチームの応援歌となった「東京音頭」が歌われる。「東京音頭」の作詞は西條八十、作曲は中山晋平だ。というわけで、中山とある映画との関わりについて。
中山晋平は「カチューシャの唄」に代表される大正ロマン期の劇中歌の数々、「しゃぼん玉」「砂山」などの抒情的な童謡、唱歌、ほかにも「東京行進曲」などを手がけた大作曲家。ところが、作曲した曲は今でも有名だが彼の名はほとんど忘れ去られている。
彼にはその人生を象徴するかのようなこんなエピソードがある。戦後は時流に合わなくなり、作曲もほとんどしなくなった中山。そんな彼が1952年(昭和27)の暮れに、偶然入った場末の映画館(恵比寿説と五反田説あり)で、大正時代に作曲した「ゴンドラの唄」を耳にする。その映画はいわずもがなの黒澤明監督作『生きる』(52)。中山は映画を見た翌日に倒れ、ほどなくして亡くなったという。
この映画で、がんに侵された主人公の渡辺勘治(志村喬)が、自分が完成させた公園のブランコを漕ぎ、「ゴンドラの唄」を歌いながら満足して旅立っていった姿に、中山は己の人生を重ね合わせたのかもしれない。でき過ぎとも思えるエピソードだが、何か運命的な出会いを語っているようで心に残る。
『るろうに剣心 京都大火編』『るろうに剣心 伝説の最期編』で、御庭番衆の血を引く巻町操を演じた土屋太鳳へのインタビューをアップ。
詳細はこちら↓ 「大好きな映画は『新少林寺』です」
http://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/885502