かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

言霊信仰その1

2017-05-16 | 気ままなる日々の記録

   筆者(ダイヤドラゴン;オソマツ君)は昭和11年生まれだから、昭和16年12月8日《日本がアメリカ領のハワイのパール・ハーバーを奇襲攻撃し、同じころシンガポールの港のイギリス軍も攻撃、第二次世界大戦へ突入した日、5歳だった。

  この頃は在郷軍人会と云うのがあって子供会をよく指導していた。以下の歌も在郷軍人会の方に教えて貰ったと記憶している。

 ルーズベルトのベルトが切れて、

チャ―チルチルチル国がチル。

《ルーズベルトはアメリカ大統領、チャ―チルはイギリス連邦の首相であった。こんな下手なダジャレを子供に教えて戦意高揚に役立てようという目論見がオソマツである。

 どうやら、願い事を何度も口にしていると言葉に宿る魂が神様まで届き願い事が叶えられるという信仰である。僕は今、アメリカとの戦争に関して当時の我が国の指導者はどういう見通しを持っていたのか知りたくて文庫本を渉猟しているが、まだしっかりしたものに出会っていない。

 話は飛ぶが、広島の原爆記念碑にイサム・ノグチ氏設計の慰霊碑があって、 そこに「安らかにおやすみください。過ちは繰り返しませんから」と書いてあった。これは被爆者の団体と広島市が建立したと聞いているが、この文章もお祈りの言葉だかどうか知らない。

 ここでいう「過ち」は原爆の投下であるべきなのにいつの間にか開戦にすり替わっている。

これも言葉に宿る魂が拡大解釈された日本特有の言霊信仰《「ベルトが切れる」と同じに思えるがどうだろう。

 ことほど左様に日本人の思考は論理的でなく。歴史の転換点でこの言葉による情緒主義があらわれる。

 最後にもう一つ例を挙げる。 

討幕運動が、薩摩、長州、土佐、肥後の浪士によって起こされた。きっかけはペリー提督が来て幕府に開国を迫り、うろたえた幕府は形式的にせよ朝廷の了解を取らずに開国する。そのときの貿易の関税に関して知識不足の幕府は不利な条約を結んでしまい 国内の市場が混乱し討幕運動が起きる。その時「討幕派の旗印は」『尊王攘夷」だった。

 江戸城無血解放によって、明治維新は成功するが明治政府は攘夷をしなかった。出来なかったからである。江戸川柳の方がよく分かっていた。「たった4杯の蒸気船(上喜撰で夜も寝られず」と笑っている。

最近の憲法と自衛隊の論争を見ていると、また同じことをやっていると思われる。

 革新の側の「戦争放棄」「平和憲法」信仰も「尊王攘夷」と同じ何度も云っているとそれが実現するかのごとき言霊信仰に辟易する。

 日本人の情緒主義は水田耕作によって米を収穫して何百年もかかって育てた日本人的思考だから急には治らない。合理的思考は理科系の学問を学んだ専門家に任せて、ときどき反省して軌道修正に励むという態度こそ我が国に適した政治だと思われる。(T)

       

                                                           田おこしの後ではとが。