春のこの季節,山吹の花を見ると思い出すことがある。小学校5~6年の頃授業で聴いたはなしである。思い違いがあるといけないのでネットで検索したら少しの違いをみつけたのみであった。
室町時代、若き日の太田道灌が鷹狩の帰り雨に合い蓑を借りるべくある小屋に入った。ところが、若い女の人が何も言わず山吹の花を差し出したので、道灌は怒って帰宅した。後で山吹には{七重八重花は咲けども山吹のみの(蓑・実》一つだになきぞ悲しき」の意味が託されていたのだと教えられた。そこで自分の無学を恥じたという有名な話。
今年になって、近所の散歩コースのある家の庭に山吹の木を見つけ毎日眺めていた。ところがある日ビックリした。白い4枚の花弁を付けた花が咲いたからだ。我が家にも山吹の低木があったが、色は黄色で八重であった。調べて見たら、白山吹と云うのもあることが分かった。
もう一つびっくりしたことがある。数日後この白山吹が実を付けているのである。有名な話と矛盾してしまうがどうゆうことかと気になった。ひょっとして、山吹ではないのかと思ったりしたが、八重山吹の場合雄蕊が花びらに変化して八重咲きになり、雌蕊も退化するという。そのため実はならないが、一重の山吹には実がなることが分かった。
有名な話が矛盾していなくてほっとした。(E)
白山吹の実