かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

子供の頃の思い出Ⅱ

2017-06-10 | 気ままなる日々の記録

  オソマツ君が子供の頃は7人家族だった。

 祖母に子供がなく、自分の妹を養女に迎えその養女に養子を迎えた。 其の養子がオソマツ君の父親である。

 ところで、僕が子どもの頃、母屋の東側にチョットした空地があって、そこに大きな枇杷の木があって丁度今頃、沢山黄色い枇杷の実を付けたものだ。 完熟を待って、収穫すると、これが、本当においしい。

 この木は鳥の落とし物から生えたのか、苗を買ってきて植えたものではなかった。

 子どもの頃はこの枇杷が美味しくて、よく食べたものだ。

 ところが。その頃祖母は偏頭痛に悩まされ、よく床に臥せっていて、そのうえ、「枇杷の木を屋敷に植えると、その家に病人が絶えない」という迷信を信じていて、 枇杷の木を切るようにといつもいっていた。子どもたちは大反対、で母は板挟みになって困っていた。

 その時、父が枇杷の木を中心に半径50センチくらいの円周上に槇の木を植え、この枇杷の木は屋敷の外の木だと云えばよい、と云い張った。

 というのも、我が家は屋敷の周りに槇の木が植えてあって、いわゆる生け垣が槇の木だったのだ。これには祖母も観念して枇杷の木を切るようにとはいわなくなって子どもたちは父を尊敬したものである。

 勿論養子の父が姑に直接そんなことをいうはずもなく、全ては母を通してのやりとりで、母も苦労が多かったものと思う。

 参考までに;琵琶には、薩摩琵琶とかいう浪曲に似た語り節があって、それを「唸る」と云っていた。

 その槇の木も今ではヒョロヒョロで見るも無残な姿になっていることだろう。第一日当たりが悪くて槇の木の新芽が育っていないだろうし、枇杷の木に押され槇の木は根を伸ばす余地もないことになっているだろうからである。(T)

    

                                                        淡路島からの琵琶 ↑