お陰様で毎日24時間暇である、食事は毎日3食部屋に届けられるし、トイレも部屋についていてドアーをあけるだけである。
毎週3日、一日45分のリハビリが義務付けられているが、後は自由時間である。
そこで、必然的に多くなるのが読書の時間である。
本は昨年までにアマゾンで買った新書版や文庫本が手元にある。そこで、いよいよタイトルの本であるが、具体的には岩波ジュニア新書「仏教入門」松尾幸剛次著「仏教入門」である。ちょうど僕に合った入門書であった。
我が家では毎月父と祖父の月命日にお坊さんが来てお経をあげていて、 盆正月にお礼を持って行っていた。我が国の代表的な仏教徒の家庭であったが知 らないことが多すぎ僕に適した入門書であった。
江戸時代家康がキリスト教や一向一揆に困ってお寺に戸籍係のようなことをさせたために仏教が「葬式仏教」として定着し釈迦の教えを何も知らないまま仏教徒になった気でいた。今から思うと「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀仏にお任せしますと云う信仰告白であると云う事さへ知らなかった。
だから仏教徒のつもりでいたというべきだった。
宗教を考える時もっとも大切なことはその宗教は人の世をどう見ているか、ということである
。キリスト教の場合は全てのことは神様の思いのまま動いているという世界観であるし、 仏教の場合は全てのことは何処かに原因があってその結果によって動いていると考えていると云えよう。つまり「因果報応」というか、 どこかに原因があって今こうなっている、と考えているということである。 よく分からないときはご先祖様に原因があるということにしてしまうようである。
オソマツ君の場合半身不随になったのもオソマツ君が相当の悪事を働いたかおそまつ君の先祖が悪事を働いたからということになる。 ところが、そのどちらも、訊いていないし心当たりもない。もっとも無意識の内に何か悪事を働いたのかもしれない。
つまり何もわからない。こういう時はもうまとめて阿弥陀如来にお任せするしかない。
つまり、南無阿弥陀仏だ。南無阿弥陀仏は、カタカナで、「ナムアミダブツ」と書いた方が感じがいい。
何もわからずにお念仏を云っているという感じがでるからである。シツレイシマシタ。(T)
蓮池の半夏生