かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

今日は1月8日の日曜日です。

2017-01-08 | 気ままなる日々の記録

  1月15日の成人の日だったものを、何かの理由で1月の第二日曜日を成人の日にして連休を多くしたとか。内需拡大に貢献し日本人の働き蜂人生観に終止符を打つとかいう評論家がいて政府の官僚と自民党がそれにのったのだそうだが、軽薄な議論でした。日本の伝統文化を大切にしてこその日本人ではないだろうか?江戸時代の元服の伝統を引き継ぐ成人の日である。景気刺激のための内需拡大とかに利用されては武士道に反するのではないだろうか?

 それはさておき、朝食後、パソコンをいじり始め、ネットでユーチュブを探し懐メロを聴き始めたらもう止まらない。「湯の町エレジー」「異国の丘」「北上夜曲」と次々と鑑賞した。

  ユーチュブの原理は分からないがレコードのように針の音がしない。いつの間にか自転車に乗って流行歌を口ずさんでいた高校時代の自分に戻り、時間の過ぎるのも忘れています。

 現代の科学技術の進歩に感謝です。(T)

 

 


雑煮の話。

2017-01-07 | 気ままなる日々の記録

   新年も5~6日目となると、その気配もだんだん薄らいでくる。3日まで出ていたおせち料理が4日目から平常にもどった。昨日A棟3階にあったお鏡餅も写真を撮りに出かけたら、それも無くなっていた。受付にあった大きな大きな鏡餅まで早々と姿を消した。勿論エレベーターホールにあった新年用のフラワーアレンジメントもきずかぬうちに消えていた。様変わりが何と早いことか。

 そんななか、お茶会では、雑煮の話しで盛り上がった。

関西の日本海側出身のSさんはなんと甘い雑煮を食べていたという。いろいろな種類の雑煮の話しを聞いたり、雑誌で見たりしたけれど、甘い雑煮にはびっくりした。丸餅と小豆のみが入っているそうだ。丸餅の中には黒豆が入っていることもあるという。

 私は物心ついたころから、全国でも一番素朴なというか質素な雑煮で育った。四角い餅と正月菜だけが入っているもの。主人が食べ慣れているのは少し違った。ダイコン、ニンジン、サトイモなど沢山の野菜が入れてあるもの。若い新婚夫婦がけんかの末、そうなったものであるそうだ。若い新婚夫婦とは主人の両親のことである。二人は同じ県内の東と西の出身である。それだけで、雑煮に違いがあるので、ビックリする。

 関西へ嫁いだ娘はどんな雑煮を作っていることであろうか。或るときちらっと「丸餅の雑煮では食べた気がしない」ともらしたことがあった。

その時はそんなものかと思って聞いていたが我々は今年のお正月それ以上の経験をした。元旦の朝食が洋風だったのだ。長い人生のうちで初めてのことである。

 やっぱり新年になった気がしなかったのはいうまでもない。(E)

        

               夕日に染まった御嶽山

 

 

 

 

 


初夢で見ると縁起が良いとされている物?

2017-01-06 | 気ままなる日々の記録

  リハビリが始まって、今日は新年度になって二回目。

 理学療法士のお嬢さんと見出しの話になった。①富士②鷹③茄子(なすび)④扇⑤?⑥?⑦座頭(ざとう)。

問題はなぜ茄子や扇が縁起がよいのか、だ。富士は勿論姿形が神々しい。茄子が分からなかったが、部屋へ帰ってすぐ気が付いた。「ムダ花が無いのだ」胡瓜やトマトは雌雄異花で雄花(おばな)には実が付かない。茄子は珍しく一つの花の中に雄蕊(おしべ)と雌蕊(めしべ)があって、花が咲けば必ず実がなる。これを昔の人は縁起が良いと考えたのだろう。「4の扇は末広がり」だろう。座頭は坊主頭で毛がない、

だから、怪我がないと解釈したのだろう。

   江戸時代に云われ始めたというこうした諺は大切にしたいものだ。科学的でないとか、迷信だといって切り捨てるのではなくて、日本人の先祖たちが大自然の中で食糧の増産に励み、家族を守り、子供たちにお腹いっぱいにご飯を食べさせて民族を守ってくれた息使いをこうした言葉の中からくみ取ろう。そしてその心意気に感謝して、その心意気から学び我々はバトンを次の世代に渡すべきだと考えよう。(T)


裏紙の利用。

2017-01-05 | 気ままなる日々の記録

   最近好きになったエッセイストがある。彼の生まれは大正末期だから、20年近い差があるが、そんなことは、少しも気にならない。多分当時は生活・文化・価値観など、長い間変化がなく、共感できる点が多いからではないだろうか、

   この人の本を読み返していたら、「裏紙」というエッセイが出てきた。彼は好んで裏紙を使って原稿を書くらしい。何でも緊張しなくてすらすらと、書けるのだそうだ。

  有名なエッセイストと比較するのは、はなはだおこがましいが、私の場合は    A3とA4の裏紙がよく手に入る。A3は、この施設が2週間に1回配布する献立表のうら。A4は月1回薬局が薬と一緒に渡す説明書の裏。始めは何気なく容易に手に入るので使っていたが、この頃はとても使いやすいことが分かった。A3は四つ折りに、A4は二つ折りにして使う。大きさが丁度いい。紙の厚さも私好みだ。

 私はブログを書くのに直接パソコンに打ち込まず、必ず紙に書いてから打ち込む。その時打ち込む時間が、飽きない程度の字数になって、とても便利。読み手の方もこのくらいの量がよいのではないかと一人で決めつけている。また市販されているA4の用紙は薄すぎて扱いにくい。

 始めは自分で打ち込んでいたが、最近は主人に手伝って貰う。私が原稿を読むとき、厚さもいいのである。

 献立表を見る時もう一度読み返してみるという校正の機会も与えられる。(E)

        童話の世界  その2


日本の医療制度について。

2017-01-04 | 気ままなる日々の記録

  オソマツ君は皮膚科受診のためある総合病院の皮膚科に出かけた。

 今日は恐ろしく寒い日であった。勿論予約は取ってあったがそれでも1時間   は待たされる。

 待っていてトイレに行きたくなってトイレに入った。

 病院のトイレである。

 入って驚いた。身体障害者が便座に座るときの支え棒がステンレスの太い パイプであった。

 仕方なくステンレスのパイプを掴んで立ちズボンを下げる。

 このときパイプが冷たくて体が震えた。

 どうして、ここへステンレスを使ったのか理解できない。

 木製の方が安くて患者の体にも優しい。

 病院のトイレでありながら、病人がまるで見えていない。

 情けなくなった。ここで思い出されるのが、40年ほど前のアメリカの大統領選挙で民主党候補が国民皆(健康)保険を政策に掲げたら、「共和党がそんなことを

 したら、日本のように医療が荒廃する」と云って反対したことがあった。

 我々は驚いた。そこで、卒業生で健康保険に詳しい者はいないかと探しA君が名古屋大学の法学部に行っていて、大学院で政策研究をしているということがわかった。そして彼を招いて勉強会をすることにした。

 彼も喜んで来てくれ土曜日の午後勉強会を開いて終わったら行きつけの料理屋へ行って宴会をした。学生が教えてくれた日本の健康保険の欠点は、名医でも初心者でも一つの診断や手術について、同じ点数に数えられ点数に応じて料金が支払われる。だから、国家試験に通って医師になった医者がさらに名医を目指す動機付けが無いのだそうだ。同じ手術でも名医は切り口が小さく治りもはやいが、藪医者は切り口も大きく治るのに日数がかかるという。

 日本の保険はこの違いを無視して保険金が支払われるので、医者が名医を目指すという動機付けが乏しく一旦医者になった人が研修をおこたるという。

 アメリカの場合は生命保険と健康保険がセットになっている場合が多くすべて民間の経営で、保険会社が開業医を指定し保険金を支払うので、名医は沢山の保険会社から指定され来院する患者も多くなるという。

  オソマツ君がアメリカへ行ったとき友人が痔を悪くして医者に掛かった。その時の話によると予約時間にドクターが現れ「ハウドウユードウ」の握手から始まり椅子を勧められ雑談したと云う。

 これは、オソマツ君たちのアメリカ研修をコーデイネイとしたJTBが加盟している米国の医療保険がハイ・ランクの医療保険であったことを物語っているといえる。アメリカの医者の場合雑談しながら実は周到に患者を観察し診察していることは云うまでもない。

 ステンレスの手すりから大きな話になりましたが、これが大切な複眼思考だと思っています。失礼シマシタ。(T)

 


アンデルセンの童話。

2017-01-02 | 気ままなる日々の記録

 大晦日の日は、廊下を行きかう人々が紅白歌合戦のことについて、よく話していた。孫までがEメールで私が聴いたこともない歌手の名前をあげ、その歌手のフアンであることを言ってきた。

 それならば、歌の苦手な私も、少しは聴いて話の仲間に入らなくてはと思い、しばらく見ていた。しかし、少しも興味が湧かない、とうとう30分ほどで他のチャンネルに変えてしまった。見たい番組があったわけではない。チャンネルを切り替えたらアンデルセンの番組になった。作者と作品についての、放映のようだった。

 私は「裸の王様」「醜いあひるの子」「赤い靴」などを読んで少しは馴染みがある。「マッチ売りの少女」は好きで何回も読んだ。作者についてはデンマークの小説家ということしか、知らなかった。

 貧しい靴直し屋の子どもとして生まれ,挫折や失恋を何度も繰り返しあまり恵まれた一生を送っていなかったこと、それが童話にも影響を与え、美しく甘く切ない作品に仕上がっていることも初めて知った。

 そんな思いを持ちながら読んでみると子供の時とは異なる情感があることに気付くのではないだろうか。

 テレビ番組では岩崎ちひろ絵、「人魚姫」を紙芝居で「赤い靴」を朗読で流していた。「赤い靴」をもう一度読んでみようとネットで検索し読み始めたがテレビで聴いたものがたりと翻訳者が違うのか古い文体が気になって途中で止めてしまった。それに残酷な場面もでてくる。幼い子供たちに読ませてもよいものだろうかと、ふと不安がよぎった。また我々の時代と違って今の子供たちは

このような童話に関心を持つだろうか?自信がない。時代の変化が早すぎて全く自信がない。(E)

          

                 童話の世界


創作川柳

2017-01-01 | 気ままなる日々の記録

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 昨夜「紅白歌合戦」でも見ようと思い早々と床に入りまして、ハッと気が付いたらテレビが富士山からの初日の出を中継していました。爆睡したようで爽やかな目覚めでした。これこそ絵にかいたような「馬齢を重ね」です。そこで、気の利いた川柳でも作れないかと模索を続けやっと思いついた素材が以下のネタ。推敲はまだこれからです。

①孫に「あちらのお爺ちゃんのお年玉は××円だったと云われ追加出し」。

②孫に「お年玉で手玉に取られ、目玉白黒」。