かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

旧友から戴いたコメント。

2017-05-13 | 気ままなる日々の記録

 旧友から以下のようなコメントを頂きました。実に余る光栄と以下に転写しました。

「右脳視床下部内出血による左半身不随 長い病名を頂いた大野様、元気な折を振り返って、さぞ苦しいことでしょう。小生は平成22年、亡き妻知るや否や、死に土産に「第三腰椎骨折判明」以後9年経過、日の経過する程に、病状悪化、今では毎朝6千歩の散歩が出来ますが、いずれ車椅子の乗車となるでしょう、それまでに冥途に逝きたいと、日夜奮闘していますが、ご飯は美味しい、ただ耳がほんの一寸遠いのみで、対話がつらい、時間が許す限り大きな字 小さい字、年齢をもじっての名前を書いて一人喜んでいます。82歳までは何でもできた身体、病気には勝てません。お互いに仲良く頑張らずに 欲ばらずにボツボツ逝きましょう。 21時10分 おやすみ」

    

                                                                前庭にて

 


感動頻り

2017-05-10 | 気ままなる日々の記録

まず以下の文章を読んでいただこう。

天声人語《平成29年5月5日)

 

小学校3年の健太君は思いついた.

 ロボットを身代りにして宿題や部屋の掃除をさせよう。偽物とばれぬように自分の特徴を教えようとして「僕とは何か」を考えはじめる。

 絵本『僕のニセモノを作るには』(ヨシダシンスケ作)はけっこう深い。▼毎年背がのびているから僕はまだつくり途中だ。

 気持ちはコロコロ変わっていろんないろんな僕になるけれども、全部僕だ。

 そして僕は一人しかいない。「人間は一人ひとり形の違う木のようなようなものらしい」とお婆ちゃんに教わった。木の種類は生まれつきだから選べないけど,どうやって育てて飾りつけをするかは自分で決められる。木の大きさではなく「自分の木を気に入っているかどうかが一番大事らしい」▼今日は子供の日。自分という木をどう育てるか、一人一人が胸を膨らませて欲しいと願う。 

 ただ現実はどうだろう。▼子供の貧困が云われ,イジメのニュースも絶えることがない。13~19で自分の将来に明るい希望を持っている人の割合は他の先進国より低いとの調査もある。子供や若い人に生きづらい社会になっていないか。

 手塚治虫は子供たちを「未来人」と呼んだ。子どもは我々大人より少し進歩しているはずだから彼らの夢を大事にしなければと語っていた。

 どんな大人も昔は子供。今の子供たちの未来が明るくなるかどうかは、「元子供たち」の振る舞いにかかっている。《原文縦書き》

    平成29年5月9日(火) 90歳10ケ月××××(個人情報につき×にしました。嘗てこのブログで「書家」としていろいろ紹介させて戴いたお方です。》 印

           

この文章に目を止められ、高く評価された筆者の感性に脱帽ー最敬礼ですが、

 これを早速毛筆で転写されそれをコピーして小生に届けてくださった青年の様な感性に胸を打たれました。

 原文の素晴らしさも勿論ですが、云って見ればプロの文章です。でもその文章を毛筆で起こして友人に配られる感動表現に感動しました。このブログの筆者より10歳先輩です。昔の諺で云えば「爪の垢でも煎じてのみたいものです」。ダイヤ・ドラゴン。


徒然(つれづれ)なるままに

2017-05-09 | 気ままなる日々の記録

  いつの間にか爽やかな春は過ぎ、此処の庭池の散歩に出ても暑くて汗ばむ季節となりました。マサに「光陰矢の如し」で「正月や、冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」の真似をして云えば、「右脳視床下部内出血、冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし」と云えなくもない。《脚注;オソマツ君の正式な病名は「右脳視床下部内出血による左半身不随」というものです。》

 今日は夕方から雨だというので、急いで此処の施設の池へ散歩に出ました。

  フッと頭をよぎったのは発病前の僕は、今頃大急ぎで夏物野菜の苗の植え付けをしていたなあ、ということでした。トマト、ナス、キュウリ、各10本。枝註を立て「行燈」と呼んでいたビニール袋を半裁にしたもので苗を囲みました。

 大急ぎで完成させ、手足を洗い続いて顔も洗いシャツを着替えて自転車にまたがり曼陀羅寺の藤祭りに行ったものでした。豆腐の田楽とビールを注文して、それらを賞味しながら雨の前に帰宅したときの充実感は格別でした。

 車椅子の今もそれを再現したい情動に駆られますが、車椅子がビールを飲んでは世の中の顰蹙(ひんしゅく)を買うというもの、げに恐ろしきことかな。(T)

    

                                                         散歩道で  ナルコユリ。

 

 

 

 

 

 

 


全ては太陽の恵みか?

2017-05-07 | 気ままなる日々の記録

   ゴールデンウイークも過ぎここの施設から眺望できる田畑も緑を濃くしている。作付されているのは、麦と思われるが、日に日に緑を濃くし背丈を伸ばしている。大麦か小麦かまだ分からないが、7月頃には分かるとおもわれる。草葉が伸びればそれを食べる昆虫も卵から孵りやがて昆虫になって田畑を飛び回り、相手を見つけて交尾し沢山の卵を草の葉に産み付けることだろう。人間は其れを消毒で殺し、葉を食べられないようにし沢山種を作らせそれを横取りしている。

 小麦ならパンやうどんにして食べ、大麦ならば押し麦にして、お米に混ぜてご飯として頂く。全ては太陽から戴いたエネルギーの賜物である。卵も鶏肉も麦を与えて育てた鶏の産物である。

 魚だって海草を食べて育っているが、その海草が海の中で太陽光に当たって育っているのだ。

 私の祖父は毎朝太陽に向かって柏手を打ってお祈りをしていた。何と言っていたのか、今となっては知る由もないが昔の人は太陽の恵みに感謝していたのだ。

 その点我々現代人の方が大切なことを忘れているような気がする。(T)

    

                                                      麦畑

 

 

 


「徒然なるままに」[右脳視床下部内出血による左半身不随患者の呟き」

2017-05-06 | 気ままなる日々の記録

  車椅子生活で殆ど何もできない。従って、世間は連休ということで、どこか浮き立っていても私の部屋は淀んだ空気で倦怠感に満ちている。

 そんな時、突然「未亡人」などと云う言葉は随分失礼なことばだなあと思ったりする。

 結婚した夫婦で夫が死んだら妻も死ぬべきだとでもいうのだろうか?

 「あの世までおともします」という夫婦愛の極地なのだろうか、と考えたりして、良く知らないが語源は中国かも知れないと思いついたりする。

 そういえば中国の皇帝が死去すると何十人もいた側室は全員殺されたときいたことがある。医学が発達していなかった時代、

 皇帝の死後側室が子どもを産むとその子が皇帝の子どもかどうか分からなかったからだという。

 皇帝の側室になるだけで、その側室の家系はものすごい手当が支給され、兄弟から従妹まで、莫大な年金が授与されたというから、側室が産んだ子供が皇帝の子どもだったら一族郎党全員が大富豪になる。

 ちょっと事情が違うが、玄宗皇帝と楊貴妃の話しでも、その一端が伺える。

そういえば我が国の古墳にも天皇の遺体の周りに、沢山の陶器でできた兵士の像が埋められていたことがあった。あれはあの世でも武装した兵士が天皇をお守りするために埋められたということであった。

未亡人に戻って、未亡人は女性と限らなくても何の混乱も起きないと思われる。妻に先立たれた夫も100%未亡人です。もし妻に先立たれたら未亡人ダイヤドラゴンとして死亡通知書を出そうと思いつき、一人でニヤニヤしているオソマツ君である。(T)

     

                                                                   5月の前庭


奇妙な行動にビックリ。

2017-05-02 | 気ままなる日々の記録

 私は毎朝目覚めると主人の部屋を覗くことにしている。トイレに起きて部屋の温度をとても高くしてしまうことがあるからである。発病したのが冬の早朝で寒かったせいだと思い込んでいるらしい。27℃や時には30度Cにしてあることもある。

 今回は気温は24度Cで就寝時のままであったがマスクの掛け方が異常であった。一度に3枚も重ねてはめているのである。どう見ても奇妙な行動で一瞬ドキリとしてしまった。

 よく理由を聞いてみると私が一度使ったマスクは捨てるように言っているのが気に入らないらしい。もったいなくていつもポケットにシマっているという。ポケットに一杯押し込んでしわしわになったので、3枚一度にはめてしわを伸ばしていたのだそうだ。主人は理由を付けるのが実にうまい。ひょっとしたら認知症の始まりかも知れないと思った。

 3年前の冬のことである。その時はインフルエンザが大流行して、見舞いに来た主人の兄がマスクを2枚嵌めてやってきた。この人ならそんなこともあるかと、噴き出しそうになったが、理由は尋ねなかった。

 兄の場合は噴き出しそうになり、主人の場合はビックリした。この違いはどうしてなのだろうか。とにかく、変わった兄弟であることには、間違いない。(E)

    

                                          散歩道で  八重桜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は5月2日(火)終日晴天に恵まれ、初夏を思わせる日差しに恵まれ、《続く》


お風呂のケアーさんに教えられたこと。

2017-05-02 | 気ままなる日々の記録

  僕の場合は月・水・金・がリハビリで、火・木・土・がお風呂だ。どちらも、午前中の仕事である。最近はお風呂が楽しみである。というのも、左腕や左足の裏側《背中の面)が痒くて、お風呂で洗って戴くと暫く痒くないからだ。そこでお風呂でケアーさんにお聞きした。

B(僕)「最近左腕の裏側が痒いけど、僕のように半身不随の人にこういう人は多いかなあ?」

C[多いですよ」

B「どうしてだろうねえ?」

C「どうしても、半身不随の人は悪い方の手足を動かさないから、汗をかいても、いつまで     

  も、乾かないから悪い菌が繁殖しやすいんじゃないかなあ」

B[なるほど、確かに僕の場合も左側の手足はベッドに寝ているときはまずうごかさないですねえ。死んだ魚のようにべッドの上に転がっていますよ。だから、汗が乾かないのか。

 よく分かりました。これからは、目覚めているときは意識して動かすようにします。眠ってしまった時はダメだけど」と云った。人間の体は良くできていて、思わぬところに病気予防の装置が潜んでいる。速歩で4キロぐらい歩くことが健康によいというのもやはり血流を促すからだろう。(T)

     

                                                        散歩道で  卯の花。