まず以下の文章を読んでいただこう。
天声人語《平成29年5月5日)
小学校3年の健太君は思いついた.
ロボットを身代りにして宿題や部屋の掃除をさせよう。偽物とばれぬように自分の特徴を教えようとして「僕とは何か」を考えはじめる。
絵本『僕のニセモノを作るには』(ヨシダシンスケ作)はけっこう深い。▼毎年背がのびているから僕はまだつくり途中だ。
気持ちはコロコロ変わっていろんないろんな僕になるけれども、全部僕だ。
そして僕は一人しかいない。「人間は一人ひとり形の違う木のようなようなものらしい」とお婆ちゃんに教わった。木の種類は生まれつきだから選べないけど,どうやって育てて飾りつけをするかは自分で決められる。木の大きさではなく「自分の木を気に入っているかどうかが一番大事らしい」▼今日は子供の日。自分という木をどう育てるか、一人一人が胸を膨らませて欲しいと願う。
ただ現実はどうだろう。▼子供の貧困が云われ,イジメのニュースも絶えることがない。13~19で自分の将来に明るい希望を持っている人の割合は他の先進国より低いとの調査もある。子供や若い人に生きづらい社会になっていないか。
手塚治虫は子供たちを「未来人」と呼んだ。子どもは我々大人より少し進歩しているはずだから彼らの夢を大事にしなければと語っていた。
どんな大人も昔は子供。今の子供たちの未来が明るくなるかどうかは、「元子供たち」の振る舞いにかかっている。《原文縦書き》
平成29年5月9日(火) 90歳10ケ月××××(個人情報につき×にしました。嘗てこのブログで「書家」としていろいろ紹介させて戴いたお方です。》 印

この文章に目を止められ、高く評価された筆者の感性に脱帽ー最敬礼ですが、
これを早速毛筆で転写されそれをコピーして小生に届けてくださった青年の様な感性に胸を打たれました。
原文の素晴らしさも勿論ですが、云って見ればプロの文章です。でもその文章を毛筆で起こして友人に配られる感動表現に感動しました。このブログの筆者より10歳先輩です。昔の諺で云えば「爪の垢でも煎じてのみたいものです」。ダイヤ・ドラゴン。