昨日の「炭焼き名人」もそやけど、ひとつごとをやり続けている人はすごい。
途中に、迷ったり、悩んだりすることも多かったと思うけど、ふりかえって
みて、道が一本続いている、みたいな生き方は、だれでもできることではない。
今日は原田先生が宇部からやってきて、花を教えてくださる。齢80とは
思えないくらい、矍鑠としていて、素晴らしい。花をやろうと高校時代に立命
のごとく決心したけど、親に反対され、勘当されても、その道を歩み続けた。
なかなかできることではない。そのなかなかを、泰然自若とやっている生き様が、
花に投影されているし、私たちに「魂」として、伝わってくる。
華道とは、もともと、人間が神(先祖)に花を手向けた、ところから始まる。
自然の神さまに、「生かされていること」を感謝するような儀式を祖とする。
お茶も、茶室の中に花を生けたりするのは、同じような自然の流れだろう。
古人たちが残してくれたそんな素晴らしいことが、廃れていっているのは、
自然や神にたいする敬虔な気持ちが薄れているということかも。
古くからの花は、「真」を大事にしてきた。真善美の真であり、心(しん)
でもある。今回の震災で、私たちの生き方そのものの中心にあるものが、
原発同様、メルトダウンしたような様相でもある。
これから、きっと、いろいろな意味で、残された時間を縮められた気がするけど、
残された人生は、中心にしっかりとした「真」をたてて生きたいと思う。
本日、昼は「お花のお稽古」
夜は「スケッチ」
デジタルカメラより、魂のこもったものが残せると思う。
明後日は「エリカ庵」
ますますもって、「体」が資本になります。
月曜日の朝は「卵かけごはん」
夜は「クラシックコンサート」
林太郎くんも、原田先生の花を勉強する同志だ。
華やか世界に身をおく彼が「落飾」という、削っていく美学を
身につけたら、鬼に金棒かも。
途中に、迷ったり、悩んだりすることも多かったと思うけど、ふりかえって
みて、道が一本続いている、みたいな生き方は、だれでもできることではない。
今日は原田先生が宇部からやってきて、花を教えてくださる。齢80とは
思えないくらい、矍鑠としていて、素晴らしい。花をやろうと高校時代に立命
のごとく決心したけど、親に反対され、勘当されても、その道を歩み続けた。
なかなかできることではない。そのなかなかを、泰然自若とやっている生き様が、
花に投影されているし、私たちに「魂」として、伝わってくる。
華道とは、もともと、人間が神(先祖)に花を手向けた、ところから始まる。
自然の神さまに、「生かされていること」を感謝するような儀式を祖とする。
お茶も、茶室の中に花を生けたりするのは、同じような自然の流れだろう。
古人たちが残してくれたそんな素晴らしいことが、廃れていっているのは、
自然や神にたいする敬虔な気持ちが薄れているということかも。
古くからの花は、「真」を大事にしてきた。真善美の真であり、心(しん)
でもある。今回の震災で、私たちの生き方そのものの中心にあるものが、
原発同様、メルトダウンしたような様相でもある。
これから、きっと、いろいろな意味で、残された時間を縮められた気がするけど、
残された人生は、中心にしっかりとした「真」をたてて生きたいと思う。
本日、昼は「お花のお稽古」
夜は「スケッチ」
デジタルカメラより、魂のこもったものが残せると思う。
明後日は「エリカ庵」
ますますもって、「体」が資本になります。
月曜日の朝は「卵かけごはん」
夜は「クラシックコンサート」
林太郎くんも、原田先生の花を勉強する同志だ。
華やか世界に身をおく彼が「落飾」という、削っていく美学を
身につけたら、鬼に金棒かも。