今日から三連休。3月から毎週2連休をとるようになった。
といっても、木曜日は、「織田流煎茶道のお稽古」をまじめに
やっている。し、水曜日の夜もイベントが多いので、ちょうど
いいかげんになってきた。昨年は「南九」という名前までいただいたので、
微力ながら、お茶の伝道に尽力したいとも思っている。
池袋時代から「天真庵」という名のギャラリーをやっていたのに
「長屋茶房」と冠をつけたのは、そんな意志も含まれている。
昨日は雨だった。平山慎一郎さんのヴィオリンと赤松林太郎くん
のピアノが、涙雨みたいに悲しいことが続く日々に、すがすがしさ
や希望を蘇らしてくれるような、純潔な響のあるコンサートやった。
とくに、最後にやってくれたアーロン・コープランドのヴィオリンソナタ
は、ポップなJAZZみたいなアメリカンの感じがして、ヨーロッパでピアノを学んできた林太郎の指が、JAZZになったような錯覚がした。
「そのうち、セシル・モンローさんといっしょにJAZZしよか」と
冗談でいったけど、あながち空言ではないかもしれない、くらいよかった。
6月6日から「文花的な寺子屋」に、新しい講座ができる。
「クラシック寺子屋」、もちろん先生は、赤松林太郎先生。
今日はこれから信州にいってくる。昭和55年、男の厄年の時(24歳)
京都府立医大で、「骨のガン」だと診断され、大手術をしていろいろ
覚悟を決めていたことがあった。そのころいっしょに「からふねや」で
店長をしていた城倉くんが、足が痛いというので、自分の担当医に見せたら
同じく骨のガンで、同じ病院でガンと向き合ったが、彼は運が悪かったのか、
ひょっとしたら、運命を取り替えてしまったのか、翌年の4月に23歳で、旅立った。
それから、毎年、春に珈琲を入れて、彼の墓参りをすることがならわしになった。
彼の故郷の伊那という長野の風光明媚な山の春は、まぶしいくらいに新緑がきれいで、
薫たつ風の中で、野点のように、墓においてあるイノダのデミカップ
に、「ほぼぶらじる」をたてる。もう30回近くやったことになる。
彼が旅立ったとき、京都の老舗の花屋で花を買って、車で京都から信州まで
走った。先週、その花やの息子が、京都からわざわざ遊びにきてくれた。
縁というのは、ほんとうに不思議なものだ。
加茂川みたいに、さらさらと、たださらさらと生きていきたいと時々
思うかど、いろいろなことがあって、好きになったり、好かれたり、
憎まれたり、嫌われたりしながら、生き暮らしている。
31日は「ねっと31」
京都では、月末に縁を切らないように、という縁起で、
「きらず」というおからを食べる習慣がある。
昭和63年に、IT業界の有志が集まって、「ねっと21」
というのをつくったことがあった。最後の10年を自分が理事長を
勤め、緞帳も自分で下ろした。その時に「無門塾」という勉強会を
やっていて、それが今の「寺子屋」に続いている、その中で
最後に講師をやってくれたのが吉若徹、ワカだ。そのワカが天真庵の
1周年にJAZZのライブを企画してくれ、その縁でやってきたのが
国貞雅子さん。31日は彼女が、弾き語りをやってくれる。ワカが
かよった高円寺のJAZZライブハウスのオーナーもきてくれる。
無駄のない縁で、静かに横にひろがっていく輪・・・そんな会や場所に
なれればといつも思っている。口でいうほど簡単ではないが・・
天恩感謝
といっても、木曜日は、「織田流煎茶道のお稽古」をまじめに
やっている。し、水曜日の夜もイベントが多いので、ちょうど
いいかげんになってきた。昨年は「南九」という名前までいただいたので、
微力ながら、お茶の伝道に尽力したいとも思っている。
池袋時代から「天真庵」という名のギャラリーをやっていたのに
「長屋茶房」と冠をつけたのは、そんな意志も含まれている。
昨日は雨だった。平山慎一郎さんのヴィオリンと赤松林太郎くん
のピアノが、涙雨みたいに悲しいことが続く日々に、すがすがしさ
や希望を蘇らしてくれるような、純潔な響のあるコンサートやった。
とくに、最後にやってくれたアーロン・コープランドのヴィオリンソナタ
は、ポップなJAZZみたいなアメリカンの感じがして、ヨーロッパでピアノを学んできた林太郎の指が、JAZZになったような錯覚がした。
「そのうち、セシル・モンローさんといっしょにJAZZしよか」と
冗談でいったけど、あながち空言ではないかもしれない、くらいよかった。
6月6日から「文花的な寺子屋」に、新しい講座ができる。
「クラシック寺子屋」、もちろん先生は、赤松林太郎先生。
今日はこれから信州にいってくる。昭和55年、男の厄年の時(24歳)
京都府立医大で、「骨のガン」だと診断され、大手術をしていろいろ
覚悟を決めていたことがあった。そのころいっしょに「からふねや」で
店長をしていた城倉くんが、足が痛いというので、自分の担当医に見せたら
同じく骨のガンで、同じ病院でガンと向き合ったが、彼は運が悪かったのか、
ひょっとしたら、運命を取り替えてしまったのか、翌年の4月に23歳で、旅立った。
それから、毎年、春に珈琲を入れて、彼の墓参りをすることがならわしになった。
彼の故郷の伊那という長野の風光明媚な山の春は、まぶしいくらいに新緑がきれいで、
薫たつ風の中で、野点のように、墓においてあるイノダのデミカップ
に、「ほぼぶらじる」をたてる。もう30回近くやったことになる。
彼が旅立ったとき、京都の老舗の花屋で花を買って、車で京都から信州まで
走った。先週、その花やの息子が、京都からわざわざ遊びにきてくれた。
縁というのは、ほんとうに不思議なものだ。
加茂川みたいに、さらさらと、たださらさらと生きていきたいと時々
思うかど、いろいろなことがあって、好きになったり、好かれたり、
憎まれたり、嫌われたりしながら、生き暮らしている。
31日は「ねっと31」
京都では、月末に縁を切らないように、という縁起で、
「きらず」というおからを食べる習慣がある。
昭和63年に、IT業界の有志が集まって、「ねっと21」
というのをつくったことがあった。最後の10年を自分が理事長を
勤め、緞帳も自分で下ろした。その時に「無門塾」という勉強会を
やっていて、それが今の「寺子屋」に続いている、その中で
最後に講師をやってくれたのが吉若徹、ワカだ。そのワカが天真庵の
1周年にJAZZのライブを企画してくれ、その縁でやってきたのが
国貞雅子さん。31日は彼女が、弾き語りをやってくれる。ワカが
かよった高円寺のJAZZライブハウスのオーナーもきてくれる。
無駄のない縁で、静かに横にひろがっていく輪・・・そんな会や場所に
なれればといつも思っている。口でいうほど簡単ではないが・・
天恩感謝