長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

三連休

2011-05-24 05:31:22 | Weblog
今日から三連休。3月から毎週2連休をとるようになった。
といっても、木曜日は、「織田流煎茶道のお稽古」をまじめに
やっている。し、水曜日の夜もイベントが多いので、ちょうど
いいかげんになってきた。昨年は「南九」という名前までいただいたので、
微力ながら、お茶の伝道に尽力したいとも思っている。
池袋時代から「天真庵」という名のギャラリーをやっていたのに
「長屋茶房」と冠をつけたのは、そんな意志も含まれている。

昨日は雨だった。平山慎一郎さんのヴィオリンと赤松林太郎くん
のピアノが、涙雨みたいに悲しいことが続く日々に、すがすがしさ
や希望を蘇らしてくれるような、純潔な響のあるコンサートやった。
とくに、最後にやってくれたアーロン・コープランドのヴィオリンソナタ
は、ポップなJAZZみたいなアメリカンの感じがして、ヨーロッパでピアノを学んできた林太郎の指が、JAZZになったような錯覚がした。
「そのうち、セシル・モンローさんといっしょにJAZZしよか」と
冗談でいったけど、あながち空言ではないかもしれない、くらいよかった。
6月6日から「文花的な寺子屋」に、新しい講座ができる。
「クラシック寺子屋」、もちろん先生は、赤松林太郎先生。

今日はこれから信州にいってくる。昭和55年、男の厄年の時(24歳)
京都府立医大で、「骨のガン」だと診断され、大手術をしていろいろ
覚悟を決めていたことがあった。そのころいっしょに「からふねや」で
店長をしていた城倉くんが、足が痛いというので、自分の担当医に見せたら
同じく骨のガンで、同じ病院でガンと向き合ったが、彼は運が悪かったのか、
ひょっとしたら、運命を取り替えてしまったのか、翌年の4月に23歳で、旅立った。
それから、毎年、春に珈琲を入れて、彼の墓参りをすることがならわしになった。
彼の故郷の伊那という長野の風光明媚な山の春は、まぶしいくらいに新緑がきれいで、
薫たつ風の中で、野点のように、墓においてあるイノダのデミカップ
に、「ほぼぶらじる」をたてる。もう30回近くやったことになる。

彼が旅立ったとき、京都の老舗の花屋で花を買って、車で京都から信州まで
走った。先週、その花やの息子が、京都からわざわざ遊びにきてくれた。
縁というのは、ほんとうに不思議なものだ。

加茂川みたいに、さらさらと、たださらさらと生きていきたいと時々
思うかど、いろいろなことがあって、好きになったり、好かれたり、
憎まれたり、嫌われたりしながら、生き暮らしている。

31日は「ねっと31」
京都では、月末に縁を切らないように、という縁起で、
「きらず」というおからを食べる習慣がある。
昭和63年に、IT業界の有志が集まって、「ねっと21」
というのをつくったことがあった。最後の10年を自分が理事長を
勤め、緞帳も自分で下ろした。その時に「無門塾」という勉強会を
やっていて、それが今の「寺子屋」に続いている、その中で
最後に講師をやってくれたのが吉若徹、ワカだ。そのワカが天真庵の
1周年にJAZZのライブを企画してくれ、その縁でやってきたのが
国貞雅子さん。31日は彼女が、弾き語りをやってくれる。ワカが
かよった高円寺のJAZZライブハウスのオーナーもきてくれる。
無駄のない縁で、静かに横にひろがっていく輪・・・そんな会や場所に
なれればといつも思っている。口でいうほど簡単ではないが・・
天恩感謝