今月から突然「無茶しぃの煎茶会」をやることになった。
江戸時代に京都で、花咲き、維新から明治の初めころは、文人たちに
盛んにおこなわれていた「煎茶」が、軍国主義の勃興とともに消えた歴史がある。
黒船がやってきたとき、アメリカ人が驚いたのは、下町の子供たちが普段から
着物をきて、縁側でティーセレモニー、つまりままごとで、お茶をいれたりする
「精神的文化力」のある日本人だったらしい。戦争に負けて、
日本人もコーラを
飲んだり、ペットボトルのお茶が日常茶飯になった。そこに大切なものを置き忘れ
いる感じがする。
昨日は表参道で、織田流煎茶道の家元と、煎茶を飲みながら、「無茶・・」の話をした。
これまでの煎茶道の道からは、少しはずれたり、回り道をしそうだけど、がんばってくださいとの。
織田流の煎茶道の精神に「相手に窮屈な思いをさせないこと」とある。とても大事なことだと思う。
今日は「味噌つくりの会 ぱーと3」
芸術家や、お店のオーナーたちがきて、楽しい会になってきた。
「安全な食」「手作りのおもてなし」をするためには、味噌つくりは
とてもいいことだと思う。味噌をつくる工程の中に、「哲」があり
学ぶこと多し。
江戸時代に京都で、花咲き、維新から明治の初めころは、文人たちに
盛んにおこなわれていた「煎茶」が、軍国主義の勃興とともに消えた歴史がある。
黒船がやってきたとき、アメリカ人が驚いたのは、下町の子供たちが普段から
着物をきて、縁側でティーセレモニー、つまりままごとで、お茶をいれたりする
「精神的文化力」のある日本人だったらしい。戦争に負けて、
日本人もコーラを
飲んだり、ペットボトルのお茶が日常茶飯になった。そこに大切なものを置き忘れ
いる感じがする。
昨日は表参道で、織田流煎茶道の家元と、煎茶を飲みながら、「無茶・・」の話をした。
これまでの煎茶道の道からは、少しはずれたり、回り道をしそうだけど、がんばってくださいとの。
織田流の煎茶道の精神に「相手に窮屈な思いをさせないこと」とある。とても大事なことだと思う。
今日は「味噌つくりの会 ぱーと3」
芸術家や、お店のオーナーたちがきて、楽しい会になってきた。
「安全な食」「手作りのおもてなし」をするためには、味噌つくりは
とてもいいことだと思う。味噌をつくる工程の中に、「哲」があり
学ぶこと多し。