煎茶道、別名、文人茶をやってきた人は、奇人が多い。
華道も最初は、神に手向ける、という自然な信仰心みたいなところから発した。
煎茶も、「貴人手前」という少しかしこまった手前がある。奇人も不帰の客に
なるとみな貴人になる。そんな奇人の先輩を敬しながら、今の奇人たちがお茶をいれる。
昨日は、織田流煎茶道の先輩が「庭に椿が咲いたので」という五種類くらいの
椿をもってきたもらった。大好きな「侘び介」が一本入っていたので、久保さんの
細い首の黄瀬戸の花器に投げ入れたら、春うぐいすが啼くような気分になった。
掛け軸は、「古松は般若の談ず」
自然は神様、生きている姿そのものが神だ、みたいな意味かな。
今日は、建国記念日。
国そのものが、存亡の危機にあるけど、ひとりひとりが、飄々と
松のように、超然とした境地になるまで「待つ」。そんな出番が
そろそろくるので、じっくりと待ちなさい、と談じているようでもある。
たぶん、奇人の先輩たちは、そんな世界に遊んでいたのではなかろうかしらん。
華道も最初は、神に手向ける、という自然な信仰心みたいなところから発した。
煎茶も、「貴人手前」という少しかしこまった手前がある。奇人も不帰の客に
なるとみな貴人になる。そんな奇人の先輩を敬しながら、今の奇人たちがお茶をいれる。
昨日は、織田流煎茶道の先輩が「庭に椿が咲いたので」という五種類くらいの
椿をもってきたもらった。大好きな「侘び介」が一本入っていたので、久保さんの
細い首の黄瀬戸の花器に投げ入れたら、春うぐいすが啼くような気分になった。
掛け軸は、「古松は般若の談ず」
自然は神様、生きている姿そのものが神だ、みたいな意味かな。
今日は、建国記念日。
国そのものが、存亡の危機にあるけど、ひとりひとりが、飄々と
松のように、超然とした境地になるまで「待つ」。そんな出番が
そろそろくるので、じっくりと待ちなさい、と談じているようでもある。
たぶん、奇人の先輩たちは、そんな世界に遊んでいたのではなかろうかしらん。