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28年前のあの日(1995/1/17の出来事)

2023-01-19 23:46:12 | 事件事故
もう第一報は覚えていないが、神戸で大地震が起こり、数名が死んだと伝わったことは覚えている。
何度も書いているが、震度3程度の地震でもびっくりするような地域。
私が東京に来てから「震度4の地震が発生した」と伝わると、安否を心配して電話がかかってきたほど。

さぞ、びっくりしているだろうなと思いつつ出勤。
気になって仕事中も時々ニュースをチェックしていたが、どんどん被害の発表が大きくなっていく。

そのうち、各局がヘリを飛ばして現地の様子が伝えられ、あの「まるで温泉街の様です」発言も飛び出した。

大半が圧死と伝えられた死者は6千人超。
(死因をどうするかは議論の余地があると考える。
 圧死と言うと即死したように思えるが、例えば建物の下敷きになり、重傷ながら生きていた人も
 救助されず死んだら圧死になるだろう。救急体制に問題がなければ存命だった人もだ)
全壊家屋10万棟以上。
ビルも圧壊し、また倒壊した。

真冬の未明の出来事。
明り取りのろうそくなどから火災に至った例もあると聞く。
瓦礫で道路はふさがれ消防車が現場にたどり着けない。行きつけても断水で水が出せない。
消防車には水タンクを積んでいるタイプのものがあるが、消火用水を使って放水する消防車が到着するまでの時間稼ぎ。
到底、火災を消し止める力はない。
海からホースを連結して放水したところもあったようだ。

当時の首相、村山富市は第一報が軽微な被害にとどまったものだから、地震慣れしてない地域での地震程度に思ったのか、
対策もそこそこに、財界との昼食に臨んだらしい。
政界を引退してからのインタビューでは対応は間違っていなかった、私の時だけ大変なことが起こる、と言っていた。
(単に危機対応能力がなかっただけと思うが)
今となっては闇の中だが、姫路から視察に向かった自衛隊のヘリが、あまりの被害の大きさに災害出動命令を待ったが、
当時の兵庫県知事も大阪府知事も自衛隊に批判的な立場であったため、要請しなかったともいわれる。
(その後のインタビューでは、その理由は否定しているそうだ)

官も民もそれこそ未曽有の大惨事にどう対処すべきかのノウハウ無かったからある程度やむを得ない面もあるだろうが、
前年だったと思うがカリフォルニア地震で高速道路の橋げたの落下、倒壊があったとき、多くの科学者が日本では絶対起こらない
と言っていたのに、橋脚が破砕することで倒壊するとは思っても見なかったのだろう。
橋げたの落下もあったはずで、車が引っかかっている映像を見た記憶がある。

当時、神戸出身の元衆議院議員(確か高見裕一元議員)現地の惨状を当時まだ珍しかった携帯電話で官邸に伝えたが、
大げさすぎると信じてもらえず、政府の初動が遅れたとも言われる。
なにしろ、あまりにも激しい揺れに地震計の多くが壊れ、データ伝送システムの多くが不通となって、正確に震度が伝わらず、
震度6(当時の最大震度、後に震度7が作られた)の地域が過小評価された。

少し経ってからは、多くの救援物資が送られたが、道路は混雑し、必要なものが必要なところに届けられない。
何分にも初めてのことでやむを得ない部分もあるとは思うが、それにしても・・・・・。

この辺りは2011/3/11の後の原発事故に際しての政府の対応にも似たものがあると思っている。
何せ、公共工事の乗数効果について、国会答弁で聞いたことがなかったと答えるような首相では思い至らなかったんでしょう。
100年に一度の洪水に備える堤防を作るのに150年かかっては意味がないと斬り捨てた政治家を思い起こす。

今も昔も政治家は反省しないと言うところか。反省していると言えば間違いを認めることになるからかもしれない。
その意味では消費税を下げるとマニフェストに書いたのは失敗だったと認めた政治家の方が潔い。

話が逸れたが、鉄道が部分的に再開し、バスを挟んで、阪神間がつながって、神戸の実家を見に行ったのが3月20日。
日付は忘れようがない。というのも地下鉄サリン事件が起こった日だからだ。
そのころ私は官庁対応の仕事をしていて、霞が関にはよく行ってので、東京に居たら、今ここにはいなかったかもしれない。

ビルの圧壊はニュースで見ていたが、三の宮の繁華街のビルの途中階が潰れているのを見たときは、驚愕したし、
復興にどれだけの時間が掛かるのか想像すらできなかった。

須磨駅から実家までの風景は一変していた。
地震発生当時、父母は仕事の関係で大阪に住んでおり、妹は神戸在住だったが、震域とは離れていて、私も東京。
一人暮らしだった祖母は死亡していて、実家は空き家状態で、人的被害はなかったが、家は全壊認定。
素人目には半壊に見えたが、根太がずれて外れそうになり、2階の天井からは空が見えた。

何より驚いたのは路地を挟んだ向かいの家の石垣の石が、我が家の玄関口の分厚いコンクリートの壁を突き破って、
玄関のドアの前に鎮座していたことだ。
邪魔なのでどけようとしたが、重くて動かなかった。
家の中も瓦礫で一杯で靴は脱げなかった。
不幸中の幸いだったのは、大きい津波がなかったこと。
もし、巨大津波が発生していたら、被害者は一桁多かったかもしれない。

大事件、大災害があると、すぐに風化することが心配とか、忘れ去られるのではないかとか言われるが、
そんなことはない。多くの人は決して忘れない。

事件や災害そのものが忘れ去られることよりも、そこから得られたはずの教訓が忘れ去られることのほうがよほど危うい。

ゆめゆめわするることなかれ

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