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試写会「唐山大地震」@なかのZERO

2011-03-03 15:47:39 | 映画感想
2011/3/1、なかのZERO。
雨の中、まずまずの入り。
入り口でティッシュをもらう。

今日は「泣く」映画だからこのティッシュを使ってくれと言うこと、と、
ティッシュに挟まれた広告に感想を書いて出すと、別の日のこの映画の試写状が貰えた。
(3/6、なかのZEROのものだった)

**

中国映画。吹替え版もあるが、字幕版で鑑賞。

**

1976年7月、北京の東150kmに位置する河北省唐山市。
渤海湾に面し、商工業が発達しており、大勢の人が行き交う平和な都市。
そこに住むファン一家、父ダーチヤン、母ユェンニー、
そして双子の姉妹、ドンとダー。

トンボの大群を目にし、洪水でも起こるのかと一瞬不安になるが、
それ以外は何気ない日常が繰り返されていた。

そして、28日夜、(実際の地震が起きたのは未明の4時前)
遠くで地面から不思議な光が漏れたかと思うと、大地震が町を襲った。

崩れ落ちるビル。
地面は割れ、家屋は倒壊。
逃げようとして落下物の下敷きになる人、上層階から転落する人。

寝ていたドンとダーも逃げ遅れて家の中。
外にいたダーチヤンとユェンニーは慌てて、子供たちを助けに家に向かう。

今にも崩れそうな家に入ろうとするユェンニーを突き飛ばして
ダーチヤンは家の中へ。

そして次の瞬間、建物は崩れ落ち、父と子供たちは瓦礫の中に。

明けて、がれきの中から次々と遺体が運び出される。
うずもれたまま、助けを待つ人もいる。

ダーチヤンは圧死、ドンとダーは重い壁の下敷きになっていた。
取り乱す母、周囲の人々は何とか二人を助けようとする。

しかし、二人を覆う壁を取り除くのは不可能。
片方を助ければもう一方は押しつぶされてしまう。

助ける方を選べと迫る近隣の人々に、母は「弟を」と答えるのだった。

母は姉と父を並べて安置し、弟を連れて避難所に向かった。
母は姉を見捨てたが、姉ドンは息を吹き返し、人民解放軍に助けられる。

そして、孤児としてワン・ダーチン、ドン・グイラン夫妻に引き取られる。

その後、別れ別れになった家族はそれぞれの歩みを進め、
再び会うことはなかったが、唐山大地震から32年の2008年、
四川大地震が発生する。

運命は再び、家族に奇蹟をもたらす。

唐山は現在は復興し、市民300万の大都市となっている。
地震の犠牲者は公式には24万人と言われ、その慰霊碑が建立されている

**

1976年、和暦でいえば昭和51年。
日本では当時でもそんなに多いと思えないレンガ造りの建物だが、
当時の唐山市には多かったようだ。

一般の建物の90%以上が倒壊し、死者24万人は非公式には
その3倍程度の人が死んだとも言われる。

倒壊に続く、火災の発生、瓦礫に挟まれての圧死、足を切断しての救出。
1995年1月の阪神淡路とともに、
2011年2月のニュージーランド地震にも通じ、
人力ではどうしようもないだけに、やるせないものがある。



2時間15分はやや長い。
展開がたるいので、見ていてどっと疲れる、というほどではない。
32年間にわたる親子の物語なので、
どなたにもどこか重なる時代、思いがあるはず。

その意味ではよく作られているともいえるが
「催涙弾映画」とは思わなかった。

思想と言うほどのものではないが、若干、考え方というか、
倫理観というか違和感を感じた部分がある。

それはユェンニーの態度。

この物語を地震で人生を狂わされた母の物語と見ればこれでいいのかもしれないが、
一つは、自分が姑によって息子と引き離されそうになったことをすっかり忘れ、
孫を娘の嫁から引き離そうとして平然としていたこと。
勿論、状況は違うが、あそこはシャオハーが泣いて、
ユェンニーが自分のことを思い出す演出かと思った。

もう一つは、娘にどうして連絡しなかったかと怒る場面。
苦渋や悔いはどうあれ見捨てたのは自分だし、
自分が(娘が死んだと思ってるからだが)探しもしないで、
娘の方から家族を探すべきだと言うのはやや違和感が残った。
娘の方は母の苦悩を理解するシーンがあっただけに残念だ。

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