昭和60年8月22日の絵日記より、引き続き
『天才たけしの元気が出るテレビ』の企画、「プロ野球入団テスト予備校 入学テスト」の収録現場アルバイトの様子。
ごくプライベートな日記より、「ああ、そういえばこんなのあった」 的な楽しみを提供できればと、ご紹介してます。
2回めのこのバイトは多摩川沿いの巨人軍のグランドでした。
7:45渋谷でY子ちゃんと待ち合わせた。
多摩川グランドまでタクシーで行き、じはらくは何もすることがなかった。
青田さん、柳田さんが来てから忙しくなった。
ふたりともA面の巨人2軍の練習を見ていたので、しぱらく待ってから巨人軍のクラブハウスへ案内した。
柳田さんはユニフォームのズボンがきつくて、パジャマを履いてもらった。
スパイクも小さくて、早稲田の学生さんに犠牲となってもらった。
青田さんはアンダーとスパイクを用意してきてくれた。
高田純次さんは1回家に戻って着替えてきた。
お昼休み中、高田純次さんにサインをもらった。
握手の手も出してくれた。
一次テスト後、二次テストのピッチャーの方で柳田さんの横で言うことをメモしていた。
ひとり、すごく有望な子がいて(中央大の20歳)、青田さんも柳田さんもプロにマジで誘う気らしく、とても喜んで興奮していた。
帰りに渋谷でY子ちゃんとお茶を飲んだ。
絵の方は、説明付きで4つ描いてあります。
柳田さんは、ユニフォームが伸びなくてきついと、「殿中でござるー」 と叫びながら道を歩いていた。
青田さんは車(帰りのタクシー)がなかなか来ないので、土手の木陰でのんびり待っていてくれた。虫取りの子供たちに話しかけたり、立派な好々爺だった。
高田さんは帰るとき、車の中から会釈してくれた。
IVSの伊藤さんは、普段いっさい片付けとかしない人だそうなのに、今日に限って大事な名簿をだまって持って帰り、スタッフを恐怖とパニックに落とし入れた。
この ‘伊藤さん’ですが、Y子ちゃんは当時、 「あの人はすごい人だ。あの人こそ天才だ」 と言っていました。
(たしか、発想が常人と違うとか言ってたような)
私はただ、「へー、そうなの」 と言うだけでしたが、後のテリー伊藤さんでした。
『天才たけしの元気が出るテレビ』の企画、「プロ野球入団テスト予備校 入学テスト」の収録現場アルバイトの様子。
ごくプライベートな日記より、「ああ、そういえばこんなのあった」 的な楽しみを提供できればと、ご紹介してます。
2回めのこのバイトは多摩川沿いの巨人軍のグランドでした。
7:45渋谷でY子ちゃんと待ち合わせた。
多摩川グランドまでタクシーで行き、じはらくは何もすることがなかった。
青田さん、柳田さんが来てから忙しくなった。
ふたりともA面の巨人2軍の練習を見ていたので、しぱらく待ってから巨人軍のクラブハウスへ案内した。
柳田さんはユニフォームのズボンがきつくて、パジャマを履いてもらった。
スパイクも小さくて、早稲田の学生さんに犠牲となってもらった。
青田さんはアンダーとスパイクを用意してきてくれた。
高田純次さんは1回家に戻って着替えてきた。
お昼休み中、高田純次さんにサインをもらった。
握手の手も出してくれた。
一次テスト後、二次テストのピッチャーの方で柳田さんの横で言うことをメモしていた。
ひとり、すごく有望な子がいて(中央大の20歳)、青田さんも柳田さんもプロにマジで誘う気らしく、とても喜んで興奮していた。
帰りに渋谷でY子ちゃんとお茶を飲んだ。
絵の方は、説明付きで4つ描いてあります。
柳田さんは、ユニフォームが伸びなくてきついと、「殿中でござるー」 と叫びながら道を歩いていた。
青田さんは車(帰りのタクシー)がなかなか来ないので、土手の木陰でのんびり待っていてくれた。虫取りの子供たちに話しかけたり、立派な好々爺だった。
高田さんは帰るとき、車の中から会釈してくれた。
IVSの伊藤さんは、普段いっさい片付けとかしない人だそうなのに、今日に限って大事な名簿をだまって持って帰り、スタッフを恐怖とパニックに落とし入れた。
この ‘伊藤さん’ですが、Y子ちゃんは当時、 「あの人はすごい人だ。あの人こそ天才だ」 と言っていました。
(たしか、発想が常人と違うとか言ってたような)
私はただ、「へー、そうなの」 と言うだけでしたが、後のテリー伊藤さんでした。