峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

モルちゃん 2

2006年08月10日 09時59分07秒 | 自作品
【 お茶モル 】
「お茶ちょーだい」 っていうと、どこからか出してくれる。 ヒゲをひっぱっても平気で、目をパチパチさせるだけ。







【 お茶モル2(ツー)】 
ある日、モルモットのヒゲをひっぱったらウンギャーと泣いた。 
「だれ?」 と聞くと、「お茶モル」 というので、
「おや、お茶モルだったらヒゲひっぱっても平気なはずなのに変だなあ」 というと、
「お茶モル…ツー」 という返事が返ってきた。

モルちゃん 1

2006年08月09日 15時03分45秒 | 自作品
再びネタ帖から。
この絵は、1995年(平成7年) の8月16日に描いたものです。

このしばらく前、当時3~4歳だった次男の次之介 (仮名) が、茶の間でダンボールに入っていました。
そのとき私が何かのことで怒ったと思うのですが、次男は目をパチパチさせて言いました。

次之介 「おら、次之介じゃないよ。モルだよ」
 私   「なによ、それ。モルって、モルモットのこと?」
次之介 「そうだよ」
 私   「なんでモルモットがうちにいるのよ」
次之介 「お母さんに捨てられたの」

話していくうちに、いたずらばかりしていたために、お母さんにダンボールに入れられて捨てられたということがわかりました。

それからずっと、モルはしょっちゅう出現してました。
とくに次男を怒ったときに、モルにすり替わっていたことが多いような気がします。

コタツのこっちから入って向こうに出たときに、次之介からモルへ。
向こうからこっちに出たときに、モルから次之介へと変わっていたこともあります。
いえ、見た目は変わらないのですが、目をパチパチさせながら 「モルだよ」 とか 普通の目で「次之介だよ」 と自己申告していたので、間違いありません。

ただ、それがこの絵を描く前の3歳の頃の冬なのか、このあとの4歳の冬かは はっきり覚えていません。
少なくとも半年以上はモルが存在していたのは確かなようです。

モルは最初に現れたいたずらっ子のモルだけではありませんでした。
次々と、違うモルが現れました。

明日から、それらのモルをご紹介します。

なお、ノートには、今日のトップ画像の横に下記のような説明が書いてあります。


【 普通モル 】
いたずらっ子で、何度も母親に捨てられている。 
ヒゲをひっぱると 「ウンギャー」 と泣く。




下の画像は次之介。



【 次之介 】
モルたちとそっくりなはずだけど、絵にするとちょっと違うなあ。




前の記事、『高橋まゆみ ~創作人形の世界~』 に今日の追記があります。

高橋まゆみ ~創作人形の世界~

2006年08月07日 15時23分17秒 | 豆知識
本日2度目の投稿です。
是非、書きたいと思っていたことがもうひとつありました。
旅行の帰り道、『峠の釜飯・おぎのや長野店』 で、人形の写真集がほんの少しだけ展示してありました。
写真だけでしたが、人形の表情の温かさ、深みに惹かれました。

ガラスの向こうだったので、うまく写っていませんが、
とくにトップ画像のこの写真に惹かれました。

そこには、
「疲れて寝たきりの母の膝でウトウトして、気付いたら母の手が私の肩を撫でていた」
というような文章が、もっと上手に書かれていました。
老母の温かい眼差しに、見ていて涙が滲みました。

施設の入浴介助をしているとき、認知症棟に誰彼構わず腕などをギュッと掴んでくる女性がいました。ときには痛いほど。
寝たきり状態で、言うこともほとんどよくわかりません。
その女性の身体を洗い終え、お風呂に入れたとき、一生懸命何か言っているのでよく聞くと、
「ありがとう、ありがとう」 と言ってくれていました。
それまでも別に嫌いではありませんでしたが、そのことでその方を好きになりました。
あとで職員さんと話をしたら、職員さんも、
「あの人ね、私が落ち込んでいると、ヨシヨシ、って背中を撫でてくれるんだよ」 と、言っていました。

高橋まゆみさんの人形写真を見て、私は真っ先にその方を思い出しました。
今、どうしているのか…。

どの人形も、人生の山も谷も越えてきた美しさで満ちていました。
「老醜」 などという言葉があるけど、とんでもない。
しっかり生きてきた人たちの、なんと美しくなることか。
そう思わせてくれる人形たちでした。

まだ実物は見たことがないので、作品展を是非見てみたいです。
実物を目の前にしたら泣いてしまうかもしれない。

『故郷のたからもの』高橋まゆみ~創作人形の世界~HP



   すぐに追記   


今、改めて紹介したHPをよく見たら、割合近くで10月12日から12月3日にかけて作品展が開催されます。
えーーーっ と、ホントにびっくり。
シンクロニシティってやつ

高橋まゆみさんの人形を知ったのは昨日が初めてです。
そして、それをこの秋近くでやるなんて、今の今まで知らなかった……。
これ、ちょいと不思議な話のカテゴリに入れたいくらいです。 


  8月9日追記  

一昨日、高橋まゆみさんのHPから作品集を注文致しました。
その際、感想とともに 「ブログに画像を掲載させて戴きました」 という旨をURLとともにお伝えしたところ、『創作人形の世界』公式HPの運営・管理をしていらっしゃる方より下記のメッセージを戴きました。

             

メッセージありがとうございます。内容は作者:高橋まゆみさんにもお届けさせていただきました。
ブログの画像掲載についてですが、本来画像使用につきましてはいろいろな版権もからむことから
お断りさせていただいている状況ではありますが、今回の件につきましては承諾をいただいております。
厳しい暑さが続いていますのでお体をご自愛下さい。
今後ともよろしくお願い致します

          


事後承諾のような形での問い合わせになってしまったのに、快く許可してくださり、また、温かいメッセージを頂戴して感激です。
ありがとうございます。


旅行の話

2006年08月07日 13時40分47秒 | 最近の出来事
コメント欄でもお知らせしましたように、一昨日・昨日は 「夏の体力づくり」と銘打ったお楽しみ旅行に行ってきました。

私はどちらかというと高齢出産なので、今回一緒に行った親たちはほとんど年下。
バスの中でこんな会話がありました。

Aさん     「山口百恵が結婚したときはショックだったな~」
ABCさんと私 「ああ、うんうん」
Bさん     「俺、岡田有希子が自殺したときショックだった」
ABCさんと私 「うんうん、あれはショックだったねえ」
私       「私、三島由紀夫が自殺したとき週刊誌に載った写真がショックだった」
ABCさん   「・・・・・・・
年代が違った?


さて、行き先は志賀高原でしたが、トップ画像は途中の浅間山(だと思う)。
展望台のようなところから白糸の滝方面に少し行こうとしたら、
こんな看板があったので引き返しました。
       


今年も熊は多いのでしょうか。
東京生まれ、東京育ちの私は熊の恐ろしさが実感出来ていないところがありますので、
私みたいのが一番危ないんだろうな~と自戒しなければ。

そこで余談ですが、今回の旅行中、「出身は東北ですか?」 と聞かれました。
大学時代は 「東京の人に見えない」 と誰からも言われ、
近所の人からも 「奥さん、田舎はどこ」 と聞かれ、「東京です」 と答えると思いっきり意外そうな顔をされて 「ここよりもっと田舎だと思った」 と言われました。
普段あまり話したことない人だったんだけど。

今回は 「色が白いから東北かと思った」 とフォローしてくれましたが、ええ、わかってます。自分が垢抜けてないってことは。
でも、そんな自分がスキ。


志賀高原の、今回泊まったホテルから5分ほど歩くと、ホタルのいる川がありました。
夜、見に行って感激しました。
あっちにポエ~ こっちにホヤ~ と光っていました。
乱舞するほどではなかったけれど、本物のホタルを見たのは何十年ぶりでしょう。
そうそう、前に記事にした東北旅行のときだったかなあ。

翌日はニジマスの掴み取りや釣をし、スイカ割りしたりして
楽しく全員無事に帰りました。
疲れることもありましたが、とても楽しい旅行でした。


ちなみに帰ってから夫に、疲れること(長男の)の方の話をしたら、
「俺、行かなくて良かった~。来年もよろしく」 と言われました。 

三郎兵衛の夢

2006年08月04日 11時40分29秒 | 自作品
これは、平成10年2月6日に記した、その日の朝の三男の寝言です。

コレ、シャボンダマ? 
コレ、シャボンダマ?
コレ、シャボンダマデシュカ、オカアシャン
コレ、シャボンダマ? 
コレ、シャボンダマ?

と、ずっと言い続けていました。
なお、この年の1月半ば、私の父は駅で転倒して頭を打ち、意識がはっきりしないまま入院していました。
この日は見舞いのために実家に行っていました。

そしてこの寝言のほぼ1週間後の2月14日に、父は他界しました。
きっとバレンタインデー狙って頑張ったんだろうなあ。
もらったチョコレートの数を数えて喜んでる人だったから。
未だに父の命日の墓参には、チョコレートが欠かせません。

三男の見た しゃぼん玉の夢が、父の魂と関係あるかどうかはわかりませんが、
父が美しい世界に旅立つ準備を見たのかなぁ…と、思ったりします。
こじつけですけど。

          


ところで、昨日の記事のコメントに次男の特性について触れましたが、
兄弟のどこに産まれたかで、一番特徴の出る出来事が昔ありました。

あれはちょうど10年くらい前のこと。
長男・7歳。 次男・5歳。 三男・1歳くらいだったと思います。
私は台所でケガをして、「痛いっ! 痛い痛い痛い~!!」 と騒いでいました。
そのときの、息子たちの反応は・・・。

三男 → まだ喋ることもできなかったが、慰めるように足元に座り込んだ。

次男 → すぐにバンソウコウを持ってきてくれた。

長男 → 「とりあえず これ開けて」と自分の食べたいお菓子の袋を持ってきた

長男って、とにかくまず、「自分ありき」なのです。



            

明日・明後日は旅行に行きますので、更新できません。

三郎兵衛の確認

2006年08月03日 16時59分39秒 | 自作品
今日も、昔 適当に書いたノートの絵から。

ところで昨日、左側のプロフィール写真と自己紹介を変更しました。
長男・次男・三男の名前を「太助」・「次助」・「三郎兵衛」とさせて戴きます。

トップ画像は、1998年(平成10年)1月4日のものです。
当時2歳8ヶ月くらいの三男・三郎兵衛(仮名)は、確認作業に明け暮れていました。
絵は、コレハ ミギ ディヨ 。 コッチハ ヒダリ ディヨ
と言いながら、右手と左手を確認しているところ。

そしてこれは、水洗トイレでの水の確認。
コリハ ミズ ディヨーッ と、なぜか叫んでいました。
    




私も つわり のときは、こんな風にしょっちゅう便器抱えていたっけ。

靴が大好きなムカデちゃん

2006年08月02日 13時54分17秒 | 自作品
実家にはトイレに交換ノートが置いてありまして、トイレ使用中に気ままに絵や文章を書き留めていました。
しばらく、そのノートの絵を掲載します。

この絵は、子供たちがまだ小さくて、ものすごく手が掛かっていたときのもの。
三男が産まれる前の年でした。(1994年11月6日・記)

「今は子供のことで精一杯だけど、子供の手が離れたら また手の掛かるものが欲しくなるんだろうな」
と思い、いったい何を飼うだろう…と考えた末、この絵になりました。

靴が大好きなムカデちゃん。
「はやく、くっく、はかせてよ~」と泣いてジタバタしているところ。 ε-(;ーωーA フゥ…

結局、三男が幼稚園に入り ある程度手が離れたら、やっぱり犬を飼ったわけですけれども。

小学生時代の こくごノート

2006年08月01日 17時41分47秒 | 思い出話
今、ワケありのため、一生懸命実家の片付けをしています。
先日も棚を一つ、整理してきました。
これは、その中にあった私の使っていた こくごノートです。
裏を見ると 定価¥20 ですって。

小学校1年生のときのもののようで、表紙の裏に今のノートでは見られない記述がありました。




これを読み易く打ちますと、


     指導者の方へのお願い   (文部省学習指導要領準拠)

一、 鉛筆は2Bか3Bあたりのもので、持ち方は一本がけであまり下すぎないところを持ち、角度は、右手前へ五、六十度に傾けるようにさせる。

二、 目と紙は三十センチメートルぐらいに保たせ右前で書かせる。

三、 初めはクレヨン、クレパス等を使って五センチメートル角ぐらいの大きさの文字を書かせる。

四、 文字に筆順のあることを知らせ、筆順によって書けるようにさせる。
   ( 一ねん(二)の裏表紙参照)

五、 落ちついてゆっくり運筆するように習慣をつけ、正しく美しく書かせるようにする。

六、 鉛筆のしんの削り方に注意し、しんを長く出さないようにする。


        


なお、左側は教科書の 『げんごろうぶな』 を写したようです。


わー、もう晩御飯の支度しなくちゃ。
コメントはまた後で書きますね~。



でも、2つだけツッコミしたい。
「目と紙は三十センチメートルぐらいに保たせ」って、紙はともかく、目は30センチに出来ないっすよ

だいたいこれ、生徒に持たせるノートに書く必要はどこにあるんでしょう。