車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

白絲濱(しらいとはま)神社 in 京都府舞鶴市浜

2021年05月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴市浜に鎮座される「白絲濱(しらいとはま)神社 」。御祭神は『稲荷大神・水無月大明神・蛭子大神

当地は舞鶴軍港化に伴う軍用地として転換されたもので、六条通八島北の「稲荷神社」・七条通八島南の「蛭子神社」・八雲通富士北の「水無月明神」三社を大正二年に合祀、「白絲濱神社」として大社四年に創建されました。

鳥居を潜り参道を進んだ先より神域を守護されるのは、まだ石の色も新しい狛犬さん一対。獅子顔の吽形さんと、どうしても鯰を連想させる阿形さん。鯰が悪い訳では無いのですが・・何故か笑えて😅

境内に鎮座されるお社、迂闊にもご社名を記録するのを忘れてしまいました。

参道より神域を守護されるのは、出雲丹後系狛犬さん。創建時期から考えると、かなり年代を感じさせる一対。

摂社の拝殿前左右より神域を守護されるのは、こちらも出雲丹後系の狛犬さん一対。いささかの剥落はありますが、とても穏やかで良い表情です。出雲丹後系独特のアーモンドアイを穏やかでと言うと、えっ!え~~~!!とよく言われるんですが、私たちにはそう見えるのです😅

同じく境内社「稲荷社」。稲荷の朱の鳥居も奉納されており玉垣も揃えられています。

玉垣の内より神域を守護される神狐さん、満身創痍ですが多分よいお顔をされていたのだろうと思われます。摂社を守護される狛犬さんも神狐さんも、もしかしたら合祀される以前のお社におられたのかもしれません。それであれば創建に比べて時代を経たお姿にも納得がいきます。

そうそう、そういえばこちらの手水石ですが、近くの長谷山に残された「長谷山古墳」の石室に使っていた石だそうです。・・いわゆるアレですよね。

最後は良い表情の留蓋獅子さん、今日も元気に飛び跳ねています。

参拝日:2010年7月9日

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水無月(みなづき)神社 in 京都府舞鶴市東吉原

2021年05月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴市東吉原に鎮座される「水無月(みなづき)神社」。御祭神は『月夜見命』。

案内に寄れば「吉原の漁民達は、昔、竹屋町の川尻に住んでいたが享保12年(1728)の大火により、今の所に移住させられた。葦(よし)の生える低湿地の為、悪疫の流行が絶えず、災厄を免れる為には「川下に水無月神社(祭神は月夜見命)を奉って夏越の払いをしたらよい」と言う事から、寛保3年(1743)に創始した」

拝殿内に鎮座される御本殿、その左右より神域を守護されるのは「はじめ」に近い感じの狛犬さん一対。青い前垂れでお顔以外が見えないのが残念。

さらに拝殿の前、厳重な柵囲いの中より神域を守護されるのは、出雲構えの狛犬さん一対。長い年月がすこしずつ尖りを削り全体にふんわりと丸くなっています。こうして屋根つきの囲みに中に置かれているのは、奉納年代が古い狛犬さんだからでしょう。

鳥居の内より神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんは前足の間に仔狛を遊ばせていますが、仔狛の持っている玉に彩色が施されています。これは本場の出雲でも見かけたことが有りませんし、ここ舞鶴でも初見だと思われます。

最後になってしまった境内の手水舎。無数の穴があいあた手水鉢はおそらく波と小石に洗われた所為でしょう。一味変わった吐龍さんにとても良く合っています。

「なるかならぬか水無月さまよ かけた願いが今日とける」と、舞鶴小唄にも歌われる「水無月神社」。鳥居から一歩出ればそこは漁師町の船溜り。独特の潮の香りが、もう離れて随分になる故郷を思い出させて鼻の奥にツンと染みます。

参拝日:2010年7月9日

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平(たいら)八幡神社 in 京都府舞鶴市平

2021年05月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴クレインブリッジを渡って直ぐ、舞鶴市平に鎮座される「村社・平(たいら)八幡神社」。御祭神は『天照大神・麿子皇子・誉田別尊』。

「当社ハ往古丹後ノ名神:斎宮明神を勧請シ、主祭神ヲ「天照大神」トシ、後「地主荒神:麿子皇子」ヲ相殿ニ合祀シ、更ニ中世ニ入リテ「武神:八幡神社大神」ヲ相殿ニ祭祀シ、祭神三柱ノ御鎮座ナリ  昭和十五年十一月 謹記」。境内案内板より

境内中央にある「神楽殿」では、祭礼の際に三番叟の奉納が行なわれるそうです。

神楽殿の奥は間口が広く開放的な拝殿があり、深い緑を背景に本殿が続きます。

その拝殿前より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。剥落も無く整った姿を見ると、何故かホッとした気持ちになる・・これはもう理屈では有りません。

御祭神が鎮座される玉垣内より神域を守護されるのは、やはり出雲丹後系の狛犬さん一対。体に掛けられた注連縄が、拝殿前の狛犬さんよりも太いのは何か理由があるのでしょうか?

境内の一画にあった神馬舎には、真っ白い白馬の木像がおさめられています。涼やかな瞳は玉の所為なのですが、とても穏やかで優しいお顔でした。

参拝日:2010年7月9日

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八幡大神・市姫神社 in 京都府舞鶴市市場

2021年05月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴市市場に鎮座される「八幡大神・市姫神社」。御祭神は『誉田別尊、市杵姫大神』。

一の鳥居の内より神域を守護されるのは出雲構えの狛犬さん一対。ここに鎮座してどれほどの時間が流れたのか・・・すでにその容貌はおろか、阿吽の別さえ判然としません。

由緒「創立年代等は不詳であるが、口伝によれば白糸浜は北海鎮護の要港にて往昔厳島より市杵姫大神が白糸浜の東市市場宮ノ谷に鎮座され、専ら海上の守護神として海鎮明神と尊称されていた。中世市杵姫大神のご神託により宇佐八幡大神を合殿に奉祀してより八幡神社と称するようになった。」境内案内より

拝殿前より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。長い年月の中で、苔は静かに体を覆いその表情をあやふやにしています。

一の鳥居から朱塗りの二の鳥居へと至る参道、その途中には小浜線の線路があります。これと似た場所は出雲の「一畑電車」でも見かけました。

線路の向こう、二の鳥居の両脇より神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。こちらも剥落が進み、どのような表情をされていたのかうかがい知る事は出来ません。それでも、ここに存在するという事実が、いかに人々に大切にされてきたかを教えてくれます。

境内社の「稲荷大神」。小さいながらも神狐さんが祠の前を守護されておられます。

御本殿の一段下、「稲荷大神」のお社と共に仲良く並ぶ境内社群・それぞれの社名は記録に残し忘れましたが、いずれも塵一つなく大切に祀られています。

柵の中に大切に守られているこの木は御神木でしょうか?幹の部分は枯れて空になっていましたが、しっかりと伸ばした枝は青々と葉を茂らせ、力強く生を謳歌しています。

うっそうとした木々に包まれた境内、大地に根を張る木々の力強さのほんのひとコマですが、その様は私たちを圧倒させました。むやみに山を裸にすることがどんな災害をもたらすか・・考えさせられる場面です。

この神社の拝殿を守護される狛犬さんはもう一対、いわゆる岡崎型と呼ばれる狛犬さんがいます。

大正時代、愛知県岡崎市の名石工『酒井孫兵衛』によって生み出された「現代風神殿狛犬」。その姿があまりにも整っていた事、またその作り方を岡崎の石工仲間に公開した事もあいまってその形は日本全国に広まり、各地で同様の型が作られるようになったそうです。
2011年の岡崎への旅で『酒井孫兵衛』作の、狛犬さんを訪ねて以降は、このタイプの狛犬さんしか居ないと分かっている神社には、よほど古い物でない限り、《狛犬目当て》での参拝はしなくなりました。理由は外来植物の如く増殖した中国産の狛犬。まるで金太郎飴のように、個性も何もない、まさしく「つくりもの」の狛犬さんを見ていると、無性に情けないような、ひどく残念な気持ちになってしまうからなのです。結果、岡崎型の狛犬さんに対して親愛の情を感じなくなってしまいました。これはあくまでも私の心情なので、何故ダメなのか等と聞かないで下さい😔

参拝日:2010年7月9日

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松尾寺駅と岩室(いわむろ)稲荷神社 in 京都府舞鶴市

2021年05月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴市に入って最初に訪ねた「松尾寺駅(まつのおでらえき)」。JR西日本・小浜線の駅で、金沢支社管内でありながら京都府内に位置している唯一の駅・・という事で、駅舎は大正11年(1922)の開業当時のもの。

私たちを出迎えてくれたのは駅員さんではなく、ゆったりと寛いだ様子で眠る猫さん。その穏やかな寝顔を見ているとなんだか幸せな気分になって、なぜか話し声もヒソヒソ😊

舞鶴市字吉坂に鎮座される「岩室(いわむろ)稲荷神社」。御祭神は『宇迦之御魂神、猿田彦之神、大宮之女神、豊宇気大神、大己貴之神』。

当社縁起に依ると「山を明室山、社を元伍蔵社と称し、往古、天火明命は大国主命の命を奉じて当国を平定し、地を当田国と丹波国堺(丹後の国が置かれたのは和銅六年四月で当時は丹波国と言った)の此の明室山に卜へて、天津磐境に神籬(ひるろぎ)を樹て神宝を奉安し、此の地鎮護の祈願所として祭らせられたのが創祀と伝う。 即ち美保伎玉、御祈鈴、久斯器、御神幣、療病金囲の五種の神宝(当社家に蔵す)を安置し、病を療し諸災を除き、永く国を治め護る神璽とされ、此の故に伍蔵社と称したと言う。(永仁二甲午年三月再写の縁起に記す)」

御本殿入り口にて神域を守護されるのは「稲銭」の首輪を下げられた小さめの神狐さん一対。拝殿の中という事情もあるのか、それほど古いものには見えません。「稲銭」は五円硬貨の事で、稲穂がデザインされている事からこのように呼ばれます。

さらに拝殿前の左右より神域を守護される神狐さん。丸い耳の感じや口元の柔らかい線・・・好感が持てるはんなりと優しい顔立ち。

朱の鳥居の境内入り口より神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。使われている「来待石」の脆さゆえに、阿形さんのお顔は判別が難しくなっています。

同じく参道を守護される神狐さん一対。丸い耳は長い年月の間にさらに丸くなり、膨らませたほっぺの丸さと相まって可愛らしさを覚える一対。

社殿の奥に見える400段の石段は、ご本殿のある磐座へと続きます。が・・流石にそれを昇る健脚も根性も持ち合わせておらず、石段下からの参拝とさせて頂きました。

石段の下、ご本殿参道への入り口を守護されるのは、何故か一方だけに赤い前垂れが掛けられた上品な顔立ちの神狐さん一対。

稲荷の境内に稲荷の境内社というのも何だか不思議な感じですが、でも奉納された神狐さんを見ると稲荷社であることは確かなようです。

最後は参道入り口近くに建立されていた碑、「伏見稲荷宮司従四位勲四等 大貫真浦(まうら)氏」の筆になるものです。が・・、達筆すぎて判読できません。

参拝日:2010年7月9日

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