松本城総堀東門近くの「上土(あげつち)通り」。「総掘東門の土を堀り上げた所」に由来してつけられたこの一帯は、大正・昭和を通じた庶民文化の先端を行くハイカラな建造物が数多く現存し、その町並みを生かした「大正ロマンの街」として静かなブームとなっています。
「松本・レトロ」で検索すると真っ先に出てくる「白鳥写真館」。大正13年に建築されましたが、昭和2年(1927)に焼失。その後、火災にあった部材を活用しながら創建時の外観を再建したそうです。右に仲良く並んだ建物は「キャッスルコンピューター・技術開発センター」。
東町通りと上土通りとの交差点にある「下町会館」。昭和初期に建てられた「旧青柳化粧品店」を曳家移転してファサード保存したもので、1階は雑貨と喫茶のお店のようです。
古色蒼然とした佇まいのビルには、入口に「スナック&喫茶」の文字。まるで昭和初期の映画に出てきそうな灰色のモルタル感が、いかにも退廃的な雰囲気 😊
交差点の角地に立ち、先のビルと並ぶのは「平出酒店」。夕方からは「スタンディングバー8オンス」がオープンするそうです。
レトロな町並みのレトロな建物。場所を移して大名町通りにある松本市登録有形文化財「旧第一勧業銀行松本支店」。昭和12年(1937)に日本勧業銀行松本支店として建築。
外壁はモルタル塗の石目調仕上げで、独特の曲線形状をしたアーチの開口部が特徴的な建物です。
湧水に恵まれた松本市では「城下町湧水群・水めぐりの井戸整備事業」で設けられた井戸が幾つかあり、2007年に作られた「大名町大手門井戸」もその一つです。
レトロな建物ではありませんが、最近は観光地にある交番とか派出所も、周りの景観に配慮したものが多くなりました。ここ「大手交番」の建物も、松本城の書院を思わせる佇まいになっています。
松本市大手の一画。一瞬、廃墟か?!と見返してしまった、壁一面が蔦に覆われた建物。ここは昭和25年(1950)創業のフレンチレストラン「鯛萬」。
この時は多分結婚式に参列するんだろうと思われる人たちが、引っ切り無しに出入りしていました。こういう雰囲気のお店で食事なんて、ちょっと素敵だよね~、あ、でも私フレンチはまるっきり食べられなかったわ 😅
ビルの合間に窮屈そうに立つ3層天守の「青翰堂(せいかんどう)書店」は昭和25年の建築。店名の「青翰」は【若い山鳩の羽】という意味だそうで、画家:滝川太郎氏が命名。残念ながらこちらのお店は2022年3月15日で閉店となったそうです。
昔ながらの雰囲気を持つ居酒屋「しづかさん」、思わず振り返ったのは「双体道祖神」さんを見つけたから。う~~ウウ 自転車が・・😓
明治21年(1888)に建てられた赤レンガの建物が「山崎歯科医院」になったのは昭和12年(1937)の事。内装も赤煉瓦なのかしら?とか、こんな歯医者さんだったら待ち時間も楽しいかも♪と、しばらく見惚れていた事が懐かしく思い出されます。
「1996年の文化財登録制度発足と同時に、第1号登録として登録有形文化財になりました。山崎歯科医院の建物は長野県におけるレンガ建築の初期の例です。屋根裏の棟木に「明治二十一年八月吉日 建築丸山善太郎 大工飯田重吉 煉瓦積酒井為吉」とあり、明治21(1888)年の建築であることがわかります。この時期、長野県内はレンガ造りの西洋館があまり造られていません。 この建物は一段ごとに長手と短手を積み替えていくイギリス積みで、壁面には小ぶりのアーチ窓を開け、寄棟の瓦屋根がのるという構造が、明治期のレンガ建築の典型を示すとともに技術水準の高さを示しています。」松本市文化財HP「松本のたから」より
これはずっと後になって知った事ですが・・2011年6月30 日に発生した 松本市南部を震源とする大地震により、松本市街地も大きな被害を受け、「山崎歯科医院」の建物も大きな被害を受けたとの事。その後、修復保存の運動などもあったそうですが、最終的に建物は解体され、カエルの陶製飾りが載った敷地北東の塀のみが保存されると聞きました。
街歩きを終えて今夜の車泊地に向かう車の中で見かけた「下島歯科医院(旧岡村産婦人科)」。昭和5年(1930)の建築だそうですが、検索したところこちらも「現存せず」となっていました。
訪問日:2010年4月16日