車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

大井戸諏訪神社 in 千葉県君津市

2019年04月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

君津市大井戸に鎮座される「諏訪神社」。御祭神は『健御名方命』。由緒等は無く他は不明。 92号線を跨ぐように建立されていた一の鳥居は、車内からの撮影。

神社の入り口には「村社:諏訪神社」の社号標・・あれ?、鳥居には確か「諏訪宮」と?? まぁ・・・細かい事は置いて😅、境内は濃い緑に包まれ、その先に参道が奥に延びています。

石段の先より神域を守護されるのは、安政5年(1858)春吉祥日建立の、子沢山で有名な狛犬さん。 阿形さんの背中によじ登って遊ぶ仔狛の、その表情の何とも愛らしい事と言ったら😊

お腹の下にはもう一匹、先ほどの仔狛よりも幼く見える仔狛が、せっせとお乳を飲んでいます。 腰の辺りから顔を覗かせている仔狛、もしかしたらお乳の順番待ちでしょうか😊

仔猫を飼った人なら分かるかもしれない前足の動き・・この仔狛も同じようにグッパーしてます。

向かい合う吽形さんの前足の下の仔狛は、抜け出したくてジタバタと暴れていますね😊 何だろう?このもの凄くホンワカとした雰囲気、猫(犬)好きには堪りません。

可愛らしい狛犬さんに対面できたし、気分はウキウキ😄・・って・・あれ?境内の写真は??  仔狛さんたちのあまりの可愛らしさに気を取られて、境内の写真はすっかり忘れてました。
お賽銭も入れたし、きちんと手を合わせて参拝もしたのに、なんと言う事でしょう😓

参拝日:2014年5月25日

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大宮賣(おおみやのめ)神社 in 千葉県君津市

2019年04月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

君津市大山野に鎮座される「大宮賣(おおみやのめ)神社」。ご祭神、由緒共に不明。

鳥居を潜り、比較的平坦な参道を進むと、数段の石段の先から神域を守護される狛犬さんに出会えます。

華麗な江戸流れの狛犬さんが多い中で、こちらは少々系統の異なった、無骨なイメージ。 目つきもするどく、山間に鎮座される神社の守護としてはこれ位でないとダメなのかもしれません。

珍しく吽形さんの頭には角が見えていますが、そういえば千葉の神社で角の有る狛犬は珍しいかな?。

吽形さんの視線の先にあるのは、お日様が降り注ぐ田んぼ。初夏の風にそろりと揺れる稲の苗。

社殿は更に上・・この先にもまだ石段が見えていましたが、流石に何度も長い石段を登るのは無理と言うより無謀。ここが最期ではないので、よほどでない限り、体力は温存しておかねばなりません😓

参拝日:2014年5月25日

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人見(ひとみ)神社 in 千葉県君津市

2019年04月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

君津市人見、千葉眺望100景の一つに選ばれた「人見山」の山頂に鎮座される「人見(ひとみ)神社」。 御祭神は『天之御中主命・高皇産霊命(たかみむすひのみこと)・神皇産霊命(かんみむすひのみこと)』

社伝に【平安中期の名門、千葉氏一族が代々守護神として崇敬してきた『妙見大菩薩』を、上総介に任ぜられた『平忠頼』が鎌倉の地から人見山に移し、祀ったと伝えられ、両総妙見の一つとして広く知られる。】

息を切らしながらやっと辿り着いた拝殿、さすがにその美しい姿を見る余裕も無いほどへたへた😔😔  呼吸を整えるまでに少々の時間を費やし、拝殿前の随身に一礼して神前での参拝を終えました。

ああ、そういえば随身門から外に出ている随身さん、石川県や島根県の神社でたまにお見掛けしますが、拝殿前の両脇に控え、御神体をお守りするのが普通なのでしょうか。

変わっていると言えば、拝殿近くから神域を守護される、文化元年(1804)秋建立の狛犬さん。 何故か口を赤く塗られているのですが、これって手水鉢の文字を赤く塗るのと同じ理由?

そういえば参道石段の途中にひっそりと「不動明王」が祀られていました。 神と仏が共に同じ地に祀られて、民の安寧を願っていた時代・・それが普通だった頃の名残かもしれません。

入口から続く石段は323段!(長いと数えてしまいます)。さすがに頂上からの眺めは絶景。

参拝日:2014年5月26日

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ご当地マンホール in 千葉県君津市

2019年04月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

君津市(きみつし)は千葉県南部の君津地域に位置する市です。木更津市、富津市、市原市、鴨川市、夷隅郡:大多喜町に隣接。東京湾沿いには、粗鋼生産量日本第2位の日本製鉄東日本製鉄の工業都市を中心とする重工業地域であり、市街地も君津駅を中心とした沿岸部に集中。内陸部にある「久留里(くるり)」地区は、江戸時代の久留里藩の城下町として栄えてきました。清澄山・三石山系の地下水は平成の名水百選「生きた水・久留里」に選定され、湧水を活用したカラー(湿地性植物)の生産量は日本一です。「市の木:キャラボク」「市の花:ミツバツツジ」を制定。

市名は「君津郡の中央を占める(位置)」「必ず君津郡の中核に発展する」の二説が伝えられています。

キャッチフレーズは「自然と個性の豊かな活力に満ちた都市」

1889年、町村制施行により、周淮郡八重原村、周西村が発足。

1897年、郡制の施行により、望陀郡・周淮郡・天羽郡の区域をもって君津郡が発足。。

1943年、君津郡八重原村、周西村が合併して君津町(初代)が発足。

1954年、君津町、周南村、貞元村が合併し、改めて君津町(2代目)が発足。

1970年、君津町、上総町、小糸町、清和村、小櫃村が合併し、改めて君津町(3代目)が発足。

1971年、君津郡君津町が市制を施行し、君津市となりました。

マンホールには、4分割の中央と4つの円の中に「市の花:ミツバツツジ」が描かれています。(カラーマンホールは、JR君津駅近くのタイル歩道に設置)

市の花:ミツバツツジのモニュメントも、駅のバス乗り場近くにあります。

シールタイプには、「青空と白い雲をバックにジャンプするきみぴょん」が描かれています。

この「青空と白い雲をバックにジャンプするきみぴょん」のデザインは、市内のあらゆる場所に見かけられます。

集排のマンホールには、「亀山湖の花火大会」「亀山ダム」「稲穂」が描かれています。 雨の中を、この蓋だけの為に何十キロもの距離を走った私たち・・・かなりの物好きだと思います😅

昭和46年(1971)4月1日制定の市章は、昭和38年に君津町章に制定されたものを継承。「君津の頭文字「キ」を大らかに翼を張った鳥形にデザインしたもの。円型の翼は市の「和」と「飛躍・発展」を意味します。」公式HPより

上水道関連の蓋は仕切弁・排水弁・消火栓の三種類。

市の花ミツバツツジをモチーフに生まれた、君津市マスコットキャラクター『きみぴょん』。 きみつの森に住む小さな動物で、きれいな水辺と久留里城、そしてイチゴと桜餅が大好きです。

撮影日:2014年5月25日&2019年3月5日&3月7日

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2019年3月の車泊旅では「道の駅:きみつ」にて車中泊をさせていただきました。 近くの「千寿の湯」で冷えた体を温め、雨の音を聞きながら眠った事が懐かしく思い出されます。

車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

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坂戸(さかと)神社 in 千葉県袖ヶ浦市

2019年04月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

袖ヶ浦市坂戸市場に鎮座される「坂戸(さかと)神社」。御祭神は『天手力雄命(てぢからおのみこと)、天児屋根命(あまのこやねのみこと)、天太玉(あまのふとだまのみこと)』

鳥居額には、見事な阿吽の龍が掘り込まれ、「坂戸大神」の文字と朱印が刻まれています。

深い緑に包まれた境内一帯は「坂戸神社の森」として、千葉県天然記念物の指定。

社伝に【創建年月詳ならず、日本武尊東征の時本社に戦捷を祈り親ら奉幣したまひし。古来近郷舊十二村(坂戸市場・中野・牛込・中島・瓜倉・畔戸・江川・久津間・萬石・高柳・牛袋・袋野)の鎮守たり】

一の鳥居に記された「坂戸大神」は、おそらく『天児屋根命』を指すと思われます。天戸開きの神々に戦慄を願った日本武尊。その心を想像すると何だか切ないですね。

拝殿左右の貫に施された獅子は、角度の所為か、なびかせた鬣が艶めかしく見えるのとは対照的な、とても鋭い目つきで参拝者を見おろしています。

対して、拝殿前より神域を守護される狛犬さん一対は、愛嬌のある顔で出迎えてくれました。 台座には「安永4年(1775)乙未6月吉日」の建立年と、「石工:嘉衛」の名が刻まれています。

参道を歩いているときにとても気になっていた「手水鉢」。改めてみると相当の手仕事。 鉢には、安政5年(1858)戊午、石工:金兵衛」の銘。彼が掘りあげた台座の龍は、今も健在で境内を見守っています。

参拝日:2019年3月5日

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ご当地マンホール in 千葉県袖ケ浦市

2019年04月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

袖ケ浦市(そでがうらし)は千葉県中西部、東京湾岸の中央部に位置する市です。東は市原市、南・西は木更津市に隣接。北西部から東部にかけては、清澄山系に連なる標高60mの洪積層の高台を形成する平坦な丘陵地帯で畑地が開け、南西部から南部にかけては、沖積層の肥沃な水田地帯が開けています。河川は、清澄山系に源を発する小櫃川が東西に流れ、これに注ぐ槍水川、松川、武田川のほか、東京湾に注ぐ浮戸川、蔵波川、久保田川等があります。市名は、『日本武尊』が『弟橘媛』の袖を見つけた折に詠んだ「袖しが浦」からと云われています。「市の木:椎」「市の花:山百合」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「”自立と協働のまち” 人いきいき、緑さわやか、活力あふれる袖ケ浦」

明治22年(1889)、町村制の施行により、望陀郡楢葉村・神納村・長浦村・根形村・平岡村・中川村が発足。

1897年、郡制の施行により、望陀郡・周淮郡・天羽郡の区域をもって君津郡が発足。

1932年、楢葉村と神納村が合併、君津郡昭和町が発足。

1955年、君津郡昭和町、長浦村、根形村の一部が合併、袖ヶ浦町(初代)が発足。平岡村、中川村が合併、平川町が発足。

1971年、君津郡袖ヶ浦町、平川町が合併、改めて袖ヶ浦町(2代目)が発足。

1991年、君津郡袖ヶ浦町が市制を施行、袖ケ浦市となる。

マンホールは市章を中央に「市の鳥:花の鶯と山百合」と「市の木・椎」が描かれています。

昭和46年11月3日制定の市章は「昭和31年、旧袖ケ浦町の町章として公募したもので、袖ケ浦の「ソデ」をデザインしたものです。」公式HPより

仕切弁・制水弁・排水栓・排水弁・消火栓・防火水槽、いずれも市章のある、上水道関連の蓋です。

ガスと書かれた小さな蓋ですが、下の「K」が何を指すのかは調査不足でよく分かりません。 もしかしたら、下のマンホールと同じ意味を持っているのかもと・・推測です。

袖ケ浦市マスコットキャラクター『ガウラ』。「袖ケ浦」で生まれたので『ガウラ』と名づけられました。 では袖(ソデ)はどこに?・・絶対に似合わないだろうけど、袖の有る洋服でも着てれば完璧だったかも😄

『ガウラ』の隣に居るのは「JR東日本千葉支社」所属のマスコットキャラクター『駅長犬』。駅長の制服姿で千葉を盛り上げるそうです。

撮影日:2014年5月26日&2019年3月5日

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千葉県袖ケ浦市のマンホールカード

2019年04月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類のマンホールカードが配布されました。袖ヶ浦市のマンホールカードは、袖ケ浦市役所下水対策課(休日:守衛室)でいただけます。

 1989年設置のマンホールには「椎の葉を背景に、鶯と山百合」が美しくデザインされています。

【袖ヶ浦市のマンホール蓋を「開けにくく、閉めにくい角型」から丸蓋へ、方針転換をしたのが平成元年。 中央部に市章、市の鳥「ウグイス」、花「ヤマユリ」を配置し、それらを包み込むように市の木「シイ」の葉っぱをあしらって本デザイン蓋を製作しました。 市章は昭和31年、町制の時代に全中学校の生徒から募集して決定したもので、カタカナの「ソデ」がデザイン化されています。 一方、市の花・木・鳥については昭和45年に広く町民から案を募り、決定しました。 本マンホール蓋は本来、色数の少ないものしかありませんが、このカードをレアモノにしたくて、職員自ら手塗りをして盛りました♪ 】

座標軸のマンホールも無事Get!

配布先の袖ケ浦市役所下水対策課のカウンターに展示されていた小型マンホール。これも職員さんが手塗りしたようです。

 

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八剱八幡神社:境内社:三社神社 in 千葉県木更津市

2019年04月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

八剱八幡神社の大蘇鉄の近くに鎮座される「境内社:三社神社」。御祭神は『三峰之大神(伊弉諾尊、伊弉冉尊)』・『御嶽之大神(国常立尊、大己貴命、少彦名命』『稲荷之大神(宇迦之御魂神)』。稲荷の赤い幟が目立ち過ぎ😅

鳥居を潜り短い参道を進んだ先に、本殿と同じ形式の流れ造りの社殿。ここにもやはり小さな神狐が奉納されているのですが、目を見晴らされたのは社殿彫刻の数々。

社殿の両の扉、それぞれの脇柱に掘り込まれた彫刻は、いずれも神々の歴史を物語る内容で目を見張る壮大さ。 じつはこれらの彫刻をもう一度見たくて、二度目の参拝を計画したと言うのが本音だったのです😅

見え難いですが、千鳥たちに囲まれ怒れる顔で睥睨する龍は、実は小さな龍を引き連れています。 後に知った事ですが、彫刻にあった刻銘には何とあの!『後藤正光斎橘忠明・後藤善司正明』。そう!「龍の義光」の作品を、そうとは知らずに一目惚れして、再度の参拝を果たしたのです。

さらに社殿彫刻の花形的存在、貫彫刻の一対の獅子は、それぞれに牡丹を口に銜えています。 貫柱の獅子にも阿吽があるのですが、ここでは牡丹の花で阿吽を現しています。と書いていて・・花が見当たらない事に気がつきました。きっと阿形さんの牡丹は満開になりすぎて散ってしまったのでしょう😔

社殿彫刻は左右から後方にも刻まれており、場所的に近づき難く、かなり苦労しました。 が、その苦労は十二分に報われて、見事な彫刻の隅々までを堪能することが出来ました。
社殿正面に向かって左の壁部分には「櫛名田比売を助ける為に、大蛇退治をする素戔男尊」

社殿正面に向かって右の壁部分には、まばゆい光の中で「天岩戸から出現される天照大神」。 後光の大きさが半端じゃ有りません。

社殿の背面には、炎に包まれる中「草薙の剣で草をなぎ払う日本武尊」の様子が刻まれています。 これらの彫刻をもう一度自分の目で見たくて・・・ああ、本当に再訪した甲斐がありました。

この小さな彫刻は、やはり社殿のどこかにあったもので「荒波を進む五大力船」

彫刻はもちろん最高ですが、社殿前を守護される大正10年7月9日建立の狛犬さんも、とっても良い表情。 ちょっと生意気そうな顔で参拝者を迎える姿が何とも微笑ましく、ついつい語り掛けたくなる。

同じ敷地内にあった小さな石の祠には、どのような神が祀られているのでしょうか? 壁面には虎退治をする武人の姿が刻まれています。

でも私には、悪戯をした虎のお尻を叩いている人に見えて仕方がありません😊 多分、兄弟虎で面白がって何か悪さをして、それを見た飼い主がお仕置きをしているのです。
今回は木の茂みに邪魔されて見えませんでしたが、幸いにも5年前の画像が、その様子を捉えていました。 ほらね、虎の顔が笑ってますよ。

こちらは境内入り口近くにあった土蔵造の「祖神社」。御祭神は『屋船久久能知神(やふねくくのちのかみ)・屋船豊受姫神(やふねとようけひめのかみ)・手置帆負神(たおきほおいのかみ)・彦狭知神(ひこさしりのかみ)』。あまり馴染みの無い神々ですが、棟上げ式で読み上げる祝詞の中に「工匠の祖神・殖産興業の神」として登場されます。

ここの懸魚も素晴らしいのですが、向背の龍・・・実はこれも『後藤正光斎橘忠明』の彫刻でした。 知らずに一目惚れし、それが名工の作と知ったからといって、特別評価が変わる訳ではありません。 それでも、彫刻の数々が実は評価されている作品だと知るのは、無条件に嬉しく思えます。

貫には、厳しい表情を見せながらも妙に人懐こい表情を浮かべた獅子が見下ろしています。 獅子を彫った宮彫師が何処の誰なのかわかりませんが、向背の龍と共にお気に入りの一対です。

「祖神社」の隣には、明治14年(1881)に建立された「嶺田楓江(みねだふうこう)寿碑」。 『嶺田楓江』は江戸出身の儒・蘭学者で、鎖国下にあって時勢を的確に捉えていた人物です。 題字は英国領事館の『コラウブス』、撰文は地元の『重城(じゅうじょう)保』、書は清国の『劉世安』。生憎と無知で三方がどのような功績を残されたかはわかりませんが、この三国合作によって建立された碑は、昭和44年に指定文化財になりました。

昨日のブログで少し触れた「八剱八幡神社」の絵馬、なんともう一枚には「鳳神ヤツルギ」。「鳳神ヤツルギ」メンバーは、千葉テレビの特撮ドラマに登場する木更津市ご当地ヒーロー。「八剱八幡神社」の祭神の力で変身します!😲!

 

そういえば神社の入り口向かいに、鳳神ヤツルギの一人『天神キサラ』の自販機もありました。 八幡神はこの国を異国の攻撃から守るために大活躍をされました。そして新たに誕生した、悪と戦う変身ヒーローたち。綺麗ごとの自虐的平和なんて言葉に惑わされる事無く、みなさん、頑張ってこの国を守って下さいね。

参拝日:2014年5月26日&2019年3月5日

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御神名一口メモ

『屋船久久能知神(やふねくくのちのかみ)』『屋船豊受姫神(やふねとようけひめのかみ)』、神生みによって生まれた木の神。家屋の神

『手置帆負神(たおきほおいのかみ)』、岩戸隠れの際、木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造った。工匠(大工)の守り神。

『彦狭知神(ひこさしりのかみ)』、岩戸隠れの際、木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造った。土木、建築の神。

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八剱(やつるぎ)八幡神社 in 千葉県木更津市

2019年04月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

木更津市富士見に鎮座される「八剱(やつるぎ)八幡神社」。木更津の総鎮守とされます。 こちらのお社、実は五年前にも参拝しており、今回が二度目。

御祭神は『誉田別命・息長足姫命・足仲彦命(日本武尊の第2子)』、相殿に『素盞鳴命・日本武尊』

社伝に【往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。『源頼朝』鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。】

明るい日差しの中でみる社殿は、五年前の初夏の下で見たものとは全く別物の趣。 訪れる人たちの表情も陽気で明るく、神社参拝を心から楽しんでいるように見えました。

拝殿前より神域を守護されるのは、文政8年(1825)6月吉日建立の柔和な顔立ちの狛犬さん一対。『石工:安田金兵衛・石渡源右ェ門』と連名なのは、共同制作?台座担当?・・

阿吽共に口を開いていますが、アップで見ると阿形さんの方が大きめに開いているのが分かります。

社殿の向かって右隣に立つのは、嘉永三年(1850)創建の大神輿(150t)が安置される神輿殿。 一応、扉はガラス張りなので中を垣間見る事はできますが、限られた空間から見えるのはごく一部。

試しにデジカメを押し当ててみましたが、見たことの無い人には何が写っているのか???かも😅  でもってこちらの御神輿は、関東三大神輿(深川・富岡八幡宮、浅草・鳥越神社)の一つに数えられているそうです。

神輿殿と社殿の近くには、『源頼朝』手植えと伝わる「大蘇鉄(そてつ)」。 大正十五年(1926)に、当時の木更津銀行頭取 露崎銀平が、森家から譲り受け奉納されたものと説明にありました。 頼朝は、森家で兵馬の疲れを癒し、北上する際に御礼として蘇鉄を植えたといわれています。

裏参道近くには大正十四年(1925)に、日露戦争の戦病没者を祀るために建立された「表忠碑」。 元帥陸軍大将『川村景明』の筆によるもので、手前には「阿夫利大神・水神」の碑。

「水神宮」が祀られる「神池」は大蘇鉄の近くにあり、すぐ側に神水を頂ける場所もありました。 5年前の参拝時、手持ちのペットボトルにお水を頂いて帰りましたが・・懐かしいですね。

こちらの絵馬は、明治初期に奉納された指定文化財の「五大力船絵馬」を模したもの。 「五大力船」は江戸~木更津間を往復した「木更津船」の別称で、通称「ごぜき」と呼ばれていました。
実際の絵馬を見ることはできませんが、荒波に神の加護を受けて進む姿が印象的です。

>絵馬と言えば、実はもう一種類、かなり毛色の変わった絵馬があるのですが、それはまた明日の記事のラストで紹介します。

参拝日:2014年5月26日&2019年3月5日

 
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證誠寺(しょうじょうじ) in 千葉県木更津市

2019年04月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

木更津市富士見にある「護念山 證誠寺(しょうじょうじ)」。木更津市唯一の浄土真宗本願寺派(お西)の寺院です。
【江戸時代の初期(17世紀中ごろ)證誠寺は誕生しました。当時のこの付近は「鈴ヶ森」と言って、杉や松や桧が生い茂ってその周りを竹薮で囲まれた昼間でも暗く薄気味悪いところでした。初代住職(了念法師)の父親は、鎌倉で狩野派の絵師をしていたらしく、住職はその次男で、医者になった三男と共に陸路、江戸を経て鎌倉から木更津に渡ってきて住み着いたそうです。】證誠寺HPより

「證誠寺」と言えば、意外と広い世代に知られている「証城寺の狸ばやし」。 軽快なメロディで歌う【しょっしょ、しょしょじ、しょしょじの庭は~】・・と、つい口ずさんでしまう私😅
境内の「童謡記念碑」には懐かしい、【しょっしょ、しょしょじ♪~】の歌詞が刻まれています。

證誠寺の狸伝説がいつ生まれたのか定かではありませんが、かなり昔から伝えられていたようです。 群馬県の「分福茶釜」・愛媛県の「八百八狸物語」と並び、日本三大狸伝説の1つとされているとか。「三大狸伝説」なる言葉に思わず笑ってしまいましたが、でもどれもとても有名な話ですよね。
俳人『松本斗吟(とぎん)』は、明治38年(1905)に地元の文芸誌で、證誠寺の狸塚の伝承を紹介しています。 その斗吟の句碑ですが、狸とは全く無縁の内容・・・ 【朝蝉の 鳴いている也 爽やかに】

大正8年に木更津に訪れた『野口雨情』は、世話役からこの伝説を聞き、童謡「証城寺の狸ばやし」を発表。 ただし伝説は「秋の夜に和尚と何十匹もの狸が寺の庭で囃子合戦をした挙句、夜が明けたら腹鼓で調子を取っていた大狸が腹を破いて死んでいた」という、何とも悲惨な結末なのです。

境内の奥まった一角には「狸」と刻まれた「狸塚」があり、付近はきれいに掃除が行き届いています。 実際にここに狸が埋葬されているかどうかは分かりませんが、それでもやはり手を合わせてしまいます。

「筆子塚(ふでこづか)」は、寺子屋の師であった了因法師を偲んで建立。 寺子屋で学ぶ弟子たちは「筆子」と呼ばれており、その筆子によって文政年間に建立されました。

何代目かの上人が手植えされたと言う木もありましたが、どの木がそうなのかよく分かりません。 信心深いとはお世辞にも云いがたい私たち、取敢えず見たいと思っていたものは見る事ができました😓

もう一度木更津に来ることが出来たならと思って、願い通りに参拝できた「證誠寺」、意外とあっさり終了。
はてさて、親鸞聖人はこの狸伝説をどのようにご覧になったのか、興味あるところです😊

参拝日:2019年3月5日

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