倉敷市南東部に位置する児島地区。瀬戸内海に面した岡山県最南端に位置し、古くから海運業や製塩業、繊維業で栄え、1988年に完成した瀬戸大橋(児島・坂出ルート)の本州側の起点としても知られています。
また「日本産ジーンズ発祥の地」として、現在も学生服・ユニフォーム・ジーンズ等を代表とする繊維(アパレル)産業が盛ん。路地を歩けばそこかしこに、道行く人の足を止めさせる個性豊かなジーンズメーカーが軒を連ね、独自ブランドを生み出しています。
明治22年(1889)、町村制の施行により、児島郡小田村・下津井村・本荘村・味野村・田ノ口村・鴻村・長浜村・郷内村・田ノ口村・木見村 ・鴻村が発足。
1896年、児島郡下津井村が町制を施行、児島郡下津井町となる。下津井町吹上地区が児島郡長浜村へ編入される。
1906年、味野村が町制を施行、児島郡味野町となる。児島郡木見村より山村(由加・白尾)を田ノ口村へ移管。
1907年、田ノ口村、鴻村が合併して児島郡琴浦村が発足。下津井町、長浜村が合併、改めて児島郡下津井町が発足。
1912年、児島湾干拓地第2区に藤田村が発足。
1915年、琴浦村が町制を施行、児島郡琴浦町となる。
1928年、小田村が町制施行・改称し児島郡児島町となる。
1948年、児島郡児島町、味野町、下津井町、本荘村が新設合併し市制を施行。児島市(初代)が発足。
1956年、児島市が児島郡琴浦町と対等合併、(二代目)児島市が発足。
1959年 - 児島市が児島郡郷内村を編入。
1967年、倉敷市・玉島市と合併、倉敷市児島となりました。
児島地区のマンホールには、ジーンズブルーの地色に「KOJIMA JEANS STREET」のロゴがデザインされています。
倉敷マンホールサミット展示蓋
「児島ジーンズストリート」と名づけられた400メートル程の通りは、商店街の方たちによって様々な工夫が凝らされ、道行く人たちの目を楽しませています。
詳細が不明な為確かな事はわかりませんが、おそらく二度めの児島市発足の昭和31年に制定されたと思われる市章。「「こ」の中心に「▲」を置き、児島を表わした」と思われます。
こうした古い自治体当時のマンホールが残っているのを見つけた時は、デザインマンホール発見とは別の嬉しさがあります。
児島商工会議所所属で、児島ジーンズストリートイメージキャラクターの『Gパンだ』。チャームポイントは、足元の赤い線。実はこれ、旧式織機で織った高級デニム製品の裾にみられる「セルビッチ」なのです。
「セルビッチ」が無い・・・・
明治38年(1905)に私設上水道が敷設された野﨑家敷地内にあった防火栓。右から左の旧文書体で「堅崎家水道 防火栓」。縦書きで「消火栓」と書かれた角蓋。
児島地区にある「野崎家住宅」
撮影日:2009年9月21日&2016年8月17日
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2016年8月1日、第2弾として全国40自治体で44種類(累計64自治体74種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「倉敷市B」のマンホールカードは、「倉敷市児島公民館」でいただけます。(現在は、児島駅観光案内所と児島商工会議所 に変更されています)
2016年に設置開始されたマンホールには「ジーンズストリートのロゴマーク」がデザインされています。
「日本ではじめて国産ジーンズを作った児島地区は「ジーンズの聖地」と呼ばれ、注目を集めています。国の重要文化財「旧野﨑家住宅」から南へ 続く商店街には、ジーンズメーカーのショップが連なる「児島ジーンズストリート」があり、一歩足を踏み入れると、色とりどりのジーンズで 飾られたアーチが出迎えてくれます。ジーンズストリートの盛り上げに一役買っているのがこのマンホール蓋で、ご覧のようにジーンズ生地と オレンジ色のステッチ(縫い目)をデザインするとともに、水の大切さを伝えるメッセージを添えています。ジーンズストリートに4か所設置してありますので、 探してみてください。」
訪問日:2017年4月3日