車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 福島県旧山都町(喜多方市)

2024年11月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧摩耶郡山都町(やまとまち)は福島県の北西部に位置した町です。喜多方市、熱塩加納村、高郷村、西会津町、会津坂下町。町の北部の飯豊連峰山頂付近で県を跨いで新潟県新発田市、阿賀町。山形県飯豊町、小国町に隣接。飯豊連峰山頂の神社とその参道が山都町に属するため、飯豊連峰の三国岳、種蒔山、飯豊山、御西岳と続く稜線に沿って、細長く突き出た形の町域を有します。「町の木:飯豊(いいで)杉」「町の花:シャクナゲ」「町の鳥:セキレイ」を制定。

旧キャッチフレーズは「飯豊とそばの里 山都町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、摩耶郡山都村・小川村・木幡村・相川村・一ノ木村・早稲谷村・朝倉村が発足。

1950年、山都村、小川村、木幡村が合併、摩耶郡山都町(第一次)が発足。

1954年、山都町、相川村、一ノ木村、早稲谷村、朝倉村賢谷・沼ノ平地区が合併、山都町(第二次)が発足。

1955年、 河沼郡千咲村大字三津合を編入。

2006年、喜多方市、耶麻郡塩川町、熱塩加納村、高郷村と合併、喜多方市山都町となる。

マンホールには町章を大きく配し、中に「町の木:飯豊杉」と「町の鳥:セキレイ」下に「町の花:シャクナゲ」。周囲の三角は「そばの実」を図案化。

町章を中心に種々の模様がデザインされたマンホール。喜多方市建設部下水道課によれば、特にこのデザインに意味は無いそうです。

昭和29年3月3日制定の町章は「 山都町の「山ト」を歯車に図案化したもので、町民の平和、友情を表わし、町勢のたゆまぬ発展を象徴する。」合併協議会資料より

撮影日:2015年6月19日

 

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旧国鉄日中線:熱塩駅 in 福島県喜多方市熱塩加納町

2024年11月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

喜多方市熱塩加納町熱塩字前田丁に残る「旧国鉄日中(にっちゅう)線 熱塩(あつしお)駅」

昭和13年(1938)、耶麻郡喜多方町:喜多方駅と耶麻郡熱塩村:熱塩駅を結んで開通した日中線。喜多方・会津村松・上三宮・会津加納・熱塩の5駅を結ぶ11・6キロメートルの路線で、終点熱塩駅の奥にある「日中温泉」が路線名称の由来とされます。

昭和58年(1983)の末期には列車は1日に三往復、乗降客も少なくなり、昭和55年(1980)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により第1次特定地方交通線に指定。昭和59年(1984)4月1日に全線廃止となり、開通から46年にわたる役目を終えました。

駅舎はひどく荒廃していましたが、廃止から1年後の昭和60年(1985)に整備され「日中線記念館」として公開。館内には日中線に関する資料等が展示されています。

さらに2009年には、経済産業省の「近代化産業遺産群 続33(東北開発)」の一つとして、近代化産業遺産に認定。待合室のベンチや切符棚、運行当時の写真などさまざまな品が展示されており、思った以上に興味深い内容でした。

当時の場所に今もそのまま残されている「踏切」

最終駅だっ熱塩駅には、車体をUターンさせる為の「転車台」が設置されていました。

また構内にはラッセル車や客車も静態保存されており、鉄道ファンにはワクワクする景色を作り出しています。

ラッセル車の前にある二つの丸いもの、実はあれ、国鉄時代には「A寒地仕様」と呼ばれた酷寒地向けのワイパーなんです!!。降りかかる雪を高速で回転して振り飛ばす・・・・。雪国育ちでない二人には、驚きの発見でした。

改札を潜る時の何とも切ないような、ドキドキするような気持ち。それは電車を待つ時の状況によって様々に形を変え、懐かしい過去を思い起こさせます。

誰が作ったものか・・ホームの片隅に設けられたブランコ😊 私たち以外の見学者さんはお一人だけだったのですが、懐かしそうにブランコに揺られていました。

お互いに記念の写真を写しあい、軽く挨拶を交わして別れてゆく・・廃線となった熱塩駅にはこれ以上ないほどの似合いの一時。

「日中線記念館の桜」。季節には桜祭りなども開催されるとか。その時期にはこの駅舎一帯も華やかに人で溢れるのでしょうね。

駐車場の一画にあった「天神清水」。汽車の旅で降り立った人たちは、この冷たい湧き水で喉の渇きを潤したのでしょうか?

訪問日:2015年6月21日

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ご当地マンホール in 福島県旧熱塩加納村(喜多方市)

2024年11月28日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧摩耶郡熱塩加納村(あつしおかのうむら)は会津盆地の最北端に位置した村です。喜多方市、山都町、更に県を跨いで山形県米沢市、飯豊町に隣接。熱塩の地名は村内に熱湯の湧出することに由来すると伝えられ、現在も熱塩温泉(純食塩泉・61℃)があります。 また加納地区には慶長年間(1596~1615)に開発された岩尾銀山があり、明治期には銅山として再掘され「加納鉱山」と呼ばれていました。

「村の木:杉」「村の花:姫小百合」「村の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により摩耶郡熱塩村・加納村・朝倉村が発足。

1954年、熱塩村、加納村、朝倉村板ノ沢・瀬戸尻・村杉地区が合併、摩耶郡熱塩加納村が発足。

2006年、喜多方市、耶麻郡塩川町、山都町、高郷村と合併、喜多方市熱塩加納町となる。

マンホールには中の円に「村の木:杉」と「村の鳥:ウグイス」。周囲に「村の花:姫小百合」がデザインされています。

上に「あつしおかのう」の文字。全体に「村の花:姫小百合」がデザインされた小型マンホール。

昭和49年3月15日制定の村章は「熱塩加納村の“ア”の文字を図案化したもので、躍動する若人の姿を表わし、未来への限りない発展と村民の融和を象徴する。」合併協議会資料より

撮影日:2015年6月21日

 

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三津谷煉瓦蔵と三津谷登り窯 in 福島県喜多方市岩月町

2024年11月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

喜多方市岩月町宮津勝耕作、郊外の三津谷集落ある「若菜家」の煉瓦蔵群で一際目を惹く佇まいが、4万2500個もの煉瓦を使った三階蔵。大正5年(1916)の建造です。

四棟の煉瓦蔵はそれぞれにアーチ型の窓や入口などデザイン性に優れており、これらを設計建築したのは、東京で修行をし当時の最先端の技術を学んだ、喜多方市出身の煉瓦師『田中又一』。 三津谷の登り窯で焼かれた美しい総煉瓦造りの蔵は、それぞれ細かいデザインが違い、田中又一の設計技術の高さを物語っています。

敷地の通り沿いに南北棟で建つ平屋建、瓦葺の煉瓦座敷蔵、通り側に半円アーチ窓を二基設けています。若菜家煉瓦蔵は「喜多方市の赤煉瓦製造関連遺産と建造物」の一部として、経済産業省の近代化産業遺産にも登録されています。

道路に面した一画に建つ煉瓦蔵

そしてやっぱり!「ラーメンと蔵の街:喜多方」😆

『樋口市郎』が生み出した喜多方煉瓦は、表面に釉薬(うわぐすり)をかけて焼成した釉薬煉瓦(ゆうやくれんが)。冬の寒さが厳しい会津の凍害を防止する目的で、釉薬をかけたもので、薪を燃料とした登り窯で焼かれるために、酸化や還元、窯の温度、施釉の濃淡、窯の冷える速度などの違いで出来上がりの色が微妙に変化し、それが喜多方独特の風合いを生み出しているのです。

レンガを、土木工事ではなく、建物にも使うことを推奨したのは明治14年(1881)に岩月村に生まれた『田中又一』。12歳で煉瓦師に憧れ、東京へ出て清水組のお抱え煉瓦師のもとでレンガ積みを学び、明治33年、喜多方に帰郷。明治35年、故郷の喜多方で木造骨組の外側にレンガを積んだ岩月尋常小学校を建築。これが喜多方のレンガ造建物の主流となる煉瓦が木部とかみ合う「喜多方式木骨煉瓦造」の始まりとされています。

本来は鉱山のトンネル、鉄道の橋脚用に焼かれた煉瓦ですが、それを住宅や蔵などに転用。その美しさの秘密は、独特の釉薬煉瓦にあります。喜多方市岩月町宮津火付沢にある「三津谷登り窯」。明治23年に製瓦業として創業した古い歴史を誇る登り窯で、その後、煉瓦の焼成にも使われ、喜多方の煉瓦産業を支えた窯となりました。

当初は7室(段)でしたが、現存する窯は大正時代に築窯された十連房からなる大型登り窯。1回に約1万個のレンガが焼成できる登り窯で、煉瓦と瓦を焼く登り窯としては、日本で唯一稼動できるものです。

窯を築いたのは新潟県亀田出身の安田瓦職人『樋口市郎』。若喜商店冠木家に住み込みで働きながら、原料の粘土と燃料の赤松が大量に得られる火付沢(三津谷)を見出し、瓦を焼く登り窯を築き、凍害対策として灰汁を釉薬に使用した瓦を生産。瓦で培った技術を煉瓦に転用し、オリジナルの釉薬煉瓦(ゆうやくれんが)を焼成する「樋口煉瓦工場」を創業しました。

三津谷登り窯は、「喜多方市の赤煉瓦製造関連遺産と建造物」の一部として、経済産業省の「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産などの歩みを物語る近代化産業遺産群」にも登録されています😊。

訪問日:2015年6月20日

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杉山の農家蔵群 in 福島県喜多方市岩月町

2024年11月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

喜多方市の郊外、岩月町入田付上中戸にある小集落「杉山集落」

かって、木炭と菅(スゲ=菅笠の原料)の産地であった集落には、「杉山の土蔵群」として知られる独自の風格を備えた農家蔵群が、今も往時のままに残されています。

三津谷が地元の登り窯で焼成した煉瓦蔵であるのに対し、こちらは白壁。
顔料を混ぜない白漆喰が美しい貯蔵蔵や、冠婚葬祭や賓客を迎える蔵座敷が建ち並び、ちょっとした別世界の雰囲気。

しかも蔵座敷の内部は漆で塗り飾られているとの事ですが、現在も人様が住んでおられる故に非公開になっています。

杉山の土蔵は土屋根の上に茅葺き屋根を乗せた「兜屋根」と呼ばれる「二重屋根」が多いのが特徴。大事な本体(土蔵)を守るように二重に作られた屋根に護られて、どのお蔵も剥がれの無い綺麗な壁面を見せています。

ご存知の方も多いと思いますが、漆喰には、防火(不燃性)というだけでなく、湿度を調節し、臭いを消し、微生物の繁殖を抑制するなどの効果があり、収穫した農作物を貯蔵する為には最適の素材。

明治時代、稲作から収入の高い菅(スゲ)に転作し、菅笠など菅製品の加工・販売によって財を成した杉山集落。人々は競うように蔵を建てたと言います。その昔、農家にとっても商家にとっても「蔵」とは裕福の証。立派な蔵を立てる事が甲斐性とされた時代ならではの集落土蔵群。

短い滞在時間でしたが、素晴らしい物を見せて頂きました。集落の入り口に立つお地蔵様に手を合わせ、一期一会の出会いに感謝。

訪問日:2015年6月20日



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タイムアウトの蔵の里 in 福島県喜多方市 

2024年11月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

喜多方市押切2丁目、蔵づくりの文化を後世に伝えることを目的に設置された「蔵の里」。閉館時間5時、最終入館は午後4時30分で・・只今4時30分😱

外観だけを駆け足でチラ見・・という、何ともお粗末な結果になってしまいました。仕方ありません、街歩きはついつい時間を忘れてしまうものなのです。

大正12年(1923)に建てられた「旧東海林家酒造蔵」。この蔵では、かつての銘酒「白山」が醸造されていましたが、昭和7年(1932)に「夢心酒造」が譲り受け、倉庫として使われてきました。

社会教育の形成・発展に尽くした功績を称えられ、昭和47年(1972)に喜多方市名誉市民第1号となった『蓮沼門三』氏 「愛汗の碑 愛なき人生は暗黒なり 汗なき社会は堕落なり

遠目からの外観だけですが、保存民家二軒も辛うじて垣間見る事が出来ました。江戸初期から明治初期まで、下三宮村の肝煎を務めた「肝煎屋敷 旧手代木家住宅(福島県指定重要文化財)」。異色ある間取りや鉤型に曲げられた造りなど、江戸後期の形態を良くとどめています。

現在地の南角に位置する座敷棟は幕末近くの増築ですが、移築に当たってはこれらも保存し、明治元年の農民一揆打ち壊しによると伝えられる多数の柱傷もそのまま残しているそうです。

「郷頭屋敷:旧外島家住宅(県指定重要文化財)」。木造・寄棟造り・茅葺き・平屋建て「まがり」付き。江戸初期から幕末まで郷頭を務めた外島家の住宅で、主棟および曲り棟の創建は明和8年(1771)の記録が残っています。

蔵の里の道路向かいにある「喜多方市美術館」

時間的にはセーフだったのですが、美術関連に疎い二人には猫に小判😓 煉瓦造りの門にほんの少し心を引かれつつも、日のあるうちに次の目的地に急ぎます。

訪問日:2015年6月20日

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蔵の街・喜多方~其の二 in 福島県喜多方市

2024年11月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

喜多方市一丁目にある、明治末期の蔵を改装して昭和54年に開店した「喫茶くら」。飯豊山の伏流水を使用した炭焼コーヒーの香りが、街歩きで疲れた足に心地よい・・って、変かな?😅

明治末期に建てられた煉瓦造りの店蔵「倉田洋品店」。店蔵としては最古のレンガ蔵で、喜多方産のレンガが使用されています。屋根の傾斜に沿って斜めに見えている白い部分、実はあれ、煉瓦壁に入れられた倉田洋品店の切り文字。最高にユニークな看板だと思いませんか。

明治時代に建てられた味噌蔵で熟成された、「会津マルコシ手作りみそ」が人気の「中の越後屋醤油店」。看板の「味噌・醤油」は分かるのですが「三五八」って・・・・何??で、調べたら三五八漬というお漬物の漬床の名前。塩、米麹、米をそれぞれ容量で3:5:8の割合で使うことに由来するそうです

会津伝統工芸のひとつ「会津型」。その染紙型の伝統と技術を守る活動をされているのが、ここ「染織工房れんが」

で、この日の夜、とある場所で思いがけなく会津型に遭遇。これで浴衣なんか作って粋に着こなせたら素敵でしょうね😊 ちなみに男湯は黒紺地で流水に鯉と桜花。あの柄を着こなせる人って・・いるのかしら?

流石は蔵の街・喜多方。予想を裏切らない観光地のノリの良さが好きです(笑)

株式会社「大喜」さん。蔵風なのか昔からの店蔵なのか不明ですが、目を惹きます。

そのお向かいに建っていた、煉瓦造りの素敵なお屋敷

西町の交差点を渡って真っ直ぐに、喜多方市字南町にある「井上合名金忠・座敷蔵」。江戸~明治期に建てられた店蔵で、向かって左角に「醸造研究所」の看板が掛けられています。

新金忠さんの隣「豆〇」さんで、「味噌ソフトクリーム」なるものを頂きました。甘さの奥の味噌のコク・・私にはちょっと微妙だったかな😅

創業享保2年(1717)の「小原酒造」さん。クラシック音楽を流し醪を発酵させて作るお酒、「蔵粋(くらしっく)」を醸造、販売しています。

とっときの笑顔の福助さんにお出迎えされました😍

蔵の様子も見学させて頂けます。・・おや?、ご亭主の姿が消えたと思ったらいつの間にか荷物を増やしてますよ😅。でも、箱入り娘ならぬ、蔵入り純米酒のお味は、家路につくまでのお預けです。

小原酒造さんに隣接する「旧大森(唐橋)家住宅」。建物は市開催の様々な催しやイベントなどに利用されているようです。

喜多方市梅竹に建つ「喜多方蔵品美術館」。煉瓦蔵をイメージしてつくられており、建物の一部には地元喜多方で焼いた煉瓦が使われており、豪商豪農が大切にしてきた約700点の美術品が展示されています。

喜多方市の紹介・・もう少し続きます

訪問日:2015年6月20日

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若喜商店:レンガ蔵 in 福島県喜多方市

2024年11月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

喜多方市字三丁目、四つ角の一角を占めるのは、江戸時代から続く醤油・味噌醸造元「若喜商店」。初代、若松屋喜祖衛門が宝暦五年(1755)から商売を始め、代々「喜一郎」を襲名して味噌醤油を製造しています。

昭和6年(1931)築、設計は地元出身の『本間嘉平』氏。木造2階建で、屋根はコンクリートスラブ陸屋根。外壁をタイル張りとしたモダニズムの意匠でまとめており、八角の小窓や張出し窓を設ける事で建物に変化を付けています。

店舗の背後に続き、脇道に面して建つ煉瓦造3階建の「道具蔵」は、明治37年(1904)築の煉瓦蔵。喜多方で操業した煉瓦工場で製造された煉瓦を用い、民間で初めて建設されたもので、当地に煉瓦建築を普及させた田中又一の施工と言われます。

煉瓦蔵の東に接続して建つ座敷蔵。木骨煉瓦造、2階建で、東面には2階をバルコニー風に造った玄関ポーチが付属されています。座敷蔵の一階は縞柿(しまがき)という大変珍しい材木で造られており、二階は欅を中心としたで造作。2001年10月12日、店舗、道具蔵と共に登録有形文化財に指定されています。

入口から垣間見せて頂ける座敷の様子

主屋南東に建つ南北棟の木造二階建、切妻造桟瓦葺の建物は「若喜商店醸造場」。東側に立つ煉瓦造煙突が特色ある景観を形成しています。

醸造場南に接する東西棟の土蔵造二階建、切妻造桟瓦葺の「作業蔵」。漆喰仕上鉢巻付で軒まで塗込み、腰を板張としています。醸造場と共に明治31年(1898)~明治45年(1912)の建築とされ、2021年10月14日に登録有形文化財に指定されています。

若喜商店に隣接した、和雑貨と駄菓子の「若喜・昭和館」。店内全部が過去にタイムスリップしたような、とにかく何もかもが懐かしい!!他に言葉を探せません😀

訪問日:2015年6月20日

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蔵の街・喜多方~其の一 in 福島県喜多方市

2024年11月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

市内に4200棟以上の蔵がある喜多方市。早い話、どこを歩いても蔵造りの建物が目に入ってくる・・いわば町全体が蔵の博物館といっても過言ではない・・ああ、まさしく「喜多方は蔵の街」

喜多方市谷地田にある「田原屋菓子店」10円!まんじゅうが有名と言う事で立ち寄ってみました。昭和35年に建てられた店蔵は2003年に改修。こんなに素敵なお店で一個10円!でお饅頭が買えるなんて!!土産話としても最高じゃないですか。食べきれる量をと言う事で・・・大幅に妥協して20個😍

喜多方市字三丁目、通称レトロ通りにある「文具・書籍の松本屋」さん。昭和初期に建てられた店蔵は、特別に用事が無くても立ち寄りたくなる素敵な佇まい。

明治12年創業の「笹屋旅館」さん。古い歴史ある建物をこの地へ移築したと紹介されていましたが、それ以上の仔細は不明。

享保元年(1716)創業の薬種問屋「冠木(かぶき)薬店」。店舗の右手には明治初年築の店蔵等が並び、建築的にも歴史的にも相当の店構えを見せています。

店舗の前には、人々に医療と農耕の術を教えたという「神農氏」。いかにも由緒ある薬局に相応しい像ですが、実際に見たのはこちらのお店が初めて😲

薬局の店頭に行けば必ず出会えた「コロちゃん&ケロちゃん」。コーワ―の風邪薬と言えばこのカエルのキャラクターを思い出します😊

健康と長寿の願いを込めて誕生した像の「サトちゃん」。「佐藤製薬」のキャラクターで、これも薬局には必須。と・・いつの間にか蔵造りの建物から脱線してしまいました😅

喜多方市字二丁目にある「島慶園」。土蔵造2階建、切妻造桟瓦葺で、正面に下屋を付設。白漆喰仕上げで、2階窓まわりを黒漆喰で仕上げた昭和4年築の建物は、2010年9月10日に登録有形文化財に指定されています。

関柴町上高額北町にある、創業百年の「山中煎餅本舗」。一枚一枚手焼きする「たまり煎餅」が一押しと言う事で、店内では 七輪の炭火を使った手焼き体験もできます。

こんな風に瓶に入れて売られていると、ついつい、アレとかコレとか買ってみたくなる・・けど、自粛😓

喜多方市字一丁目にある「合資会社:吉の川酒造店」

その美しい佇まいに惹かれて、門の外からそっと覗き見させて頂きました🙏

まだまだ終わらない蔵の街歩き、明日に続きます。

訪問日:2015年6月20日

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喜多方ラーメン in 福島県喜多方市

2024年11月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

「喜多方ラーメン」とは、福島県喜多方市発祥のご当地ラーメンの名称で・・等と大見得を切れるほど極めた訳では有りませんが😅 福島県の旅を決めた時、食べる事に興味を示さない私が、珍しく「ここでは絶対にあれ!を食べる」と決めていた「あれ!」が、ここ喜多方市のご当地グルメ:喜多方ラーメン。

「札幌ラーメン」「博多ラーメン」と並んで日本三大ラーメンの一つに数えられる「喜多方ラーメン」。ちなみに札幌も博多もノーサンキューな私。喜多方の何が嬉しいって、醤油味の透明なスープが基本で、あっさりした味わいであるという点。特に嬉しかったのは試食コーナーが用意されていた事。食べ物だけは実際に食べて見ないと、食べられるかどうか分かりません😓

まぁ・・・こんな偏食家の私が、「あれを食べたい」等とのたまう事自体が、実は非常にまれな事なのです😊。 試食に満足してお昼は「喜多方ラーメン」と決定。 さて、蔵のまち観光案内所のすぐ近くにある、喜多方ラーメンのミュージアム&コミュニティースペースへ。表の鳥居が目印と紹介されていますが・・本当に鳥居が💦。

「喜多方ラーメン神社」の鳥居額まで架けられて・・・鳥居の先には下げ緒が片側にだけ・・何と秀逸でウィットに富んだ鳥居。見れば見る程、痒い所に手が届くひねりが効いて、こういうセンスの良さは、無条件に観光客(私たち)を喜ばせてくれます😍

中に入ると朱塗りの鳥居、その奥にはきちんと整えられらた祠。

御神体は「どんぶり様」😅 紙垂と一緒に下げられているのはラーメンの麺。壁には「麺結びで 縁結び」の御朱印。

そうして・・・御神体のどんぶり様とは別にこんな素敵なコーナーも。「どんぶりに入って記念撮影」

どんぶり様にも入らせて頂いた事だし、そろそろご亭主殿のお腹の虫も騒ぎ始めたようです。しかも歩く道々にこういうものを見ると、尚更お腹の虫が騒ぐらしいです。

今回選んだお店は「たんぽぽ亭」。帝国ホテル伊勢長や銀座浜作といった日本料理の名店で料理人を務めてきた御主人が、和食の技を生かしたラーメンを作っていらっしゃるとの事。日本料理としてのラーメンを味合わせて頂けるとの評判で、こちらに決めさせて頂きました。

麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、幅は約4mmの太麺。独特の縮れがあり、食感は私好みで柔らかい。具はチャーシューを主として、ねぎ、メンマ、ナルト。ちなみに私が食べる具材はナルトだけ😅 チャーシュー、ねぎ、メンマ、ついでに添え物のキャベツの千切りも無論ご亭主殿行き。

しっかりと満足して、おつゆも残さず完食。私にしてはかなり珍しい事です😊  ところが「喜多方ラーメン食べ比べ」マップなんてものがあるくらい、お店によって味わいが違うので、基本的一杯のラーメンを分け合うのがコツだと聞かされたのは、その後の事

街歩きの途中で教えて頂いた事ですが・・食べ歩きしたいのなら、二人で一人前を注文して半分ずつ食べる。お店の人も心得ているから、お椀も用意してくれますよ。そうすれば最低でも二か所の味を楽しめるでしょう😊・・・って早く言ってよ・・!😭!・・・・・もう、麺の一本、スープの一滴も入りません😭😭。

訪問日:2015年6月20日

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