岩国市役所由宇支所を辞して、町の散策。とは言え、こんな雨の中では広い道しか行けないし、まぁ・・それはそれで致し方ない😓
で、最初に目についたのがこちらの「注連柱」一対。調べた所、大正9年(1920)にハワイに移民する人たちが神の加護を願って出発に際し建立したもの。はるか遠く、未知なる地に踏み出す往時の人々の気持ちはどのようなものであったのか、想像の及ぶところではありません。それでもその思いは・・たとえ想像の域であるとしても、伝わってくるような気がします。
近くに鎮座されていた「蛭子神社」。蛭子の神は別名:恵比寿伸とされ、廻船業に携わる人たちによって祀られてきました。
神社の向かいには「榊八幡宮」の御旅所があり、碑には「御旅所許可」「大正二年二月二十五日 世話人五名」が刻まれています。
この御影石の台石は、御神体をお載せしたお神輿を安置される場所でしょうか?隣の碑もアップで写しておくんだったと後悔😔
由宇駅に向かっていく途中のポケットパークに、時計台と二つの案内を見つけました。
左には「枕崎台風の水位」と記された案内。昭和20年(1945)9月17日、枕崎台風により由宇川などが氾濫。市街地に濁水が流れ込んだ際の水位が赤線で刻まれています。この災害によって、死者・行方不明者42人、1351戸の家屋が流失や、倒壊・床上及び床下浸水などの被害を受けました。
右には「由宇小学校開校の地」。「明治5年(1872)、学制発布によって「邑に不学の戸(こ)なく、家に不学の人なからしめん」の精神に基づき、旧岩国藩士:豊川鉄太郎の屋敷を由宇村が買い上げ、翌年3月に玖珂郡第5番小学が開校。児童数260名(うち男子178名、女子82名)の学校「由宇小学」を作りました。」豊川家は、元は臼杵屋という屋号の廻船問屋だったが、江戸中期頃に岩国領の士分となり由宇開作の築立てを行い、幕長戦争では由宇組民兵の司令を務めた人物です。
国道188号線沿いにある「潮風公園 みなとオアシスゆう」。この建物が何だったのか、まったくもって不明💦 多分お食事などが出来るレストハウスではないかと思っていたのですが・・詳細は謎のまま。
雨の中でしたが折角なので砂浜を見る為と称して三分ほど車外へ。
HPによれば「全長450mの砂浜。サメよけネットの設置もしていますので、安心して海水浴が楽しめます」・・・え~~~っと、つまり「サメよけネット」が必要なんですね😱
訪問日:2015年11月17日
年明け8日から七か月間に渡って紹介した2012年・2013年・2015年・2017年の山口県への車泊旅は、今日の岩国市旧由宇町で終了。明日からはマンホール繋がりで知り合った素敵な友人が住む「2015年 初夏の福島県:車泊旅」。さて、何が飛び出すか😊。よろしければお付き合いくださると嬉しいです。