車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

由宇町~あちこちウォッチ in 山口県旧由宇町(岩国市)

2024年08月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

岩国市役所由宇支所を辞して、町の散策。とは言え、こんな雨の中では広い道しか行けないし、まぁ・・それはそれで致し方ない😓
で、最初に目についたのがこちらの「注連柱」一対。調べた所、大正9年(1920)にハワイに移民する人たちが神の加護を願って出発に際し建立したもの。はるか遠く、未知なる地に踏み出す往時の人々の気持ちはどのようなものであったのか、想像の及ぶところではありません。それでもその思いは・・たとえ想像の域であるとしても、伝わってくるような気がします。

近くに鎮座されていた「蛭子神社」。蛭子の神は別名:恵比寿伸とされ、廻船業に携わる人たちによって祀られてきました。

神社の向かいには「榊八幡宮」の御旅所があり、碑には「御旅所許可」「大正二年二月二十五日 世話人五名」が刻まれています。

この御影石の台石は、御神体をお載せしたお神輿を安置される場所でしょうか?隣の碑もアップで写しておくんだったと後悔😔

由宇駅に向かっていく途中のポケットパークに、時計台と二つの案内を見つけました。

左には「枕崎台風の水位」と記された案内。昭和20年(1945)9月17日、枕崎台風により由宇川などが氾濫。市街地に濁水が流れ込んだ際の水位が赤線で刻まれています。この災害によって、死者・行方不明者42人、1351戸の家屋が流失や、倒壊・床上及び床下浸水などの被害を受けました。

右には「由宇小学校開校の地」「明治5年(1872)、学制発布によって「邑に不学の戸(こ)なく、家に不学の人なからしめん」の精神に基づき、旧岩国藩士:豊川鉄太郎の屋敷を由宇村が買い上げ、翌年3月に玖珂郡第5番小学が開校。児童数260名(うち男子178名、女子82名)の学校「由宇小学」を作りました。」豊川家は、元は臼杵屋という屋号の廻船問屋だったが、江戸中期頃に岩国領の士分となり由宇開作の築立てを行い、幕長戦争では由宇組民兵の司令を務めた人物です。

国道188号線沿いにある「潮風公園 みなとオアシスゆう」。この建物が何だったのか、まったくもって不明💦 多分お食事などが出来るレストハウスではないかと思っていたのですが・・詳細は謎のまま。

雨の中でしたが折角なので砂浜を見る為と称して三分ほど車外へ。

HPによれば「全長450mの砂浜。サメよけネットの設置もしていますので、安心して海水浴が楽しめます」・・・え~~~っと、つまり「サメよけネット」必要なんですね😱

訪問日:2015年11月17日

年明け8日から七か月間に渡って紹介した2012年・2013年・2015年・2017年の山口県への車泊旅は、今日の岩国市旧由宇町で終了。明日からはマンホール繋がりで知り合った素敵な友人が住む「2015年 初夏の福島県:車泊旅」。さて、何が飛び出すか😊。よろしければお付き合いくださると嬉しいです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩屋観音窟(いわやかんのんくつ) in 山口県岩国市美川

2024年08月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

岩国市美川町根笠、目を見張るほどの紅葉に出迎えられて訪ねたのは「岩屋観音窟(いわやかんのんくつ)」

錦川流域に広く分布する約1億5000万年前に堆積した地層の小さな石灰岩体にできた「石灰洞」。洞内には「木造の観音像に鍾乳石の水滴が滴下し、木仏が石仏と化した珍しい仏像が安置されている」との事。行けるものなら是非とも拝観したいという私の強い要望、言い出しっぺなので、多少の道のりも何のその😅。

道の途次で出迎えてくれる地蔵菩薩様に手を合わせ🙏

唐突に季節が変わったのかと錯覚しそうな紅葉。清らかな錦川の流れ、奥に僅かに見える赤い欄干橋は何処に続いているのでしょうか?。

片道20分強・・鬱蒼としげる木立の奥にお堂らしき影が見えてきました。

岩国市美川町根笠に門を構える曹洞宗寺院「護聖寺(ごしょうじ)」。『釈迦牟尼佛』を本尊とします。平安時代、この地を訪れた弘法大師は、観音像を刻んで鍾乳洞の中に安置されました。それから1000年以上の間、天井から落ちる水滴をうけ石仏となられた木造・観音像。この事を聞いた長州藩第3代藩主・毛利綱広は、 山代代官・佐伯長右衛門に命じ、岩屋観音窟の観音像を護持する為に護聖寺を建立、毛利家祈願所としました。 

三面四腎の御仏像、残念ながらお名前は存じ上げません。

お目当ての観音様は右手の石段を約10mほど上った所にある「石灰洞」の内に祀られています。

石灰洞洞窟は北東から南西方向の割れ目に沿ってできており、その手前には厚く信仰の対象とされてきた石仏像が座しておられます。

見上げた「石灰洞」、僅かに差し込む光は、まるで御仏の慈悲のように朧に美しく・・・私たちは言葉もなく手を合わせ、それぞれがそれぞれの思いを胸の内に念じます🙏🙏

弘法大師が楠の古木に彫ったと伝えられる観音像。千年・・したたり落ちる鍾乳石に覆われて石仏と化された岩屋観音。観音窟とその周囲1,034平方メートルは、昭和9年(1934)に国の天然記念物に指定されました。

参道近くで存在感を示すのは、1990年に完成した直径約12mの「観音水車でかまるくん」。完成当時は日本一の大きさでしたが、現在は10̪指に入る大きさで、地元では単に「美川の大水車」と呼ばれています。

巨大水車の動力で「蕎麦粉」をひき、その蕎麦粉を使って打つお蕎麦。観光客よりも地元の方に人気だと、出会った方から教えて頂きました。

でも流石に午前九時を過ぎたばかりでは、茶店は開いておりません。蕎麦好きのご亭主殿、残念でしたね😅

参拝日:2012年11月12日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 山口県旧美川町(岩国市)

2024年08月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

旧玖珂郡美川町(みかわちょう)は山口県の東部に位置した町です。岩国市、錦町、美和町、本郷村、周東町に隣接。町内を南北に水量豊富な錦川が流れ、川に沿って集落が点在しています。現在はすべて閉山となったものの、江戸時代から銀・スズ・銅・タングステンなどの鉱山で栄えてきました。1993年の閉山後、坑道の一部は1996年より第三セクター運営のテーマパーク「地底王国美川ムーバレー」となり、地底に続く約1kmが一般公開されています。「町の花:カワツツジ」を制定。

謎の「地底農園」😲

パンフレット内の地底王国入口

明治22年(1889)、町村制の施行により玖珂郡河山村・桑根村が発足。

1955年、河山村・桑根村が合併、玖珂郡美川村が発足。

1959年、美川村が町制を施行、玖珂郡美川町となる。

2006年、旧岩国市・玖珂町・本郷村・周東町・錦町・由宇町・美和町と合併、岩国市美川町となりました。

一般的なマンホールは見つけられませんでしたが、「観音水車デカ丸くん」「町の花:カワツツジ」「鮎とかじか蛙」がデザインされたカラー消火栓がありました。

「でか丸くん」

「錦川」と「町の花:カワツツジ」がデザインされたカラー仕切弁。

昭和40年(1965)6月制定の町章は「「美川」を組み合わせて意匠化したもの」。

撮影日:2012年11月12日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅原神社 in 山口県岩国市玖珂町

2024年07月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

岩国市玖珂町、旧山陽道沿いに鎮座される「菅原神社」。御祭神は『菅原道真・柿本人麻呂』合祀『伊弉諾尊・素盞嗚尊・事代主命・大己貴命・少彦名命・大歳神・手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)・田心比売命・市杵島比売命・湍津比売命』

江戸期「大庄屋:岡氏」が屋敷内に奉斎していたものを、明治時代に玖珂総鎮守の 「岩隈八幡宮・御旅所」である現地に遷座。

拝殿前参道より神域を守護されるのは、広島構えの狛犬さん一対。「明治三十六年(1903)」「尾道市 石工:大村(喜兵衛)」の刻。

拝殿前右手に神牛。「昭和七年(1932)五月吉日」「玖珂町、高森町」「尾道市 彫刻 大村喜兵衛」の刻。

岩国市指定文化財「菅原神社のモミの木」。拝殿に向かって右の木は、目通りの幹回り2.9m、樹高27.94m。左の木は、目通りの幹回り3.2m、樹高27.94m。

偶然お見掛けし、雨中の参拝。摂社・末社には参拝できず、中途半端な参拝となりましたが、尾道構えの良い狛犬さんに出会えて、ご亭主殿はご機嫌です。

参拝日:2015年11月18日

------------------------00----------------------

御神名一口メモ

「手置帆負命(たおきほおいのみこと)」「彦狭知命(ひこさしりのみこと)」、天照大神の岩戸隠れの折、共に天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営した。工匠の守護神。手置帆負命は讃岐忌部氏の祖。彦狭知命は紀伊国の忌部氏の祖神。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩国市内~あちこちウォッチ in 山口県岩国市

2024年07月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

城下町岩国のラストは、市内に残る文化財の建築物をまとめて紹介。(ブログ内の色文字文化遺産オンライン」より引用)。2013年の歩きの立ち寄りは本町筋界隈。生憎の雨ですが、それだけに誰にも邪魔されず城下町の風情をほんの気持ちだけ味わえました。

唐破風屋根の看板は「うまもん」。こちらの別館でとびっきり美味しい上物のお漬物を購入。次に来るときも絶対にって思っていたのに・・私たちの旅に「次も絶対」くらい当てにならない言葉はありません😔

訪問日:2013年4月20日

------------------------00----------------------

「椎尾八幡宮」を後に立ち寄ったのは、岩国市岩国にある市指定文化財「旧岩国学校」。現在は「教育資料館」として活用されています。

岩国藩は明治になり学制の大改革を挙行。条例を制定して、小中学校語学所を設立。教育施設拡充のため、明治3年(1870)に新たに岩国学校を建設。

「木造二階建、2年後に付け足した塔屋付で、屋根は入母屋造り桟瓦葺きの建物で、上層を教員詰所、下層を教室とした2階建。アーチ窓、よろい戸付、しっくい大壁塗りの和洋混淆 の手法は、明治初年の学校建築の中においては特異な建物であったと云う。その後各所の改造などもあったが、昭和46年(1971)に解体修理を行い旧態に復した。」

岩国学校から細い路地を抜けてしばらく行くと武家屋敷を思わせる門構えが見えてきました。

回り込んだ先に「岩国練武場」の門。

「陸軍元帥長谷川好道の邸宅跡に西面して建つ。寄棟造桟瓦葺、桁行24m・梁間10m、妻入で正面中央に唐破風造の玄関を付す。外部は下見板張とし、内部は演技場の東面に師範台、南面に観覧席と支度室を下屋で設ける。地域に根ざした剣道場の一例」として、2012年8月13日、国登録有形文化財に指定されました。

敷地内の一画に建立された「長谷川元帥誕生地」

同じく敷地内に「中村新七先生胸像。ざっと検索してみましたが、どのような来歴の方なのか不明。

そのまま進んで「旧岩国税務署」、現在は「藤本酒造株式会社」の建物になっているようです。

「木造2階建、モルタル塗の庁舎建築。正面中央に玄関を置き、左右の端部を薄く張り出して切妻をみせるルネサンス様式的な建築構成。設計は税務監督局技手田中俊郎と伝える。2000年2月15日、国登録有形文化財に指定。」

いわゆる「美しい疑洋風建築」ではありませんが、所々に見えるモダンさが気持ちをくすぐります。

ラストは、岩国市錦見。岩徳線「JR西岩国駅駅舎」。おや、車体後部に大きなボイラーを積んだあの車は・・・

岩国城ロープウェイ山麓駅に展示されていた木炭車。こちらはまた渋い色合いで、駅舎のオレンジ屋根に良く似合ってます。

懐かしい匂いの改札口、この風景は常に私の中にある郷愁を誘います。

ホームの階段を上がり、跨線橋(こせんきょう)を渡って向かいのホームへ。まるでウン十年前の私の姿が見えるような、そんな甘酸っぱく切ない光景。

「岩徳線開業時に岩国駅として建設。木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺で玄関上部に切妻壁を飾る。外壁はモルタル塗とし、半円アーチ意匠の上下窓を整然と配す。玄関ポーチは3連の弓形アーチと高欄意匠のパラペットで飾る。」西岩国駅舎、上屋付プラットホームは、2006年8月3日、国登録有形文化財に指定されました。

訪問日:2015年11月19日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩国護国神社 in 山口県岩国市今津町

2024年07月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

岩国市今津町に鎮座される「岩国市民の守り神 岩国護国神社」。御祭神は『維新前後の戦役から先の大戦で殉じられた岩国出身の御英霊三千三十一柱』

由緒「当神社は旧岩国藩主吉川経幹公が維新前後の戦役に斃れられたる二十二名の御霊をお慰めする為明治元年秋関所山に社殿を造営毎年祭典が擧行されたのに起源する。当初は関所山に鎮座され「関所山招魂場」と称した。昭和14年(1939)「岩国護国神社」と改称。戦後GHQの占領統治下に置かれ、社号から護国の文字を外すことを余儀なくされ「岩国神社」と改称。昭和27年(1952)4月28日発効のサンフランシスコ講和条約で日本の主権が回復、岩国護国神社に復称。」

人気のない境内、隣接する白崎八幡宮の華やかさかも、ここには届かないのか、ただ張り詰めたような静謐な空気が流れているだけです。

拝殿前に明治天皇御製【世と共に 語りつたへよ国の為 命をすてし人のいさをを】 

「忠霊塔」昭和14年11月建立

「慰霊碑」同期の友よ 安らかに眠られんことを!
一九九一年六月一日建立
     海軍乙種飛行予科練習生(特)二期会

【くにのため 若きは征きて 帰らねど 銃後の誓い いま何とせむ】
昭和47年11月吉日 岩國護国神社 建立

「拓魂碑」昭和四十五年三月 吉辰

御神馬

「記念植樹 海軍特飛2期会」

境内から見る岩国市内。尊き命の贖いによって得られた平和な日本に生きる私たち・・ただ、ただ、感謝を込めて御霊の安らかならんことを🙏🙏

参拝日:2015年11月19日

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白崎八幡宮 in 山口県岩国市今津町

2024年07月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

岩国市今津町に鎮座される「融通の神:白崎八幡宮」。御祭神は『應神天皇・仲哀天皇・神功皇后』配祀『武内宿禰命・埴安姫命・事代主命・素盞嗚尊・菅原道真公・五男神(いつはしらのひこがみ)・大山祗神・金山彦命・少童神(わたつみのかみ)』

由緒「鎌倉中期建長二年(1250)時の領主、清縄左衛門尉源良兼が、遠石八幡宮の御神霊が白鷺と化して室木に垂跡することを知り、氏族の繁栄と領内安民守護の神として、今津琵琶首に創建奉斎したのが始まり。」公式HPより

2015年に初参拝。2017年はj🐣さん希望で二度目の参拝。

明るく開放的な境内、参拝者を出迎えてくれるのは朱の鳥居と朱の欄干。その奥、石段正面に座す社殿。この赤い欄干が無ければ見慣れた拝殿のお姿なのですが、人の視覚というのは得てして不思議な感覚を生み出し、後の記憶の中では「赤い社殿」にすり変えられていました😅。

拝殿奥に架けられた、全国で唯一の「イガムロの木の注連木」。側の案内に「自然の力により出来た注連木は大神様の御神徳が宿ると云われています。」 「イガムロ」は広島県の方言で「ネズ」の事。確かに注連木が奉納されている社殿は、中国地方では初見だと思います。

坂道の参道左右より神域を守護されるのは二対の狛犬さん。大坂型に近い「蔓延元年(1860)」奉納の狛犬さん一対。吽形さんには立派な角が。

「尾道石工・大村喜兵衛」刻、尾道玉乗り狛犬さん一対。大きな玉の割に、前足が妙にか細い。阿形さん、満面の笑み😆

境内入り口より神域を守護されるのは「明治三十三年(1900)」刻の狛犬さん一対。萩型っぽいイメージですがどうでしょうか。おや・・・阿形さん・・・!!立派な男子だったのね😲

狛犬さんの紹介が終わった所で、再び境内に。境内には沢山の摂末舎が鎮座されています。画像左「白崎鎮守社」。御祭神は「創建者:清縄左衛尉源良兼、弘中兼胤、歴代の武将・太宮司の御神霊」。画像右「白蛇社」。御祭神は『白蛇大神』

金銀融通・財運隆昌の「白蛇大神」、こんなイメージかな?(本殿の後ろには他の干支十二支も並んでいます)

画像左「粟嶌神社」。御祭神は『素盞鳴命・少彦名命・大己貴命』。 画像右「猿田彦神社」。御祭神は『猿田彦大神』

画像左「住吉神社」。御祭神は『住吉三神』。 画像右「劔神社」。御祭神は『武甕槌大神』

画像左「稲荷神社」。御祭神は『宇迦之御魂大神』。 画像右「銭亀かえる」。御祭神は『銭亀かえる大明神』

左より「三宝荒神社・恵比須神社・弁天神社・亀石神社」

手水舎

近くに奉納された新しい手水鉢。鉢には米俵に集まるネズミ。吐水の場所にはネズミの天敵「ヘビ」が描かれた自然石。う~~ん、干支と思えば問題ないのだけどシュールだわ😅

向井一路:句碑一杓の釜湯かしこし 寒牡丹 一路】

最後に・・神社庁の傘下から外れた所為で「白崎八幡宮」には神様がいない・・・という噂を聞きました💦  何でそんな話になるんでしょう?。日本古来の神様は、人が作り上げた決まりや規則によって、居たり居なくなったりしません。神とは人の敬いによって存在する大いなる力。神様のいない社・祠とは、誰もがその存在を忘れ果て朽ち果てた時に、はじめて何もない「モノ」になるのだと私は思っています。どれほど派手で有ろうと、商魂たくましかろうと、日々、神への祝詞を上げ、神を敬う参拝者が訪れる限り、神はそこにおわし給うのではないでしょうか。🙏  

参拝日:2015年11月19日&2017年11月27日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椎尾(しいのお)八幡宮 in 山口県岩国市岩国

2024年07月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

岩国市岩国、岩国山の山麓に鎮座される「椎尾(しいのお)八幡宮」。御祭神は『誉田別命(応神天皇)・足仲彦命(仲哀天皇)・息長帯比売命(神功皇后)』。相殿神に『猿田彦神』を祀ります。

「寛永3年(1626)、岩国領2代領主・吉川広正が吉川家歴代の守護神である駿河八幡宮の御分霊を郷内由宇村に奉斎し、同時に岩国山東北(和木町)の猿田彦神の祠を合祀し、号を椎尾八幡宮と称した。以降、吉川歴代領主から厚く崇敬され、さらに岩国藩の鎮護社、当町郷人の産土神として広く崇敬された。」現地由緒より

一の鳥居左右より神域を守護されるのは、昭和三十三年(1955) 尾道新地 大村石材店」建立の狛犬さん一対。新しい時代の奉納ですが、巷にあふれる某国岡崎風機械彫りの狛犬さんでない事が、狛犬ファンには何よりも嬉しい

溜息の出そうな200段近い石段・・・流石に無理と潔く諦めて社殿横に設けられた駐車場へ。こうした配慮は・・正直有難いです🙏

〆鳥居の内左右より神域を守護されるのは寛政9年(1797)丁巳建立の狛犬さん一対。狛犬さんの脚を撫でると足が軽くなるそう、早速、心を込めて「ナデナデ」😊

え~~~っと・・・頭のそれは、やっぱり鉢巻なんでしょうか?でもって紅白で、睨み合って・・「笑うと負けるアレですか??」😲(多分違う)

拝殿前より、いかつい顔つきで参拝者を見守るのは、2003年奉納の「烏天狗」。確かに「猿田彦神」は赤い大天狗の姿で現わされる事が多く、その意味ではカラス天狗が護衛というのは納得(笑)

境内に鎮座される沢山の摂社群「金刀比羅社・惠比寿社」「嚴島社・春日社・祇園社」「天神社」「伊勢宮・荒神社」「和霊社・柿本社・粟島社」

「金刀比羅社・惠比寿社」の社殿縁側より神域を守護される、木製の神殿狛犬さん一対。阿形さんの隣りには恵比寿様もおいでです😊

境内入り口近くに奉納されていた「子宝 安産いぬ」

近くに明治天皇の御製二首【わが国は 神のすゑなり神奉る 昔のてぶり忘るなよゆめ / わが心 及ばぬ国のはてまでも よるひる神はまもりますらむ】と書かれた駒札が有ったので、てっきりこの碑の事かと思っていましたが違っていました😔 結局!解読出来なかった「歌碑」

「右近橘」。もしかして「左近桜」も・・あったの???・・・画像にないという事は気が付かなかったのか、それとも無かったのか。

駐車場から一般道に下りる道。御亭主殿の運転が無ければ、見上げただけで参拝を挫折していたかも・・・いや、多分、絶対、間違いなく無理😓

参拝日:2015年11月19日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉香公園~碑・像めぐり in 山口県岩国市

2024年07月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

吉香公園・錦帯橋周辺には、実の沢山の顕著碑や文学碑、銅像などが建立されています。実は秘かに「碑&像」ファンの私、今回も実に沢山の「碑&像」を画像に残していました😊 トップは錦帯橋の袂に建立された「皇太子殿下(昭和天皇)行啓記念碑」大正丙寅三月で始まる碑文には、この行啓が岩国城下始まって以来の名誉である旨を「嗚呼巖邑開基三百有餘年斯橋竣成亦二百五十餘年而始印 玉趾」と刻んでいます。

続いて「吉川廣嘉公像」。岩国領3代目領主で、延宝元年(1673)に錦川に錦帯橋を築造した人物です。

「錦帯橋記」碑。弘化2年(1845)、岩国藩士で儒学者「玉乃九華」が撰した文を、明治8年に「桂洲伊藤信平」が篆額・碑文を書き下したもの。

吉川家の祖霊が祀られる「吉香神社」の境内、緑の一画に「田中穂積」氏の胸像と楽譜・歌詞碑。
「安政2年(1855)に吉川藩士:田中判右衛門の次男として誕生。明治6年、志願して海兵隊に入隊し軍楽隊に配属され、明治23年に海軍軍楽師に任命。明治28年、大本営付きとなり、明治天皇の側近として奉仕。明治35年、私立佐世保女学校で音楽を教授し、教材として代表作「美しき天然」を作曲。明治37年、長崎県佐世保市にて心臓麻痺で死去、享年49歳。」碑文より

碑面には一番の歌詞後半が楽譜と共に刻まれています。【聞けや人々面白き この天然の音楽を  調べ自在に弾きたもう  神の御手(おんて)の尊しや】。美しい言葉にピッタリの美しい曲・・・いわゆる文部省唱歌が大好きだった母の影響で、歌詞さえあれば今でも多分歌えます😊

「国木田独歩記念碑」【 岩國の時代を回顧すれば  恍として更らに 夢の心地す  獨歩  】

【 虫に忘れられて 立ちいるひとり 】高橋金窓

岩国ロープウェイ山麓駅の後方に建立された「致遠有坂先生之碑顕彰碑」『有坂長為』は、周防岩国領主:吉川家につかえていた江戸時代後期の砲術家。家伝の砲術に満足せず、長崎で「高島秋帆(しゅうはん)」に高島流砲術を学び、中四国随一の砲術指導者となった人物です。

で、どんなに探しても該当する答えに辿り着けなかったのが、頌徳碑と思われる碑。「致遠有坂先生之碑顕彰碑」と同じ場所に建立されているにも拘わらずそれらしき紹介が無い😔💦

岩国美術館前に建立された銅像は「日本のエジソン」と呼ばれた「藤岡市助博士」像。若き日の彼とエジソンとの交流は、その記録を読むだけで胸が熱くなる内容ですが流石に長くなるので・・東芝の創業者の一人で、白熱電球の製造や電気の普及に貢献した人物です。

白山比咩神社境内の一画に建立されていた、『藤岡市助先生』の立志の碑。「至善:僕は人に役立つことをしたい」と刻まれています。

錦帯橋に向かう途次の「錦帯橋いざない街道」と名付けられた道路沿いに、1997年に錦川鵜飼復活50周年を記念し、岩国鵜飼振興に尽力した玉田空空子と村井一露が詠んだ俳句碑が建立。

【 鵜飼いの宿と いう高張りの 城下町 】玉田空空子
【 荒鵜鳴き 夕月すでに 仰がるる 】村井一露

画像左は、昭和57年の歌会始「橋」のお題で古沢正士氏の詠んだ歌。【 錦帯橋  映ゆ水面(みのも)の かかり火に ほうほうと鵜を 励ます聞こゆ 】
画像右は「岩国鵜飼音頭(作詞・村井一露、作曲・吉田矢健治)

錦川を見渡すように立つ銅像は、岩国市出身の政治家「重宗雄三(しげむね ゆうぞう)」氏。岸信介・佐藤栄作とともに長州の御三家と言われた人物だそうです。岸信介撰の碑文において、山陽新幹線新岩国駅の設置、岩国港の重要港湾指定、国鉄岩日線開通、錦帯橋復旧等々、地元への貢献が記されています。

「久能寅夫先生」胸像。岩国市出身で、舞鶴海軍火薬廠製造部長、東洋曹達徳山工場長などを歴任し、昭和26年に岩国市長、岩国商工会議所会頭等を勤めた人物です。

撮影日:2015年11月19日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉香公園~其の三 in 山口県岩国市

2024年07月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

錦帯橋の公園側橋詰に、岩国武士の負けず嫌いを表徴する有名な「槍倒(こか)し松」。参勤交代の際に他藩の城下を通る時は、高く掲げた槍を倒すのが礼儀でしたが、大藩が小藩の城下を通る時は、儀礼を守らず槍を立てたまま通過したとか。藩として幕府から認められなかった岩国領六万石の武士達はこれを見て憤慨し、そこでかなり成長した横枝の張った松の木をわざと橋の頭に植え、大藩といえどもどうしても槍を倒さなければ通ることができないようにしたのです。痛快な武士の意地に思わず拍手👏👏

松が武士の意地なら、この桜にはどんな言葉が似合うでしょう?。石段の真ん中から、空に向かって枝を広げる桜の木。幼稚園の卒園式で園児が歌う「こ~んなに大きくな~りました♪」という一節を思わず口ずさんでしまった😅 ちなみにこの桜「岩国市桜開花標準樹」なんだそうです。

吉香公園入り口付近には、お土産を扱う店や軽く食事ができるお店が沢山あるのですが、何といっても私たちの目をひき、足を止めさせたのは「日本一 ソフトクリーム100種類:むさし」さん。 「ナニコレ珍八景」で紹介されたとか👍。

超偏食の私でもソフトクリーム位なら食べられる筈、話のネタに・・とは言え、それほど奇抜なものは食べられませんが「夏ミカン」「ベルギーチョコ」。感想は・・まぁ普通にソフトクリームでした😅

「吉香公園のお堀」。緑を写す水辺の景色は、おおかたにして美しいものです。たとえカメラを向けるのが私のようなド素人でも、それなりに(笑)

お堀でくつろぐカモ達

ふと見上げた山の上の建物は「岩国城ロープウェイ山頂駅」。へぇ~~、こんなにはっきり見える位の距離なんだと再認識。

吉香公園の北端に作庭された池泉式の日本庭園。この画像の左端の三角形の岩。これが芭蕉さんの句碑と判明したのは帰宅後の事・・・【 名月や 池をめくりて よもすから 】😭

水が流れていればもっと風情があるのだけど・・、それとも単に岩の造形?。と、つまらぬところで無知をさらす私😔

公園内を歩いていた時に偶然見つけた「岩国高校記念館」。なのに屋根と背面しか写していません。改めて見返して「何故ここだけ??」😱しかもこれ一枚っきり。

宇野千代さんの言葉「幸福のかけらは幾つでもある ただそれを見つけ出すことが 上手な人と下手な人がいる」

「吉香公園」では無いのですが、錦帯橋を渡った先の某場所にあった宇野千代さんの言葉「希望というものは どんなに小さなものであっても やはり希望である。」

錦帯橋周辺の街灯は、何ともステキな「錦帯橋」

吉香公園の一画で出会ったのは、与えられた生を、けなげに生きていく小さな命たち。手を差し伸べる事が出来ない以上、無事に天寿を全うできるようにと祈る事しかできません🙏

訪問日:2013年4月20日&2015年11月19日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする