それはもう全くの偶然、マンホール撮影のために、その地域の大きな建物を写しておこうと思って立ち寄っただけだったのに、こんな幸運に遭遇するなんて!!
と、いきなりの御柱の画像ですが、「中央本線:辰野駅」の玄関口に「歓迎 いっしょに伊那の御柱」の看板を見た時は、そうか御柱があるんだね。で、いつ?? 四月二十三日~二十四日・・・なんだ昨日までじゃん。朝方参拝した法性神社もやっぱり昨日が御柱祭だったんだよね・・😔
御柱って七年に一回。私たちの車泊旅の予定なんて何か月も前から出来上がっていて、お天気と体調に合わせての日程だから、祭り目当てでない限り、そうそう上手くいく筈は無い・・と、落胆しつつお弁当購入で立ち寄ったスーパーで遭遇した方達・・えっ!!25日なのにお祭り衣装!!
で、あつかましくもお声をかけさせて頂き、駅からさほど遠くない「三輪神社」では25日が建御柱祭で、既に一の御柱が立てられているとの事。今は二の御柱の筈。焦る気持ちを抑えて駅まで戻り、駐車場に車を入れて、取るものもとり合えず走る事数分。祭り幡が!鳥居が!男衆が!!
宮の四方に柱を立てる「建御柱」。Wikipediaによれば「冠落しが施された御柱(御柱の頭を三角錐に切り落とす)にワイヤを巻きつけ、車地という道具を使って巻きあげて御柱を建てていく。建御柱の際には御柱に多数の男たちが乗り、にぎやかに盛り上げる。御柱が建つと氏子によって穴埋めの儀が行われる。」
境内に走りこんだ私たちの目の前に最初に飛び込んできたこの光景!まさに言葉を無くすほどに圧倒的な凄さで・・・実際に形容すべき言葉が見つけられません。
少しずつ、少しずつ・・でも確実に御柱は角度を無くして天に向かって伸びていきます。ぎりぎりと動くたびに揺れる御幣。その場にいる誰もが、まさに手に汗握るという言葉がぴったりの面持ちでその様を見上げています。
拝殿の屋根よりも高く、境内の木々を圧倒して天を衝く御柱。
御柱の若衆たちにこぶしを振り上げて応える氏子の方々。熱気の渦の中で同じようにこぶしを振り上げる私。体中が熱に浮かされたように熱くほてり、知らず知らずに涙が・・
じりじりと、数センチ刻みで角度を増していく御柱
そうして・・・真っ直ぐに天を貫く「二の御柱」
柱の下では、「御柱穴埋めの儀」が始まっています。
その上では、御柱の男衆によって、手元の籠から菓子などの御ひねりが投げられます。「大人も拾って構わんよ」と言われて、一生の記念になるかもと厚かましくも輪の中に。
上手く拾えない私に、小さな男の子が「あげるよ」と言って手渡してくれた小さなフウセンガムの箱。色々とお話を聞かせてくれた杣(そま)衆のお一人方が、「縁起物だからね」と言って手渡してくれたお捻りには「稲銭」が。記念写真に応じて下さった杣衆の方が持たせてくれた金の御幣。あれから六年以上の歳月が流れてしまいましたが、写真を見返すたびに記憶は鮮やかに蘇り、今もなお目頭が熱くなります。
やがて御柱に色鮮やかな「くす玉」が届きました。
「平成二十八年 丙申」「感動をありがとう」「祝 御大祭 氏子の皆様に感謝」
役目を終えた若衆たちは、御柱に繋がれた綱を伝って下界に下りてきます。
綱を引く方々
ひたすらカメラを向ける御亭主殿。
見事に立ち上がった御柱を見上げる若衆たちの背中には、晴れがましさと安堵が・・・
拝殿奥の本殿近く、三の御柱の上で気勢を上げる氏子の方々。
御柱は少しずつ高さを増し、やがて氏子の方々が飛び降りた後、真っ直ぐに天を衝いて立ち上がります。
穴に土がかけられ「三の御柱」の標識と共に穴埋めの儀が行なわれ、注連縄に垂らした紙垂が巻かれます。
境内の一画で出番を待つ「四の御柱」
氏子・若衆の方々の祝福を受けて
穴埋めの儀の準備に臨む氏子の方々
そうして無事に御建柱の儀が終わります。
御柱の曳行で使われたと思われる長持ち
御柱に建てられた四本の幣が納められた拝殿。礼服に身を包んだ方々が揃って出てこられました。多分神主による神事が終わったのでしょう。
拝殿前に置かれた菰樽も晴れがましそうです。緊張の中で繰り広げられた祭り絵巻の後は、多分、恒例の酒宴😊 社務所の方からは賑やかな笑い声が聞こえてきます。
思いがけない幸せな時間を頂き、本当に有難うございました。次の御柱にも来れたらいいねと言いながら、結局果たせない状況になってしまいましたが、私たちの中でこの日の思い出は決して色褪せることはありません。
訪問日:2016年4月25日