車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

神護山:相持院(そうじいん) in 愛知県常滑市千代丘 

2016年08月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

常滑市千代丘に境内を構える曹洞宗寺院「神護山(じんごさん):相持院(そうじいん)」『延命地蔵大菩薩』を本尊とします。知多四国霊場六十五番札所。「見守り地蔵尊」に迎えられての参拝です。

桜の名所として知られる境内ですが、九月のこの季節に唐破風の山門を彩るのは紅葉にはまだ早い青葉の緑。

「草創は不詳、南北朝の頃と思われる。 伊勢神宮の神宮寺である世義寺(せぎじ)の所領が、当地・世儀であった事から伊勢神宮の内宮・外宮の祭神を祭る神宮社(常滑市栄町)に付属して明治初年まで存続した。 当初は真言宗醍醐寺三宝院に属していたが、戦国期・永禄3年(1560年)に曹洞宗・天沢院(常滑市山方)の末寺となった。 明治初年、神明社と分離した後、隣寺・宝全寺(64番)と合併し跡地は学校として使われた。 明治35年、宝全寺から独立、三度の境内地の変還を経て、昭和23年(1948年)以降、現在地に移転する。 以降、本堂・鐘楼・山門等を整備した。 就中、鐘楼は北叡山の鐘楼をモデルに建立した。 梵鐘は、今なお知多半島随一の大きさである(1.99t)。」常滑観光ナビより

本堂への石段中ほどより聖域を守護されるのは、綺麗にカールした鼻ひげを蓄えた貫禄十分の陶彫狛犬さん一対。石とは全く異なる表情は焼き物ならでは。

何とも言えない味わいのあるお顔にご亭主殿大満足。褒められて満更でもない阿形さんも、相好を崩してニコニコ(〃∇〃)

瓦に刻まれた寺紋は「竜胆車」、中央に刻まれた「二」の意味は不明。

観光ナビに紹介された梵鐘は、一突きするごとに延命長寿の御利益が有るとされ、知多地区一の大きさを誇ります。側の賽銭箱に百円を収めれば、だれでも鐘を撞く事ができるそうです。

本堂前に置かれた香炉の上から参拝者を迎える獅子。大きく開いた口から聞こえてくるのは豪快な笑い声・・かな?。

本堂左手には常滑陶彫の一人者である『柴山清風』氏が昭和33年に建立した陶彫「萬国英霊観音像」戦死した息子の霊を慰める為にと、『辻喜代一』によって寄進されました。

納経所の縁にいたとてもきれいな猫さん。思わず見とれる私の目をしっかりと見つめ返してくれました。ああ、とても大切にされているんだな・・お留守番の愛猫を思い出し、柄にもなく里心(^^;)

本堂左手に鎮座される稲荷社

祠の左右にて聖域を守護されるのは、陶彫のお狐様。

祠のより近くより聖域を守護されるのも、同じく陶彫のお狐様。二対とも焼き物ならではの表情で私たちを迎えてくれました。

境内の一画に建立された『辻喜代一』像。多額の寄進により境内の復興整備に尽力。その功を讃える為、昭和38年に寺総代一同の寄進を受け『片岡静観』氏によって製作されました。

御詠歌【 神護る  山に吹く風 清らかに 延命地蔵  います相持院  】

 

参拝日:2011年9月24日

 

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海椙(うすぎ)神社 in 愛知県常滑市大和町

2016年08月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

常滑市大和町に鎮座される「海椙(うすぎ)神社」。御祭神は『建速須佐之男命』

「当神社の始まりは大同元年(806)と伝えられ(神社遷宮史による)その後延喜三年(903)に「祇園の牛頭天王(須佐之男命)を祀らば悪疫収まらん」との御神託が降り、古字池田山の地に新殿を建立。その後は、海の守り神、災害の守り神として住民から深く崇敬され、現在は本殿に建速須佐之男命を、相殿に皇大神宮と蛭子神と高龗神を合祀。社歴も千二百年と古く、また社格も旧「郷社」であり、社名も古くは「海洲鬼神社」と称したが、文政十四年(1831)許可を得て、海椙神社と改称。
 2007年10月8日、常滑多屋土地区画整理事業により森西町の地より現在地に遷座」境内来歴碑より

新旧二基の社号標が立つ参道の先に立つ明神鳥居。その左右より神域を守護されるのは、昭和10年(1935)11月建立のちょっと太目の岡崎現代型狛犬さん一対。

敷石の色もまだ新しい参道を真っ直ぐに進み、千鳥破風が美しい拝殿へ。

旧海椙神社拝殿正面に奉納されていた灯篭

拝殿前左右より神域を守護されるのは、文政7年(1824)甲申9月吉日建立の浪花狛犬さん一対。吽形さんの泣きべそ寸前と言う顔立ちに・・・ツボりました(笑)

人の手によって生み出された狛犬さん、実は見る角度によって全く異なった表情を見せてくれます。

境内社「三楠八幡神社」。社殿は「海椙神社」の旧本殿だった由。玉垣の中、一段高くに鎮座されています。

朱塗りの鳥居は「境内社:稲荷社」

移転前には「蛭子神・蛇毒気神(だどくけのかみ)」が鎮座されていました。聞きなれない「蛇毒気神」ですが、八岐大蛇が神格化したものとも、また胞衣(えな)より誕生した須佐之男命の八番目の女神とも伝えられています。

合殿「多賀社・住吉社・天神社・秋葉社・金比羅社・池鯉鮒社・御鍬社・山神社・山神八幡」九社が合祀されます。

「御祭神御休所 御座石」、御座石のみの画像ですが御休所は玉垣で守られています。

遷座時に使用された「御木曳き台車」・「御用材」の奉納。

還座祭で奉納された手筒花火

多屋区祭礼に退き出される山車が収蔵された「海椙車:山車蔵」。地元の大工を中心とした多屋区民の手によって1年がかりで完成した山車が収められています。

          

参拝日:2011年9月24日

 

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やきもの散歩道~Ⅳ~ in 愛知県常滑市

2016年08月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

坂道のある散歩道を下り、今度は少~~~~し足を延ばして「陶彫(とうちょう)のある商店街」へ。案内してくれるのは小判で出来た招き猫様。でも小判と言うよりも巨大なうろこ・・・(^^;)

小判猫さんの近くで見かけた瀟洒な佇まいの邸宅、陶板タイルの表札には「伊奈」の文字。

大小の陶板とタイルで作られた門に塀・・・この近くには「INAXの企業博物館:INAXライブミュージアム」があります。もしかしたら関係者の方の住まいかも。

ミュージアムにも寄りたいけど商店街も行きたい・・ああ、少しづつ昼間の明るさを失ってゆく初秋の一日が恨めしい。

「あっちこっち寄り道ばっかりしてるからだよ!」

「いや・・お前、それ言っちゃったらダメだろう?」

と・・狛犬さんのフォローを背に「陶彫街」へと繰り出す二人。公式サイトによれば「とこなめ中央商店街の路地に、市内の作家等から無償提供された陶彫約150体が設置され・・以下略」

紹介した画像はほんの一部ですが、有難そうなモノから可愛らしいモノ、不思議なモノ等々・・・実に多彩な陶彫たちに出会える事が出来ます。そうそう、常滑焼 と まねき猫~Ⅱ~ で紹介した「七福にゃんこ様」も、陶彫作品のお仲間なのです。

町中に鎮座される「白龍神社」、御祭神は『白龍大神』

由緒も謂れも不明ですが奉納された幟は色あせてもおらず、神域を守護される神獣さんも、良い表情の常滑焼の狛犬さん一対。大切にお守りされているのが伝わってきます。

町中を流れる「郷川」。ゆらゆらと揺らめく水の面は不思議なほど優しく、柄にもなく郷愁を誘います。

歩みを止める時間が惜しくて、兎に角歩き続ける二人、ふっ・・とお茶の良い香りに誘われて見上げれば、鏝絵の寿と急須の暖簾が目を引く「お茶の寿園 本店:七福弘法茶屋」。

店主らしき方にお声をかけられて店内に足を踏み入れた瞬間、どうして立ち止まったのか・・解ったような気がしました。特定の宗教に属さない私ですが、子供の頃から「弘法大師=おだいっさん」は常に身近な存在として日々の暮らしに溶け込んでいました。柔和な笑みを浮かべる弘法大師座像・・手を合わせ首を垂れるのもすっかりと習い性になっていました。

さらに、店の名前でもある日本最大級の陶彫大七福神のお像も拝見させて頂きました。

「弁財天」と「毘沙門天」

「大黒天」と「布袋尊」

「寿老人」と「福禄寿」

そして七福神の中で特にご贔屓の「恵比寿天」。御存知ですか?七福神の中ではこの恵比寿様だけが唯一の日本の神様なんですよ。何しろ大国主命の御子神ですから(*^^*)

その後も、美味しいお茶の接待を頂きながら、常滑焼の色々、また町歩きの最初に目にした「陶彫七福神」の発起後援人である事など、沢山の興味深いお話を聞かせて頂きました。

一期一会の素晴らしい出会いに感謝です。

輝きを失い始めた空の色に急かされるように、最期のお目当ての「本町大正館」へ。

大正8年(1919)に「中埜銀行常滑支店」として竣工。昭和13年(1938)に伊藤銀行常滑支店、昭和16年から昭和33年まで東海銀行常滑支店として。その後幾つかの変遷を経、2006年に「本町大正館」となり、常滑中央商店街の交流スペースとして活用されています。

町歩きの途次で見つけた陶彫の鍾馗様と屋根の上の鍾馗様

ご亭主殿が一生懸命にカメラで捉えていた鍾馗様ですが、時間の流れは容赦なく、少しずつ・・少しずつその容を曖昧にし・・

もうその表情を読み取る事も出来なくなりました。

そうして沈み始めた夕日は、最後の力を振り絞るかのように水の面をオレンジ色に染め上げていきます。

立ち寄りたかった「INAXライブミュージアム」には、もはや夕日の恩恵も無く・・

さぁ、早く車にお帰りなさいと、私たちを促します。

明日からは町歩きの途次・途次に参拝した寺社の紹介です。

訪問日:2011年9月24日

 

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やきもの散歩道~Ⅲ~ in 愛知県常滑市

2016年08月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

「やきもの散歩道~Ⅲ~」では、ちょっとマニアックなスポットを紹介しようと思うのですが・・マニアックと言っても私がそう感じるだけで、焼き物の町では当たり前の風景かもしれません。 妖しく光る焦げ茶の壁、縦に走る亀裂さえも不思議な文様のように見えるこの場所は・・そう、実はこれ陶窯の中なんです。

とこにゃんに向かう途中に立ち寄った建物は1980年代まで土管を生産されていたという「利助窯」さん。

お目当ては窯跡の見学で、奥様から色々とお話を聞かせて頂きました。二階のカフェからこぼれてくる良い香りが鼻腔をくすぐります。

左に小さく見えている置物は「やきもの散歩道 七福神の三番:布袋」。町歩きのそれぞれに七福神のスタンプが有るのですが、今回は珍しくパス(笑)

明治の終わりから昭和60年の最期の火入れまで、80年以上も使われてきた陶窯。不可思議な文様のような壁を見ていると、何か不思議な声が聞こえてきそうな・・そんな錯覚にとらわれます。

歩く先々に思わず足を止めてしまう工房の数々・・ずっとこんな調子なので中々先に進めません(^^;)

「陶製2.5メートルの大般若面」が展示されていると言う「窯や」さん。窯跡ギャラリーの壁に掛けられた「小面(こおもて)」は、光と影によって美しくも哀しくも、また怪しく微笑んでいるようさえ見えます。ただし鬼面は、より恐ろしさを感じさせてくれましたが(^^;)

そうそう、噂の大般若面はツーショットも可能なように、ちゃんと横にイスも用意されています。般若のイメージから受ける「怖さ」を感じさせない、不思議な穏やかさを持った面でした。

並べられた土管が好奇心をくすぐる窯の中、一種独特の不思議な空気を漂わせていたけれど・・・・でも工房の名前が何だったのか・・・?。抜け落ちてしまった記憶は容易に蘇ってはくれません。

まるで不思議な魔法にかかったみたいに、目に入るすべてが魅力的に思え、ついつい手に取って見たくなるのを・・・一生懸命我慢した記憶はあるのに。

沢山の工房が並ぶ一画では、作家さんが作り上げた作品がいとも無造作に飾られていて思わず立ち止まり、それがあまりにも風景に溶け込んでいたりすると、思わずまじまじと見直してしまいます。しっかり精を出せ!とハッパをかける獅子さん。急かされた親父さんはちょっと仏頂面をしながら、それでもせっせとロクロを廻します。

土間に散乱する茶碗に湯飲み、砕けたお皿の数々!もしや壮大な夫婦喧嘩?! いえいえ、これも「morrina」さんの楽しいアートなんです。

常滑焼と言ったら猫と急須のイメージですが、もちろんそればっかりではありません。こちらの工房の一角には、穏やかな笑みを湛えたお地蔵様がおいでです。

おや、こちらの辻には更に大勢のお地蔵様が(*^^*)

町歩きの途次でお見掛けした「松寿山:光明寺」。

何と境内には、大きなハートを大切に抱える焼き物のご住職様がいらっしゃいました。

ところがご亭主殿と来たら、屋根の飾り瓦の獅子さんに夢中(^^;) ご住職様への挨拶も忘れて、ずっと上を向きっぱなし(笑) 確かにとっても魅力的な一対ですけどね。

それでも、お堂に納められたお地蔵様へのご挨拶は忘れなかったようです。

建前上はマップに従って、その実、好き勝手に右に左と路地を進む私たち。

おや、こんな場所に小さな「とこにゃん」。一体何をした罰でカゴに閉じ込められたの?と、側の張り紙を見れば・・・「野良猫の餌やリ禁止」の注意書き。招き猫の町で野良猫という単語を見るとは・・・

ねぇ、猫さんは突然空から降って野良猫になったわけではないし、土くれからぽこっと生まれて野良猫になったわけでもない。迷惑だと言って眉をひそめる人間をどうこう言う資格も権利もないけれど・・・・

実際に招き猫通りで出会った猫ちゃんたちは、威嚇するでもなく、不用意に近づくでも無く、穏やかな目で私たちを見ていた・・。ねぇ、あの猫(こ)たち、きっと!飼い猫だよね。誰かの家の大切な家族だよね!そうであって欲しいと願わずにはいられない。

町歩きの途次で見かけた招福招喜神社。祠の中に鎮座される猫神様に手を合わせて、本気のお願いをしました。野良猫と呼ばれる猫さんたちが天寿を全うできますように、どうか、どうかお守りください・・・

切ない思いを抱いて・・・「やきもの散歩道」は~Ⅳ~へ続きます。

訪問日:2011年9月24日

 

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やきもの散歩道~Ⅱ~ in 愛知県常滑市

2016年08月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

上を見ても下を見ても、もちろん前を見ても横を見ても、とにかくステキの連続で目が離せない「やきもの散歩道」。

次のステキは、明治20年(1887)に33名の窯仲間により開設され、昭和49年(1974)1月まで使用された登り窯。現地説明によれば、関りの深かった企業の名前から「陶榮窯(とうえいがま)」と呼ばれている由。

見上げる視線の先に展開されるのは、傾斜角約17度、8つの焼成窯、高さの異なる10本の煙突・・

思わず息をのむ美しさに先に進むことも忘れ、じっと立ち止まって見上げる二人。そう・・・美しい。言葉にならない圧倒的な存在感に、歩き続けた足の痛みさえも忘れます。

昭和57年(1982)に国の重要有形民俗文化財に指定され、2007年には近代化産業遺産にも認定された「陶榮窯」。整然と詰まれた煉瓦の窯からは、かって常滑の空を染めた筈の煙の匂いまでも感じられます。

釜の中は想像以上に広く、内部の見学も可能と有って、ご亭主殿は早速中に(笑)。かってこの窯の中で常滑の名を知らしめた様々な物が生み出されたのかと思うと、今この場所にいる自分たちの存在がとても不思議に思えてきます。

薄暗い窯に差し込む外界の光はほんのりと暖かく、使い込まれた煉瓦の色はこの上無く優しい。一朝一夕には生まれない確かな歴史の前で、私たちは今とても感動している・・

焼物の生成過程で生まれた様々なモノは、至る所で有効に活用されています。

時間に制限がないなら、いやこのまま時間が立ち止まってくれるのなら、私たちはもう少し、後ほんの少しだけここで過ぎ去った昔を懐かしむのに・・

この美しい登窯がある一帯は「登窯広場」として整備され、歩き疲れた足を休めるにも最適の場所。

広場の中央を占めるのは、圧倒的な規模と鮮やかな色彩で描かれたタイルの陶壁。こういうのを見ると流石はINAXの本拠地だと改めて実感ます。

さらに「展示工房館」の 館内には、「両面焚倒焔式角窯(りょうめんだきとうえんしきかくがま)」が保存展示されています。

舌を噛みそうな名前の窯は、大正10年(1921)に現在の場所に築窯されて以来、煙突、窯、建物ともほとんど当時のままの姿を保っているとか。非常に大きな窯のため、1997年に窯本体と煙突は国の登録有形文化財に、また貴重な産業遺産として各方面から注目を集めていると説明にありました。

石炭を投入する窯焚き口

窯の内部

建物の外部に今も残る煉瓦造りの煙突

「登窯広場」のラストは煙突を思わせるオブジェ『柴田正明』作の「時空」。

名残は尽きませんが、「やきもの散歩道」のステキはまだまだ続きます。ねぇ、私たちって「やきもの散歩道」のコース、どれくらいを歩いたんだろう? まだまだこの先に続く坂道、もしかして今日中に回りきれるのかしら?一抹の不安を残しつつ「やきもの散歩道~Ⅲ~」に続きます(笑)

   訪問日:2011年9月24日

 

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やきもの散歩道~Ⅰ~ in 愛知県常滑市

2016年08月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

常滑市の中心部、小高い丘に点在するレンガ造りの煙突、黒塀の工場や昔ながらの窯場・・・「やきもの散歩道」と名付けられた路地には常滑の魅力が凝縮されており、何処を歩いても絵になる光景が展開されます(^▽^)/。

中でも常滑の町歩きで要チェックの一つが、陶器の廃材を利用した通称「土管坂」。壁の両面を埋め尽くすのは、明治期に生産されていた常滑焼の土管に昭和初期の焼酎瓶!!

その滑らかな手触りが、この先に続く、本来なら敬遠すべき坂道を期待に満ちたものに変えます。

坂道を登りきれば、これもまた私たちが憧れて見たいと思っていた、煉瓦造りの煙突がある風景。

「やきもの散歩道」と名付けられたこの一帯は、昭和初期ごろ最も栄えた窯業集落だったと言います。時代と共に失われて行く運命だったそれらの遺産は、今では常滑を代表する観光地として多くの観光客の心を捉えて離しません。

目に入るすべてに感動し、立ち止まっては振り返りを繰り返す「やきもの散歩道」。そんな二人をさらに感動させてくれるのが、「土管坂」に続く散歩道一番の撮影スポット「でんでん坂」

「廻船問屋を営む瀧田家では、南の丘から湊に出入りする船の様子を主人に伝えた事から、その丘を「伝の山・・通称でんでん山・と呼び、この坂は「でんでん坂」と名付けられたとされています。」現地案内より

常滑市指定有形文化財「廻船問屋・瀧田家」の塀と並ぶように作られた、静かな一画。流石に一番の撮影スポットと紹介されるだけあって、行きかう人はほぼ全員がこの坂のそこかしこで記念撮影。勿論私たちも(笑)

更に木漏れ日の中で複雑な文様を描き出す足元にも注目! 土管坂では「ケサワ」を敷き詰めた装飾的な坂道も特徴の一つ。「ケサワ」は、土管の焼成時に使用した捨て輪の廃材。これを敷き詰める事で、滑りにくく歩きやすい道になり、しかも!見た目にも非常にお洒落。

ちなみに、滑りにくいと言う最大の特徴を生かしてこんなものも売られていました。 その名も「滑り止めお守り」。「学業成就」「不滑爆笑」「転倒防止」・・ちゃんと御祈祷済だそうで、受験生や・・何故か祖父母へのお土産によく売れるそうです(笑)

坂道ごとにさまざまな表情を見せる「やきもの散歩道」。踏み出す一足ごとに新しい発見があり、忘れ難い感動を与えてくれます。

ちょっと変わった佇まいの坂道は、壁と地面に土管を焼成する時に使われる「パン」を敷き詰めたもの。炎の気まぐれで微妙に色を変えた「パン」は、大理石の壁よりもずっとお洒落で素敵です。

でもってこんな楽しい趣向も(〃∇〃)。この当時にご当地マンホールに興味を持った人がどれくらいいたのか・・おそらく少数派だと思いますが、ご当地マンホール収集家としては満点を上げたい気分。

壁と地面だけで、軽くブログが書けそうな「やきもの散歩道」。思いがけない辻に予想もしなかった「ステキ」との出会い。

縦に横にと・・迷路のような集落の路地。右に上り、左に曲がりと、勝手気ままな町歩き。観光協会には効率よく散策できるマップもあるのですが、なにしろ主導権を握っているのが私ですから、御亭主殿のアドバイスなんて・・いや!一応は聞いているんですよ、一応は。でもいつの間にか足が勝手に横道に(笑)

日本六古窯の一つ、常滑焼の町を代表する景色ともいえる「レンガ造りの煙突」。昭和40年代以降に使われなくなった煙突ですが、この風景はまさしく常滑そのもの。

煙突が有る風景の内側が、たとえギャラリーになっていようが、カフェになっていようが。ふと立ち止まって見上げたくなる景色がある事が、やきもの散歩道の最大の魅力なのです。

途次に見かけた、修理が施されるレンガ造りの煙突。取り壊された工房の傍らには丁寧にシートにくるまれた煙突。常滑焼の町はこの地を愛してきた人々の手によってこうして大切に守られているのですね。

感動と発見の「やきもの散歩道」は~Ⅱ~へ続きます。

訪問日:2011年9月24日

 

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常滑焼 と まねき猫~Ⅱ~ in 愛知県常滑市

2016年08月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

可愛らしさMAXの「とこなめ招き猫通り」、実はもう一つ、超!!素敵な見所があります。場所は猫のオブジェが並んでいた壁の・・・・・・ず~~~と、ずっと☝上に。

「常滑焼とまねき猫~Ⅰ~」 にも登場した小さな猫たちを見守る「巨大とこにゃん」。柵の後ろに立った私はいきなりの大爆笑。

実は・・・後ろはこうなっていました。(^^;) 知らない方が良かった真実ってあるんですよね・・でもって、しっかり暴露してる私って(笑)

まぁそれは置いといて、常滑を見守る「とこにゃん」が見る景色。運がよければセントレア空港から離着陸する飛行機が見えるそうです。

と言う事でこの看板を見つけたら、さぁ、あなたもレッツとこにゃん

さて、改めて書くのも何ですが、常滑の「とこにゃん」は見たとおりの「招き猫」。実は常滑市は招き猫の生産が日本一。日本中にまねき猫はたくさんいますが「とこにゃん」はいわゆる「常滑系」とよばれるスタイルで、二頭身のふっくらとした体に大きく垂れた目、しっかりと小判を抱えて福を呼び込むと言われています。

招き猫に常滑系というジャンルが有る事、実はこの時初めて知りました。こんな何でもない事を発見するのも旅の醍醐味かも。ちなみに観光協会では「ご意見招き猫」がお客様のご意見を待ってます。

ところでまねき猫が上げている手ですが、実はこれにもちゃんと意味があります。「とこにゃん」や「ご意見招き猫」があげているのは右手で、これは金運・・・お金を招きます。では、左手は何を招くのかと言うと「人」を招く、いわゆる千客万来の招き猫。

常滑系千客万来のまねき猫がいるのは、常滑焼うどんの「麺吉さん」。この日のお昼はこちらで頂きました。

常滑うどんが美味しいのは勿論ですが、何と言っても印象に残ったのは店内に飾られていた「七福にゃんこ様」(*^^*)。店主のお知り合いの方が書かれたそうで、どれもこれも個性的で、ユニークで可愛いこと!! ブログで紹介する許可も頂いて撮影させて頂きました。

ご主人様・奥様、本当に美味しいおうどんと素敵なお話、有難うございました。

さて、招き猫さんの右手、左手は理解できましたが、では両手は??。ハイ、ご想像通り「金運」と「お客様」の両方を招いてくれるといわれています。万歳のボーズでもある両手上げですが、場合によっては「お手上げ」とも取られかねないので・・取り扱いにはくれぐれもご注意を(笑)

みんな同じような色だけど、違う色の招き猫っているの?と疑問に思われた貴方、そうア・ナ・タ!(笑)。少しレトロなお店なんかで真っ黒い招き猫を見かけた事はありませんか?黒い猫は夜でも目が利くと言う事で、日本では昔から「福猫」と呼ばれ魔除けのご利益があると云われています。黒猫が前を横切ったら縁起が悪いと言う迷信は、実は縁起の良い黒猫が自分の前を通り過ぎてしまう・・福が通り過ぎてしまうので縁起が悪いが正解なのです。

あちらの家でも、こちらのお店でもお目にかかれる招き猫。まさしくここは「招き猫通り」そのもの。

「この問題、分かる人は手を上げて!」「ハイッ!」。「ファ~イ・・」「おっ!にゃん太もか、では前に出て。」《エッ?ウソッ! マジィ??》

「にゃん太の奴、見得はって手あげるから(笑)・(笑)・(笑)」

さて・・なんだかんだ言って、どれも似たような猫さんばかりじゃないかって思ったアナタ!そう、そこの貴方(こればっかり(笑))。さっき「麺吉さん」でお目にかかった「七福にゃんこ様」は平面でしたが、何と立体の「七福にゃんこ様」もいました。

「毘沙門にゃんこ様」「弁財天にゃんこ様」

「寿老人にゃんこ様」「福禄寿にゃんこ様」

「布袋にゃんこ様」「大国にゃんこ様」

極め付きは、体よりもデカい鯛を釣り上げた「恵比寿にゃんこ様」。可愛すぎるのでアップで(笑)

こちらの「毘沙門にゃんこ様」は、ず~~~と遠くの別の場所に一人寂しく(笑)

福の神ではないけれど、お伽噺から飛び出した「ウニャ嶋太郎」と、ものすご~~~く老けてる「一寸法ニャン」。御亭主殿はこれをみて「ネズミみたいだ」・・とボソリ(笑)。思わず頷いてしまう私(笑)(笑)

さてと、そろそろ本格的に常滑焼の里へとレッツGO! やきもの散歩道の出発点は「常滑市陶磁器会館」。土日祝以外は駐車料金無料!!で・・今日は土曜日です(ーー゛);

館内には常滑焼の展示即売もあり、ここでお土産を買うのも良し。ちなみに私の一押しは、様々に趣向を凝らしたお雛様。窓辺一杯に飾るのも素敵だけど、我が家には暴れん坊のニャンズがいるからねぇ・・

さぁ、それでは郵便配達のニャン太郎さんに見送られて、常滑焼の町歩きへいざ!

招き猫に招かれての町歩き、続きは「やきもの散歩道」~Ⅰ~で。

訪問日:2011年9月24日

 

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常滑焼 と まねき猫~Ⅰ~ in 愛知県常滑市

2016年08月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

「常滑・・と聞いて最初に思い浮かぶものは?」と、ご亭主殿に聞いたら
「常滑焼の急須」と即答😊。まぁ確かに、こんな私でも美味しいお茶が淹れられる、魔法のような有難い急須は有名ですが・・・・・・(-"-)

でもほら、常滑と言ったらもう一つ、すっごく有名なものが有るじゃないですか!! 食堂とかのレジの横で片手を上げてつぶらな瞳で見つめてくれる「あれ!」「これ?」「そう、それ!」(笑)

って・・いきなり巨大な「まねき猫」さんですか(笑)

まぁそんなこんなは置いといて、常滑と言えば「まねき猫」。常滑焼のイメージキャラクターだって、まねき猫のとこにゃん
にぎやかにおしゃべりしながらやって来た常滑駅。そこで私たちを出迎えてくれるのは、いずれも甲乙つけがたい個性豊かな「まねき猫」たち。猫好きにはまさに聖地と言っても過言ではない!

楽しいおもてなしに気を良くして駅中に、ここでもまた個性的な猫たちのお出迎え。特にこの小姓を従えた猫の殿様、tononekoのHNを持つご亭主殿がいたくお気に召した様子。(=`ェ´=)

他には?と聞いたら「これ」と「これ」って・・旅人さんのまねき猫は納得ですが・・こっちはどう見ても「タ・ヌ・キ」でしょう!(笑)

楽しいモノ、面白いものを見るとテンションが上がる二人。ついつい軽口も出て、まさに「つかみはOK!」。と言う事で町歩きへと繰り出す二人の前に「日本最大級 陶彫 大七福神」の看板。現地の駒札には「寿園茶店がよびかけ、常滑陶彫会が製作、半年余りの歳月をかけて2007年に完成した」旨が製作者諸氏の名前と共に細かく記されています。

恵比寿様に弁財天

布袋様に大黒天

福禄寿に寿老人

ラストは毘沙門天。で、ちなみにどれくらい大きいのかと言うと・・これくらい。

「まねき猫」のタイトルなのに「七福神」って如何なものか?と突っ込まれるのも嫌なので、再び「まねき猫」の紹介へ。名鉄「常滑駅」から陶磁器会館に向かう道路沿いのコンクリート壁には、39体の「御利益陶製招き猫」が素敵な仕草と笑顔で出迎えてくれます。それでは早速。タイトルは見たまんまのオリジナル、後ろの(太字)が作者と正式なタイトルです。

「天上天下・唯我独ニャン(森遊子氏:ペット守護・供養)」-「カモニャ・マイホーム(武山宗憲氏:家内安全)

「デッカイ鯛をゲットだニャン(松下昌司氏:大漁満足)

「おいらフウテンの寅にゃんさ(山田知代子氏:旅行安全)」-「天ニャンと天の羽衣(山本武士氏:健康長寿)

「お母ニャン、だ~~~~い好き(家田明博氏:子育て)

「壁に耳あり壷に猫あり(鯉江明氏:悩み解消)」-「こう見えて少ニャン剣士だニャ(柴山庄山氏:武芸上達)

「だ~~い好き~(杉江滃軒氏:夫婦円満)

「失恋したのニャ・・・(村田昭治氏:ぼけ封じ)」-「ドンマイ、ドンマイ、気にしニャイ(早川さとみ氏:開運招福)

39体全部の紹介は無理なので、興味のある方は是非とも常滑招き猫通りへ。

「待ってるニャン♪(羽田桂子氏:厄除け)

猫が大好きで猫バカを自任する私・・常滑の猫たちの画像はまだまだフォルダに一杯有りますが、ひとまずこれくらいで(笑)「上の猫さんの顔にピン!ときたら常滑へ」

(((^^;)(;^^) ))

七福神の飛び入りもあった「常滑焼 と まねき猫」は更に~Ⅱ~へ続きます。

   訪問日:2011年9月24日

 

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ご当地マンホール in 愛知県常滑市

2016年08月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

常滑市(とこなめし)は知多半島の西海岸に位置し、海岸線19.8キロメートルの南北に細長い街です。平安時代末期ころからの「古常滑」と呼ばれる焼き物の産地として知られ、瀬戸、信楽、越前、丹波、備前と並び、日本六古窯のひとつとされ、中でも最も古く最大の規模とされています。

キャッチフレーズは「世界に開かれた生活文化都市」

常滑は国内最大級の招き猫の産地。幅6.3m、高さ3.8mの巨大見守り猫『とこにゃん』は常滑のシンボル的存在として君臨(笑)しています。

1878年(明治11年)、知多郡常滑村が発足。

1889年(明治22年)、町村制の施行により知多郡多屋村・榎戸村・西ノ口村・大野町が発足。樽水村・西阿野村・苅屋村・古場村・矢田村、久米村、金山村・小鈴谷村・上野間村・大谷村・坂井村が発足。

1890年、常滑村が町制を施行、知多郡常滑町となる。

1906年、多屋村、榎戸村、西ノ口村が合併、知多郡鬼崎村が発足。樽水村、西阿野村、苅屋村、古場村が合併、知多郡枳豆志(きずし)村が発足。矢田村、久米村、金山村が合併、知多郡三和村が発足。小鈴谷村、大谷村、坂井村、上野間村が合併、知多郡小鈴谷村が発足。

1911年、枳豆志(きずし)村が町制を施行、改称し知多郡西浦町となる。

1951年、鬼崎村が町制を施行、知多郡鬼崎町となる。

1952年、小鈴谷村が町制を施行、知多郡小鈴谷町となる。

1954年、常滑町、鬼崎町、西浦町、大野町が合併、常滑市が発足。

1957年、知多郡小鈴谷町大谷、小鈴谷、坂井地区を編入、現在に至ります。

マンホールには市章を中心に、「市の花:サザンカ」がデザインされています。(やきもの散歩道舗道、他に設置)

市章を中心に「市の木:黒松」がデザインされたマンホール。

昭和30年6月1日制定の市章は「常滑市の「常」の字を画家の杉本健吉氏が図案化したもので、市民の団結と市勢の発展を表しています。」公式HPより

2014年4月に、常滑市制60周年を記念して「ボートレースとこなめ」のマスコットキャラクターから市の公式キャラクターになった『トコタン』。常滑市が国内最大級の生産を誇る特産物「招き猫」をモチーフにしているニャン♪趣味は常滑焼の器に注いだ地酒で乾杯!、セントレアからの旅行、ボートレースと・・おおよそゆるキャラらしからぬ設定です(笑)

2011年に訪問した時は、こんな看板の上で愛想を振りまいていました(^▽^)/

撮影日:2011年9月24日

 

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半城土(はじょうど)天満神社 in 愛知県刈谷市

2016年08月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県刈谷市半城土に鎮座される「半城土(はじょうど)天満神社」。御祭神は『菅原道真公』

裏参道:鳥居

由緒「依網連(よさのむらじ)の子孫といわれる三右衛門が寛徳元年(1044)3月に創建したといわれている。」刈谷市育委員会 説明碑

拝殿内より神域を守護されるのは、とびっきりの笑顔が印象的な神殿狛犬さん一対。何か楽しい事でも有ったのでしょうか?耳を済ませれば楽し気な会話が聞こえてきそうな、そんな顔をしています。

石段参道を登り切った先に建つ朱塗りの両部鳥居

鳥居から真っ直ぐ正面、青空を背景に立つ拝殿は清々しい気に満ちて参拝者を迎えます。

拝殿前より神域を守護されるのは、平成三年(1991)十月吉日建立。安城市高棚町新道:石作(いさく)工房制作の異国風味漂う狛犬さん一対。

梅鉢紋が鮮やかな拝殿屋根の留め蓋では、後ろ足を高く蹴り上げて参拝者を見守る飾り瓦の獅子一対。

ちょっと羨ましそうに見上げる天満宮の撫で牛さん。

こちらの留め蓋には撫で牛さんの一対。天満宮で梅の花の飾り瓦はたまに目にしますが、撫で牛さんが居るのは珍しい気がします。

石段参道入ってすぐの左手に、「天満神社創建九百五十年記念」昭和20・21年生まれの卯辰会によって平成三年十一月 に奉納された十二支の手水鉢。

手水鉢の正面には「辰」を中心に左に「巳」「午」「未」の上に「申」、右に「卯」。

側面に「子」をお尻に乗せた「丑」、竹藪の「寅」。

反対側側面、右から「酉」「戌」「亥」。

鳥居の奥、向かって左に「境内社:山神社」、右に 「境内社:斎宮社」。

手水鉢の奥の奉納旗は、斎宮社の右隣に鎮座される「稲荷社」。

こちらでは吐水は龍でなく亀が担当しています(笑)

境内の一画、〆鳥居の結界は祭祀に使われる場所でしょうか?

小祠と、左手後方に「従軍碑」

「明治天皇御製碑」

【 目に見えぬ にむかひてはぢざるは  人の心の まことなりけり 】

最期は天満宮に必須の「筆塚」

参拝日:2011年9月18日

 

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