車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 徳島県旧三野町(三好市)

2020年10月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

旧三好郡三野町(みのちょう)は徳島県の北西部、吉野川の中流域北岸に位置した町です。美馬市、美馬郡つるぎ町、三好郡三好町・三加茂町に。さらに県を跨いで香川県多度郡琴南町・仲南町に隣接。16世紀後半、室町幕府を支配した三好氏の出身地であり、全国各地の三好姓の発祥と考えられています。大平の湧水や龍頭の滝・金剛の滝 等の名勝を擁し、また三野町太刀野にある道の駅「三野」の側には「太刀野中央構造線露出地点」があり、間近に見ることが出来ます。「町の木:紅葉」「町の花:桜」「町の鳥:ウグイス」を制定。

県の天然記念物と言うことで、早速、期待感一杯で!見てきました「中央構造線・断層破砕帯の粘土」・・・なんですが、「なぁなぁ・・・何が凄いのか・・ようわからん」😥「うん・・ようわからん」😓

明治22年(1889)、町村制の施行により、三好郡三野村が発足。

1924年、三野村が町制を施行、三好郡三野町が発足。

2006年、 三好郡池田町、山城町、井川町、東祖谷山村、西祖谷山村と合併し、三好市三野町となりました。

昭和9年(1934)4月制定の町章は「形象化した「の」を三つ組み合わせ、「みの」としました。」

(※)旧三好郡三野町では独自のマンホールも上水道関連の蓋も見つけられませんでした。

訪問日:2013年3月29日&2014年3月24日

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旧三好郡井川町(いかわちょう)はかつて徳島県北西部に位置していた町です。三好郡三加茂町、三好町、池田町、西祖谷山村に隣接。吉野川中流の南岸に町域が開け、中心地区である辻は井内谷川が吉野川に合流する谷口に発達した集落です。「町の木:ウメ」「町の花:ナデシコ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、三好郡辻町・井内谷村が発足。

1959年、郡辻町、井内谷村が合併、三好郡井川町が発足。

昭和44年(1969)3月制定の町章は「頭文字の「い」を図案化したものです。」

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旧三好郡東祖谷山村(ひがしいややまそん)は、徳島県の北西に位置していた村です。東に美馬市、北に美馬郡つるぎ町・三好郡三加茂町、西に三好郡西祖谷山村、南に県を跨いで高知県長岡郡大豊町・香美郡物部村、徳島県那賀郡那賀町と隣接。村域は山間過疎地域で、剣山(つるぎさん)等の西日本や四国を代表する山河が揃い、豊かな自然に恵まれている。また西祖谷山村と同じく、平家の落人伝説や阿波山岳武士の伝説が残されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、美馬郡東祖谷山村が発足。

1950年、美馬郡東祖谷山村が三好郡に編入。三好郡東祖谷山村となる。

昭和47年(1972)11月2日制定の村章は「「ヒイヤ」を組み合わせたものです。」

(※)旧三好郡井川町・旧東祖谷山村は未訪問のため、マンホールの所在は不明です。

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ご当地マンホール in 徳島県三好市&旧池田町(三好市)

2020年10月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

三好市(みよしし)は四国のほぼ中央、徳島県の最西端に位置する市です。2006年3月1日、三好郡池田町、三野町、山城町、井川町、東祖谷山村、西祖谷山村が合併し、三好市が誕生しました。美馬市、美馬郡つるぎ町、三好郡東みよし町、那賀郡那賀町に。さらに県を跨いで香川県観音寺市、三豊市、仲多度郡まんのう町。愛媛県四国中央市。高知県香美市、長岡郡大豊町に隣接。徳島県面積の1/6を占める県内最大面積の自治体ですが、剣山山系を南側にもち、市の90%近くが山地によって構成され、中央部を吉野川が横切っています。「市の木:モミジ」「市の花:サギソウ」「市の鳥:メジロ」を制定。

キャッチフレーズは「緑豊な潤いの郷 自然が生き活き、人が輝く交流の郷 三好市」

2006年3月1日制定の市章は「「m」の字を剣山・吉野川・祖谷渓谷などの地勢をモチーフに「自然が生き活き、人が輝く交流の郷」と未来を見つめ、協調し、飛躍発展する姿を表現しています。上部の円はその集中力をも表しています公式HPより

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旧三好郡池田町(いけだちょう)は徳島県の北西部に位置した町です。三好郡三好町・山城町・井川町・西祖谷山村に。また県を跨いで愛媛県四国中央市、香川県観音寺市、三豊市に隣接。西祖谷山村善徳にある祖谷渓にかかる葛で編まれた吊り橋「祖谷のかずら橋」は日本三奇橋の一つとして知られ、深い断崖に立つ小便小僧、祖谷温泉などと共に、とくしま88景に選定されています。また池田町イタノの吉野川:池田ダム湖に架かる世界一のランガー形式アーチ橋「池田へそっ湖大橋」は土木学会デザイン賞2002に選定。この辺りは四国のほぼ中心に位置している事で「へそ」なんですね。「町の木:サクラ」「町の花:サギソウ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、三好郡池田村・箸蔵村・佐馬地村・三縄村が誕生。

1905年、池田村が町制を施行、三好郡池田町(第一次)が発足。

1956年、池田町が三好郡箸蔵村を編入。

1959年、池田町、三縄村、佐馬地村が合併、三好郡池田町(第二次)が発足。

2006年、三好郡三野町、山城町、井川町、東祖谷山村、西祖谷山村と合併し三好市となりました。

マンホールには真ん中にボールと「IKEDA」の文字、それを取り巻いて野球に興じるカエルがデザインされています。

マンホールのあった「へそっ子公園」には、日本全国の「池田」のカエルが勢ぞろいしています。 私が知っているのはここと、大阪、岐阜、長野の池田だけですが、こんなにあるんですね。

昭和36年11月制定の町章は「“池田”の町名の起こりと伝えら れる古池の蓮の葉とさざ波をあし らって池の字をデフォルメし、本町 の飛躍発展を印象づけてマーク化している」旧公式HPより

撮影日:2013年3月29日

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ご当地マンホール in 徳島県東みよし町&旧三好町

2020年10月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

三好郡東みよし町は徳島県の西北部、吉野川の中流部北岸に位置する町です。2006年3月1日、吉野川中流地域の対岸に位置する2町が「三三(さんさん)大橋」によって結びつき、合併して発足しました。三好市、美馬郡つるぎ町に。また県を跨いで香川県三豊市、仲多度郡まんのう町に隣接。火打山(1422m)、風呂塔(1401m)、日ノ丸山(1240m)の山間の地にあり、総面積のうち可住地面積は21.6%。町域にある四国唯一の公認サーキット「阿讃サーキット」、徳島自動車道の「吉野川ハイウェイオアシス 」などが知られています。「市の木:クス」「市の花:サルビア」を制定。

キャッチフレーズは「ちょうどええ ほなけん住んどる~「ずっと住みたい!」を共に創るまち~」

マンホールには、「吉野川と鮎」「東みよし」の文字がデザインされています。

美濃田小橋の「吉野川と鮎」

2006年3月1日制定の町章は「三加茂町の大楠の緑、三好町の愛宕柿のオレンジ、中心に吉野川の青をイメージしました。両町の良さを充分に活かし、人がつながっていくことを希望し、表現しました。」公式HPより

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旧三好郡三好町(みよしちょう)は徳島県北西部、吉野川の中流部北岸に位置した町です。三好郡三野町・池田町・井川町・三加茂町に。また県を跨いで香川県三豊市、仲多度郡仲南町に隣接。町域にある「吉野川ハイウェイオアシス」からは、吉野川中流域唯一の景勝地として知られる名勝地「美濃田の渕」への遊覧船が発着し、観光客に人気です。「町の木:サザンカ」「町の花:サルビア」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、三好郡昼間村、足代村が発足。

1925年、昼間村が町制を施行、三好郡昼間町が発足。

1955年、三好郡昼間町、足代村が合併、三好郡三好町が発足。

2006年、三好郡三加茂町と合併、東みよし町となりました。

マンホールには「吉野川の鮎」「みよし」の文字がデザインされています。

昭和42年(1967)11月13日制定の町章は「頭文字の「三」を図案化したものです。」

東みよし町足代にある「吉野川ハイウェイオアシス」。駐車場付近の柵にも沢山の鮎が泳いでいます。

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旧三好郡三加茂町(みかもちょう)は徳島県の北西部、吉野川の中流部南岸に位置した町です。三好郡三好町・三野町・井川町・東祖谷山村・西祖谷山村、美馬郡つるぎ町に隣接。旧若宮神社の社地跡にある樹齢1000年の「加茂の大クス」は、にし阿波お勧めビューポイント100選・新日本名木百選・四国八十八景11番に選定。源平の頃よりあると伝えられ、大正15年(1926)に国の特別天然記念物に指定されました。 『お~くん』は樹齢1000年余の「加茂の大くす」に宿る精霊で木霊族の王子です。

「町の木:クス」「町の花:菊」「町の鳥:キジ」を制定。

1889年、町村制の施行により、三好郡加茂村、三庄村が発足。
1951年、加茂村が町制を施行、三好郡加茂町が発足。
1959年、三好郡加茂町、三庄村が合併、三好郡三加茂町が発足。
2006年、三好郡三好町と合併、東みよし町となりました。

昭和42年(1967)12月18日制定の町章は「町の頭文字「ミカ」を図案化したものです。」

(※)旧三加茂町は未訪問のため、マンホールの有無は確認できていません。

撮影日:2014年3月24日

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ご当地マンホール in 徳島県旧山川町&旧川島町(吉野川市)

2020年10月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

旧麻植郡山川町(やまかわちょう)は徳島県北東部に位置し、吉野川南岸に位置した町です。麻植郡鴨島町・川島町・美郷村、阿波郡市場町・阿波町に隣接。伝統産業として、忌部氏が、紙や布の製造を行った頃からの歴史があるとされる和紙づくりがあり、阿波和紙伝統産業会館では紙漉きの体験もできます。また船窪地区には「オンツツジ」の群落があり、中には樹齢数百年を超えるものもあるとか。昭和60年に国の天然記念物に指定された事をうけ、町の花として制定されました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、麻植郡山瀬村・川田村・三山村が発足。

1926年、山瀬村が町制を施行、麻植郡山瀬町が発足。

1928年、川田村が町制を施行、麻植郡川田町が発足。

1955年、山瀬町、川田町、三山村の一部が合併、麻植郡山川町が発足。

2004年、麻植郡鴨島町、川島町、美郷村と合併、吉野川市山川町となりました。

マンホールには町章を中心に、「町の花:オンツツジ」が大きくデザインされています。 

集排マンホールには、「霊峰高越山と吉野川」、「町の花:オンツツジ」がデザインされています。

昭和46年(1971)12月25日制定の町章は「丸三本は「川」を表し、中央の三 角は「山」を表している。 山は霊峰高越山、川は清流吉野川を 図案化し、あわせて本町の融和団結 と飛躍発展を表し町章とした。」合併協議会資料より

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旧麻植郡川島町(かわしまちょう)は徳島県北東部、吉野川沿いに位置した町です。麻植郡鴨島町・山川町・美郷村、阿波郡市場町・阿波町に隣接。阿波九城の一つとして数えられた「川島城」跡地は、川島公園として整備され、1981年には二の丸跡に観光用模擬天守閣(レストハウス川島城)が建設されました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、麻植郡桑川村(くわかわそん)・学島村が発足。

1907年、桑川村が町制を施行、改称して麻植郡川島町(第1次)が発足。

1955年、川島町、学島村が合併、麻植郡川島町(第2次)が発足。

2004年、麻植郡鴨島町・山川町・美郷村と合併、吉野川市川島町となりました。

マンホールには、阿波九城の一つと言われた「川島城模擬天守」がデザインされています。

昭和46年12月25日制定の町章は 「川島町の「川」の文字を図案 化したもので、周囲の円形は町の円満平和を、川の図形は、将 来の発展を表している。」合併協議会資料より

撮影日:2014年3月24日

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ご当地マンホール in 徳島県吉野川市・旧鴨島町

2020年10月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

吉野川市(よしのがわし)は徳島県北部、吉野川のほぼ南岸に位置する市です。2004年10月1日、麻植郡鴨島町・川島町・山川町・美郷村が合併して発足しました。美馬市、阿波市、板野郡上板町、名西郡神山町・石井町に隣接。徳島県内では徳島市、阿南市、鳴門市に次いで4番目に人口の多い自治体ですが、市の人口のほとんどが、吉野川沿いの徳島平野に偏重しており、約半数が東部の鴨島町に居住しています。「市の木:オンツツジ」「市の花:菊」「市の鳥:カワセミ」を制定。

キャッチフレーズは「世代を超えて夢紡ぐまち 新・生活創造都市をめざして」

2004年10月1日制定の市章は「4つの放射型は合併した4町村の躍動、四国山地など山々の稜線、白の空間は吉野川を主とする川の流れをイメージしています。全体で吉野川市のイニシャル「Y」を形成。グリーンとブルーは、市の豊かな自然を表現します。」公式HPより

水の妖精をイメージした吉野川遊園地のマスコットキャラクター『ヨッピーくん、ピッピーちゃん』。吉野川遊園地の閉園により現在は吉野川市役所に再就職😃、吉野川市の広報キャラクターとして頑張っています。

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旧麻植(おえ)郡鴨島町(かもじまちょう)は徳島県の北部中央に位置した町です。麻植郡川島町・美郷村、板野郡吉野町・土成町、阿波郡市場町、名西郡石井町・神山町に隣接。吉野川のほぼ南岸に町が開け、JR徳島線が町域のほぼ中心を東西に横断。町内には東から「牛島」「麻植塚」「鴨島」「西麻植」の4駅が設置されています。「町の花:キク」を制定。

旧キャッチフレーズは「くらして楽しい・訪ねてうれしい・ときめき鴨島」

明治22年(1889)、町村制の施行により、麻植郡鴨島村・牛島村・森山村・西尾村・東山村が発足。

1908年、鴨島村が町制を施行、麻植郡鴨島町(第一次)が発足。

1954年、森山村・西尾村・牛島村と合併、麻植郡鴨島町(第二次)が発足。

1955年、東山村樋山地地区を編入。

1957年、阿波郡柿島村知恵島地区を編入。

2004年、麻植郡川島町・山川町・美郷村と合併、吉野川市鴨島町となりました。

マンホールには町章を掲げるような形で「町の花:キク」がデザインされています。

昭和44年5月1日制定の町章は「「力」を飛鳥に表現、町勢の発展と町民相互の信頼、融和、協力、平和を象徴して、「日・月」も表します。」合併協議会資料より

鴨島駅舎南側にあった「防火用水のマンホール」。右書きで「用火防」とあり、「昭和四年一月施工」と刻まれています。

防火用マンホールの横には、昭和54年付けの「開業80周年記念 鴨島駅」の碑。

撮影日:2014年3月24日

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旧麻植郡美郷村(みさとそん)は徳島県のほぼ中央、吉野川中流に注ぐ川田川の上流に位置した村です。麻植郡鴨島町・川島町・山川町、美馬郡穴吹町・木屋平村、名西郡神山町に隣接。「村の木:ケヤキ」「村の花:梅」「村の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により麻植郡東山村・三山村・中枝村が発足。
1955年、東山村・三山村・中枝村のそれぞれ一部が合併、麻植郡美郷村が発足。
2004年、麻植郡鴨島町・川島町・山川町と合併、吉野川市美郷となりました。

昭和41年5月5日制定の村章は「村名の頭字「美」を図案化。 美郷村がその名の如く優雅なう ちにも強固な団結によって将来 の飛躍発展に前進する意を象徴 したものである。」合併協議会資料より

(※)旧麻植郡美郷村は未訪問のため、マンホールの有無は確認できていません。

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ご当地マンホール in 徳島県阿波市&旧吉野町&旧阿波町

2020年10月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

阿波市(あわし)は徳島県北東部の吉野川北岸に位置する市です。2005年4月1日 、板野郡吉野町・土成町・阿波郡市場町・阿波町が合併して発足しました。美馬市、吉野川市、板野郡上板町に。また県を跨いで香川県さぬき市、東かがわ市に隣接。阿讃山脈と吉野川に囲まれ、南側は吉野川のデルタ地帯に位置する平野、北側は阿讃山脈を隔てて香川県と接します。市内には七番札所十楽寺、八番札所熊谷寺、九番札所法輪寺、十番札所切幡寺の四国八十八箇所霊場があり、遍路の文化が大切にされています。市域の阿波町桜ノ岡には、世界三大奇勝「阿波の土柱(どちゅう)」があり、国指定天然記念物に指定されています。「市の木:ケヤキ」「市の花:コスモス」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「明日に向かって・人の花咲くやすらぎ空間」

マンホールには、市章を中心に「コスモス」と周囲に「サクラ」がデザインされています。(旧吉野町のマンホールの自治体章を変えて設置)

2005年4月1日制定の市章は「英字表記「AW」を、上下に丸みのかかった柔らかな感じでデザイン化し、A(緑)で豊かな緑や阿讃山脈、W(青)で清流吉野川、間の丸(赤)で人や花をイメージさせています。」公式HPより

阿波市のマスコットキャラクター『あわみちゃん』。市の花 コスモスと市の鳥ウグイスをイメージした女の子。服装は、「恋成たらいうどん」をイメージしています。

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旧板野郡吉野町(よしのちょう)は徳島県の北東部、吉野川北岸に位置した町です。吉野川市、板野郡上板町・土成町に隣接。町域には山はありませんが、北の讃岐山脈を望むことができ、そこから流れ出る宮川内谷川の扇状地に町域が開けます。「町の木:桜」「町の花:コスモス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、板野郡一条村、阿波群柿島村が発足。

1923年、一条村が町制を施行、板野郡一条町となる。

1957年、柿島村大字柿原が一条町と合併、板野郡吉野町が発足。

2005年、板野郡土成町・阿波郡市場町・阿波町と合併し、阿波市吉野町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:コスモス」、周囲に「町の木:サクラ」がデザインされています。

昭和42年(1967)12月1日制定の町章は「「吉」を平和の象徴ハトに図案化し、平和で円満な町の飛躍発展を象徴しています。」

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旧阿波郡阿波町(あわちょう)は徳島県の北部に位置した町です。美馬市、吉野川市・阿波郡市場町に隣接。町の南端を吉野川が流れ、北部は讃岐山脈となり、阿波町桜ノ岡には、世界三大奇勝と称される国天然記念物「阿波の土柱」があります。

明治22年(1889)、町村制の施行により、阿波郡久勝村・伊沢村・林村が合併、阿波郡阿波町が発足。

1928年、林村が町制を施行、阿波郡林町となる。

1951年、久勝村が町制を施行、阿波郡久勝町となる。

1955年、久勝町、伊沢村、林町が合併、阿波郡阿波町が発足。

2005年、板野郡土成町・阿波郡市場町・吉野町と合併し、阿波市となりました。

昭和39年11月14日制定の町章は「「アワ」を図案化したものです。」

(※)旧阿波郡阿波町では、ご当地マンホールの類は見つけられませんでした。

撮影日:2014年3月24日

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旧阿波郡市場町(いちばちょう)は徳島県の北部、吉野川中流の北岸に位置した町です。吉野川市、美馬市、阿波郡土成町・阿波町に。さらに県を跨いで香川県東かがわ市に隣接。「町の木:ケヤキ」「町の花:キバナコスモス」「町の鳥:ハクチョウ」を制定。

1889年、町村制の施行により阿波郡市香村・八幡村・大俣村が発足。
1907年、市香村が町制を施行・改称して阿波郡市場町(第一次)が発足。1908年、八幡村が町制を施行、阿波郡八幡町となる。
1955年、阿波郡八幡町・大俣村と合併し、阿波郡市場町(第二次)が発足。
2005年、阿波郡阿波町、板野郡吉野町・土成町と合併して阿波市市場町となりました。

昭和44年11月5日制定の町章は「「市バ」を図案化したものです。」

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旧板野郡土成町(どなりちょう)は徳島県の北部、板野郡の西端に位置し、面積の7割が讃岐山脈にある町です。吉野川市、板野郡上板町・吉野町・市場町に。また県を跨いで香川県東かがわ市に隣接。

1889年、町村制の施行により板野郡御所村、阿波郡土成村が発足。
1955年、板野郡御所村と阿波郡土成村が合併、板野郡土成町が発足。
2005年、阿波郡市場町・阿波町・吉野町と合併して阿波市土成町となりました。

昭和46年6月15日制定の町章は「金色で菊の花を、緑色で「土」を表しています。」

旧阿波郡市場町・旧板野郡土成町は未訪問のため、マンホール等の詳細は不明です。

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ご当地マンホール in 徳島県旧脇町(美馬市)

2020年10月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

旧美馬郡脇町(わきまち)は徳島県の西部、吉野川の中流域北岸に位置した町です。吉野川市、美馬郡穴吹町・美馬町・貞光町、阿波郡阿波町・市場町に。また県を跨いで香川県さぬき市、香川郡塩江町、木田郡三木町に隣接。阿波九城の1つ「脇城」の城下町であり、廃藩置県においては美馬郡役所が設置されるなど、地域の中心的な役割を果たしてきました。また、藍の集散地として栄えた商人たちによる豪勢な「卯建(うだつ)」をあげた町屋は「重伝建地区:うだつの街並」として知られています。「町の木:柳」「町の花:ハッサク」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、美馬郡脇町・江原村・岩倉村が発足。

1928年、江原村が町制を施行、美馬郡江原町となる。

1951年、岩倉村が町制を施行、美馬郡岩倉町となる。

1958年、江原町、岩倉町と合併、改めて美馬郡脇町が発足。

2005年、美馬郡美馬町、穴吹町、木屋平村と合併、美馬市脇町となりました。

マンホールには「重要伝統的建造物群保存地区・うだつの町並み」が描かれています。

「うだつの城下みち」と書かれた消火栓と仕切弁、消火栓は右下に、仕切弁には中央上に町章がデザインされています。

昭和36年(1961)11月17日制定の町章は「輪の中の木で「輪・木」から「脇」を、輪は町政の円満を、木は 伸びゆく脇町を表しています。」旧公式HPより

「阿波のふるさと歩道:脇町コース」のマークと、「うだつの城下みち」の方角を示す路上案内。

脇町にある洋らんのショールーム兼直売所「あんみつ館」のマスコットキャラクター『あんみつ姫』。ここで生まれた洋らんの新品種「あんみつ姫」がモチーフです。

撮影日:2013年3月30日

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2013年の徳島県の旅では「道の駅・藍ランドうだつ」で車中泊をさせて頂きました。観光地の、間近に道の駅が併設されていると言うのは、私たちにはこの上なく有り難い事です。

車で旅をする者にとってこの様な施設は本当に有難く大切な場所です。

改めてその節は 有難うございました🙏🙏。

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ご当地マンホールin徳島県美馬市&旧穴吹町&旧美馬町

2020年10月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

美馬市(みまし)は徳島県の北西地域、北部の中央に位置する市です。2005年3月1日、美馬郡脇町・美馬町・穴吹町・木屋平村が合併し、美馬市となりました。三好市、阿波市、吉野川市、美馬郡つるぎ町、名西郡神山町、那賀郡那賀町に。また県を跨いで香川県高松市、さぬき市、仲多度郡まんのう町、木田郡三木町に隣接。市のほぼ中央を東西に「吉野川」が流れ、穴吹川など幾多の川が吉野川に流れ込み、その沿岸の平野部が主な可住地となっています。北側の阿讃山脈、南側の剣山をはじめ、ほとんどが山地で、総面積の約8割が森林となっており、清らかな水と豊かな緑に囲まれた自然の美しい地域です。「市の木:しだれ柳」「市の花:百日紅」「市の鳥:アカゲラ」を制定。

キャッチフレーズは「四国のまほろば 美馬市」

マンホールには、「市内を流れる穴吹川と町の花:百日紅」、周囲には「町の木:樫」がデザインされています。自治体章は美馬市ですが、デザインは穴吹町のもの。

2005年3月1日制定の市章は「美馬市の「m(緑)」で里から広がる森を、「丸(赤)」は太陽を、上下の「半円(青)」は吉野川と青空を表しています。太陽と森で人を、空と清流の輪で人と文化と自然の調和を表し、心なごむやすらぎのまち「美馬市」をイメージしています。」公式HPより

美馬市観光協会マスコットキャラクター 『うだつまるくん』。見た目どおり「うだつ」がモチーフの男の子で、大きな目と硬さが売りなんです。

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旧美馬郡穴吹町(あなぶきちょう)は徳島県の北部に位置した町です。吉野川市、美馬郡脇町・貞光町・一宇村・木屋平村に隣接。徳島県の最高峰「剣山」に源を発する穴吹川の延長10kmの峡谷「剣峡(つるぎきょう)」は、春には岩つつじやシャクナゲが咲き誇り、秋には紅葉の名所として一面が赤や黄色に染まり、また段瀑と渓流瀑の2つの流れが並んで落ちるめずらしい「閑定の滝(かんじょうのたき)」、平家落人伝説がある「恋人峠」などで知られています。「町の木:カシ」「町の花:百日紅」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、美馬郡穴吹村・口山村・古宮村・三島村が発足。

1924年、穴吹村が町制を施行し、美馬郡穴吹町(第一次)が発足。

1955年、美馬郡口山村・古宮村・三島村と合併、穴吹町(第二次)が発足。

2005年、美馬郡脇町・美馬町・木屋平村と合併し美馬市穴吹町となりました。

マンホールには上部に町章と「市内を流れる穴吹川と町の花:百日紅」、周囲に「町の木:樫」がデザインされています。

昭和47年(1972)11月2日制定の町章は「頭文字の「ア」を表したものです。」

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旧美馬郡美馬町(みまちょう)は徳島県の北西地域に位置した町です。美馬郡半田町・貞光町・脇町、三好郡三野町に、また県を跨いで香川県香川郡塩江町、仲多度郡琴南町に隣接。北の讃岐山脈から南端を東西に流れる吉野川に向かって山地・台地(河岸段丘)・扇状地・平地が、それぞれ狭小ながら展開。また美馬は、古代に「良馬の産地」だったとする説があり、平家物語「宇治川の先陣」において描かれた名馬「池月」も、この地で生まれ育ったと伝えられています。「町の木:桜」「町の花:菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により美馬郡郡里村(こおざとそん)・重清村(しげきよそん)が発足。

1934年、重清村が半田町大字川中島字中鳥を編入。

1940年、郡里村が町制を施行、美馬郡郡里町となる。

1957年、美馬郡郡里町、重清村が合併、美馬郡美馬町が発足。

2005年、脇町・穴吹町・木屋平村と合併し、美馬市美馬町となりました。

マンホールには伝説の「名馬:池月」と「町の木:桜」「町の花:菊」に「みま」の文字がデザインされています。

昭和34年(1959)4月18日制定の町章は「「ミマ」を配し、円を表したものです。」

撮影日:2014年3月24日

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旧美馬郡木屋平村(こやだいらそん)は村域のほとんどが山地に位置した村です。吉野川市、美馬郡穴吹町・一宇村、三好郡東祖谷山村、名西郡神山町、那賀郡木沢村に隣接。標高1,955mの剣山の南に連なる標高1,000mの中尾山(なこやま)高原や、「剣山:龍光寺」、源氏の討伐を逃れた安徳天皇ゆかりの「劔山本宮」などで知られます。

明治22年(1889)、町村制の施行により、麻植郡木屋平村が発足。

1973年、所属郡が麻植郡から美馬郡へ移行。

2005年、美馬郡美馬町、穴吹町、脇町と合併、美馬市とりました。

昭和55年(1980)制定の村章は「「コヤ平」を図案化したものです。」

(※)旧美馬郡木屋平村は未訪問の為、ご当地マンホールの有無は未確認です。

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ご当地マンホール in 徳島県つるぎ町&旧貞光町

2020年10月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

美馬郡つるぎ町は徳島県の北西、吉野川の南側沿いに位置する町です。2005年3月1日に、美馬郡半田町・貞光町・一宇村が新設合併して発足しました。美馬市、三好市、三好郡東みよし町に隣接。貞光地区一宇街道沿いに残る「二層うだつの町並み」や、江戸時代に始まったと云われる半田地区の「半田素麺」、一宇十家を流れる一宇川に位置する一宇峡など、歴史や文化的景観に恵まれた町です。また町域には多くの巨樹、巨木があることから「巨樹の町」としても知られています。「町の木:エノキ」「町の花:水仙」「町の鳥:ヤマガラ」を制定。

キャッチフレーズは「霊峰「剣山」にいだかれたまち つるぎ町」

マンホールに関しては、町章のある量水器を見つけただけで、後は全くの規格蓋のみ。しかも量水器は市章の部分だけ映して全体の画像が無い・・😱

2007年10月17日制定の町章は「全体の形はつるぎ町の「つ」です。ブルーは清流と青空を、グリーンは自然の緑を、中の白地は剣山を表しています。豊かな自然に包まれた、いやしの里「つるぎ町」を表現しています。」公式HPより

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 旧美馬郡貞光町(さだみつちょう)は徳島県の西北部、貞光川が吉野川に合流する地域に位置した町です。貞光うだつの町並や、剣山への登山道入り口がある事などで知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、美馬郡貞光村、端山村が発足。

1907年、貞光村が町制を施行、美馬郡貞光町(第一次)が発足。

1956年、端山村と合併、美馬郡貞光町(第二次)が発足。

2005年、美馬郡半田町・一宇村と合併、つるぎ町貞光となりました。

「道の駅貞光ゆうゆう館」の近くで見つけたノンスリップタイプのマンホール、下の方に小さく「さだみつ」の文字がある規格蓋です。

昭和39年(1964)12月28日制定の町章は「片仮名のサ三つで円形とし、中央のダイヤによって円を四分し「田(ダ)」を表すとともに、光からのイメージで(ミツ)を表しています。」公式HPより

そして同じく、町章のある量水器を見つけたのですが、市章の部分だけ映して全体の画像が無い・・😱 七年前の私に深く問い詰めたい!

撮影日:2013年3月29日

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旧美馬郡半田町(はんだちょう)は徳島県の西部、美馬郡の西端に位置した町です。美馬郡美馬町・貞光町・一宇村・三野町・三加茂町・東祖谷山村に隣接。林業が主産業であった時代もあり、そこから加工する木工産業も起こり、さらに漆器の生産も行われていました。また、江戸時代に始まったとされる半田素麺は、吉野川の豊富な水量を生かした水運により全国的に知られるようになりました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、美馬郡半田村・半田奥山村が発足。

1917年、半田奥山村が改称、美馬郡八千代村が発足。

1926年、半田村が町制を施行、美馬郡半田町(第一次)が発足。

1956年、八千代村と合併、美馬郡半田町(第二次)が発足。

2005年、美馬郡貞光町、一宇村と合併、つるぎ町となりました。

昭和41年(1966)10月11日制定の町章は「「ハン田」を図案化したものです。」

(※)旧美馬郡半田町でのご当地マンホールの類は、見つけられませんでした。

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(※)旧美馬郡一宇村に関しては、未訪問のため、ご当地マンホールの有無は不明です。

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ご当地マンホール in 徳島県上板町

2020年10月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

板野郡上板町(かみいたちょう)は徳島県の北東部に位置する町です。吉野川市、阿波市、板野郡板野町・藍住町、名西郡石井町に。また県を跨いで香川県東かがわ市に隣接。北に阿讃山脈、南に吉野川で挟まれ、町中央を東西に中央構造線が走り、北側の山地部と南側の平野部とに分けます。吉野川は四国三郎とも呼ばれ、暴れ川として知られていますが、上板町では農地や牧草地を形成する恵みの川と位置付けられ、藍染めの原料となる藍すくもや、高級和菓子などに使われる阿波和三盆糖の産地としても有名です。「町の木:イチョウ」「町の花:藍」を制定。

キャッチフレーズは「フルーツとロマンの里 かみいた」

1889年、町村制の施行に伴い、板野郡大山村、松島村、名西郡高志村が発足。

1947年、松島村が町制を施行、板野郡松島町が発足。

1955年、板野郡松島町、大山村、名西郡高志村が合併、板野郡上板町が発足しました。

集落排水のマンホールには、町章を中心に「町の木:イチョウ」がデザインされています。

昭和47年(1972)1月1日制定の町章は「「か」と「ミ」の文字を図案化したもので、町民が一丸となり、力づよく未来にむかって飛躍発展することを象徴したものです。」公式HPより

撮影日:20年14月3日24日

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