車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 福島県只見町

2025年01月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

南会津郡只見町(ただみまち)は福島県の最西端、会津地方に位置する町です。大沼郡金山町、昭和村、南会津郡南会津町、檜枝岐村。さらに県を跨いで新潟県:阿賀町、魚沼市、三条市に隣接。四方を山々に囲まれ、町の中央に流れる伊南川や只見川の流れと、面積の94%を占める豊かな森林資源に恵まれ、わが国屈指の豪雪地帯という厳しい自然環境から生まれる四季の美しい移り変わりが、緑と水の郷・只見の源となっています。

また、戦後には只見川を利用した電源開発事業が大々的に取り組まれ、一大電源地帯として脚光を浴びるという歴史を持ち、さらに古く江戸時代には南山御蔵入と呼ばれる幕府直轄の地に編入されていました。「町の木:ブナ」「町の花:こぶし」「町の魚:岩魚」を制定。

キャッチフレーズは緑と水と心のふるさと………只見町」

明治22年(1889)、町村制の施行により南会津郡伊北村(いほうむら)・明和村・朝日村・南郷村が発足。

1952年、伊北村が改称。南会津郡只見村(第一次)となる。

1955年、明和村と飛地合併、南会津郡只見村(第二次)となる。

1959年、朝日村を編入、町制を施行し只見町となる。

1968年、南郷村大字和泉田の一部を編入。

マンホールには大きく町章、周囲には上から左回りに「町の花:こぶし」「只」「町の魚:岩魚」「見」「町の鳥:鶯」がデザインされています。

昭和43年(1968)10月制定の町章は「明治百年記念事業の一環として制定。三村合併を、只見の「只」の文字に合わせ図案化し、円の構成は融和と円満、外へ開く広がりは未来への発展をあらわしています。」公式HPより

 只見町公式キャラクターは、心優しいブナの精『ブナりん』。ブナ王国の王様で山の精のお父さんと、ブナ王国の女王で水の精のお母さんに大切に育てられました。ブナの木たちや森の仲間たちと話ができる不思議な力をもっています。

撮影日:2015年7月1日

 

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ご当地マンホール in 福島県金山町

2025年01月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

大沼郡金山町(かねやままち)は福島県の南西部、奥会津に位置する町です。三島町、昭和村、河沼郡柳津町、耶麻郡西会津町、南会津郡只見町に、また越後山脈の急峻な山並みを隔てて新潟県阿賀町に隣接。町の周囲を800m~1300mの山々に囲まれ、町の総面積の90%が山林地帯。中央部には南西から北東に向かって只見川や、そこに流れ込む中小の河川が深い渓谷を刻み、町の東部には沼沢火山の噴火によって出来た二重カルデラ湖「沼沢湖」が神秘的な景観を見せています。中世には、会津四家の一人「山ノ内一族」の支配にあり、現在の集落はこの頃に形づくられ、江戸時代には尾瀬を含む広大な天領「南山御蔵入」の一角として栄えてきました。「町の木:桐」「町の花:こぶし」「町の鳥:カッコウ」を制定。

キャッチフレーズは「自然の恵みと笑顔あふれるかねやま」

明治22年(1889)、町村制の施行により、大沼郡川口村・沼沢村・本名村・横田村が発足。

1955年、川口村、沼沢村、本名村、横田村が新設合併、大沼郡金山村が発足。

1958年、金山村が町制を施行、大沼郡金山町となる。

マンホールには町章を中心に「妖精」と、「町の花:こぶし」がデザインされています。沼沢湖に残る大蛇伝説から、金山町は「妖精の里」として知られており、毎年8月には大蛇伝説を模した沼沢湖水まつりが開催されます。

昭和41年(1966)3月1日制定の町章は「金山町の「カ」の字を天に、「山」の字を地に図案化したもので、町民の和と積極的に町づくりに取り組む姿勢を表しています。」公式HPより

金山町公式キャラクターは、町の特産品「奥会津金山町赤カボチャ」の妖精『かぼまる』。頭はカボチャ、リボンは炭酸水、身体は温泉を表現しています。

撮影日:2015年7月1日

 

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ご当地マンホール in 福島県三島町

2025年01月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

大沼郡三島町(みしままち)は福島県会津地方の中西部に位置する町です。昭和村、柳津町、金山町に隣接。尾瀬を水源とする只見川が町の中央を貫流し、冬季には積雪が2m近くなることもあり、特別豪雪地帯に指定されています。町の大部分は森林で典型的な山村であり、町名は旧宮下村にある「三島神社」に由来します。「町の木:桐」「町の花:大山桜」「町の鳥:ヤマガラ」を制定。

キャッチフレーズは「豊かな自然と溢れる人情「桐の里」みしま町」

明治22年(1889)、町村制の施行により大沼郡川西村・原谷村・三谷村・西川村が発足。

1889年、 西川村、原谷村、三谷村が、西川村外二ヶ村組合村となる。

1917年、川西村が、大沼郡西方村と改称。

1942年、西川村外二ヶ村組合村が、大沼郡宮下村となる。

1955年、宮下村と西方村が合併、大沼郡三島村となる。

1961年、三島村が町制を施行、大沼郡三島町となる。

マンホールには「町の木:桐」が対角にデザインされています。

昭和40年(1965)11月3日制定の町章は「三島町の「ミシマ」を図案化し、3文字を組み合わせることによって町民の団結を表し、円は和を、鋭角的な図案は躍進を意味しています。」公式HPより

三島町マスコットキャラクター『みしまる君』は、三島町特産の会津地鶏がモデル。日本一と言われる三島産会津桐の下駄をはき、桐の花の色のはっぴを着ています。

正面からでは会津地鶏なのか、ヒヨコなのか判断がつきにくい・・ので、横から・・・でもやっぱりヒヨコ🐤 マンホール画像が少ないので遊んでみました😅

三島町宮下田中にある「JR東日本 只見線:会津宮下駅」。雨の日に出会う駅舎は、どんなに小さくても古くても、何故かしら温かく感じるもので、それがこんなに素敵な佇まいだと、その思いはより一層強くなります。

ホームから見る雨に濡れた線路・・・こんな景色は昔々の切ない思い出に繋がって、油断したら泣いてしまいそうなレッドゾーン・・

見知らぬ町を車で走り抜けるには、お世辞にも快適と言えない雨の中。それでも見方を変えれば目に入る景色はしっとりと美しく、特別な顔で私たちを歓迎してくれます。

宮下発電所の看板近くにあった「只見川三峡21景」。私たちが出会えるのはこの中のどの景色でしょうね。

撮影日:2015年7月1日

 

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ご当地マンホール in 福島県昭和村

2024年12月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

大沼郡昭和村(しょうわむら)は福島県会津地方の西南部に位置する村です。可沼郡柳津町、南会津郡下郷町、南会津町、只見町、大沼郡会津美里町、金山町、三島町に隣接。

村の面積のほとんどが急峻な山で、82%が山林。村の中央を野尻川が貫流し、その河岸段丘に10の集落があります。村名は昭和時代に合併した事に由来。かっては峡谷の難所であり、村人は峠越えで往来するしか道がありませんでした。「村の木:ヒメコマツ」「村の花:サユリ」「村の鳥:ヤマガラ」を制定。

キャッチフレーズは「からむし織とかすみ草の里」

明治22年(1889)、町村制の施行により、大沼郡野尻村、大芦村が発足。

1927年、野尻村、大芦村が合併、大沼郡昭和村となる。

マンホールには中央に村章、放射状に「村の花:サユリ」「村の鳥:ヤマガラス」が交互にデザインされています。

上記と全く同じデザインですが、こちらは集落排水用で左下の「公」の文字が「集」に変わっています。

昭和42年(1967)3月20日制定の町章は「鳩の羽根に「ショウワ」を配し、表したもの」

昭和村公式マスコットキャラクター『からむん』は、昭和村を愛するからむしとカスミソウの妖精。 頭の形は七夕の織姫とカスミソウ。 足は昭和村の駒止湿原や矢ノ原湿原の清水、胴体はからむしの茎を表現しているそうです。

撮影日:2015年7月2日

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ご当地マンホール in 福島県旧会津本郷町(会津美里町)

2024年12月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧大沼郡会津本郷町(あいづほんごうまち)は会津盆地の南端部に位置した町です。会津若松市、会津高田町、南会津郡下郷町に隣接。町の北部は盆地が広がり比較的平坦ですが、中南部は山間部が広がり町域の70%が森林。町の東側、会津若松市との境を阿賀川が南北に流れています。東北最古の窯場といわれる会津本郷焼で知られており、その発祥は1593年、会津若松城主・蒲生氏郷が城の改修のために播磨国から瓦工を招き、瓦を焼かせたのが始まりといわれています。「町の木:赤松」「町の花:山ツツジ」「町の鳥:セキレイ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、大沼郡本郷村・氷玉岡村・川路村が発足。

1903年、本郷村が町制を施行、大沼郡本郷町となる。

1925年、氷玉岡村・川路村が合併、大沼郡玉路村となる。

1954年、本郷町が玉路(たまじ)村と合併。

1992年、本郷町が会津本郷町と改称。

2005年、会津高田町、新鶴村と合併、大沼郡会津美里町となる。

マンホールには東北最古の歴史を持つ「会津本郷焼」の急須がデザインされています。

会津本郷焼の急須

1992年3月31日制定の町章は「「A」と「H」を合わせて図案化したもの」

本郷町から会津本郷町に「町名変更記念宣言書」「白鳳の山を望み 豊かな大地の中で 土と炎の伝統を守り 未来にはばたく 会津本郷の歴史 今ここに始まる」

旧本郷町時代の町章入り制水弁。

撮影日:2015年6月30日

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ご当地マンホール in 福島県旧新鶴村(会津美里町)

2024年12月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧大沼郡新鶴村(にいつるむら)は会津盆地の中西部に位置した村です。柳津町、会津若松市、会津高田町、会津坂下町に隣接。佐賀瀬川周辺に広がる鶴沼川と佐賀瀬川の複合扇状地に開けた会津盆地は米どころとして知られますが、村域の50%が森林で占められています。村域には縄文遺跡、古墳、条里遺構も残されており、また江戸時代には若松城下から現:柳津町の軽井沢銀山へ通じる銀山街道があり、交通の要所として栄えてきました。「村の木:エンジュ」「村の花:菊」「村の鳥:ヒバリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、大沼郡新田村、鶴野辺村が発足。

1898年、新田村と鶴野辺村が合併、大沼郡新鶴村が発足。

1949年、西山村大字軽井沢の上平地区を編入。

2005年、大沼郡会津本郷町、会津高田町と合併、大沼郡会津美里町となる。

マンホールには村のイメージキャラクター「ニッキー」を中心に、上に「村の木:エンジュ」、下に「村の花:菊」枠部分に「NIITURU」の文字が出会因されています。

特産の会津米から生まれた、新鶴村イメージキャラクターニッキー

昭和48年(1973)12月制定の村章は「新鶴の「に」をつるの姿にかたどり、「にいつる」と組み合せて図案化。胴と羽は村民の融和と団結、豊かで円満な平和を表し、首と口ばしは限りない発展を願い、明日へ飛躍する新鶴村を表しています。」新鶴村勢要覧より

撮影日:2015年6月28日

 

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ご当地マンホール in 福島県会津美里町&旧会津高田町

2024年12月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

大沼郡会津美里町(あいづみさとまち)は福島県西部を占める会津地域の、ほぼ中央に位置する町です。2005年10月1日、大沼郡会津高田町・会津本郷町・新鶴村が合併して発足しました。西は柳津町、北は会津坂下町、東は会津若松市、南は下郷町、昭和村に隣接。高田梅や朝鮮人参など特徴的な農産物や「会津」発祥の起源に由来する伊佐須美神社、東北最古の焼き物として知られる会津本郷焼や、野口英世博士ゆかりの中田観音などの由緒ある神社仏閣などがあり、古い歴史と美しい自然に恵まれた町です。「町の木:えんじゅ」「町の花:あやめ」「町の鳥:せきれい」を制定。

キャッチフレーズは「まるごと いいね!会津美里 ~人咲き 花咲き 文化輝く 希望あふれる未来へ~」

2005年12月16日制定の町章は「会津美里町の「A」と「ミ」をモチーフに、温泉や清流などの豊かな四季、緑あふれる山や川の恩恵と歴史、3つのウェーブは3地域が融合し、安らぎと活力あふれる会津美里町イメージ、グリーンは発展・調和・健康を表現しています。」公式HPより

「町の花:あやめ」の路上タイル画

会津美里町PRキャラクター『あいづじげん』。江戸時代に活躍した「慈眼大師:天海大僧正」にあやかって名づけられタヨ。僕が生まれてすぐに大震災に見舞われたけど、被害を受けたふるさとを起き上がり小法師のごとく復興させるため、今日も元気に活動中!

撮影日:2015年6月28日

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旧大沼郡会津高田町(あいづたかだまち)は会津盆地の南西部に位置した町です。柳津町、会津若松市、会津本郷町、新鶴村、昭和村、下郷町に隣接。北部・東部は盆地の平野部が広がり、コシヒカリ、ひとめぼれなどを中心とした稲作が盛んで、南部・西部は山間地となっており会津高原へとつながっています。町域には、国宝一、国重要文化財五、県重要文化財十二、町重要文化財四十を擁し、「会津文化発祥の地」ともいわれています。「町の木:梅」「町の花:アヤメ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、大沼郡高田村・田川村・赤沢村・永井野村・尾岐村・東尾岐村・旭村・藤川村が発足。

1896年、高田村が町制を施行、大沼郡高田町となる。

1927年、高田町が田川村を編入。

1955年、高田町、赤沢村、永井野村、尾岐村、東尾岐村、旭村、藤川村が合併、大沼郡会津高田町となる。

2005年、会津本郷町、大沼郡新鶴村と合併、大沼郡会津美里町となる。

マンホールには中央に、四方に「町の花:あやめ」、周囲に「町の木:梅と梅の実」がデザインされています。

中央に「町のキャラクター:あやめちゃん」、四方に「町の花:あやめ」がデザインされています。

中央にシルエットになった「あやめちゃん」

会津高田町PRキャラクター『あやめちゃん』

左に「町の花:アヤメ」、右に「法用寺:三重の塔」がデザインされた工業排水用マンホール。

「法用寺:三重の塔」

昭和40年(1965)9月10日制定の町章は「たかだまちの「た」を図案化し町民の和と未来に向って躍進する町勢を象徴している。」会津高田町勢要覧より

撮影日:2015年6月28日

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ご当地マンホール in 福島県柳津町

2024年12月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

河沼郡柳津町(やないづまち)は福島県会津地方の西部に位置する町です。西は西会津町と三島町、北は会津坂下町、南は昭和村、東は会津美里町に隣接。南端に博士山(はかせやま)があり、南部は山地が目立つ地形で、町を南北に滝谷川が流れ、町の北部を横切る只見川に合流します。かって只見川の河岸は明治時代までは柳の大木が繁茂しており、大同の頃(約1200年前)、南岩坂(今の柳津)の河岸に三本の大柳があり、船やいかだの発着所であった事が柳津の地名の起こりと言われています。「町の木:柳」「町の花:桐」「町の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「赤べこ伝承 発祥の地」

明治22年(1889)、町村制の施行により、河沼郡柳津村・倉戸村・飯谷村、大沼郡西山村が発足。

1921年、河沼郡柳津村、倉戸村、飯谷村が合併、柳津村が新設。

1942年、柳津村が町制を施行、河沼郡柳津町となる。

1955年、大沼郡西山村と合併し、改めて河沼郡柳津町を新設。

マンホールには「町の花:桐」、中央に「町の鳥:ウグイス」。下に「町の木:柳」がデザインされています。

昭和年(1962)10月1日制定の町章は「片仮名の「ヤナイヅを図案化したものです。町名の由来は、昔只見川の河岸に三本の大柳があり、船の発着所であったのでヤナイヅという地名が起こったといわれており、また伝説では只見川の梁場を由来するともいわれ、昔は梁井戸と呼ばれていたこともありました。」公式HPより

「福満虚空藏菩薩圓藏寺」の守り本尊である、丑と寅を組み合わせた『うとちゃん』。会津柳津名物のあわまんじゅうが大好きで、1日になんと113個ものあわまんじゅうを食べるのです。赤い顔は、柳津町が「赤べこ発祥の地」という事から「赤べこ」になっているのです。そして実は『うとこちゃん』という恋人がいるのです。

会津柳津名物の「あわまんじゅう」。江戸時代、福満虚空蔵で有名な円蔵寺付近で大きな火災があり、円蔵寺の一部もその被害を受けました。この時、当時の住職が「もう二度とこのような災難に”あわ”ないように」という思いを込め、粟を使ったまんじゅうを作ったのが始まりだと言われています。

撮影日:2015年7月1日

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ご当地マンホール in 福島県西会津町

2024年12月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

耶麻郡西会津町(にしあいづまち)は福島県の会津地方、北西部に位置する町です。東に会津坂下町、喜多方市、南に金山町、柳津町、北及び西は県を跨いで新潟県阿賀町に隣接。町の面積の約86%は山林で、西に越後山脈が走り、北には磐梯朝日国立公園の雄姿、万年雪を戴く飯豊連峰が間近に望まれ、中央に電源の宝庫、阿賀川が13の支流を集めて西に流れ、日本海に注いでいます。西会津地方には、会津三十三観音の札所としても知られている霊地が点在しており、「会津の霊地」信仰の里として古い歴史と美しい自然に恵まれた町です。「町の木:桐」「町の花:乙女ゆり」を制定。

キャッチフレーズは「笑顔つながり 夢ふくらむまち~ずーっと、西会津~」

明治22年(1889)、町村制の施行により耶麻郡新郷村・奥川村、河沼郡野沢町・尾野本村・登世島村・睦合村・下谷村・群岡村・上野尻村・宝坂村が発足。

1954年、耶麻郡新郷村・奥川村、河沼郡野沢町・尾野本村・登世島村・睦合村・下谷村・群岡村・上野尻村・宝坂村が合併、耶麻郡西会津町が発足。

1960年、耶麻郡高郷村束松地区を編入。

マンホールには、中央に町章、「周囲に町の花:乙女ゆり」がデザインされています。

昭和29年(1954)9月20日制定の町章は「西会津町の「西」を図案化したもので、上部の円は住民の協和を三角形の三辺は自由、平等、友愛を基調とする民主主義の精神を、V字形は町政自治の発展を象徴しています。」公式HPより

西会津町PRキャラクター『こゆりちゃん』。霊峰・飯豊山の使者で、町の花「おとめゆり」の妖精。 頭の触覚で楽しい事を探し、背中の葉っぱでできた羽根で飛び回ります。 足には特産品である「桐下駄」を履いています。

「道の駅:西会津よりっせ」で購入したチョコレートタルトの「赤べこペッコペコ」。数ある商品の中でこれを選んだ理由はただ一つ・・包装紙の「赤べこ」が可愛い~~~~~😍💗😍 これを友人J🐣さんにプレゼントして、包装紙だけ頂戴と言ったら、思いっきり拒否られてしまった😭

撮影日:2013年6月19日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 福島県会津坂下町

2024年12月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

河沼郡会津坂下町(あいづばんげまち)は福島県の会津盆地西部に位置する町です。湯川村、喜多方市、会津若松市、柳津町、会津美里町、西会津町に隣接。会津若松、喜多方、高田それぞれが三里であるため、「坂下のバカ三里」とも呼ばれました。町の中部から東側は盆地が広がり比較的平坦で水田が多く、西側は山林が多く、町の東側から北側にかけて阿賀川が流れているほか、西部には只見川が流れており、古来より交通の要所として栄えてきました。「町の木:桜」「町の花:菊」「町の鳥:うぐいす」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、河沼郡坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が発足。

1955年、坂下町、若宮村、金上村、広瀬村、川西村、八幡村が合併、河沼郡会津坂下町となる。

1960年、耶麻郡高郷村高寺・片門・束松地区を編入。

マンホールには、重さ約5トンの米俵を引き合う伝統行事「初市大俵引き」の様子がデザインされています。

重さ約5トンの大俵

昭和40年(1965)3月16日制定の町章は「坂下(ばんげ)を“さかした”と読み違え易いので、その読み仮名の頭文字を取って図案化した。大きな円は地域の和、小さな円は家庭の和とし、縦の線はそれを有機的に結び付け、明日への発展を促進することを表している。」公式HPより

「大江戸助六流 会津坂下安兵衛太鼓」がデザインされた側溝蓋。会津坂下町は忠臣蔵:堀部安兵衛の誕生の地です。

「会津若松市の越境蓋」。設置は民間の住宅会社が開発した場所で、会津若松で開発した時のマンホールを持ち込んだとの事です。

巨大なタイル画、腰に刀を差している所を見ると『堀部安兵衛』のようにも見えますが、仮装したランナーのようにも見える・・謎のデザイン😅

戊辰戦争で女性ながらも薙刀を手に持ち果敢に戦った娘子隊の『中野竹子女史』を愛らしく表現したイメージキャラクター『こたけちゃん』。会津坂下町のPRのために頑張っています。

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マンホールカード、頂きました

2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(累計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「会津坂下町」のマンホールカードは、「会津坂下町役場 建設課 上下水道班」でいただけます。

2013年に設置開始されたマンホールには「大俵引き」がデザインされています。

「このマンホール蓋のデザインは、約400年続く坂下初市(毎年1月14日)の奇祭「大俵引き」をモチーフに制作しました。 大俵引きは、極寒の中、下帯一本の男衆が東西に分かれ、長さ4メートル、高さ2.5メートル、重さ5トンの大俵を勇ましく引き合う祭礼です。 上町(東方)が勝つとその年の米の値段があがり、下町(西方)が勝と豊作になると伝えられています。 また、引き子は一年間無病息災で過ごせるとされ、全国から志願者が集まります。 大俵引きの後は会場となる役場前で「福豆俵まき」が行われ、福豆俵を拾った人は一年間福が授かるといわれています。」

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