「白峰地区は、山間部の狭隘な敷地に形成された特色ある集落構成をもち、豪雪という気候風土や、養蚕という生業に即して発展成立した地方色豊かな伝統的建造物群がよく残り、厳しい自然環境にある山村集落の歴史的風致をよく残し、我が国にとって価値が高いとして、2012年7月9日、文化庁より重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。」
町歩きの最初は白山市白峰イに門を構える「 無量光山:林西寺」。『阿弥陀如来』を本尊とします。
同行の友人は早速御朱印帳を持って声をかけたのですが・・・いくらおとなっても応える声はなく、よくよく見ればこちらは真宗大谷派の寺院。当然、御朱印など頂ける筈は有りません。ここはあっさりと諦めてもらって(笑)
白山開山の祖『泰澄大師』の開基と伝えられる「林西寺」。こちらには、昨日参拝した白山からの「白山下山仏」が安置されており、拝観もできる筈だったのですが・・しばらく待ってみましたがやっぱり人の気配がありません。
心惹かれつつも人間諦めも肝心!。参拝を終えて改めて見る境内。本堂貫には迫力満点の阿吽の龍。
境内の一画には、白峰に残る唯一の木羽葺き屋根を持つ「行勧寺庫裏」。
屋根に置かれた太鼓堂
太鼓堂は、深く雪に閉ざされた中でも仏事の知らせが村中に届くように設置されたもの。目を閉じて想像を働かせてみても・・実感がわきません。
豪雪地帯のお寺では当たり前の景色として、屋根に上がって雪下ろしをする為の大はしごが立て掛けられています。見上げる高さの大はしご・・・高所恐怖症の私は・・多分・・絶対に生き残れない。
さて、町歩きのメインは、黄土色の大壁と縦長窓が特徴の「大庄屋・山岸家」。白山麓18ヶ村の事務を司った山岸家は、白峰重伝建地区のランドマークとも言える建物。白山市の観光案内などでも、何度か目にしました。
「旧山岸家住宅は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている白山市白峰に所在する。17世紀後半から白山麓十八箇村の取次元(大庄屋)を勤めた豪農である。雪深い山間の集落にあり、主屋は天保11年(1840)建設の土蔵造・三階建で、明治26年に移築、付座敷を接続した。おもに一階で生活し、二階と三階は養蚕などの作業や物置に用いられた。保存地区内で建設年代が判明する最古の民家で、手取川上流域に分布する土蔵造、切妻屋根の農家住宅を代表する主屋として貴重である。敷地内の土蔵群や、水路なども併せて保存を図る。」文化遺産オンラインより
景観のひとつの見どころとして紹介されている、道路沿いや敷地の土留めの石積みと小道の石段。
もと牛首社と呼ばれ(近世の村名は牛首であった)「八坂神社」。御祭神は『牛頭天王』。本地仏は薬師如来で、同社に現存する十二神将像は、薬師教を奉じて衆生を守る薬師十二神将だそうです。鳥居前の参拝で失礼させていただきました。
一時間強の町歩きは「総湯」まで戻って終わり。ここの泉質は全国でも希少な純重曹泉で俗に「絹肌の湯」と呼ばれる極上の湯なんだそうです。一応女子の自覚の有る私と友人(笑)、後ろ髪引かれまくり(^^;)
訪問日:2015年10月20日
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一口メモ
「白山下山仏」、古来、白山の山頂には多くの仏像がまつられていたが、明治の神仏分離令により、ことごとく山を追われ破壊されたりした。そのことを憂えた当時の林西寺住職は、力を尽くして数体の仏像を下山させお堂に安置。これを白山下山仏と呼ぶ。