車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

清金中宮(きよかねなかみや)神社 in 石川県野々市市

2017年10月31日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

のどかに広がる麦畑の中の一本道、車で鳥居の前まで行く道があったのかどうか不明だった為、土手に路駐しての参拝。(^^;)

野々市市清金に鎮座される「清金中宮(きよかねなかみや)神社」。御祭神は『天照大神、応神天皇、菅原大神』

由緒に【創立は明応年中と伝えられる。もと中宮神社と称したが、明治8年現社名に改称した。明治39年11月1日同字の八幡社および菅原社を合祀した。昭和16年2月12日指定村社。】石川県神社庁より

拝殿、扉の前より神域を守護されるのは、石製の神殿狛犬さん一対。台座や足元に大きな亀裂が有りますが、拝殿覆い屋の中なのできっとこれ以上の破損は避けられる・・避けられますように。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、御即位記念 大正4年(1915)奉納の加賀逆立ち逆立ち狛犬さん一対。 阿吽どちらも、鋭くとがった牙を持っていますが、顔立ちはとても優しげで穏やか。

ただ・・・阿形さんの上唇の欠損が・・・どうかこれ以上広がりませんように!

まるで玉を嵌めこんだ様に見える目。石工の技量は思いもかけない場所にキラリと光るもののようです。

麦畑の中の参道から愛車のもとへ。土手一杯に咲き乱れるコスモスに埋もれて、何故かはにかんでいるような「茶々丸」(*^^*)

参拝日:2011年10月13日

 
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薬師日吉(やくしひよし)神社 in 石川県野々市市

2017年10月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

野々市市下林に鎮座される「薬師日吉(やくしひよし)神社」。御祭神は『大山咋神、菊理比咩命』

「創立は天正年中と伝えられる。もと日吉社と称したが、明治16年10月14日現社名に改称した。なお、同40年8月30日同字の白山社を合祀した。昭和14年4月10日指定村社。」石川県神社庁HPより

鳥居のうち参道左右より神域を守護されるのは、明治28年(1895)10月建立の加賀逆立ち狛犬さん一対。 

阿形さんの足元で、顎を上げてこちらを見上げる生意気盛りの仔狛さん。「どうしましょう?」と困り顔の阿形さん。大きな角を持った吽形さんは苦笑い。

健康優良児を絵にかいたような仔狛さん。その得意そうな顔の理由は何でしょう?とっても興味があるのですが、こっそり教えてくれませんか?(笑)

末社

御神馬の腹掛けには御神紋「梅鉢」

神仏習合の名残を伝える鐘楼

参拝日:2011年10月13日

 

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藤岡諏訪(ふじおかすわ)神社 in 石川県野々市市矢作

2017年10月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

野々市市矢作に鎮座される「藤岡諏訪神社」。御祭神は『武御名方神、保牟多和気神(ほんだわけのかみ)=応神天皇』。

「創立年代は詳らかでないが、神主岡本越前守の弘安6年の文書によれば、かなり古くから鎮座されていたとみられる。なお、当社はもと諏訪社と称したが、明治13年10月20日現社名に改称。同34年10月25日同字八幡社を合祀した。」石川県神社庁HPより

拝殿額は「諏訪大社 宮司:加藤茂敬書」

二の鳥居の奥、拝殿前左右より神域を守護されるのは明治十四年建立の加賀逆立ち狛犬さん一対。

荒削りっぽい岩の上に半立ちの阿形さん、前脚の間にはまだ頭の毛も充分に生え揃っていない子狛がすっぽりとおさまっています。それを見守る吽形さんの頭には巨大な角。

  

何やら熱心に吽形さんに話しかける阿形さん。身を乗り出して聞き耳を立てる仔狛。優しく耳を傾ける吽形さん・・・・の図。

「おいらの二親ってサイコーだろ <(`^´)>」(笑)

末社

境内の一画に建立された『聖護院道興』の歌碑。『道興』・・関白:近衛房嗣の子、室町時代の僧侶で聖護院門跡となり、寛正6年(1465)に「准三宮」宣下を受けて「道興准后(どうこうじゅごう)」と呼ばれた・・説明し始めると長くなるので以下略。

【 こよひしも 矢はきの里に ゐてぞみる 夏も末なる 弓張の月 】

境内には色も形も大きさも異なった三つの「盤持石」が置かれています。非常に重い石で、古代にはこれを持ち上げて吉凶や願い事の成就を占ったと云われています。後には娯楽や鍛錬のための力試しや力自慢に使われました。

参拝日:2011年10月13日

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一時の会話を楽しませてくれた加賀逆立ち狛犬さんですが、2014年9月に似たような形状の狛犬さんに守護の座を譲ったようです。確かに阿形さんの鼻のあたりが少し削がれていましたが・・・それにしても新しい狛犬が足元にも及ばない綺麗な姿だったのに・・残念です。

 

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御経塚(おきょうづか)遺跡&富樫家国 in 石川県野々市市

2017年10月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

野々市市御経塚の一画。ここに「国指定史跡:御経塚(おきょうづか)遺跡」を保存した史跡公園があります。

御経塚遺跡は縄文時代の後期中ごろから弥生時代初頭、今から3,700年から2,500年前に存在した大集落。考古学的な事にはあまり造詣の無い私、特別に!此処を見たかった訳では無かったのです。でも折角野々市市に来たのだから、マンホールと神社以外の場所もできたら見たい・・と、甚だ適当な動機だったのに、これが意外と楽しい(笑)

入園は無料。周辺は史跡公園として整備されており、復元された竪穴式住居にも入ることができます。意外だったのは、竪穴住居の中が外見で予想したよりも遥かに広かった事。

しかも公園内は広くて清潔。特に目的も無く無制限に時間があるのなら、一日のんびり、ぼんやり、遥か太古の昔に浸って過ごすのも悪くない。

更にラッキーな事に、丁度この日は、土器の「野焼き」があるとかで関係者の方が色々と準備中。こんな場面に立ち会うのは初めだったので、ちょっとワクワク。 

ここでの野焼きは、陰干しにした土器をブロックの上に置いたトタンの上に並べ、下から木片に火をつけて焼き上げるというもの。何ともワイルドというか・・・でも大昔の土器の再現と言うことなら、それでも充分現代的過ぎるかも。だってトタンみたいな金属なんて存在していなかった筈。

本当は焼きあがるまで見届けたかったのですが、流石にそうお手軽に完成できるほど甘くはない・・(-_-;)。ともあれ、縄文時代の遺跡と土器の野焼き、考古学に造詣が無い私にも単純に楽しめた時間でした(*^^*)

野々市市本町、野々市文化公民館の前に建立された『富樫家国(とがしいえくに)』像。平安時代後期に加賀の富樫郷に居住し、「富樫介(とがしのすけ)」と称した人物で、それが「富樫氏」の始まりと云われています。安宅関に登場する関守の富樫氏(富樫泰家)は、富樫氏六代当主でこの人の子孫らしい。

同行のJさんに言わせると「男前でも何でもないのに、なんで?」('◇')? まぁ・・(-_-;)  調べたらそこに「富樫氏」の銅像があったんでね・・

訪問日:2015年10月19日

 

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ご当地マンホール in 石川県野々市市

2017年10月28日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

野々市市(ののいちし)は石川県の中部、手取川扇状地の北東端に位置する市です。北部と東部は金沢市に、西部と南部は白山市に隣接。山も海もない全くの平坦地で、石川県内の市では唯一、日本海に面していない自治体です。「市の花&木:椿」を制定。

キャッチフレーズは「にぎわいとやすらぎに満ちた 快適・文化都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により、石川郡野々市村・富奥村・郷村が発足。

1924年、野々市村が町制を施行、石川郡野々市町となります。

1955年、石川郡富奥村と合併。新たに野々市町が誕生。

1956年、石川郡郷村の一部を編入。

1957年、金沢市押野地区(押野町、御経塚町、野代町、押越町)を編入合併。

2011年、石川郡野々市町が市制を施行、野々市市となりました。

マンホールには「市の花木:椿」と、上下に「北・南」の方角が書かれています。

野々市 汚水の文字入り中型マンホール

同じデザインですが、方角の記載がないマンホール。

「市の花木:椿」がデザインされた消火栓。

「市の花木:椿」がデザインされた仕切弁。

昭和35年6月15日制定の市章は「旧野々市町、富奥村の合併5周年を記念して制定。平仮名で”のの”を組み合わせ、分銅を形成し、市の融和発展を象徴した簡潔清爽な意匠となっています。」公式HPより

消火栓

給水栓

側溝蓋

仕切弁二枚は市制以前のもので、野々市町の自治体名が書かれています。

どこで生まれ、どこから来たのか、いつのまにか野々市に住みついていた不思議な生き物『のっティ』。コミュニティバスのキャラクターに採用されたんだけど、その可愛らしさが話題になって、2010年に市の公式キャラクターとなりました。

ロバの『のんキー』は「ののいちバス株式会社」のマスコットキャラクター。パンは売らないけど(笑)、代わりにみんなを乗せて走る「ロバ」なんです。

撮影日:2011年10月13日&2015年10月19日

 

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ご当地マンホール in 石川県旧尾口村(白山市)

2017年10月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧石川郡尾口村(おぐちむら)は石川県の南部に位置し、白山国立公園の主峰・大汝峰 (2684m) を境に岐阜県白川村と境を接した村です。村域には1000m〜2000m級の山々が連なっているため、耕地や宅地に適した土地は総面積のおよそ2%。また起伏の激しい地形が多いため、集落は手取川とその支流の尾添川によって形成された小規模な河岸段丘や川沿いの山腹斜面に点在しています。「村の木:杉」「村の花:山百合」「村の鳥:鶯」を制定。

白峰村が日本有数の豪雪地帯と紹介しましたが、尾口村は更に上を行く世界有数の豪雪地帯。白山市尾口支所の敷地内に常駐する除雪車が、その事実を雄弁に物語っています。

明治22年(1889)、町村制の施行により「尾添」と「東二口」から一文字ずつとって、能美郡尾口村が発足。

1949年、白峰村、鳥越村と共に石川郡に編入。

2005年、松任市、石川郡美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村が新設合併し白山市となりました。

マンホールは村章が記載された規格タイプのみ。

昭和46年4月1日制定の村章は、「「オ」の字を図案化したもので、円は村民の融和と平和、上の2つの鋭角は今後の飛躍発展、下の円の割は、特別天然記念物岩間の噴泉塔を表徴します。」HPより

支所近くの瀬女トンネルに描かれているのは「村の花:山百合」、「瀬女高原のラベンダー」。反対側は何だったんだろう?

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尾口支所を後にして、この日は「道の駅:瀬女」で車中泊をさせていただきました。世界有数の豪雪地帯にある道の駅では、自販機にも可愛い雪だるまが描かれています。お土産に購入した「とち餅」。初めてなのに不思議に懐かしい味でした。

この時は予定していた温泉が閉館になっていて、急遽、別の日帰り温泉を探す事態に(^^;) 多少の距離はありましたが心地よいお湯に手足を伸ばして寛ぎ、ゆっくりと一日の疲れを癒して眠る事ができました。車で旅をする者にとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その節には有難うございました

撮影日:2015年10月20日

 

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白峰流雪溝(しらみねりゅうせつこう) in 石川県白山市白峰

2017年10月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

日本有数の豪雪地帯「白峰村」。最後の紹介はそうした地理条件の中で考案された「流雪溝「りゅうせつこう)」。聞きなれない名称ですが、実は私も行く先を決める為の検索で初めて知った名前。初めてこの画像を見た時は、何がどうなって何の目的でこんな風に水を流しているのか????が頭を駆け巡っっていました。

検索の結果わかった事は「約1/100の勾配の溝に水を流し、溝に投入された雪を流水の勢いで運び去る排雪装置」である事。また「溝の深さは100 cmで上部はコンクリートで履われ、約5 mごとに雪捨用の穴(90cmx60 cm)があけられ ている。」等々・・読んで字のごとく「雪を流す溝」。雪のある地域ならどこでもある設備なんだそうです。

白峰町歩きの途中で見かけたこのパイプ。多分ここがあの赤い通路の根っこだろうと思うと、高所の恐怖も忘れて思わず身を乗り出していました。

広大な芝生の一画。赤煉瓦の塔に支えられた赤い水路。そこから水しぶきを上げて流れ落ちる水。それはまるで母なる水の流れを恋い慕う子供の様に。

太陽の光を反射し、時折虹を見せながら止むことなく流れ落ちる水。それはまるで命あるものの様に不思議な幻を生み出し、やがて飛沫となって流れに飲み込まれてゆきます。

私たちが立っている川原の一帯は「白峰床固群」と呼ばれる場所で、床固工や護岸工がいくつも設置されており、川の流れを安定させる為の砂防施設になっています。

「水を畏れ 水に親しむ」と刻まれた碑。

この流雪溝の流れを利用した「白峰発電所」が2017年5月に始動を開始したと、ネットのニュースで見た時はとにかく嬉しくてワクワクが抑えきれませんでした。

自分が一度でも訪れた場所、見たものが新たな使命を得て活躍すると言うその事実が・・・ただ単純に嬉しくてたまらなかったのです。

訪問日:2015年10月20日

 

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白峰重伝建地区を歩く in 石川県白山市白峰

2017年10月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

「白峰地区は、山間部の狭隘な敷地に形成された特色ある集落構成をもち、豪雪という気候風土や、養蚕という生業に即して発展成立した地方色豊かな伝統的建造物群がよく残り、厳しい自然環境にある山村集落の歴史的風致をよく残し、我が国にとって価値が高いとして、2012年7月9日、文化庁より重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。」

町歩きの最初は白山市白峰イに門を構える「 無量光山:林西寺」『阿弥陀如来』を本尊とします。

同行の友人は早速御朱印帳を持って声をかけたのですが・・・いくらおとなっても応える声はなく、よくよく見ればこちらは真宗大谷派の寺院。当然、御朱印など頂ける筈は有りません。ここはあっさりと諦めてもらって(笑)

白山開山の祖『泰澄大師』の開基と伝えられる「林西寺」。こちらには、昨日参拝した白山からの「白山下山仏」が安置されており、拝観もできる筈だったのですが・・しばらく待ってみましたがやっぱり人の気配がありません。

心惹かれつつも人間諦めも肝心!。参拝を終えて改めて見る境内。本堂貫には迫力満点の阿吽の龍。

境内の一画には、白峰に残る唯一の木羽葺き屋根を持つ「行勧寺庫裏」。

屋根に置かれた太鼓堂

太鼓堂は、深く雪に閉ざされた中でも仏事の知らせが村中に届くように設置されたもの。目を閉じて想像を働かせてみても・・実感がわきません。

豪雪地帯のお寺では当たり前の景色として、屋根に上がって雪下ろしをする為の大はしごが立て掛けられています。見上げる高さの大はしご・・・高所恐怖症の私は・・多分・・絶対に生き残れない。

さて、町歩きのメインは、黄土色の大壁と縦長窓が特徴の「大庄屋・山岸家」。白山麓18ヶ村の事務を司った山岸家は、白峰重伝建地区のランドマークとも言える建物。白山市の観光案内などでも、何度か目にしました。

「旧山岸家住宅は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている白山市白峰に所在する。17世紀後半から白山麓十八箇村の取次元(大庄屋)を勤めた豪農である。雪深い山間の集落にあり、主屋は天保11年(1840)建設の土蔵造・三階建で、明治26年に移築、付座敷を接続した。おもに一階で生活し、二階と三階は養蚕などの作業や物置に用いられた。保存地区内で建設年代が判明する最古の民家で、手取川上流域に分布する土蔵造、切妻屋根の農家住宅を代表する主屋として貴重である。敷地内の土蔵群や、水路なども併せて保存を図る。」文化遺産オンラインより

景観のひとつの見どころとして紹介されている、道路沿いや敷地の土留めの石積みと小道の石段。

もと牛首社と呼ばれ(近世の村名は牛首であった)「八坂神社」。御祭神は『牛頭天王』。本地仏は薬師如来で、同社に現存する十二神将像は、薬師教を奉じて衆生を守る薬師十二神将だそうです。鳥居前の参拝で失礼させていただきました。

一時間強の町歩きは「総湯」まで戻って終わり。ここの泉質は全国でも希少な純重曹泉で俗に「絹肌の湯」と呼ばれる極上の湯なんだそうです。一応女子の自覚の有る私と友人(笑)、後ろ髪引かれまくり(^^;)

訪問日:2015年10月20日

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一口メモ

「白山下山仏」、古来、白山の山頂には多くの仏像がまつられていたが、明治の神仏分離令により、ことごとく山を追われ破壊されたりした。そのことを憂えた当時の林西寺住職は、力を尽くして数体の仏像を下山させお堂に安置。これを白山下山仏と呼ぶ。 

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ご当地マンホール in 石川県旧白峰村(白山市)

2017年10月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧石川郡白峰村(しらみねむら)は石川県の南に位置し、日本三名山のひとつ白山の麓に位置した村です。白山の登山口として、また日本有数の豪雪地帯としても知られ、一月下旬~ 2月上旬にかけて開催される「雪だるままつり」などが知られています。

村域の桑島地区にある「桑島化石壁」からは、恐竜の化石が大量に出土し、化石の村としても有名です。「村の木:杉」「村の花:笹百合」を制定。

仲良く並んでいるのは「白山恐竜パーク白峰」のマスコットキャラクター『りゅうくん・きょうちゃん』。二人合わせると「きょう・りゅう(恐竜)」・・・・かなりベタなネーミング(^^;)

村域のすべてが日本有数の豪雪地帯

だから、白峰重伝建地区の街灯はこんな可愛い「雪だるま」。

明治22年(1889)、町村制の施行により牛首村・桑島村が合併し能美郡白峰村が成立。

1949年、鳥越村、尾口村と共に石川郡に編入。

2005年、松任市、石川郡美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村が新設合併し白山市となりました。

マンホールには、白峰村大嵐山や 根倉谷園地などに群生する「水芭蕉」がデザインされています。

昭和46年4月1日制定の村章は、「形は「シ」を図案化したもので、円は村民の協和団結を、太い部分は村民の底力、細い部分は村の無限の発展、三角は崇高な白山の姿を象っています。」HPより

村内の「総湯」近くにあった「温」のマークの量水器。

撮影日:2015年10月20日

 

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ご当地マンホール in 石川県旧鳥越村(白山市)

2017年10月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧石川郡鳥越村(とりごえむら)は石川県の南部、手取川の流域に位置した村です。

加賀の一向衆徒が中心となった「一向一揆」の里として知られており、毎年六月に開催される「一向一揆まつり」が有名です。「村の木:杉」「村の花:笹百合」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により能美郡別宮村・河野村・吉原村が発足。

1907年、別宮村、河野村、吉原村が合併、能美郡鳥越村が発足。

1949年、白峰村、尾口村と共に石川郡に編入。

2005年、松任市、石川郡美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村が新設合併、白山市となりました。

マンホールには「村の花:笹ユリ」が、村章を中心にデザインされています。

昭和46年4月1日制定の村章は、「村名の頭文字「と」を飛鳥のイメージに図案化し、村の融和・平和・団結を表わすと共に、産業・分化・ 村勢の雄飛発展を象徴したものです。」HPより

出合町に有る「道の駅:一向一揆の里」に併設された「鳥越一向一揆歴史館」。建物の前には、白山麓山内惣庄の旗本で鳥越城主『鈴木出羽守』と、その娘『二曲(ふとげ)姫』の顔出し。

道の駅の記念スタンプに描かれた、鎌を武器に変えた険しい表情の人たち。「一向一揆」とは、簡単に言えば本願寺門徒(一向衆徒)が中心となった国人や農民による集団の呼称。「一揆」とは彼らによる集団行動を指し、 特に、幕府・守護・領主などに反抗して、地侍・農民・信徒らが団結して起こした戦を指します。ところが現代においては、何故かこの「一揆」のみが独り歩きをし、百姓一揆に代表されるような、お上の詐取に抵抗する暴動そのものを表す言葉となりました。

室町・戦国時代に近畿・北陸・東海地方に、一向衆の僧侶、門徒や、名主・地侍が連合して守護大名・荘園領主と戦い、 加賀一揆のように一国を支配したものもありました。一世紀にも及んだ加賀一向宗徒による一揆は、天正八年(1680)に石山本願寺が降伏した事で鎮圧されてゆき、これによって各地に形成されていた「一向一揆」も解体されました。

撮影日:2015年10月21日

 

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