車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

山形村内の道祖神:石仏~Ⅰ~ in 長野県山形村

2022年08月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

マンホール撮影だけで時間切れとなった2010年の山形村。2016年の信州車泊旅では村内に残る「道祖神」や石碑などを主目的に訪ねてみました。

山形村小坂・本殿上に「筒井筒小坂」と名付けられた「握手肩抱き双体道祖神」一基。「庚申塔」「文字碑」等4基。

「 寛政八丙辰(1796)二月吉日  殿村中」の刻。「男神は衣冠束帯の姿で太い表袴をつけて浅沓をはいています。女神は桂袴で、垂髪を真後ろに垂らし、冠を戴いた美装。道祖神の左側には神々を見守るように1本の御柱が建てられております。」

「山形村の道祖神には呼称が付いているが、建立当初 のものでない。と言うのは、昭和38年に芦田英一発 行の写真集『道祖の神々』で当像が表紙を飾り、彫 刻された双神の初々しい面立ちから幼なじみと見立 て、伊勢物語にある筒井筒の一説が彷彿されたゆえ にこの呼称が付いた。他の道祖神はこれに倣い、太 田義一らによって名が付けられた。この拓本がフランス、カナダ、アメリカにも渡り国内外でも高く評価されています。山形村や信州はもちろん日本を代表する道祖神と言えるでしょう。」山形村道祖神巡り

「百体観音像」

山形村下竹田唐沢、上水道配水池横の一段高くなった草の上に「車屋美人」と名付けられた「双体道祖神」。他一基。

「酒器祝言双体道祖神」「弘化二巳年(1845) 竹田村 車屋中 」の刻。

ひざまずく女神の差し出す手を優しく握る男神。白く浮き出た岩斑は、見つめ合う二人を祝福する桜の花びらにも見えて、この上なく優しく美しい姿です。

「石観音の石仏群」元は猪土手上の桜木の根元にあったと云われていますが、道路拡張に伴ってこの地に移されました。観音様のお姿を探してみましたが、この状態では探しきれそうにありません。

位置的な関係で画像に残せたのは数枚のみ。お地蔵様の前を遮る庇の支えが・・・少々残念です。

下竹田公会堂前に、大小様々な石碑が60基以上並んでいます。中央奥の大きな碑は「黒川開田記念碑」。明治26年に幾多の苦難を乗り越え通水した黒川堰の偉業を伝えるため、昭和28年に建立されました。

山形村下竹田・中通り四つ角に「路傍の情熱(一)」と名付けられた「双体道祖神」一基。

「男神が向かって左側、女神が右側です。右側が(つまり向かって左側)主座を占めるのが仏教系の特徴です。加えて蓮の花が添い彫りされていることから明らかに仏教系道祖神です。仏教系の道祖神は村内には他に二体(小人のささやき、路傍の情熱の二)見受けられます。蓮の上の極楽浄土で何百年も昔から、これからも永遠に好いて好かれた双神が愛し合っている幸せな道祖神でしょうか。男神は女神の肩をぐっと抱き寄せた上、右足を法衣の裾を広げて待つ女神の両足の間に差し入れ、両神共、情熱のほとばしらんばかりの姿態です。足の指もあらわな裸足の道祖神です。」山形村道祖神巡り

山形村下竹田中通・建部神社前に「路傍の情熱(二)」「童唄」と名付けられた「双体道祖神」「庚申仏塔」各一基。

「像の下には蓮の花の添え彫りがしてあることから仏教系の道祖神です。男神が女神の肩をぐっと引き寄せ、女神は法衣の裾を広げて、男神の情熱がぐっと迫ってくるような姿態でありながら、双神は互いに頬をすり寄せて正面をじっと見ています。」山形村道祖神巡り

「他の道祖神と違い、いかにも子供らしさを感じさせる、珍しく変わった道祖神です。この道祖神は、波田村の若沢寺に祀られていましたが、明治初年の廃仏毀釈により同村の盛泉寺に移され、同寺から上竹田・中耕地の山中松二(力士・岩の松)が友達と力比べで担いで、竹田の氏神様境内へ持ち込んだと言われております。」山形村道祖神巡り

山形村の「道祖神」~Ⅱ~に続きます。

撮影日:2016年4月22日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 長野県山形村

2022年08月30日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

東筑摩郡山形村(やまがたむら)は長野県のほぼ中央部、標高約700メートルの松本盆地南西部台地上に位置する村です。松本市、朝日村に隣接。村の西部は山地と集落、東部には肥沃な農地が広がり、観光道路「日本アルプスサラダ街道」や、奈良時代の創建と云われる清水寺が有名です。「村の木:イチイ」「村の花:サツキ」を制定。

キャッチフレーズは「道祖神とそばの里 暮らしと自然が響き合う村」

明治22年(1889)、町村制の施行により、東筑摩郡山形村が発足。現在に至ります。

マンホールには、「村の木:イチイ」と、「村の花:サツキ」が描かれています。

展示マンホール

昭和47年(1972)1月20日制定の村章は「山形「やまがた」の「や」を図案化したもので、平和で限りなく躍進する村の姿勢をあらわす。」公式HPより

浸透マンホール、特に自治体を表わすものはありません。 

山形村イメージキャラクター『やまっち』。山形村をこよなく愛す、五穀豊穣の見習い神様です。山形村文化遺産の「清水寺」の屋根をモチーフにした笠。笠についているのは村花「さつき」。体は村木の「いちい」からできています。

撮影日:2010年10月17日&2016年4月22日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松本市内あちこちウォッチ in 長野県松本市安曇

2022年08月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

白骨温泉を後にして158号線沿い、松本市安曇沢渡にある「さわんど湯の郷公園」で久々の足湯😊

ここは上高地方面へのバス発着場となっており、大きなリュックを背負った人が足湯を楽しんでいます。

梓川の流れが綺麗すぎて離れがたい

あまりにも空が綺麗だったから「奈川渡(ながわど)ダム」に立ち寄ってもらいました。「梓湖」の向こうに、冠雪の北アルプスが僅かに見えます。

旧安曇村のマンホールにも登場する上高地の河童ですが、実際に生息しているのかどうかは不明😅  でも梓川沿いにある「そば庄鵬雲崎店」の屋根の上では、謎の河童が大きなニジマスを釣り上げていました。

松本市安曇稲核、国道158号沿いにある「道の駅・風穴の里」。風穴とは、北アルプスの地下水から起こる冷風が、ガラ場を通過して地上に出る所の事だそうです。

風穴の見学施設に繋がる太鼓橋はアーチリブを路面として利用したシンプルな構造ですが、橋の導入部は思ったよりも急な勾配。しかも、華奢な造りの癖にかなりの高さがあり、ちょっとした振動で・・・・揺れる  😓  

前夜の車中泊のお礼も兼ねて、お土産用に「カブ甘酢漬」「風穴熟成みそ」を購入。カブの甘酢漬が特に気に入りました😊  そうそう、ここの山の湧水が本当に美味しくて、ペットボトルに入れてお持ち帰り。

本当は一鉢800円也の大文字草を買いたかったのですが、家に帰りつく前に枯らしてしまうのは必定。残念だけど諦めなきゃね。

道の駅から見る向こう側は、何処までも山また山。マップで見ると「小嵩沢山」となっていたけれど、どれがそうなのか全くわかっちゃいません😅

「稲核(いねこき)ダム湖」2010年秋バージョン

「稲核(いねこき)ダム湖」2016年春バージョン

安曇支所の近くを流れる島々谷川の桜は花が終わり、全体に赤っぽくなっています。

近くにあったこちらの碑、書かれている文字が読めなくてちょっと残念。

松本市安曇、あずさ街道沿いの「村の駅・アルプスの郷」の敷地に「アルピニストの像」があります。

「このアルピニスト像は、旧安曇村と姉妹都市である、静岡県賀茂郡松崎町在住の彫刻家、平馬学先生の作であり、アルプスの郷竣工記念として、平成10年に建立したものであります。像の材質はFRP製(強化樹脂)、高さ180センチ(地上高200センチ)、背面の五本のステンレス製の三角柱は北アルプスの山々を表現しており、この施設の象徴としております ~松本市~」

アルピニストって、登山者の中でも特に高度な技術を要する登山を行う人の事なんだそうです。敷地内にあったアルプス観光広域マップ・・・こうして見るとやっぱり何処までも山また山です。2010年と2016年が混ぜこぜになった旧安曇村あちこちウォッチ。 どれも懐かしい思い出です。

撮影日:2010年10月17日&2016年4月23日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白骨温泉~竜神の滝~ in 長野県松本市安曇

2022年08月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

白骨温泉の中心から県道を少し下った先に、観光名所の一つ「竜神の滝」が見えてきました。普通に滝というと頭上高くから落下する瀑布をイメージしますが、こちらはもっと優しい陸の上の渓流といった感じ。

苔むす岩場の上方には、奥の見えない空洞が何処までも続き、幾筋もの水はその奥から絶えず流れ続けています。

現地案内によると「地下水が石灰岩を溶かして鍾乳洞をつくりました。地下水はいまでも無数の穴から白糸の垂れ水となって落下しています。そのありさまは神秘的でさえあります。昔からここに水神が住むと言われ、竜神の滝と呼ばれるようになりました。」

迂闊に奥を覗き込むことが躊躇われる、水神が棲むと言い伝えられてきた空洞。近寄ってはいけない危険な場所には、魔ではなく神が座すと教え、それゆえみだりに近寄ってはならないと教え伝えて来た人々。

苔の褥を濡らして滴り落ちる水は、玉すだれのようにはかなく美しく

時には一直線の激しい水流となって側溝に吸い込まれていきます。

流れ落ちた水は地下を潜り、道路向こうで小さな滝となって岩場を走り抜け

林の木々の根元を潤し、やがて湯川に注ぎ込み、再び戻ってくることはありません。

言葉にならない世界がそこにはあります。非日常そのものの不可思議な風景は、未だに忘れられない記憶となって、懐かしく思い出を綴る私を誘惑し続けるのです。

偶然車で通りかかった方が声をかけて下さって、お言葉に甘えて撮って頂いた二人一緒の大切な記念の一枚。

訪問日:2016年4月23日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白骨温泉~隧通し・冠水渓~ in 長野県松本市安曇

2022年08月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

私の日常の中では決して目にすることのない景色、それはもうまるで別の世界の・・そう、例えば何かの挿絵のような非現実的な風景。何処までも続く林の木々は、春というのに芽吹きを忘れ、枯れた色の枝を何本も何本も空に向かって突き上げている。

県道横に設けられた木道を湯川に向かって下りてゆくのですが、機敏に動けない私を気遣って何度も振り返っては待ってくれるご亭主殿。私と来たらついついあれこれと目につく何かに気を取られ😅 中々追いつけません。

エメラルドグリーンの川面が見えてくると、水音が段々と大きくなってゆくのが分かります。

うっかり足を滑らせたら這い上がれないかも・・ふと、そんな事を考えて思わず身震い。そのくせ、その凄まじく足が震える情景から目が離せない・・じっと見ていると危険だよと本能が囁きはじめて、やっとその場を離れる事が出来ました。

水音はさらに大きくなり、行く手に欄干付きの橋が見えてきました。この辺り一帯が白骨温泉の観光名所「冠水渓」のようです。

川面が白いのは流れが激しく泡立っているからで、決して白骨の乳白色のお湯が流れているからではありません。念のため😅 

しきりと手招きするご亭主殿。ねぇ、吊り橋なんて・・・・・出来れば御免こうむりたい私としては、其処じゃなくてもここからでも十分に凄さはわかりますよと、負け惜しみ😣 

それでもご亭主殿の「絶対に見ておかないと物凄く後悔するよ!」の言葉に促され、恐る恐る吊り橋へ。目いっぱい引けた腰に力を入れて 😣

うん、確かに上から見る「隧通し」はさっきまでのとは全然違った迫力。ちなみに説明には「隧通し」と呼ばれる天然洞穴は、地下水が石灰岩を溶かして出来たもので、それが地表に露出したものであるといいます。その後、湯川と湯沢の激流が洞穴をさらに溶蝕して天然橋を作りました。現在は天然橋の上がバス停になっています。」

高さ6m、長さ20m・・何と言うか・・・これほどの奇観を生み出すためにどれほどの年月が流れたのか。人の世界では推し量れない自然の凄さには、唯々言葉を失います。

白骨温泉の名所中の名所と言っても過言ではない「隧通し・冠水渓」

引ける腰を必死でこらえた甲斐がありました😊   恐ろしさの波が引くと去りがたい思いが胸をよぎるのですが、そうも言っておれず・・元来た道を引き返す私の目に、慎ましく咲く「一輪草」の白が眩しく

他にも何か?と目を凝らせば、花を咲かせた「蕗の薹」

ちいさなこぶしを振り上げたような「こごみ」・・ああ、ここにも春の芽吹きが😊  

訪問日:2016年4月23日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白骨(しらほね)温泉 in 長野県松本市安曇

2022年08月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

日本の真ん中、長野県のほぼ中央に「白骨(しらほね)温泉」と、何とも不気味な名前で呼ばれる温泉が有ります。手元のパンフレットには、北アルプス・乗鞍岳の山麓の中部山岳国立公園区域内にある白濁の温泉との事。話には聞いていましたが、まさか実際に行けるなんて、夢にも想像していませんでした 😊

国道158号線から県道300号線を湯川沿いに・・・山道嫌いの私が何とか頑張れたのも、ひとえに「白骨温泉」なる場所への憧れ故😅 

辿り着いた駐車場。山側の石垣の上では江戸時代に奉納されたという三十三観音像が、乗り物酔いした私を出迎えてくれます。

「三日入れば、三年風邪をひかない」と言われた白骨温泉で、病が完治した湯治客が感謝の気持ちを込めて建立したと伝えられる三十三観音。その表情はいずれも暖かく穏やか。

三十三観音の左端に建立されていた歌碑ですが、読めたのは【 志らほねの  花を?~~?  永久眠らん湯けむりのさと 】・・何故、何処にも紹介されていないのか・・なんか残念😓

標識だけのバス停を見慣れた目には、バスの待合所というのは何故かしら郷愁を誘うもの。ましてこんな山深くなら尚の事。さらにこんな佇まいなら、もうそれだけで一枚の絵。

バス待合所と観光案内書の間に慰霊碑と天然記念物指定の記念碑があり、左手に『龍神様』の鳥居。

大正2年(1913)に大手新聞社数誌に掲載された『中里介山』作の長編時代小説「大菩薩峠」。その文中で「やがて白骨の温泉場に着いて、顧みて小梨平をながめた時は・」と書かれた事が、白骨温泉の名を全国に知らせるきっかけとなったとか。その『中里介山』の記念碑が上にありますが、根性無しなので下から見上げただけで終了😅

観光案内所、土曜日だというのに誰も居ません。

こちらは何方の顕著碑だったのか? 公式サイトに行けば分かるだろうと思って碑文等を残さなかったことが悔やまれます。

墨絵のワンシーンを思わせる建物は「お食事処:煤香庵」。温泉街と言うにはあまりにも静かで鄙びた雰囲気に、大声で喋るのも何となく憚られ、ついつい声を潜めてしまう私たち😅。だって私たち以外、人の姿が見えないのです。

「白骨斎藤売店」。ここだって、普段なら目移りして困るくらい、店先には沢山の郷土の特産品が並んでいる筈だったのに・・

野天風呂入口の案内がある建物

この扉の向こうが冒頭の写真の入り口になります。高いところが泣くほど怖い私には、まずもってあの階段に踏み出す根性が有りません。

上から見下ろした湯川。右手に見えているのは「山水観 :湯川荘」別名「つり橋の宿」と呼ばれています。お泊りできる状況でないのは百も承知で・・無理!絶対に無理!😣 

長い長い悠久の歴史が生み出した目を見張る景観、明日は神秘とも言える美しい白骨の自然を紹介します。

訪問日:2016年4月23日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 長野県旧安曇村(松本市)

2022年08月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

旧南安曇郡安曇村(あづみむら)は長野県中信地方の西部に位置した村です。大町市、穂高町、堀金村、三郷村、梓川村、奈川村、波田町、また県を跨いで岐阜県高山市に隣接。 村の西側にあたる岐阜県境は北アルプス飛騨山脈の最南端に位置し、焼岳や乗鞍岳といった火山をはじめ、穂高岳、槍ヶ岳といった高山が多く、シーズンには多くの登山客で賑わいます。中でも乗鞍岳は、標高2,702mの畳平までバス又はタクシーで行けるため、「日本で一番手軽に登れる3,000m級の山」として知られ、その東麓には大昔に流出した溶岩により乗鞍高原が形成されています。「村の木:白樺」「村の花:水芭蕉」「村の鳥:雷鳥」「村の獣:カモシカ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、南安曇郡安曇村が発足。

2005年、松本市に編入、松本市安曇となりました。

マンホールには「穂高連峰と河童橋」「梓川の岸から穂高連峰を見る河童」が描かれています。(安曇支所駐車場に設置)

道の駅:風穴の里スタンプ「河童橋・穂高連峰」

「上高地」は国の特別名勝・特別天然記念物に指定された梓川上流の景勝地で、古来より「神垣内」と表記されます。これは穂高神社の祭神「穂高見命」が穂高岳に降臨し、この地に祀られている事に由来します。

昭和50年(1975)4月7日制定の二代目の村章は「「ア」を表し、中央の三山は乗鞍岳・穂高岳・槍ヶ岳などの山岳を示し、右下の部分は大正池・明神池・梓湖の水資源を表したもの。」合併協議会資料より

旧村役場に残る村章のレリーフ

撮影日:2010年10月17日&2016年4月23日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島々駅& 竜島温泉 in 長野県松本市波田

2022年08月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松本市波田前渕に、松本電気鉄道上高地線「島々駅(しましまえき)」の建物が有ります。大正10年(1921)10月に部分開通した筑摩鉄道は、翌年9月26日に島々駅まで延伸開業して全通。北アルプス登山や上高地・乗鞍高原観光への出発拠点駅としてにぎわったと云います。

昭和58年(1983)の台風による土砂災害のために線路上に砂礫が堆積し運行不能の事態に。処々の理由により、復旧工事をすることなく、そのまま1985年1月1日に正式に廃止となり、昭和63年(1988)春に解体。

その後、登山者らから取り壊された島々駅の復元を望む声が強く、1991年に当時の波田町が、松本電鉄に保存されていた図面を基に三千五百万円をかけて新島々駅向かいに新築。出札口や待合室などを当時のままに再現し「波田町観光案内所」となりました。

梓川・波田方面のあれこれを楽しんだこの日は、松本市波田にある「竜島温泉 せせらぎの湯」まで走って、一日の疲れを癒しに行きます。  と言ってもまだ4時前ですが😊 梓川に架かる竜安橋を渡って・・記念に一枚。

普段目にする川とはまるっきり違って見えるのは、だんだん山深くなるから?まぁ、確かに私の地元でこんなに山深い場所は無いですけどね。

わき目もふらずに30分近く走って「竜島温泉 せせらぎの湯」に到着。そう、こんなに早い時間にお風呂を決めたのは、山の中の30分の夜道が死ぬほど怖いから😣。このあと、今夜の車泊地、「道の駅:風穴の里」まで走らないといけないのです。いつも長湯の私、この日は30分ほどで切り上げました。

帰り道は少しだけ余裕が出て、ウインドウを下げて何か面白いものをとキョロキョロ。ちょっと場違いに見えるこの建物は「東京発電 竜島第二発電所」

竜安橋が見えてきました。国道まではあと少し😊

一面のヤマブキの花・・え!?こんなに一杯咲いてたっけ??

竜安橋の手前で見つけたコンクリートの廃墟の残骸らしき物を発見。下りて案内を見ればよかったのだけど・・熊注意の看板とかあったし😅 

人間、怖いとやたら饒舌になるもので、行きも帰りもずっと賑やかに喋り捲ってました(笑)。20分ほど走って道の駅に到着。大型の観光バスが六台ほど停まっていましたが、お店は既にシャッターが下りています。今夜の車泊地をお借りするお礼は明日にしましょう。

車泊で旅をする私たちにとってこうした施設は、本当に有難く大切な場所です。  改めて、その節は本当に有難うございました🙏🙏。

訪問日:2016年4月22日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧波多村役場 in 長野県松本市波田町

2022年08月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松本市波田、上高地へ向かう国道158号線沿いの一画に、大正14年(1925)に建設された木造の「旧波多村役場」があります。

この建物を見つけたのは全くの偶然、旧梓川村から安曇村に向かう途中の事です。時間的に余裕がないを承知で、急遽車を停めて貰い、デジカメ片手に走りました😅 

心に残りながらも、御亭主殿に車で待たれるとゆっくり眺めるわけにもいかず・・。そうして心残りのまま6年の歳月が流れ、再びこの建物との再会を果たすチャンスが巡って来たのです。

波多村役場が建てられたのは大正14年(1925)。「波田町誌」によれば、7月1日に上棟式が行なわれ多くの村民が集まり、145俵もの投げ餅がふるまわれたとあります。また、相撲大会や花火大会も催され、我が村のハイカラな役場の誕生に村は湧きかえりました。建築費用は19,015円92銭。今の価格で換算すると約6千万円くらいでしょうか。

建物は玄関ポーチの上がバルコニーになっており、塔の頂部と切妻屋根の棟端には、西欧の教会建築などによくみられる「フィニアル」と呼ばれる飾りが取り付けられています。

さらに波田町誌によれば、昭和31年(1956)、波田村農協の事業拡大に際し役場庁舎を移転して土地を農協に貸すことになり、曳屋による移転が行われ、その際に一階部分を増築して面積を広げ、玄関上部の切妻破風やバルコニーを撤去。昭和48年に町政が施行され波田町役場となり、1990年に新庁舎の建設が始まり、旧庁舎は再び東側の現在地に移築されました。また移築に当たっては、古写真に基づいて竣工時の姿に戻され、その後は公民館として使われていましたが、2017年に公民館が移転し、旧庁舎の建物はほとんど使われなくなりました。

その後の経緯がどうなったのか知る由もありませんが、願わくば今もあの場所で、あのモダンで優しい姿のまま存在してくれることを願ってやみません。

隣りにあった「松本市消防団第43分団」・・・多分、旧町役場に合わせて作られたんだろうと思う姿。

庁舎の敷地内に建立されていた「忠魂碑」

訪問日:2010年10月17日&2016年4月22日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 長野県旧波田町(松本市)

2022年08月22日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

旧東筑摩郡波田町(はたまち)は上高地、乗鞍高原の玄関口であるアルプスの麓に位置した町です。山形村、朝日村に隣接。町域は梓川右岸の河岸段丘上にあり、標高は約700メートル前後。町北側を梓川が流れ、梓川の河岸段丘により南側から北側へ傾斜。また町の西側には飛騨山脈(北アルプス)がそびえており、西側から東側に向かって傾斜があり、町域の8割を占める山の区域にはまったく人が住んでいません。肥沃な大地と梓川の清流に恵まれた広大な優良農地を有し、りんご、梨、桃、ぶどう等の豊富な農産物を生産。とりわけ「スイカ」は、全国ブランドとして、この地域を代表する農産物です。「町の木:赤松」「町の花:ツツジ」を制定。

波多町と梓川村を結ぶ県道315号線:下島橋の親柱。波多町側は全国ブランドとして知られる「下原スイカ」😊

旧キャッチフレーズは「河岸段丘に味なまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、東筑摩郡波多村が発足。

1933年、「波(波乱)が多い」と読める村の名称を「波田」と改め、村名を波田村に改称。

1973年、波田村が町制を施行、東筑摩郡波田町となる。

2010年、松本市に編入、松本市波田町となりました。

マンホールには町章を中心に、「町の花:ツツジ」と、「町の木:アカマツ」が描かれています。(波田駅付近の住宅街・タイル舗道に設置)

昭和48年(1973)4月1日制定の町章は「町名の頭文字「は」を図案化したもの」

撮影日:2010年10月17日&2016年4月22日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする