車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

櫛代賀姫(くしろかひめ)神社 in 島根県益田市久城町

2018年08月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

益田市久城町に鎮座される「式内社:櫛代賀姫(くしろかひめ)神社」。御祭神は『櫛代賀姫命(くしろかひめのみこと)・応神天皇』

由緒に【祭神は、この地方を開拓した櫛代族の祖神と して、天平五年(733)丑五月管長の命に より創建、大同元年(806)石見観察使藤 原緒継が鎌手大浜浦より現在地久城明星山に御 遷座、承和七年再建、爾来延喜式所載神社とし て崇敬せられ七尾城主、益田家より社領十二石 をも受け、益田、美濃郡、鹿足郡に渉る総氏神 、縫針の祖神として広く尊崇せらる。」

由緒碑の神紋「のぼり藤に久の字」は「益田氏」の家紋としても知られています。

中世に浜田市の上府八幡宮から浜八幡宮を勧請。武運の神として崇敬を集め、当地を本拠とする益田氏によって手厚く保護されてきました。
拝殿の後方に鎮座する三間社流造・銅板葺の本殿は、国登録有形文化財の指定。

本殿前より神域を守護される狛犬さん一対。塀の隙間から拝見させていただきました。石見系にしては柔らかい顔つきで、どちらかというと備前地方の貴公子タイプにも見えます。

境内入り口より神域を守護されるのは、文化十四年生まれの石見系構えの狛犬さん一対。 口中に玉を含む阿形さんの顎は、原型を大切に再現した補修がなされており、見た瞬間に嬉しさが・・(*^^*)

嬉しいと余分に紹介したくなります(笑)

境内左手に鎮座される境内社「大元神社」。社殿の左右にはガラスケースに納められた神殿狛犬が神域を守護されていますが、ガラスの反射で画像としては今一つ・・

遷座の顛末にちなんだ「獅子舞・角力神事・針拾い神事」の特殊神事が知られており、境内には屋根付きの立派な土俵が設置されています。

御神木:大銀杏

参拝日:2012年11月10日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 島根県益田市

2018年08月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

益田市(ますだし)は島根県の最西端に位置し山口県と境を接する市です。北部は日本海に面し南部は中国山地に至り広島県と境を接します。山陰と山陽を結ぶ交通の要衝地で、市の面積は島根県内ではもっとも広く、中心部は高津川下流に広がる益田平野(吉田平野)の三角州に発展してきました。一級河川で、唯一ダムの無い川として知られる高津川は、日本有数の清流としても有名です。「市の木:ケヤキ」「市の花:水仙」「市の魚:鮎」を制定。

キャッチフレーズは「市民・地域が躍動し、希望に輝く益田」

明治22年(1889)、町村制の施行により美濃郡益田町・安田村・北仙道村・豊川村・豊田村・高城村・小野村・中西村・鎌手村・種村・真砂村・二条村・美濃村・吉田村・高津村が発足。

1922年、高津村が町制を施行し美濃郡高津町となる。

1934年、吉田村が町制を施行し美濃郡吉田町となる。

1941年、美濃郡益田町・吉田町・高津町と合併、美濃郡石見町が発足。

1943年、美濃郡石見町が益田町に名称変更。

1952年、美濃郡益田町・安田村・北仙道村・豊川村・豊田村・高城村・小野村・中西村が合併。島根県下で4番目の市制を施行し、益田市となる。

1955年、美濃郡鎌手村・種村・真砂村・二条村・美濃村を編入。

2004年、美濃郡美都町・匹見町を編入、現在に至っています。

マンホールには、市章と「市の花:水仙」「市の魚:高津川の鮎」、周囲に「市の木:ケヤキ」が描かれています。

農業集落排水のマンホールには「梅と高津川の鮎」「市章」がユーモラスに描かれています。

「高津川」

昭和28年4月10日制定の市章は「大正12年に町章として制定されていたもので、「マ・ス・ダ」を図案化。市制施行後に一部を修正し、益田市章として継承されました。」

撮影日:2012年11月10日&2019年4月19日

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2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「益田市」のマンホールカードは、「一社 益田市観光協会」でいただけます。

2006年に設置開始されたマンホールには「高津川とアユ」と「スイセン」、「ケヤキの葉」がデザインされています。

「益田市のマンホール蓋には、清流「高津川」を泳ぐ「アユ」をメインに、市の市章、市の花「スイセン」、市の木「ケヤキ」の葉をデザインしています。 益田市を流れる「高津川」は国内では唯一支流を含めダムがない一級河川で、国土交通省の水質調査で清流日本一に幾度となく選ばれているとても美しい川です。 高津川の美しい水で育つ「アユ」は極めて香が高く、強い旨味も兼ね備えており、高津川は鮎釣りを楽しむ人々の聖地となっています。 また、市の花である「スイセン」は、唐音水仙公園において、冬の雄大な日本海をバックに200万本を超える日本水仙を楽しむことができます。」

訪問日:2019年4月19日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧金城町(浜田市)

2018年08月29日 11時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧那賀郡金城町(かなぎちょう)は島根県西部、広島県との境に位置した町です。元治元年(1864)に開湯したと云う「美又温泉」は、PHが高く、メタケイ酸も豊富であり、肌に対する効能から「美人の湯」として知られています。「町の木:ヒノキ」「町の花:サザンカ」を制定。

旧キャッチフレーズは「心ゆたけく 住みたくなる町へ」

明治22年(1889)、町村制の施行により那賀郡雲城村・今福村・波佐村が発足。

1956年、那賀郡雲城村、今福村、波佐村が合併、那賀郡金城村が発足。

1969年、金城村が町制を施行、那賀郡金城町となります。

2005年、旧浜田市・旭町・弥栄村・三隅町と合併、改めて浜田市となりました。

マンホールには、「町の花:山茶花」「ホタル」「美又温泉に入浴中の女性」が描かれています。

昭和35年7月10日制定の町章は「金城(カナギ)の「カ」の字を図案化し、中央の三角状は町の産業発展を秘めたものである。」合併協議会資料より

撮影日:2019年4月20日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧弥栄村(浜田市)

2018年08月29日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧那賀郡弥栄村(やさかむら)は島根県西部の山間部に位置した村です。浜田市長見町から弥栄町にまたがる周布川には、発電専用の重力式コンクリートダム「長見ダム」があり、秋のダム湖に紅葉が映る姿は絶景と言われています。「村の木:杉」「村の花:梅」を制定。

旧キャッチフレーズは「やまふところの生活文化村 弥栄」

明治22年(1889)、町村制の施行により那賀郡安城村・杵束村が発足。

1956年、那賀郡安城村、杵束村が合併、那賀郡弥栄村が発足。

2005年、旧浜田市・金城町・旭町・三隅町と合併、浜田市弥栄町となりました。

マンホールには、周布川の流れと「村の花:ウメ」がデザインされています。

昭和42年9月27日制定の村章は「 片仮名「ヤサカ」の3字を大胆に組合せ図案化したものをもって象徴し、力強く円を描いて、村内の融和を、また大小の山に囲まれた本村の山林資源の姿を表現し、中央に矢形の山を取り入れて、たくましく伸び行く発展を表徴する。」合併協議会資料より

集落排水のマンホールは規格蓋で、村章はなく村名のみが記載されています。

撮影日:2012年11月9日

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旧那賀郡旭町(あさひちょう)は島根県の西部に位置し、広島県と境を接した町です。「町の木:梅」「町の花:ツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「多自然交流の郷あさひ ふれあい・感動がこだまするまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により那賀郡今市村・木田村・和田村・都川村が発足。

1954年、那賀郡今市村、木田村、和田村、都川村、邑智郡桜江村大字八戸の一部が合併、那賀郡旭村が発足。

1958年、邑智郡市木村の一部を編入し町制を施行、那賀郡旭町となる。

2005年、旧浜田市、金城町、三隅町、弥栄村と合併、改めて浜田市が発足しました。

昭和33年12月1日制定の町章は「町名の「旭」を図案化したもので和をもった平和な町を象徴している。」合併協議会資料より

旧那賀郡旭町は未訪問の為、マンホールの有無は確認できていません。

 

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三隅(みすみ)神社 in 島根県浜田市三隅町

2018年08月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

浜田市三隅町三隅に鎮座される「三隅神社」。御祭神は『三隅兼連(みすみかねつら)』。『御神本国兼(みかもとくにかね)』を祖とする南朝の忠臣で、益田氏の祖とされる人物。

神社の創建は新しく「昭和3年に神社創建の議が出願され、昭和12年に造営。 御祭神である三隅兼連は、南北朝の争乱の際に新田義貞、名和長年らに呼応して足利氏と戦い、京都の山城国(笠置山の戦い)で討ち死。明治以降になって忠臣と称えられ、当時の町長の奔走もありこの地に祀られる事になりました。」境内由緒より

参道左右より神域を守護されるのは、来待石製の狛犬としては島根県内でも最大級の大きさと言われる出雲丹後系の構え狛犬さん一対。「昭和十年十月建立」「松江市和多見 石工:渡部 卯助」の刻。

この大きさです。

鎮守の杜を背に拝殿

「摂社・高城稲成神社」

「摂社:照国社」。御祭神は『三隅町の御英霊』

小さな稲荷社

有形文化財:三隅の郷土史家『木村晩翠(ばんすい)』の詩碑。【一代の人生は迷いの夢であり、天然、自然は真実の現れである。しかし人間の本性は真実だからこの二つの道は遠くない。一代の働き次第で凡人も神仏一如となる。人生永遠の幸福は人間の尊さを味わう事である。】

【三隅城落城の時、家人と共に脱出させた愛児・梅千代が逃がれる際に隠れたと云う谷川の石橋で、無事に敵の目から逃げおおせた事から、以後、人はこの石を「厄よけ石」として崇めるようになった。こうして難を逃れた『梅千代』は、やがて大成して、尊勝寺中興の祖『良海法印』と仰がれている。】

大麻山:尊勝寺は廃仏毀釈の時代に倒壊して現存せず、現在は敷地に庭園が設けられています。紅葉に染まったその姿はただひたすらに美しく、人々の憩いの場所となって存在しています。

厄除け石と神庫

「厄よけ石」の近くに奉納されていた「御神馬」。ともすれば周りの景色に溶け込んでしまいそうな。

三隅神社再建に奔走した三隅町長『寺戸光次氏』胸像

三隅神社の境内に隣接して作られたツツジの名所。

「人まちいし」に刻まれた句 【千人の 心千本 梅の丘】谷水

【一期かな 彼岸桜に 一会かな】 杞陽

「忠魂碑」尊い命の贖いによってもたらされた平和に、ただ感謝します。

参拝日:2012年11月9日&2019年4月19日

 

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岡見(おかみ)八幡宮 in 島根県浜田市三隅町

2018年08月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

浜田市三隅町岡見に鎮座される「岡見(おかみ)八幡宮」。御祭神は『應神天皇・仲哀天皇・神功皇后、於迦美神(おかみのかみ)』

御由緒に「第35代皇極天皇の御世に鎮座された、古くは「多鳩(たばと)神社」と称した。岡見の地名は主祭神於迦美神が住せられたるに由来し水の神なるを以て命の主神、五穀豊穣の神として神威高く種村、海老谷を併せ岡見川水域住民に深い信仰を受け、又岡見総産土神、総氏神として尊崇されて来た。 近世三隅氏の治世となり其の祈願所と定められ一族の厚い尊崇を受けるも南北朝以来、益田氏との抗争200年に及ぶ。岡見は両氏の境界に位置し為にその戦禍を受けこれを防ぎて八幡宮に改めた。」境内由緒より

拝殿

拝殿玉垣の内左右より神域を守護されるのは、擬灰岩、もしくは擬灰質砂岩製と思われる狛犬さん一対。「安政四年(1857)丁巳8月吉日」の刻。 擬灰岩は火山灰が固まって出来た岩石の為、花崗岩などと比べてもろい分、加工はしやすく阿吽共にとても表情が豊か。狛犬さんが奉納された安政四年の前後は、日本各地で大きな地震や疫病などの災害が起こった年でもあります。

出雲大社宮司『千家尊統(せんげたかすみ)氏』による拝殿額。

拝殿貫の獅子彫刻

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和二十二年(1947)十二月吉日建立の狛犬さん一対。阿形さんは玉を口中に。吽形さんは・・某SFに登場するヨーダのよーだと言ったら、思いっきり爆笑されてしまった(^^;)

参拝日:2012年11月9日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧三隅町(浜田市)

2018年08月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧那賀郡三隅町(みすみちょう)は島根県の西部、日本海に面した町です。町域を三隅川が流れており、重要無形文化財、伝統的工芸品、ユネスコ無形文化遺産に指定された石州和紙の産地としても知られています。「町の木:ウメ」「町の花:ツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「和紙と健康・福祉のまちづくり」

明治22年(1889)、町村制の施行により賀郡三隅村・西隅村・黒沢村・岡見村・三保村・井野村・大麻村が発足。

1927年、那賀郡三隅村、西隅村が合併、那賀郡三隅町が発足。

1955年、那賀郡黒沢村、岡見村、三保村、井野村の一部・大麻村の一部と合併、改めて三隅町が発足。

2005年、浜田市・金城町・旭町・弥栄村と合併、浜田市三隅町となりました。

マンホールには「水澄みの里」の文字を中心に、「日本海に沈む夕陽」と「町の花:ツツジ」がデザインされています。(庁舎近くに設置)

農業集落排水のマンホールには、町章の周りに「町の木ウメ」がデザインされています。

漁業集落排水のマンホールには、「イカ釣り漁船」と「イカ」がデザインされています。

プラ製の汚水枡には、町章の周りに「町の花・ツツジ」が描かれています。

昭和30年4月1日制定の町章は「スの3字を図 案化し相互にしっかりと組み、 一致団結して将来の飛躍発展を 象徴している。」合併協議会資料より

撮影日:2012年11月9日&2019年4月19日

 

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湊浦(みなとうら)八幡宮 in 島根県浜田市三隅町

2018年08月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

浜田市三隅町湊浦に鎮座される「湊浦(みなとうら)八幡宮」。御祭神は『誉田別命』

創建・由緒共に不明

鳥居の左右より神域を守護されるのは、耳をぺったりと寝かせた狛犬さん一対。「天保十四年(1843)癸卯6月吉日 石工:石田栄助」の刻。阿形さんは口中に玉を、吽形さんは・・・例えて言うなら口中の玉をうっかり飲み込んでしまったようなお顔(^^;)

拝殿

翼竜の彫刻

貫の獅子と獏。玉眼の所為かより一層の迫力。

本殿褄部分の龍の彫刻

拝殿屋根には、久々に目を引いた鬼

摂社「粟嶋神社・天満宮・恵美須神社・厳島神社&住吉神社」

参拝日:2012年11月9日

 

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三家元(みかもと)神社 in 島根県浜田市内田町

2018年08月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

浜田市内田町に鎮座される「三家元(みかもと)神社」。御祭神は『御神本國兼命(みかもとくにかねのみこと)・周布兼定命(すふかねさだのみこと)・内兼茂命(うちかねしげのみこと)』

境内入り口より神域を守護をされるのは、小柄ながら一生懸命な顔立ちの狛犬さん一対。「精一杯頑張ってます」感が半端ない(^-^)

祭神『御神本國兼』は平安時代後期の官吏で、石見の豪族・益田氏の祖とされます。 藤原の末裔である『藤原定通』が浜田の御神本に居館を構えてより、『御神本氏』を称したと云われ、南北朝の争いでは後醍醐天皇方として戦われました。

境内より神域を守護されるのは明治十九年奉納の後期石見系構え狛犬さん一対。阿吽共に顔立ちは穏やか、参拝者を見上げるような視線が実にお優しい。

この日は境内摂社の恵比寿講という事で、拝殿横の社務所には宮司さんや氏子の方々が揃っておられました。祠の扉が開けられる機械は滅多に無い事だからと、摂社内の『恵比寿・大黒神』のお顔を拝見しながら参拝をさせて頂く事に。

綺麗に彩色された二神は、極上の笑顔で私たちに笑いかけ、手を合わせる私たちも思わず笑顔に。恵比寿講なのに大黒様が一緒なのは、これはもう日本人独特の神様への大らかさという事で(笑)。

三家元神社の宮司様。その折には暖かいおもてなしを頂き有難うございました。心より感謝申し上げます。

参拝日:2012年11月9日

 

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大歳(おおとし)神社 in 島根県浜田市元浜町

2018年08月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

浜田市元浜町、浜田漁港を見下ろす高台に鎮座される「大歳(おおとし)神社」。御祭神の詳細は不明。社名から『大歳神』ではと思うのですが・・

御祭神を『大歳神』と仮定して、父神は『素戔嗚尊』。母神は『神大市比売(かむおおいちひめ)』。日本神話では、穀物(歳)の実りを守護する神とされており、また新たな年迎えの神ともされます。兄弟神は同じく穀物の神『宇迦之御魂神』。

拝殿額は波頭の中を進む龍の鏝絵

長い石段を登りきった先より神域を守護されるのはぺったりと耳を寝かせてまっすぐに正面を見つける狛犬さん一対。「嘉永七年(1854)甲寅秋」の刻。

この年はペリーが下田に開港を布告した年。日本という国が大きな波のうねりに巻き込まれ始めた時期です

拝殿前より神域を守護されるのは、明治四十三年(1910)七月建立の出雲丹後系・・いや、石見系の狛犬さんかな。 近くに海があるせいか。吽形さんはお顔の右半分に欠落が・・・

本殿向かって左隣に鎮座される摂社。

参道の方側、縦一列に並ん神域を守護されるのは、昭和十六年十月建立の出雲丹後狛犬さん一対。来待石独特の脆さが阿形さんの下あごを削りとってしまいましたが、仔狛を胸に頑張っておいでです。

本殿向かって右隣に鎮座される摂社。

石段下鳥居の左右より神域を守護される出雲丹後の狛犬さん一対。角が取れて丸くなる・・とはまさにこのような姿を言うのかも・・

「浜田港とは懐かしき名なり、予が小学時代と独学時代の記憶はすべて浜田にあり・・・・」境内にあった『島村抱月』の序文で、碑は浜田城址公園内に設置されています。

境内から見る浜田漁港

参拝日:2012年11月9日

 

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