車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

平野(ひらの)神社 in 滋賀県大津市松本

2025年02月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市松本に鎮座される「平野(ひらの)神社」。御祭神は『平野大明神(大鷦鷯皇命=仁徳天皇)・精大(せいだい)明神(猿田彦命=蹴鞠の守護神)』

御由緒「社伝に、天智天皇が志賀の大津の宮に遷都された時都の三里以内に守護神として祀られたと伝えられ天智称制七年即ち白鳳元年(661)正月下旬に鎮座。藤原鎌足公の創立と伝えられる京都西洞院家の管領の社。「精大明神」(けまりの守護神)は猿田彦命で、三十五代皇極天皇の御代、京都西洞院滋野井に鎮座の精大明神を御神託により大津松本本宮狐谷に奉遷。応仁の乱で社殿等焼失したが、天正二年(1574)現在地に遷座された。」滋賀神社庁HPより

拝殿前より神域を守護されるのは、万延元年(1860)12月建立の尾うちわタイプの狛犬さん一対。蹴鞠の神社にふさわしく、阿形さんは蹴鞠を手にご機嫌なご様子。

御本殿の外縁にて神域を守護されるのは、玉眼が美しい木製の神殿狛犬さん一対。傷みも少なく、非常に良い状態なのが狛犬ファンとしては嬉しい!

さらに本殿の前より神域を守護されるのは、護国タイプを思わせる阿形さんと、たてがみを胸前に流す吽形さん。位置的に制限がある撮影は難しい。

本殿拝所の屋根に上げられた経の巻には、「桜花に「平」の文字」の御神紋。

本殿拝所に架かる「帳(とばり)」には「けまりの紋」

奉納用の絵馬にも蹴鞠に興じる貴族たちの様子が描かれています。

境内社:稲荷神社

社殿の前より神域を守護される神狐さん一対。阿形さんは玉を、吽形さんはおそらく鍵を咥えているものと思われます。

参道石段の鳥居の傍らに祀られる祠。内には綺麗に化粧を施された石仏様が奉納されています。

参拝日:2010年6月12日

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石坐(いわい)神社 in 滋賀県大津市西の庄

2025年02月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市西の庄に鎮座される「石坐(いわい)神社」。御祭神は『天命開別尊 (あめみことひらかすわけのみこと)(天智天皇) ・弘文天皇 ・伊賀采女宅子媛命(いがのうねめやかこのいらつめのみこと)・ 豊玉比古・ 彦坐王命(ひこいますのおうのみこと) ・海津見神』

由緒「創祀年代不詳。社家古伝に、近江国府の初代国造・治田連がその四代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのに始まると伝う。~略~天智天皇八年に旱魃があり、その時毎夜湖水から御霊殿山に竜燈が飛んでいった。里人の奏聞により派遣された勅使の前で、竜燈は小童の形に変じ、「われは海津見神の幸魂である。旱害を除いてやろう」との御託宣があった。天皇は御霊殿山上に海津見神を斎祀した。~略~壬申乱後、近江朝の神霊の「天智帝・大友皇子・皇子の母宅子媛」を弔祭できるのは一乗院滋賀寺のみとされた。持統天皇朱鳥元年、滋賀寺の僧・尊良法師が王林に神殿を建てて御霊殿山の霊祠を遷すと共に相殿を造って近江朝の三神霊をひそかに奉斎し、八大龍王宮と称え、石坐神社とも称した。光仁天皇の宝亀四年、石坐神社に正一位勲一等を授けられ、「鎮護国家の神社なり」との勅語を賜り、近江朝の三神霊が公に石坐神社の御祭神として認められた。」滋賀神社庁HPより

三間社流造:檜皮葺の御本殿 

拝所前左右より神域を守護されるのは、昭和14年正月吉日建立の浪花系の狛犬さん一対。狛犬ファンの間ではオヤジ顔と言われていますが、それは多分に口元の毛が髭のように見えるからだと思います😊

回廊の隙間から見ているのは、本殿前より神域を守護される狛犬さん。

大きさはさほどではありませんが、がっつりと流れる毛並みに思わず目が奪われる慶應元年(1865)建立の狛犬さん一対。京尾太と呼ばれるタイプです。

境内の木陰の下に鎮座される祠には、石坐神社の御祭神『彦坐王命(ひこいますのみこ)』の像が安置されています。

「御霊殿山遥拝所」

ご神木前に設けられた絵馬掛け。沢山ではないですがきちんと絵馬が奉納されています・・・が、何か違和感を感じてよく見れば

京都府八幡市に鎮座される日本三大八幡宮の一つ「岩清水八幡宮」

和歌山市秋月に鎮座される「紀伊国一之宮 :日前(ひのくま)宮」

青森市安方に鎮座される「善知鳥(うとう)神社」

何故こんなに遠く離れた神社の絵馬が奉納されているのか??今も不思議は解明していません。

参拝日:2010年6月12日

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和田(わだ)神社 in 滋賀県大津市木下町

2025年02月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市木下町に鎮座される「和田(わだ)神社」。御祭神は『高龗神(たかおかみのかみ)』。

由緒「白鳳4年に創祀されたと伝えられています。 壬申の乱から間もない頃、湖に暮らす人々の安寧を願って「海津見(わだつみの)神」が祀られ、祭神の名にちなんで、和田浜や和田岬と呼ばれるようになりました。その後、八大龍王社や正霊天王社、など呼び名も代わり、明治維新の頃に膳所藩主の令達により、和田神社になったと言われています。」公式HPより

重要文化財の本殿は鎌倉時代後期の建築で、檜皮葺、一間社流造。正面に軒唐破風があり、側面のかえる股などに時代の特徴が現れています。

本殿拝所の前より神域を守護されるのは浪花タイプの狛犬さん一対。長い年月が作り上げた独特の色合いが、ふっくらと豊かな体格にとても似あっています。

境内の一角に聳える御神木は、大津市指定天然記念物の「大イチョウ」。樹齢約650年、樹高約25m・幹回り4.4m。県下でも例を見ないほどの巨木で、かつては湖上を行く船の目印になったと言われています。 関ヶ原の戦いに敗れた石田三成が京都に護送される途中、 このイチョウにつながれ小休止したという言い伝えが残っており、石田三成ゆかりの地として一部の歴史ファンには有名なんだそうです。

拝殿そのものの画像はありませんが、檜皮葺屋根に乗せられた経の巻には「五七桐」の御神紋。

大イチョウの横にある近未来を思わせる建物は「宝物庫」。五月の「五社まつり」の際に担がれる「大神輿」が収蔵されているものと思われます。

「末社:奥村稲荷」。御祭神は『稲荷大明神』

拝殿の内・外合わせて四対の神狐さんが奉納されているのですが、社のうち深く、金網のかごの中に鎮座されていた神狐さん一対が特に印象に残っています。手だけを伸ばして写させて頂いたのでこれが精一杯の画像。どのような謂れがあるのかとても気になります。

表門

神社の境内にある塀としては異質に見えた煉瓦塀。中央に「昭和十二年十二月建 延長三十間 寄進:西田九兵衛」の碑。

参拝日:2010年6月12日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

膳所(ぜぜ)神社と膳所城址 in 滋賀県大津市膳所

2025年02月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市膳所に鎮座される「膳所(ぜぜ)神社」。御祭神は『豊受比売命』

由緒「社伝によると、天智天皇が大津宮遷都に際し、此の地を御厨地と定められた。天武天皇六年に大和国より御食津神を奉遷して、大膳職の御厨神とした。 慶長年間に至り大政所豊臣秀頼、徳川家康等、当社を厚く尊信し、種々の神器の寄進があった。東山天皇は膳所大明神の宣下をされた。 尚慶長六年膳所城創始以来、藩主本多候は歴代崇敬が厚く、社領、社殿の寄進、造営が度々あった。現在当社表門は元膳所城の城門であり、重文指定である。」滋賀神社庁HPより

境内の左右より神域を守護されるのは明治36年12月建立の狛犬さん一対。阿形さんの手には見事に細工された蹴鞠。吽形さんは目いっぱい逆光の為、表情もあやふや😓。

拝殿奥に、透かし塀を張り巡らせた随身門

随身門の内側よりさらに本殿近くを守護されるのは、大きく開いた八つ手のような尾が特徴の狛犬さん一対。阿吽ともに迫力のある顔立ちで、下のようなぶしつけな輩を警戒しています(笑)

ぶしつけな輩😅

境内入り口近く、手水舎の横に建立されていた細身の石灯籠。なんと亀の背中に乗っています。亀の上って「亀趺(きふ)」の事だろうと言われそうですが、これは本当に、正真正銘の普通の亀さん😲

上部に注連縄が掛けられた石、下に「永代御百燈」と刻まれています。石灯籠の類と思われるのですが、定かではありません。

旧膳所城本丸の土橋門を移築した北門。

膳所城門一棟の碑と永代万御百燈

大津市街の東部、相模川河口付近にあった膳所崎と呼ばれる琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城「膳所(ぜせ)城」。日本三大湖城の一つに数えられ、また大津城、坂本城、瀬田城と並ぶ「琵琶湖の浮城」の一つとしても知られていました。

こちらは膳所城の鎮守として祀られていた神々でしょうか?「地主大神」「浜弁財天」「白王龍神」、水城を守るにふさわしい神々が鎮座されておられます。

ギリシャ神殿を思わせる佇まいの中に座しているのは、右手に鳩。左手に幼子を抱いた観音像。台座には「英霊塔」の文字。滋賀県戦没者慰霊碑として昭和30年に建立されました。

本丸には4重4階の天守が上げられ、水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋、唐金擬宝珠(からかねぎぼし)、水に浮かぶは膳所の城」と謡われていた程だったと云う膳所城。今は「膳所城跡公園」として整備され、往時を語るものはわずかに残る石垣のみとなりました。

参拝日:2010年6月12日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御霊(ごりょう)神社(大友宮) in 滋賀県大津市鳥居川

2025年02月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市鳥居川に鎮座される「御霊(ごりょう)神社」。御祭神は『弘文天皇(大友皇子)』

御由緒「創祀年代不詳、社伝によると、壬申の乱後三年目の白鳳四年大友皇子の第二子興多王の指図により隠山に皇子の神霊を奉斎し大友宮または御霊宮と称し、これが当社の創祀とされる。寿永三年の木曽義仲と源範頼の戦斗・承久三年の鳥羽上皇軍と北条時房軍の戦い、建武三年の後醍醐天皇軍と足利尊氏軍の戦い、応仁の乱などの戦いの度に兵火により焼失。徳川時代に膳所藩より格別の崇敬があり、現在その城門が移設されている。」滋賀神社庁HPより

移築された城門の帳には「三ツ割の菊」の御神紋

本殿石段の左右より神域を守護されるのは、明治14年建立の狛犬さん一対。

流れるような美しいたてがみと対照的に鋭い牙を見せる狛犬さんたち。毬を手にして得意げに笑う阿形さん。不気味なくらいの歯並びの良さを見せつける吽形さん。それを見て驚く参拝客を見るのが楽しくて仕方ないと言いたげな吽形さんの上目遣いが、ものすごくツボ😅

入母屋造:間口四間四尺 奥行四間四尺の拝殿

御神木

移築された膳所城址黒門の前に建立された「大友宮」の鳥居

天智天皇崩御の直後の天智天皇10年(672)、天智天皇の弟、大海人皇子と、天智天皇の長子、大友皇子との間で、後に壬申の乱と呼ばれる皇位継承をめぐる争いが起こり、敗れた大友皇子は自害して果てます。長き時を経て明治3年(1870)7月、大友皇子に対し「第三十九代:弘文天皇」の称号が追号されました。

全国各地に鎮座される「御霊神社」ですが、その祭神・性格は様々で、今回のように、ある人物の御霊・怨霊を鎮めるために創建されたものもあれば、五柱の神(五霊)を祀る(祀っていた)もの。祖神・先祖の霊を「御霊(みたま)」として祀るものなどがあり、その御祭神は実に多岐にわたっています。

何故か御祭神とは一切無縁と思われる😅「二宮金次郎像」

参拝日:2010年6月12日

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御霊(ごりょう)神社 in 滋賀県大津市北大路

2025年02月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市北大路に鎮座される「御霊(ごりょう)神社」。御祭神は『弘文天皇(大友皇子)』

御由緒「鎮座年記不詳。神社口伝によると往古は国分北大路周辺五ヶ所の鎮守であり五領明神と称していた。明治九年村社に列す。」滋賀神社庁HPより

こちらの手水舎にはかなり大きなサイズの吐水兎がおり、清めの水を吐いています。三尾とは無縁である筈なのになぜ兎なのか・・今もって謎❓

間口三間三尺 奥行三間三尺:入母屋造の拝殿前左右より神域を守護される狛犬さん一対。

阿吽ともに見事な逆立ちを見せて出迎えてくれました。丁度境内にいらした氏子の方が、デジカメ片手に狛犬の周りを忙しく歩き回るご亭主殿を見て、「こんな珍しい狛犬は日本中探してもここだけにしかおらん!」と嬉しそうに声をかけてくださいました(確かに阿吽揃っての逆立ちは珍しいかも)。

大正11年(1922)建立の逆立ち狛犬さん一対。こうやって並べると頭ごなしに叱る上司の阿形さんと、叱られたことに納得いかない年上の部下の吽形さんという構図に見えて・・・(大爆笑)

透かし塀に囲まれた本殿前より神域を守護されているのは、笑顔がとびっきりの狛犬さん一対。で、ご亭主殿にお聞きしたいのですが、この後お願いしていた本殿の写真、どうして無いんでしょう?😠?  

広大な境内

明日は鳥居川に祀られる「御霊神社」の紹介です

参拝日:2010年6月12日

------------------------00----------------------

大友皇子』、天智天皇の子。671年わが国最初の太政大臣に任ぜられた。天智天皇崩御の翌年、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)と皇位継承を争い敗れ、自ら縊死。明治3年(1870)、弘文天皇の追贈を受ける。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近江(おうみ)神宮 in 滋賀県大津市神宮町

2025年02月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市神宮町に鎮座される「近江(おうみ)神宮」。御祭神は『天智天皇(天別開別天皇)』。時の祖神 開運・導きの大神、文化・学芸・産業の守護神とされます。

由緒「天智天皇6年(667)に同天皇が当地に近江大津宮を営み、飛鳥から遷都した由緒に因み、紀元2600年の佳節にあたる昭和15年(1940)の11月7日、天智天皇を祭神として創祀された。太平洋戦争の終戦後である神道指令が発令された昭和20年12月15日のまさにその当日に、戦後復興を祭神(天智天皇)に祈願した昭和天皇の勅旨により、同神宮は勅祭社に治定された。」Wikipediaより

鮮やかな朱塗りの楼門には「山桜に楽浪」の神紋。まっすぐ伸びた参道の先に「外拝殿」に至る石段。

拝所から正面に見える「祭典内拝殿」

内拝殿の奥に、わずかに「近江造」と呼ばれる本殿の屋根。

内院回廊

神楽殿

スイス:オメガ社から寄贈された、日本最古の時計「漏刻(ろうこく)復元模型」。(漏刻とは、階段状の水槽に水を滴り落とさせ、その水面の高さの変化で時をはかる水時計)

日本書紀には、天智天皇10年4月25日(671年6月10日)、天智天皇は漏刻を作り、大津宮の新台に置いて鐘鼓を打って時報を開始された。しかしこの時の漏刻がどのようなものであったのか文献には全く記載がなく、形状等も含めて不明だそうです。

ロレックス社より寄贈され、中国で使われていた火時計の復元模型

近江神宮時計博物館前の日時計

五分刻みという世界最高の精度を誇る「精密日時計」。文字盤の目盛に落ちる影の左側で午前の、右側で午後の時刻を読み取ります。

昭和38年、わが国最初の時計博物館として、日本の時刻制度発祥の地に設けられた「近江神宮時計博物館」。館内には、高松宮家(有栖川宮家伝来)から御下賜されたわが国最古級の懐中時計や、古今東西の時計が収蔵されています。

2010年、近江神宮御鎮座70年を記念して1階を時計館、2階を宝物館とした「時計館宝物館」に改装。2013年の名神高速大津SA上りのスタンプは、「近江神宮時計博物館」のままです😅

天智天皇といえば、小倉百人一首の最初の歌を詠んだ方としても有名です。
【秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は露にぬれつゝ】

参拝日:2009年6月5日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

建部(たけべ)大社~其の二 in 滋賀県大津市神領

2025年02月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

昨日に続いての「建部大社」。二日目日は境内に鎮座される末社・その他の建物の紹介です。

スタートは神宮遥拝所の前に置かれた「彌栄(いやさかえ)の御神木・産霊の樹」「「建部大社」の大神様の御神威(ごしんい)の思うままに、幾百年の永い歳月ものあいだ「彌栄」繁昌を続けた境内林中の、唯一のありがたい御神木の松根(商魂)となります。」現地説明より

日本武尊の后とお子とされる「木造女神坐像・木造小女神坐像」が納められた宝物殿。こちらを守護されるのは、異国風味たっぷりの白大理石でできたライオンさん一対。ライオンは和名で獅子と書くし、だから神獣がライオンでも不思議ではないのですが(^^;)・・どうしても違和感が。

「末社:八柱神社」、御祭神は『藤時平、融大臣、事代主命、市杵嶋姫命、素盞男命、豊玉彦命、櫛名多姫命』

鳥居の内より神域を守護されるのは、2000年8月吉日建立の陶器製狛犬さん一対。神殿狛犬に似た形ですが、顔立ちは現代的でとても穏やかです。

末社「大野神社」、御祭神は、日本神話に登場する草の神『草野姫命(かやのひめのみこと)』。建部大社がこの瀬田の地へと遷し祀られる以前から、この地域の地主神として祀られており、由緒は不明。 氏子の人たちは本殿に続き、必ず参拝する特別な神社と言われています。

社の両脇より神域を守護されるのは、明治22年5月建立の玉乗り、反物抱えの京尾付狛犬さん一対。

滋賀県の湖東地域は、室町時代より麻織物を産する地域として知られ、特に江戸時代には、奈良晒や越後縮とならび称されるほどの良質な麻織物「高宮布」の産地として知られていました。この狛犬さんを奉納された方は、そうした織物関係の方だったのかも知れません。

上の二社と並ぶ位置に鎮座される「武富稲荷神社」、御祭神は『稲倉魂命』。

朱塗りの鳥居の奥、社の両脇より神域を守護される神狐さん。巻物を咥えた神狐さんの片耳が欠けているのが、ここに置かれてからの時間を物語っています。

神馬舎

建物の名前は不明。もしかして説明があったかもしれませんが、取り合えず不明(笑)

建物入り口の両横で守護をされているのは、異国風の狛犬さん一対。何というか、やっぱりどこか別の国から来た感じ。

御亭主殿と大燈籠😅「古代百済から渡来し進んだ土木技術を持った大友氏一族が、「瀬田の唐橋」の安全を祈念し奉納したと伝えられ、旧瀬田城址・臨江庵(旧膳所藩家老の別邸)の庭に建立されていた。この庭は大正4年御大典記念・大正5年当社創立千八百年祭の為に整備され、当社の大祭毎に別邸を斎館として使われた由縁をもってここに移築した。高さ五米四十糎」現地説明板より

すっかり色褪せてしまった奉納絵馬は、女装した『日本童男(やまとおぐな)』『熊襲健(くまそたける)』を討ち取る場面。「父:景行天皇は16歳の童男に九州の熊襲を平定するように命じます。童男命は少女のように髪を結い、倭比売からもらった小袖を着て熊襲建の祝いの宴に紛れ込み、隠し持った短刀でこれを打ち取りました。熊襲建は自分より強い者はいないと思っていたがそうではなかったと言い、「建」の名をもらってほしいと伝え、これより『日本建命(やまとたけるのみこと)』と称える言って息をひきとりました。」・・・個人的嗜好で神楽から引用😄

日本武尊物語のワンシーン「日本武尊が駿河の国で火攻めにあった際、倭比売から戴いた剣で草を薙ぎはらい危機を脱する場面」

こちらはキッズタケル君😅 多分ですが上と同じ場面です(笑)

2015年4月24日、建部大社は「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定されました。

参拝日:2010年6月12日&2015年7月15日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

建部(たけべ)大社~其の一 in 滋賀県大津市神領

2025年02月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市神領に鎮座される「建部(たけべ)大社」。御祭神は『日本武尊』、相殿神に『天照皇大神』、権殿に『大己貴命』が祀られます。

式内社(名神大社)で、近江国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は「建部神社」と称されました。

由緒「御祭神、日本武尊は御年僅に十六才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定されながらも三十二才にして伊勢の能褒野において崩御。父:景行天皇は尊の永逝をいたく歎かれ、御名代として建部を定め、その功名を伝えられ、これが建部の起源とされる。景行天皇の46年、神勅により御妃 布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が、御子稲依別王(いなよりわけのみこ)と共に住まわれていた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創とされ、その後天武天皇白鳳4年(675)、当時近江国府の所在地であった瀬田の地に迀祀し、近江一宮として奉った。」公式HPより

一の鳥居から真っ直ぐに伸びる長い参道を進み、左に折れた先。左右に奉納灯篭が立ち並ぶ真正面に「神門」を臨む二の鳥居。

「神門」は境内地と神域の境いとなるもの。ここを潜れば御祭神の鎮座される神域となります。

神門正面には檜皮葺の屋根が美しい「拝殿」。由緒ある神社の社殿には、しっとりと落ち着いた檜皮葺がとてもよく似合います。

拝殿の右手前に聳えるのは、孝徳天皇の御代天平勝宝7年(755)、大己貴命を権殿へ奉祀された際、一夜にして成長したと伝わる御神木の三本杉。

建部大社の御神紋「三本杉」は、この故事にあやかって定められました。ちなみに御神紋が施された獅子口の細工瓦は、「牡丹に唐獅子・竹に虎」という凝った装飾です。

拝殿前、左右より神域を守護されるのは、明治15年3月建立の狛犬さん一対。

満開の牡丹の花を持つ阿形さん。彫りこまれた牡丹の花びらの繊細さは、まさに職人の技。逆さ構えの吽形さんの跳ね上げた足の力強さにも、惚れ惚れします。。

デジカメの液晶とにらめっこのご亭主殿、前を向いて歩かないとつまづいてこけますよ~。神職の方とすれ違ったのも気づかず、ひたすら、写したばかりの狛犬さんの確認に余念がありません。

拝殿から拝所へ。本殿 と権殿が鎮座される神域を守護されるのは、たっぷりと豊かな体躯の京尾太狛犬さん一対。

吽形さんは玉に前足をかけ、阿形さんは両足を踏ん張り・・・「紙垂」が付けられた細い注連縄を首にかけて、奥深くに座す御祭神を御護りしています。

本殿・権殿の画像は残せませんでしたが、昭和20年8月17日、日本で初めて作られた千円紙幣(甲号券)に「日本武尊と建部大社」が描かれています。

わずか7ヶ月間という通用期間であった為、幻の紙幣とされていますが、いかにも高額紙幣らしい格式高さ・・個人的には美しい意匠だと思います。

本殿を囲むように左右に鎮座する八つの社。上座4社には日本武尊の父母である景行天皇と皇后、御妃と御子が祀られ、下座4社には日本武尊の遠征に付き従った家臣の方々が祀られます。選んだ訳ではありませんが画像は4社のみで、摂社「藤宮神社」、御祭神は『布多遅比売命=( 日本武尊の妃)』。右に「若宮神社」、御祭神は『建部稲依別命=( 日本武尊の子)』

末社:「弓取神社」、御祭神『弟彦公 (日本武尊の家臣)』。左に「箭取神社 」、御祭神『石占横立、尾張田子之稲置、乳近之稲置(日本武尊の家臣)』

境内案内、明日に続きます。

参拝日:2010年6月12日&2015年7月15日

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする