車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 愛知県岩倉市

2016年07月31日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛媛県

岩倉市(いわくらし)は愛知県の北西部、濃尾平野のほぼ中央にあり、県内で最も面積が狭く、全国でも10番目に面積が狭い市です。市の中心部を北から南へゆっくりと五条川が流れ、名古屋市と犬山市を結ぶ名鉄犬山線が通り、両市のほぼ中間に位置しています。

キャッチフレーズは「健康で明るい緑の文化都市」

1889年、市町村制施行により、丹羽郡岩倉村・豊秋村・島野村・幼村が発足。

1892年、岩倉村が町制を施行し丹羽郡岩倉町となる。

1906年、丹羽郡岩倉町、豊秋村、島野村、幼村(一部を除く)が合併して二代目岩倉町となる。

1971年、丹羽郡岩倉町が市制施行、岩倉市となりました。

マンホールには「五条川の桜」と、1月~3月に行われる「のんぼり洗い」が描かれています。「のんぼり洗い」とは五条川で行われる、こいのぼりの糊落としの事を言います。

名神高速道路:尾張一宮PA記念スタンプ「のんぼり洗い」

昭和46年12月1日制定の市章は「井桁の上下を二つの末広型に変化して、
岩倉市の将来が、無限の発展を続けるよう希望をこめたものです。」公式HPより

路上タイル画:五條川の桜

路上タイル画:五條川の鯉

「のんぼり洗い」をイメージした岩倉駅の壁画。

撮影日:2011年6月4日

 

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ご当地マンホール in 岐阜県土岐市

2016年07月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

土岐市(ときし)は岐阜県の東南部に位置する市です。東は瑞浪市、西は多治見市及び可児市、北は御嵩町に。また県を跨いで南は愛知県瀬戸市、豊田市に隣接。市域の約7割を丘陵地が占め、南に高く北に低く、特に南部は急峻な山地となっています。市街地は、北部を横断する土岐川流域及び支流の肥田川、妻木川流域の平坦部に開け、中央丘陵を環状に取り巻くように形成。特に東濃地域は、良質な陶磁器用粘土が豊富なことから、1,400年以上の歴史をもつ古来からの焼き物の産地として発展し「陶磁器生産日本一の町」として、また「織部焼発祥の地」としても知られています。「市の木:ヒトツバタゴ」「市の花:桔梗」を制定。

キャッチフレーズは「“緑・美濃焼・みんなの笑顔”未来を拓く快適・交流都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により、土岐郡土岐津町・肥田村・鶴里村・曽木村・駄知(だち)村・泉村・下石(おろし)村・妻木村が発足。

1909年、駄知村が町制を施行、土岐郡駄知町となる。

1915年、泉村が町制を施行、土岐郡泉町となる。

1919年、下石村が町制を施行、土岐郡下石町となる。

1931年、妻木村が町制を施行、土岐郡妻木町となる。

1955年、土岐郡土岐津町・肥田村・鶴里村・曽木村・駄知町・泉町・下石町町・妻木町が合併、市制を施行し土岐市が発足。

マンホールには中央に市章、十文字の4か所に「美濃焼きの壺」。周囲4か所に「市の花:桔梗」がデザインされています。

昭和30年(1955)2月1日制定の市章は「土岐市の頭文字である「土」を図案化したもので、窯焼く煙と温泉の湯煙をもって本市の表徴とし、これを市章と定めたものです。」公式HPより

撮影日:2011年6月4日

岐阜県道66号沿いにある「道の駅・土岐美濃焼街道:どんぶり会館」。明治村を後にしたJ🐣さんと私たちは、こちらで車中泊をさせて頂きました。

敷地内の芝生広場にあったこの不思議場オブジェの正体は、いまだに謎のまま。一見すると機械仕掛けの蛙??

車で旅をする者にとってこうした施設は、本当に有難く大切な場所です。改めて、その節は有難うございました🙏🙏🙏

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ご当地マンホールin岐阜県瑞浪市

2016年07月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

瑞浪市(みずなみし)は岐阜県南東部、濃尾平野の北東端に位置する市です。恵那市、土岐市、可児郡御嵩町、加茂郡八百津町に、また県を跨いで愛知県豊田市に隣接。「美濃源氏土岐一族発祥の地」であり、中山道の宿場や一里塚、信長ゆかりの城跡が多く残されています。市域は室町時代の創業といわれる美濃焼を中心に発展してきた商工業都市ですが、太古の昔は海の底であり、クジラや海獣、ゾウや貝類、植物の化石が市内のあちこちから出土し、「化石のまち」としても知られています。「市の木:松」「市の花:桔梗」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「安心・快適 私たちが創るみずなみのまち」

中央自動車道「屏風山PA」記念スタンプは、瑞浪市明世町戸狩にある「サイエンスワールド」。実験や工作を通じて科学の面白さと不思議を学ぶ体験型科学館です。

同じく、中央自動車道「屏風山PA」記念スタンプは、瑞浪市陶町大川にある、高さ3.3m、幅1.56m、奥行き2.4m、総重量は15トンの「世界一大きな狛犬」

明治22年(1889)、町村制の施行により、土岐郡土岐村・小田村・山田村・寺河戸村・稲津村・餘戸村・日吉村・河合村・戸狩村・山野内村・月吉村。恵那郡猿爪村・水上村・大川村が発足。

1897年、小田村、山田村、寺河戸村が合併、土岐郡瑞浪村が発足。
   河合村、戸狩村、山野内村、月吉村が合併、土岐郡明世村が発足。
   猿爪村・水上村・大川村が合併、恵那郡陶村が発足。

1920年、瑞浪村が町制を施行、土岐郡瑞浪町となる。

1921年、土岐郡餘戸村が、釜戸村と大湫村に分村。

1926年、土岐村が町制を施行、土岐郡土岐町となる。

1932年、陶村が町制を施行、恵那郡陶町となる。

1951年、瑞浪町と土岐町が合併、土岐郡瑞浪土岐町が発足。

1954年、土岐郡瑞浪土岐町、稲津村、釜戸村、大湫村、日吉村、明世村戸狩・山野内・月吉、恵那郡陶町が合併、瑞浪市が発足。

マンホールには「市の花:桔梗」を中心に、周囲に「市の木:松」がデザインされています。

昭和29年(1954)4月1日制定の市章は「円満に飛躍する瑞浪市にちなんで、まるい3つの波が躍動する姿を表現した ものです。」公式HPより

中央自動車道「屏風山PA(瑞浪市)」に設置されていた汚水:汎用マンホール。

撮影日:2011年6月5日

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世界一の美濃焼狛犬と豊穣の壺 in 岐阜県瑞浪市陶町

2016年07月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

瑞浪市陶町大川、「八王子神社」参道近くに、1999年に制作された【世界一の美濃焼こま犬】があると言う、狛犬好きには必見の情報。気になりつつもなかなか機会が巡ってこず、13度目の車泊旅でやっと念願が叶う事に。初対面の感想は・・・・・・(゜゜;)

備前焼の地元で育った私には、焼物の大きな狛犬はそれなりに見慣れていたと思っていましたが、これは何と言うか桁違い。大きいではなく巨大!まさしく「世界一の狛犬」

添えられた説明版には、製作工程などを含めた概要が、丁寧に細かく記されています。「瑞浪市制35周年迎え、高浜市と姉妹都市提携を結んだこと。その記念として、瑞浪市陶町大川の地に、広く地域住民の参加のもと伝統産業を活かし、自ら考え、自ら行う地域づくり「ふるさと創生事業」として、市文化財指定である『大川窯四代目・羽柴与左右衛門景度』の美濃焼こま犬をモデルに、高さ3.3m、幅1.56m、奥行き2.4m、総重量は15トン! 世界最大の美濃焼こま犬一対を制作。この狛犬のモデルとなったのは市の文化財に指定されている大川窯四代目・羽柴与左衛門景度の美濃焼こま犬。製造には1000人もの人々が183日かけて・・・云々」

添えられた制作過程の写真を見れば、膨大な努力が結集されて完成したのだという事が、ものすごく納得できる20世紀最後の傑作。一見の価値というより、近ければ何度でも見に来たい!!

「危険なので上に登らないで下さい!」と注意書きが有るので、比べる対象が無いのが残念ですが、とにかく見上げる高さなのです。でも写真は自由に撮れるので、珍しく「阿吽」の位置で並べてみました(〃∇〃)

・・・・やっぱりこの迫力は、画像では紹介しきれません(^^;)

狛犬さんの後方には、焼成をした際の窯の一部と「焚き口跡」が残されています。最初に狛犬を成形し、それを覆う大きさの巨大な窯を作り、ドラム缶9本を繋いで煙突を作る・・さらっと書いてますが、そんなに簡単でないのは、この出来上がった狛犬を見れば分ります。

で、焚き口跡を除くと、狛犬さんの尻尾が見えます(笑)

世界一の美濃焼、実はまだまだこれだけではありません。狛犬さんが鎮座する裏側で存在感を誇示する世界一の茶壷「豊穣の壺」

『羽柴与左衛門景度』の茶壺をモデルとして、高さ5.4メートル、直径4メートル、使用粘土32トン。一体成形の焼き物としては世界一(ギネス認定)です。制作に1年を費やし、延べ12000人の地元の方々の労力によって造りあげられ、1万束の薪を燃料に300時間かけて焼成されました。」市HPより

ここでは手前に立っての記念写真が可能なので、さっそく二人(〃∇〃)

豊穣の壺の足元で、世界一の茶壷を守護されている、狐顔の狛犬さん一対。吽形さんの得意満面の顔が何とも(⌒∇⌒)

茶壷の後方にも「焚き口跡」があり、覗くと茶壷の後ろが(笑)

二つの世界一を見て思った事・・・それは単に大きいから凄いのではなく、地域の伝統手法で、地域の宝を、地域民が総出で作り上げた・・・その事実に心から賞賛の拍手を送らせてください。

ラストは巨大ではありませんが、瑞浪市内の「猿爪(ましずめ)川」に架かる「水上大橋」の親柱に並ぶ「狛犬」。

こんな風に地域の宝を宣伝されると、ついつい、他にも何か無いだろうかと探したくなります(^^;)

訪問日:2011年6月5日

 

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八王子神社 in 瑞浪市陶町

2016年07月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

瑞浪市陶町大川に鎮座される「八王子神社」、御祭神は天照大神と素戔嗚尊の誓約時に出現した五男三女神『天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)・ 天津彦根命(あまつひこねのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)・ 熊野f樟日命(くまのくすひのみこと)・ 田心姫命(たごころひめのみこと)・ 湍津姫命(みずつひめのみこと)・ 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)』

「創祀未詳。元禄十四年再建の棟札存す。昭和六年三月一日陶町大川字十三塚鎮座無格社天神社を合併す。」岐阜県神社庁HPより(瑞浪市HPに寛永2年(1625)の創建の記述有り)

鳥居の内、参道左右より神域を守護されるのは、1990年11月製作の刻が有る 美濃焼製狛犬さん一対。御亭主殿いわく「大川窯四代目羽柴与左衛門景度の美濃焼狛犬をモデルにしたのではないか」との事ですが、実際の所は不明。

狛犬さんの地肌の色は錆茶色なので、使われたのは「瀬戸黒釉」でしょうか?焼き物は好きですが、こういう専門的な話になると、全くと言って良いほど無知です(^^;)

石段の先に見える神楽殿

神楽殿の先に拝殿

拝殿左右より神域を守護されるのは、昭和十三年十月建立の岡崎型の狛犬さん一対。吽形さんは毬に手を、阿形さんは仔狛を手元に置いています。

僅かに拝見できた御本殿

拝殿の長押部分には「瑞浪市指定文化財 美濃焼狛犬群の写真がずらり。長くなりますが案内文から「狛犬は、中世では多くが小型の石製や木彫のものが本殿の縁に据えられるものが普通であった。しかし、彫刻が難しいところから陶器に関係の深いこの地方では、江戸の中期以降に神社の氏子や信者たちが、個人または共同で庇護や利益の祈願報謝の意味をこめて、陶製狛犬を奉納するようになったといわれている。しかしこれらのうち半数が無銘で、年代も作者も一部しか判明していないのは残念であるが、この大川八王子神社の五対余のうちに「羽柴与左衛門景度作」在銘のものがあることは大変貴重なことである。この景度の先祖は、室町後半期の文明六年(1474)武蔵国久良岐郡(横浜市附近)より移住してきた加藤左衛門尉景信で大川窯を開き景光、景忠と続き、景度の時代で前世をきわめ、その製品は「与左焼」と呼ばれ広く世間から賞用された。その銘ある狛犬は、小型ではあるが与左衛門の元亀、天正頃の作と考えられ、その◼︎作のすばらしさを現わしている。」

という事で、八王子神社の参道には、多くの氏子・関係者の方がによって奉納された美濃焼の狛犬さんがズラリ。実際にはもっと沢山の狛犬さんが奉納されているので、気になる方は是非とも現地へ!!(*^^*)

そして瑞浪市の八王子神社と言えば何と言っても世界一の狛犬さんですが、その入り口より神域を守護される美濃焼の狛犬さん一対。

何とも渋い色合いの狛犬さんには1995年10月建立の刻。首に下げられた細い注連縄が、通り過ぎる人にここが神域である事を教えています。

八王子神社の前、「中馬街道」沿いの小高い丘の上に祀られる「馬頭観音石仏」。足元に置かれた香炉には「馬を曳く馬子」の姿が刻まれています。

参拝日:2011年6月5日

 

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須部神社:恵比寿神社 in 福井県若狭町(旧三方町)

2016年07月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福井県

若狭町末野字神ヶ谷に鎮座される「須部神社:恵比寿神社」。御祭神は『蛭子大神(恵比須大神)・ 大国主大神(大己貴命)・陶津耳之命(すえつみみのみこと)』

町指定重要文化財の朱塗りの鳥居は、正保2年、若狭藩主『酒井忠勝公』の寄進。生憎の逆光で、朱塗りと分からないのが辛いところ(^^;)

「当式内:須部神社は御祭神により 恵比須神社(えびすさん) また  西の神さん と称されております。須部神社の創祀は、養老2年(718)9月28日 恵比須大神が末野の地に顕れ、翌養老3年(719)3月23日 社殿を建て祀ったと伝えられております。陶津耳之命はこの郷土末野(陶恵又は須恵)の産土の神として祀られています。往古(約千三百年前)よりこの地には祝部(はふりべ)土器、須恵器が産出され、陶業を司る祖神、文化発展の神として崇敬されています。」公式HPより

朱塗りの鳥居を潜り割拝殿を奥に進むと、非常に開放的で明るい拝殿へと至ります。

その拝殿横より神域を守護されるのは、何タイプに分類すればよいのか迷ってしまう、安政6年(1859)己未3月建立の狛犬さん一対。耳元から顎にかけての毛並み、体に刻まれた獅子紋等々、いずれも個性的で記憶に残る狛犬です。

台座の足元には、越前かむろ型狛犬さん。なぜか画像はこの二枚とアップが一枚のみ・・・右の画像が相方の後ろ姿であれば良いなと心底思います(^^;)

さらに足元にはもっと小型のかむろ型狛犬さん一対。かむろという言葉からこれほどかけ離れた顔立ちと言うのも、ある意味面白すぎます。

境内の一画に奉納されていた「鯛」は、昭和25年(1950)10月大祭日建立。御祭神の恵比須大神は、漁業の守護神とされます。

御祭神の蛭子大神は、幼にして親に離れご努力の末、生業の道を拓かれた生い立ちと御実蹟により「子共之守り神」として特殊信仰がなされています。

鐘楼

参拝日:2012年7月10日

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御神名一口メモ

『陶津耳之命(すえつみみのみこと)』、「大物主神」の妻となった「活玉依毘売」の父。

 

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宇波西(うわせ)神社 in 福井県若狭町(旧三方町)

2016年07月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福井県

若狭町気山字寺谷に鎮座される「宇波西(うわせ)神社」。御祭神は『彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)』延喜式神名帳では名神大社に列し、北陸道の352座の神社の中で唯一、月次・新嘗の幣帛に預る神社とされます。

由緒「社伝によれば、御祭神鵜草葺不合尊と伝えられ御母豊玉姫が海辺で鵜の羽などを葺草にまぜて産殿の屋根を葺かれ、それができあがらないうちに御安産されたので右のような御名を奉られたという。 古来漁猟又安産の守護神として崇敬されている。古伝によると文武天皇の大宝元年(701)日向浦に垂跡あって、同年3月8日に上野谷に遷られ、大同元年(806)3月8日更に現在の地に御鎮座されたという。 建武・元亀年間再度兵火の為に炎上。現在殿は嘉永4年(1851)に造営された。」福井神社庁HPより

神橋を渡った先はさらなる神域。

清めの水を吐くのは「鵜」。はるかな昔、『鸕鶿草葺不合尊』の所在を漁師の六郎右衛門に伝えたことから、此処では「鵜」が神使いとされています。

手水鉢は三百二十余年前、浦見川開削を成し遂げた『行方久兵衛』が寄進したもので「寛文三年癸卯(みずのとう)暦 五月吉日施主敬白」と刻まれています。

手水舎の傍らに奉納された石灯籠、よく見ると宝珠の部分に小さな狛犬が乗っかています。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんは左に子狛を連れ、吽形さんは毬らしきものに右手をかけています。

阿形さんの足元からこっそりと振り返る仔狛さん。大切な尾が欠けてしまったのがとても痛々しい・・・

拝殿の向背には「波間に戯れる鵜」。ふつうであれば「龍」が使われる場所の大半が「鵜」にとって変わられ、いかに「鵜」が重要な役目を果たしたかが、随所に示されています。

祈願絵馬に描かれているのは、毎年4月8日に宇波西まつりで「王の舞」を演じる舞人がつける鼻高の朱面。豊作や豊漁、そして国の平安を祈って演じられる「王の舞」は中世頃より始まったと言い伝えられており、他の二つの舞と共に国の選択無形民俗文化財に指定されています。

社殿左側 の境内に、樹高:約 28m、幹回り:5.07m、樹齢800年以上といわれる、町指定天然記念物の御神木の大杉。幹の先端は、明治にあった大火の延焼で枯れ、また平成になってからの落雷を幹に受け、樹皮がはがれることもあったそうです。多くの人の手によって守られてきた御神木は、大きく枝を広げ空に向かって聳え立っています。

参拝日:2012年7月10日

 

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ご当地マンホール in 福井県旧三方町(若狭町)

2016年07月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

旧三方郡三方町(みかたちょう)は福井県の西部、綾南地域に位置した町です。美浜町・上中町・小浜市、800m級の比較的低い山々を境に滋賀県高浜市と隣接。国指定の名勝で、若狭湾国定公園に属する「三方五湖」のある町として知られています。「町の木:しい」「町の花:梅」を制定。

旧キャッチフレーズは、「いつもあなたの“みかた”です」

明治22年(1889)、町村制の施行により、三方郡八村・西田村・十村が発足。

1953年、八村・西田村が合併、三方郡三方町が発足。

1954年、三方郡十村を編入。

2005年、遠敷郡上中町と合併、三方上中郡若狭町となりました。

マンホールには「三方五湖」「梅丈岳」「町の花:梅」と、特産の「梅の実」が描かれています。

昭和34年4月1日制定の町章は「平和と将来の発展を表したもの。中の丸は平和を表し、「三方」の三を図案化したもの。△は 将 来の発展と、「三方」の方を表し、三方五湖を図案化。全体は梅の花を表現。」合併協議会資料より

規格タイプの農業用水仕切弁

2001年8月16日、タンデムで出かけた三方町で、三方五湖を周遊する遊覧船を楽しんだことがあります。トップの画像はその帰路のもので、この後、カーブを曲がり切れずに単独事故を起こし、以来長く若狭方面へのタンデムが出来なかった苦い思い出があります。バイクから車に変わっても、その恐怖を克服する為に実に七年の歳月を要しました。

撮影日:2008年6月1日

 

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三宅区火の見櫓 in 福井県若狭町上中町

2016年07月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福井県

鯖街道の南、農家が点在する若狭町三宅地区のほぼ中央に、当地区のシンボルとされる「三宅区火の見櫓」があります。

実はこれを探すのに大層手間取り、通りかかった人に尋ねてやっとたどり着く事が出来ました。江戸時代後期に建てられたと推定され、国の登録有形文化財になっている建造物・・それがここまで分かり難いなんて。

何といっても驚愕だったのは、櫓に上がる為の垂直に伸びた梯子段。慎重に足を運ばないと一気にまっ逆さま!!筋金入りの高所恐怖症の私・・見上げるだけですでにガクブルです(^^;)

建物の中には手押し式の消防ポンプが置かれていましたが、他にはこれと言ったものがある様子もなく・・もう少し詳細に見えればもっと何かあったのかもしれませんが、これもやむを得ないのでしょう。

それにしても・・・やっぱりせっかくの文化財、もう少し何とかならなかったのでしょうか。

消化不足の感が否めない「三宅区火の見櫓」の見学。これでも本来は充分な筈なのに、つい他に何かないかと探してしまうのは、持って生まれた貧乏性故(笑)でも結局何かを見つけても、それが何であるかもわからないままと言うのがオチなのです(笑)

訪問日:2012年7月10日

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若狭町熊川にある「道の駅:若狭熊川宿」。三宅区火の見櫓の見学後に、こちらで車泊させて頂きました。施設も設備もとても綺麗で気持ちよく、本当に素敵な道の駅です。車で旅をする者にとってこのような施設は本当に有難く大切な存在です。

改めて、その折は有難うございました m(__)m

 

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熊川宿(くまがわじゅく) in 福井県若狭町上中町

2016年07月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福井県

若狭町にある 若狭と京都を結ぶ旧鯖街道「熊川宿(くまがわじゅく)」。1996年7月9日、若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝建地区に選定。また2015年には「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 - 御食国(みけつくに)若狭と鯖街道 - 」の構成文化財として日本遺産に認定されています。

若狭では古くより小浜を中心に「京は遠ても十八里」と言われ、若狭から京都へ至る多数の街道や峠道が作られていました。街道で運ばれた物資の中でも特に「鯖」が有名になった事から、これらの道を総称して「鯖街道」と呼ぶようになりました。

宿場の入口には、元の位置に現存する唯一の番所「熊川番所」が設けられてており、どこかで見たような顔のお役人が宿場を通過する人たちをしっかり吟味しています。

熊川宿が置かれた地は近江との国境近く、小浜と今津のほぼ中間点に位置しており、天正17年(1589)に小浜城主:浅野長政が近江と若狭を結ぶ鯖街道(若狭街道)の宿場町として整備。江戸時代を通して鯖街道随一の宿場町として繁栄してきました。

旧街道に沿って流れる水量豊かな前川。往来と家屋とを結ぶ石橋や、水流を利用した水路の芋洗い水車など、往時の佇まいを色濃く残す約1kmの町並みが、私たちの目の前に展開されています。

熊川宿の観光案内やポスターでは必ずと言ってよいほど目にする、この橋のある風景。上ノ町と中ノ町を結ぶ「中条橋」を渡ったその先に、「旧逸見勘兵衛家住宅」があります。

旧逸見家は、伊藤忠商事2代目社長『伊藤竹之助』の生家で、主屋・土蔵・庭が町指定の文化財となっています。

伊藤忠商事二代目社長となった『伊藤竹之助翁(旧姓逸見』)が、昭和15年に熊川村役場として建てた「若狭鯖街道熊川宿資料館宿場館」。トスカーナ風の柱頭をもつ円柱が建ち、寄棟瓦葺の2階屋根の中央には越屋根が付いています。

館内には往時を物語る様々な諸道具が展示され、特に古い看板が大好きな私を喜ばせるものも一杯。

当時の学校の表札でしょうか?尋常小学校は聞き覚えがありますが、実業補習学校」と言うのは初見。おそらく技術学校、もしくは専門学校的なものと思われます。

再現された帳場

近代において、鯖街道越えをする人でしょうか?手前の仁丹の箱は大きさからみて看板?人力車も見えますが、多分ここは未整理区画なのかもしれません。

資料館を出て再び宿場のそぞろ歩き。熊川宿のほぼ中央、前川に面して建つのは「菱屋(勢馬清兵衛家)」。熊川宿の中でも最大級の家屋で間口が28間、切妻、桟瓦葺、平入、木造2階建、本屋の大屋根にはむくりが付けられ、2階外壁両側には袖卯建が設けられています。「勢馬家は屋号を「ひしや」といい10数軒の問屋、脇問屋とともに街道の繁栄を支えた旧家。広い家屋敷にそのおもかげを残す。最盛期には年間20万駄の荷揚の荷継ぎ場としてその問屋場に馬借、背負人が群がったという。また宿場町役人として藩の御用や町の自治にも貢献した。」案内板より

塗込の壁や袖壁卯建がある屋敷は、同じく旧問屋で屋号は「倉見屋(萩野八左衛門家)」。主屋、土蔵など問屋の形式を残している最も古い町家で、表には2ケ所の駒繋ぎが見られます。

古い町並みで古い看板を見つける事も楽しみの一つ。粋な紳士がふかしているのは「タバコ」。昔は煙草の専売もされていたお店だったようです。ローソクの看板は、物好きな私の為にお店のおばあちゃまが、こんな古い看板もあるよといってわざわざ見せてくださったものです(*^^*)

熊川地区の中ほどに鎮座される「白石神社」。御祭神は『彦火々出見尊・白鬚(しらひげ)明神・酒井忠勝・および山の神』。この地区の氏神様と言う事で、鳥居前からの参拝です。

この神社の鳥居脇に、昭和2年11月に建立されたという「時計とうろう」があります。残念な事に、これに関する文献類は一切無いそうです。

同じく熊川宿に鎮座される「松木神社」。御祭神は『義民:松木庄左衛門の御霊』。時間的な事もあり、こちらも参道石段からの参拝となりました。

江戸時代のはじめ、厳しい年貢の取り立てに苦しむ若狭の農民たちを救おうと、新道村の若き庄屋「松木庄左衛門」たち20名は、税の軽減を十数年に渡り訴え続け、ついに酒井忠勝により税の軽減を許されました。しかし当時の法では直訴は死罪と決まっており、代表者であった「松木庄左衛門」は捕えられ、日笠川原で磔の刑になり28歳の生涯を閉じたのです。

暗い話になりましたが、日本の各地には民を顧みないお殿様がどこにもいたようで、私の数少ない旅の中でもこうした義民の碑や神社を目にします。特に飢饉に見舞われた地域では、行く先々に義民の碑が残されており、そのたびごとに胸が痛みます。ではここで少しほのぼのとした話題を。

上ノ町の街道沿いにある「大岩」は、子供たちの格好の遊び場なのですが、不思議な事にここで遊んでも誰一人、怪我をする子が居ないことから別名「子守り岩」とも呼ばれています。

ラストは「孝子与七の碑」「享保6年(1721)貧しい暮らしの与七とその妻は、自分たちは貧しいものを食べても父母にはご馳走を食べさせて孝行のかぎりを尽くしました。時の小浜藩主は与七の行いを聞くに及んで、米数俵を与えその志を褒めたことが『若狭良民伝』にも出ています。」現地案内より

訪問日:2008年6月1日

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御神名一口メモ

『白鬚明神』、全国に約190社あると言われる白鬚神社の祭神の総称で、一般的には「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」とする。他に「武内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと)」とする神社が30社。又少数だが「少彦名命」、「天御中主神」、「太玉命」、「金山彦命」、「大己貴命」、「天鈿女命」、「大田命」、「久延毘古命」等の名で祀られる神社もある。

コメント (2)
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