天武・持統天皇の時代、宮中行事でもあった薬狩りが阿騎野で行われたと文献に残る宇陀松山。古の昔より、阿騎野は、天皇の狩場や牧場があった場所として発展してきました。
宇陀松山が拓かれたのは、戦国時代に「宇陀三将」と呼ばれた一人、秋山氏の築いた秋山城の城下町を起源とします。その後豊臣秀長配下の大名により現在の町並みの原型が形成、地名も阿貴町から松山町に改められたとされています。
江戸時代には、宇陀松山藩の陣屋町として、元禄7年(1694)に江戸幕府の天領となってからは商業地として栄え、明治時代には宇陀郡役所や裁判所がおかれるなど地域の中心として発展してきた大宇陀。
往時の繁栄を伝える物はそこかしこに残されており、町歩きの楽しさに格別の趣を垣間見せてくれます。大きく「天寿丸」と書かれた看板が目を引き、松山地区のシンボルともされる建物。
江戸時代末期の細川家住宅を修復し、1994年に宇陀市大宇陀歴史文化館「薬の館」として開館。細川家は、文化3年(1806)に薬商を営み、天保7年(1836)には人参五臓圓・天寿丸という腹薬を販売しました。唐破風付きの看板が、当時の繁栄を今に伝えています。
松山と薬草との関わりは、江戸時代に開園した「森野旧薬園」に象徴されます。葛粉の製造を営んでいた11代目『森野藤助』は、享保14年(1729年)に幕府から派遣された採薬使に随行し、薬草採取に従事。その功績により幕府から薬草の種や苗を与えられました。自宅の裏山に開いた薬園には今も約250種類の薬草木が四季折々に来園者の目を楽しませてくれます。「森野旧薬園」は、「小石川植物園」と並ぶ日本最古の民間の薬草園として国の史跡に指定されています。
切妻造の建物に、すっかりと色あせてしまった看板が幾つも架かる「黒川本家」。「山ノ坊屋」の屋号で吉野葛を商っていました。江戸時代中期の建築で間口10間半は、酒蔵通りの久保酒造と並んでこの一帯では最も広く、通りに貫禄を添えています。宇陀は「吉野葛」の産地として全国的に有名で、顧客に『谷崎潤一郎』の名が残されています。
薬の館の隣にある「山邊義徳家住宅」。かって宇陀紙の総元締めを家業としており、今も当時の藩札の原版や宿札などが残されているとか。入り口左側の千本格子の下に犬矢来を置き、厨子(つし)二階の虫籠窓は小さく、古い商家の状態がよく保存されています。天明5年(1785)の建築は宇陀松山で最も古く、奈良県文化財の指定を受けています。
松山地区まちづくりセンター「千軒舎」。明治時代前期の建築とされ、薬屋・歯科医院として使われていた「内藤家住宅」を改修。松山地区の観光拠点として一般開放されています。
江戸時代後期の建築で、片側入母屋・平入の伝統的町家「森田家住宅」。屋号を「諸木野屋」といい、1階前面の戸袋には「五龍園」と書かれた看板が残されています。当時は薬や雑貨を商っていたそうですが、明治初年には商売をやめ、今は空き家となっていました。
長い石段が続く「神楽岡神社」の参道脇に建つ「都司家住宅」。屋号を「更紗屋」といい、主屋には明治4年(1871)の愛宕祈祷札があり、明治元年頃の建築と伝わっています。宇陀の領主であった秋山氏の菩提寺・慶恩寺の晋山式の時には、都司家が僧侶の支度控えに利用され、この玄関から僧侶が出入りしたと云われています。
川沿いに建つ古い学校舎のような建物は明治36年に旧松山町役場として建設された、松山地区の中では比較的大きな建物。その後、工業学校、土木事務所等を経て、現在は大宇陀福祉会館として利用されています。
松山藩時代の面影を残す「史跡:宇陀松山の西門」。江戸時代初期の建築とされる「旧松山西口関門」で、建築当時のままの位置に残されています。
黒漆喰の外壁が美しい「久保酒造」。明治時代に「登徳造商店」として現在の店舗の場所から少し離れた村の中で創業。その後、大正時代に入り、現在の場所に移って今に至ります。
千代の松・稲戸屋などの醸造元である「芳村酒造」。建物の年代は昭和16年と新しいものの、格子・卯建・黒漆喰などの伝統的な町屋の要素を持ち、特に主屋南側の2段卯建は見事。
寒冷地であり、良質な水に恵まれたこの地は、また日本酒づくりにも最適な土地。地区の中心を南北に走る旧伊勢街道の南端は酒蔵通りと呼ばれ、今も軒先に杉玉を吊るした酒蔵の構えを見る事が出来ます。
上に小さく西の文字「右:大峰山上」、上に小さく南の文字「左:京 大坂」と刻まれた道標。
明治22年の町村制施行によって発足し、昭和17年の大宇陀町発足時に消滅した「神戸村道路元票」。目立たない存在ですが、宇陀松山地区の歴史を物語るものです。
松山地区には珍しい洋館は明治期に建てられた旧郵便局らしいのですが、この建物に関しては情報が今一つ不足。
こちらは今も現役の「久保医院」。丸い眼鏡が似合いそうなお医者さんが、にこにこ顔で「今日はどうしましたか?」と聞いてくれそう。
「琴平神社 愛宕神社」社号碑
どちらの神域を守護されていたのか不明ですが、浪花系の狛犬さん一対。かなりの年数をこちらで過ごされたようで、貫禄たっぷりの表情。
大樽が看板の「奈良一:奈良漬本舗 いせ弥」。奥に見えるのは「銘菓:きみごろも本舗 松月堂」。何もかもがしっとりと落ち着いて、ただそこを歩くだけで不思議なほど気持ちが穏やかになる・・・
こんな素晴らしい町並みが残されていることに、この町並みを残し続けて下さっている地元の方々に、私たちはただ感謝の思いで一杯です。
訪問日:2009年7月11日