車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

黒田官兵衛所縁の地:福岡 in 岡山県瀬戸内市長船町

2021年10月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

中世から近世において、山陽道の宿場町・市場町として栄えた長船町福岡。長船派と呼ばれる刀工の定住や、古来より備前焼の集積地として吉井川の水運に支えられ、大いに栄えた福岡の一画に「日蓮宗妙興寺」があります。

瀬戸内市長船町福岡にある日蓮宗寺院「教意山:妙興寺」。応永10年(1403)、播磨の国主である『赤松則興』の追善供養のため、阿闇梨日伝によって開基。戦国時代には寺域が2町(約2万平方メートル)あまりに及び、一院と十の坊がひしめく大寺院であったと言います。

本堂横に聳える、瀬戸内市指定天然記念物の「大銀杏」

その妙興寺:境内の墓所に、『黒田官兵衛孝高(如水)』の曽祖父・祖父にあたる『黒田高政・重隆』が眠ると伝えられる墓塔があります。

近江国から流れてきて福岡に居住した高政は、この福岡の町で一財を築き、その子・重隆は浦上氏、小寺氏に仕え、後に播磨国姫路城を拠点として活躍し、嫡子である職隆に家督を譲った後、同地で没したと言います。近世大名となった筑前黒田家の実質上の家祖とされ、福岡藩10代藩主によって姫路御着の地に新たに墓所を造営しています。

また、浦上氏によって追放された『宇喜多興家』は、この地に逃れて病死しましたが、その子宇喜多直家は後に家名を再興し、浦上氏を追放して岡山城を拠点に備前一国を平定。境内には直家の父、宇喜多興家の墓もあります。

某テレビ局の大河ドラマの影響で、一躍 脚光を浴びる事となった『黒田官兵衛』。地元に住んでいる義姉も知らなかった名所?ですが、山門の前には「黒田官兵衛父祖の墓所」なる碑が建てられています。

お寺の境内としては拍子抜けするような明るさは、晴れの岡山というお国柄故か。 山門を真っ直ぐに進むと「教意山」の額が架かる重厚な仁王門。

広く明るい境内にはこんな看板が。名のある人物であっても縁の無いものが墓所に訪れるというのは些か抵抗があるのですが、こういうのを見るとそれも有りと思えるから不思議です😊 それではもう少し境内の散策を・・

妙興寺の参道南側に祀られるのは「三十番神堂」。天神、地祇三十神が、毎日、結番交替して国家、国民を守護せられると伝えられています。

鳥居の両側より神堂を守護されるのは備前焼きの宮獅子一対。いつからここで頑張っておられるのか不明ですが、随所に見られる痛々しい傷は何度見ても胸が痛み、そして修復の跡に何度も気持ちがあたたかくなります。

福岡一文字造剣の碑

妙興寺のラストは、山門屋根の留め蓋でくつろぐ飾り瓦の仙人たち。瓢(ひさご)を傾ける者、盃を差し出す者・・・一体ここにいる仙人は何者??多分もう一体ある筈なのですが、木の枝に邪魔されたのか画像がありません。いずれにしても何某かの物語の主人公なのでしょう、

今はすっかり落ち着いたたたずまいの長船町福岡の町並みですが、かっては「備前福岡名所町、七口、七井戸、七小路」とうたわれた城下町。今でも当時の面影を伝える場所が残されており、この井戸も七井戸と呼ばれたうちの一つ。現在、七つのうち四つの井戸が昔の姿のまま残されているそうです。

現存する井戸・・失われた井戸の跡に建てられた碑。

慶長5年(1600)、黒田官兵衛の子である『黒田長政』が筑前国に封じられた際、本拠城の名称を黒田氏ゆかりの備前福岡より取って、「福岡城」と命名。これが今日の福岡県および福岡市の名称の由来となりました。

訪問日:2015年8月12日

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八日市(ようかいち)八幡宮・妙見宮 in 岡山県瀬戸内市長船町

2021年10月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

岡山県瀬戸内市長船町八日市に鎮座される「八日市(ようかいち)八幡宮」。御祭神は『仲哀天皇・応神天皇・神功皇后』

由緒「備陽国誌及宝暦11年(1761)神社書上帳、その他寛文11年(1671)神社改帳に八日市八幡宮とある。池田家所蔵文書に、明治3年庚午書上神社明細帳六 邑久郡の部 備前国邑久郡八日市村鎮座 八幡宮社地弐反八畝外に宮籔林二反共境内除地とある。」岡山県神社庁HP

こちの神社、前日のブログで紹介した「宇佐八幡宮」の奥様から紹介されました。お話では、非常に古い(もしかしたら県下最古かも)随神がおいでになり、学術的にも価値が有るとのこと。

非常に古い・・の言葉通り、どれほどの年代を重ねたのか・・・お一方は、すでに随身の形をなくしかけておられます・・・文化財なので修復がなされなかったのか、それともすでに手遅れだったのか。なぜここに至る前に何らかの手が打てなかったのか・・素人の私には知る良しも有りません。

御神木と思える木々が、照りつける日差しを遮って大きく影を落とす広い境内。

留蓋の上で天を仰ぎ見る人物は、はたして誰でしょうか?この飾瓦がどの屋根にあったものなのか、すっかり記憶から抜け落ちている。

境内一角に「社日碑」・・社日碑は産土神(生まれた土地の守護神)を祀る碑。

境内社二社、御祭神不明。

神社参拝の一番の楽しみは、素敵な狛犬さんに出会う事です・・・が、良い狛犬さんが居たと知人から聞いていたのに、いつの間にか大量生産某国のコピー狛犬に変わっていました。ご亭主殿のガッカリは半端無かったようです。本来は紹介しないこの狛犬さんを敢えて載せたのは・・先代さんの行方がどうしても気になったから・・誰か知りませんか??

参拝日:2010年5月7日

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瀬戸内市長船町福岡に鎮座される「妙見堂」に素敵な備前宮獅子がおいでになるとの事で瀬戸内市在住の義姉に同行しました。

「「妙見さん」という呼び名で親しまれている妙見菩薩は、北斗七星または、北極星を神格化したものとされています。妙見菩薩は、災害を除き土地を守り、人々の幸福と寿命と武運を増す菩薩であり、星の信仰から海上安全の神、海上貿易を営む商人の信仰する商売の神、また「妙見」という名から眼病平癒の神として信仰を集めてきました。有名な「伊勢の妙見さん」は、大阪府能勢町にある日蓮宗真如寺の妙見堂のことです。福岡の「妙見さん」は、台帳によると、嘉永3年(1850)2月、霊夢により勧請され、明治20年(1887)、有志により講(水運講)が結成され、以後引き続き講が開かれてきました。戦時中はことのほか厚く信仰され、出征兵士の武運長久が祈られました。~後略」境内案内より

お堂の前より境内を守護される備前宮獅子さん一対。体には明治二十五年六月吉日の文字が刻まれています。体の至る場所に修復の跡が見られるのは、それだけこの獅子狛犬が大切にされている証し。

参拝日:2012年2月25日

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宇佐(うさ)八幡宮 in 岡山県瀬戸内市長船町

2021年10月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

瀬戸内市長船町服部に鎮座される「宇佐(うさ)八幡宮」。御祭神は『品陀和氣命(応神天皇)・息長帶姫命(神功皇后)・比賣大神(祭神縁の女神)』

由緒「当社は豊前国宇佐神宮から勧請したと伝われている。 元暦年中(1184)佐々木盛綱平氏追討の際、当社へ立願した。また、服部丸山城主天野佐介西戎を鎮撫の際、当社へ立願し凱旋時神輿1基を奉納した。 文明15年(1484)松田左近将監元就、福岡城を囲んだ際、当社に陣を置いた。弘治元年(1555)火災に遭う。 寛文6年(1667)藩主池田光政公から代々社領高4石9斗6升を受ける。 承応2年(1653)、宝暦11年(1761)、弘化4年(1847)本殿再建。」岡山神社庁HPより

弘化4年(1847)の再建とされる本殿。頭貫には口元に彩色の跡が見られる龍。脇障子にも、今にも飛び出してきそうな龍の彫刻と・・右の脇障子の題材は何でしょうか?

清掃の行き届いた境内。鳥居から真っ直ぐに神門があり、更に正面に拝殿が見えています。

拝殿前より神域を守護されるのは、弘化2年(1845)10月大吉日建立の狛犬さん一対。一見広島型に似ていますが、独特の風貌や、足元の岩山にからみ付く牡丹の彫刻など、これまでお目にかかった狛犬さんとはまた一味違った風貌。

本殿近くに鎮座される、摂社「山王神社」、御祭神は『大山咋神』と思われます。摂社「賀茂社」、御祭神は『賀茂別雷命』と思われます。

小社ながらもそれぞれに鳥居を構えるお社。屋根の留蓋では不思議な生き物が勢いよく飛び跳ねています。

左の小社は「境内社:荒神社」。右隣には、同じく「境内社:木野山神社」が祀られています。

参拝日:2010年3月2日

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片山日子(かたやまひこ)神社 in 岡山県瀬戸内市長船町

2021年10月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

瀬戸内市長船町土師に鎮座される「片山日子(かたやまひこ)神社」。御祭神は『片山日子命』

社伝では「『片山日子命』は、片山に座す吉備津日子命の略称であるとする。創祀年代は不詳。当初は、現在地の南にある標高164mの甲山(神山、国府山)の山頂に鎮座していたが、中世(一説には後冷泉天皇天喜三年八月)、麓の現在地に遷座したと伝えられる。」

綺麗に掃き清められた境内、開放的な神門の左右には随身様が守護の任に就かれておられます。

もとは鮮やかな彩色が成されていたのでしょうが、長い時の流れに洗われて、おだやかな面持ちになられたようです。

神門から拝殿へと至る参道の両脇より神域を守護されるのは、何とも人間くさい表情の備前宮獅子一対。長船地区は備前焼で有名な備前市と隣接した位置にあり、かなりの確立で良い備前宮獅子さんに出会う事ができます。

神門から拝殿へ、こちらの拝殿は絵馬殿も兼ねられているようで、興味深い絵馬が残されています。

現在は合併して瀬戸内市の重要文化財となりましたが、参拝当時は長船町指定文化財であった「片山日子神社:和算額」
「明治6年(1873年)10月に、邑久郡笠加村箕輪の入江信順が開いた算学塾「萬春亭」の門下生16名が各1題の幾何の問題を解いた算額である。額縁には龍の彫刻が施してあり、これは玉津村尻海の彫刻師である井上幽雪斎・鶴峰父子の手によるものである。」拝殿前の説明版より

拝殿向背の彫刻は「竹林に潜む猛虎」でしょうか。 ぎりぎりと青竹を噛み締める猛虎の視線の先にある物は何でしょう?

拝殿の屋根からは、逆巻く波の中で体をくねらせる龍が参拝者を出迎えてくれます。

社殿の左手に鎮座される「境内社:木野山神社」。ここでも疫病退散の願いを籠めて「木野山様」が分霊されたようです。赤い鳥居の境内社は「稲荷神社」。社殿の右手に鎮座されています。

ラストになりましたが、私の大好きな留蓋瓦の獅子の一対。顔の楽しさもですが、ピンと張り上げた後ろ足に思わず二度見😄 

参拝日:2010年3月2日

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美和(みわ)神社 in 岡山県瀬戸内市長船町

2021年10月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

瀬戸内市長船町福里に鎮座される「美和(みわ)神社」。御祭神は『大物主神』

社伝によれば「年代は不明だが、奈良県桜井市の大神神社から勧請されたと伝えられる。また、同町東須恵の美和神社から分祀したとの言い伝えもある。口伝によれば、神社は一時期廃絶していたが延享3年(1746)に岡山藩に対し再興を願い出、翌年、延喜式神名帳に名を連ねる古社であるとの理由から、藩主より江戸幕府に再興伺いを提出。これにより寛延2年(1749)神社の再興が成ったとされる。」Wikipediaより

四方共にずいぶんと開放的な神門で、その奥に真っ直ぐ拝殿が続きます。

拝殿内は絵馬殿も兼ねているようで、色彩豊かな絵馬を拝見することが出来ます。また正面の破風棟鬼飾りには「ウサギ」

ご祭神である『大物主大神』は、出雲の『大国主神』と同一神とされており、因幡の白兎の神話から、御祭神に縁のある動物として登場します。

拝殿から神橋を経て本殿へ。その神橋の左右より神域を守護されるのは、備前宮獅子の一対。何箇所かに修復の後が見られ、大切にされているのが伺えます。

御本殿に向かって右に鎮座されるのは「境内社:四社様」。この「四社様」というのが、その名の通り四つの社をまとめて祀ったものなのか、それとも単独でのご祭神の呼び名なのか、今一つ良く分かりません。「四社様」の右手には「稲荷社」が鎮座されています。

拝殿の左前に鎮座されるのは「摂社:木野山神社」。古来より疫病に対するご神徳で知られており、明治9年頃から中国地方に猛威をふるった「コレラ」への対抗手段として分霊されたものと思われます。

最後は拝殿内の絵馬で、これはどうやら徳川幕府軍と新政権側との戦の様子を現したものに見えます。

京都五条の橋の上、ひらりひらりと欄干の上を飛び移る「牛若丸」と「弁慶」の様子を描いた絵馬。

何度も何度も柳に飛びつこうとする蛙を見て、己の努力の足りなさを恥じたと言う「小野道風」の逸話から。

最後は、三和神社境内での獅子舞の様子を写した写真ですが、こちらでの祭礼の情報は神社庁のページにも記載がありません。2006年の12月に何か特別な事があったのでしょうか・・。出来れば実際に見てみたいものです。

明治時代になり神社明細帳編成の際に、明治政府は、当「美和神社」を式外社と改め、長船町東須恵の美和神社を式内社であるとしました。式内であろうが式外であろうが、御祭神にはあずかり知らぬところでしょうね。

参拝日:2010年3月2日

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靱負(ゆきえ)神社 in 岡山県瀬戸内市長船町

2021年10月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

瀬戸内市長船町長船、「天王社刀剣の森」に鎮座される「靱負(ゆきえ)神社」。御祭神は『天忍日命・御眞木入日子印惠命・天目一神・菅原大神・奥津比古命・稻倉魂神・豐受大神・磐長比賣命,・大年神』。通称 「天王社」とも称されます。

由緒「本神社は備前国神名帳(総社本)に靭負神社、(山本氏本)に従五位上靭負明神と記載してある。備前国古社128社の1社で宝暦年中神社書上帳に長船村五位大明神と記載してあるのは、神階によって称え奉ったものであろう。古より眼病平癒の霊験ありと言い伝え、今も半紙に「め」の字を書いて拝殿の壁面に張り、眼病平癒を祈願する人がある。この信仰については観応二年(1351)に足利尊氏西下の途中に、備前福岡に1ヶ月にわたり兵を留めていた時、尊氏が眼を患い当社に祈願して平癒したためその信仰が盛んになったと言われている。また長船の刀鍛冶が目を守って頂く為信仰したとも言われている」神社庁HPより

鳥居脇より広大な神域を守護されるのは、紙垂に守られた備前宮獅子一対。尾の部分や足元などに修復の後が見られますが、大切にされている事が伺えます。

参道を進み随身門へ。ここでは非常にユニークで味のある飾瓦に遭遇できました。

鳥衾の下がとても装飾的な鬼瓦、鬼と言うよりも戦国武将のような雰囲気を醸しています。

さらに留蓋の上で寛ぐ獅子。吽形さんは本当にゆったりと寛いでいますが・・

阿形さんは何か思い悩む事があるのでしょうか?今にも泣き出しそうな顔で天を見上げています。

さらに参道を進むと白漆喰土塀の神門が見えてきました。左の漆喰はかなりの範囲で剥がれ落ちています。

参道正面に拝殿。事前情報では「め」と書かれた半紙が沢山あるとの事でしたが、今日は一枚も見かけませんでした。

向背には社号額ではなく、神功皇后出産の様子を現した奉納絵馬額。

そして屋根には・・・・これまた初見参の「蛙」の留蓋瓦。蛙が乗っかっているのはハスの葉っぱでしょうか?

御本殿の彫刻もまた見事で壮麗。もう少しはっきり写せれば良かったのですが、私のカメラ(腕)ではまぁ、こんなものでしょう。

獅子と像の木鼻彫刻、反対側には同じく阿形の獅子と像があり、それ以外にも波間の菊花など華麗な彫刻で埋められています。

境内社に『崇神天皇』が鎮座されるお社があると聞いていたのですが・・・これです!と言い切れないのが困ったところ😓

「力神(りきじん)」さんも、懸魚の「鳳凰」も摂社の彫刻だった筈ですが・・かなり記憶があやふやなので、場所の断定は避けておきます。

〆柱の後ろに鎮座される、摂社「荒神社、岩代宮」。元は舟山山頂に鎮座されていましたが、山陽新幹線工事の際に当地に遷座されました。

刀鍛冶の守護神である天王社の背後に広がる「天王社刀剣の森」

「新田義貞に敗れた足利尊氏は、九州へ下向する途中この地で再起を祈願したといわれています。願いが叶って東上のとき再び立ち寄り、お礼として日向国から持ち帰った松を寄進したとの伝承があります。現在の松はその子孫とされ、昔から「日向松」と呼ばれ、今も大切に保護されています。」

秋の大祭では子供相撲の神事があるとか、境内には土俵が備えられています。

参拝日:2010年3月2日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 岡山県旧長船町(瀬戸内市)

2021年10月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧邑久郡長船町(おさふねちょう)は岡山県南部に位置した町です。岡山市、備前市、邑久郡邑久町、赤磐郡瀬戸町に隣接。長船・八日市・福岡などの集落が自然堤防上に立地し、町域の南北を貫いて流れる吉井川と、東西を走る山陽道によって古来より流通の便に恵まれ、米・麦・酪農を中心とした農業が盛んに行われてきました。中世においては、長船鍛冶の中心地として数々の銘刀が生み出されてきました。これは中国山地で採集される砂鉄(赤目(あこめ))が日本刀を作るのに適していた事、砂鉄から玉鋼(たまはがね)を作るためのタタラに必要な強い火力を生むクヌギ系の木が自生していたこと等が大きく関わっています。「町の木:あくら(クロガネモチ)」「町の花:キク」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、邑久郡美和村・国府村・行幸(みゆき)村が発足。

1955年、美和村、国府村、行幸村の3村が合併、町制を施行し邑久郡長船町が発足。

2004年、邑久郡邑久町・牛窓町と合併、瀬戸内市長船町となりました。

マンホールには、町の花「菊」と、刀鍛冶が刀を打つ姿が描かれています。

昭和50年1月29日制定の町章は「備前長船兼光の刀の鍔を図案化し、三つの円は合併前の美和村・国府村・行幸村を表したものです。」合併協議会資料より

吉井川に架かる備前大橋の欄干には、見事な細工が施された刀のつばが、モニュメントとして使われています。

撮影日:2008年5月2日&8月15日&2015年8月12日

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2018年8月11日、第8弾として全国76自治体76種類(計364自治体418種類)のマンホールカードの無料配布が開始されました。瀬戸内市Bのマンホールカードは「備前おさふね刀剣の里 備前長船刀剣博物館」で。博物館休館日の平日は「瀬戸内市長船支所」にて頂けます。

2018年に設置開始されたマンホールには「市の花:菊」と「刀匠」がデザインされています。

「日本刀の中で質・量ともに日本一を誇る備前刀。 その中心である長船は「日本刀の聖地」と呼ばれています。 ここ備前おさふね刀剣の里では、鍛刀場・工房などがあり、日本刀の展示だけでなく職方の作業を見学することができます。 このマンホール蓋デザインは、刀鍛冶を中心に配置。 バックには市の花である菊を描き、市章を満月で囲み、月明かりの中、炎と対峙している緊張感を色で表現しました。 このカラー版は、2017年11月に開催された「マンホールサミット2017in倉敷」の時に新たに作成しました。 平安・鎌倉時代から続く「備前刀」の産地「長船」で歴史を感じてみてください。」

座標軸マンホールとカード

訪問日:2018年8月13日

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貴船(きぶね)神社 in 岡山県瀬戸内市邑久町

2021年10月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

瀬戸内市邑久町山田庄に鎮座される「貴船(きぶね)神社」。御祭神は『高龗神(たかおかみのかみ)』。

由緒「当社の創立年月は不詳であるが、山城国愛宕郡官幣中社貴船神社の御分霊を旧山手村早稲田休所に奉斎した。従5位上稲都神社の縁起によると、貴船大明神は(後に貴船神社と改号)宝亀2年9月(771)5町ほど西方の貴船山に奉斎し、神主守安仁左衛門奉仕すとある。その後、才名山(さいなさん)、円通寺、別当職をもって奉仕する。当時この付近は尾張の保と称していたが、慶長元年3月(1596)尾張村、山手村、山田庄村と3ヶ村に分村し、享保年間(1716)に藩主池田光政の命により神職大森丹後守正豊が奉仕、藩主崇敬により社領3石3斗が明治3年まで奉納された。現在は山田庄の総氏神として、また、水の神様として広く信仰を集めている」岡山県神社庁H.Pより

拝殿前より神域を守護されるのは、扁平頭浪花型の狛犬さん一対。小さ目ですが、目一杯広げた葉団扇の尾っぽが冴えています。ちなみに阿形さんの顔・・河童に似てます😅

拝殿内には色鮮やかな絵馬が奉納されていましたが、画像に収めるには腕不足。一応真っ直ぐに移せた一枚は、川中島の合戦における、信玄と謙信の一騎打ち。なぜかこの題材、奉納絵馬に良く使われていますね。

摂社「西神社」。御祭神は『西の御神・素戔男尊』。祇園宮とも称します。

摂社「東神社」、御祭神は『東の御神』

左端より摂社「奥神社」:御祭神は『奥の御神・倉稲魂命 』

末社「荒神社」御祭神は『荒神・素戔男尊 』

中央に「末社:荒神社」、隣に奥に見える小さな社は「愛宕神社」

末社

社日碑

最後に干支の絵馬を・・本来干支の絵馬はあまり紹介していないのですが、火を使って焼き上げた絵馬がとても珍しく思えたので。

参拝日:2011年8月17日

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土戸(つちど)八幡宮 in 瀬戸内市邑久町

2021年10月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

瀬戸内市邑久町豆田に鎮座される「土戸(つちど)八幡宮」。御祭神は『神功皇后・応神天皇,・比め大神・息長帯姫命・品陀和気命』

由緒「本神社の創立年月日、由緒などは詳かでない。「備陽国誌」に「土戸八幡宮」とあるのは本神社のことで、社領一石であった。昭和62年本殿御屋根を銅板で葺き、幣殿、拝殿改築。祭礼当日、境内で子ども相撲が行われる。」岡山県神社庁HPより

鳥居を潜ってすぐに随身門があり、内側には神域を守護される随身様の姿が見えます。

いわゆる「まったり系」と言うのでしょうか?まるで能面のような顔立ちですが、でも確かにゆるやかな笑みを浮かべておいでです。

細い注連縄を中央でまとめて幔幕のように結び、紙垂が下げられた拝殿。

拝殿前より神域を守護されるのは、備前地方では珍しい出雲型の狛犬さん。明治27年(1894)甲午9月建立の一対です。

拝殿と本殿を結ぶ神橋と玉垣。本殿の前には量産型狛犬一対が神域を守護されています。

本殿をとり囲むように配された摂社群

摂社:元宮

摂社:稲荷神社

摂社:荒神社

摂社:若宮

摂社:気宮神社

神門鬼瓦、吉兆の「粶(はぜ)袋」

参拝日:2010年8月11日

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王持(おうじ)八幡宮 in 岡山県瀬戸内市邑久町

2021年10月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

邑久町上笠加に鎮座される「王持(おうじ)八幡宮」。御祭神は『神功皇后・応神天皇・仲哀天皇』

社伝によると「延文5年(1360)4月、播磨龍野城主、脇坂久左衛門尉源忠典が神託によって豊前国から八幡宮を勧請して社殿を創建。当社は仲哀天皇の皇子応神天皇を首座に祀ってあるので皇子八幡宮と言っていたが、文録元年(1592)4月、豊臣秀吉朝鮮征討の時に、其の武将、森忠政がこの宮山に来て「本社は三韓を降伏せし大神なれば」とて暫く滞在し、戦勝祈願をして峨城山と変えた。その時、藤井神主に、永代、森忠政「王を保ち守護すべき様」下命して、以来皇子を王持八幡宮とした。」神社庁HPより

同行してくれた義姉は、足に難のある私を気遣って車に乗ったまま、西参道よりの参拝となりました。

西参道の鳥居を潜って直ぐの坂道途中より神域を守護されるのは、見目の良い備前宮獅子一対。阿形さんの体の白い部分は丁寧に修復された跡で、大切にされているのが伺えます。

冒頭の二の鳥居の近くで車を置き、まずは氷の張った手水舎で手を清め(凍ってる!!)、随身門へ。

随身門の内より神域を守護されるのは、何と左右三体ずつの随身さん。大きさや形式も異なった随身さんですが、もしかして歴代の方々?それにしても、何という中途半端な画像💦

ぴんと張り詰めたような冬の空気の中、参道に影を落とす木々の数を目で追いながら進みます。

突き当たりの石段の先、社殿を取り囲むように、白壁の門が見えてきました。

拝殿入り口の左右より神域を守護されるのは備前宮獅子さん一対。建立年は不明ですが、作者である『森良明造之』の名が刻まれています。

拝殿の屋根の上、留蓋に腰をおろしてくつろぐ「神猿さん」の手に握られているのは邪気を払うという「桃」。

摂社「宇賀神社(宇賀魂神)・大仙神社(御神体山)」。摂社群の中では最も大きく格式のある建築となっています。

瓦屋根の社殿。留蓋の上では元気に逆立ちする阿吽の獅子。その顔のユニークさに思わず寒さでこわばった顔もほぐれそうです。

稲荷神社・天鈿女神社・沼名前(ぬなくま)神社・五柱神社・天神社・・まだ他にも四社ありましたが、流石に画像には残していませんでした。

境内にあった「樫原神宮」と刻まれた碑・・・これも一応境内社なんでしょうか? 

金色に塗られた天頂の造詣は、神武東征の際に遣わされた「八咫烏」であろうと、勝手に解釈しました😅

参拝日:2012年1月25日

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