車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

2013年:島田大祭・帯祭り~其の五 in 島田市大井町

2022年12月05日 08時00分00秒 | 日本の祭り

目に入る何もかもが物珍しく、ついつい一か所に長居をしてしまうのが私の悪い癖。ですが、見知らぬ人の「屋台の上踊りが見られるよ」の声に、即座に昼食を終わらせ、見知らぬ誰かの背中を追って上踊り最中の屋台の近くへ。三味や鼓を背景に長唄に乗せて「娘道成寺」を華やかに舞うのは、島田髷に赤い振袖の『杉山七音』ちゃん、四歳だそうです!

しばらく舞が続いた後、傍らに控える女性の素早い「引き抜き」で振袖は赤地から浅葱色に。まさかこの場面、この場所で早変わりの妙技にお目にかかれるとは!!

お昼前に写真を撮らせて頂いたお子様。実は上の道成寺を舞った『杉山七音』ちゃん。早変わりの妙技もさる事ながら、この醸し出す色気はもはやメガトン級(^^;)

続いては、飛び切りの可愛らしさで鬼も速攻で降参してしまいそうな桃太郎君。衣装を変えての早変わりでは毛槍を手にして、本当に!一生懸命、舞ってくれました。

「小金花咲雪中(こがねはなさくゆきのなか)」を舞うのは『門谷輝星』ちゃん。流水に紅葉の振袖がとっても鮮やかで・・

日本髪の女性が一番美しく見えるのは後姿だともいわれます。黒髪の下の白いうなじが醸し出す色気・・もはや年齢を超越した美人画の世界。

屋台は一街から五街まであり、全ての舞台で上踊りが披露されています。が・・・屋台はそれぞれの街に置かれている為、分身の術を使えない凡人は運よく出会えた屋台から離れる訳に行きません(笑)三度の早変わりを見事にこなした『門谷輝星』ちゃん。屋台の周りは拍手の渦でした。

本来なら祭りの町並みを散策した後は帰路の予定だったのですが、まだ未練たらたらの私。後もう少しだけ、せめて宮入のお行列の、ほんの触りだけでも見たいとご亭主殿に懇願(^^;) そうこうしているうちに何やら激しい言葉の応酬が・・島田大祭は七つの街で構成され、それぞれに街が割り当てられます。「各街ごとの境界線を越える前に、必ずその街の青年本部の許可を取らねばならない。」これもまた島田大祭の重要な約束事なのです。

無事に許可も頂き、幟幡を先頭に「御先駆」の拍子木が心地よく耳に響きます。

粛々と進む大名行列

キリっと背筋を伸ばして進む姿には、微塵の崩れも見られません。

独特の仕草はそのまま、紫の蛇の目を高く上げて歩を進める「大奴」

後姿も粋なら、指し伸ばす手指も粋

真横からも粋なら、高く差し上げる紫の蛇の目も粋

大太刀に揺れるお札も稲穂も

繰り返される所作ごとに揺れる丸帯

何もかもをこの目に留めておきたくて

デジカメのシャッターを押し続ける二人

直ぐさま、カメラから目を離し、大奴の姿を目に焼き付け

大奴は三十五名なのですが、画像に残されていたのは二十八名・・二人がかりで撮影しながら、全員の姿は捉えきれなかったようです。

足も腕も、おそらく体中の筋肉はマックスまで疲れている筈なのに・・。

それなのに宙に弧を描く赫熊は、何処までも何処までも力強く

沿道の声に笑顔で応えるお殿様

黙々と歩を進める葛籠馬、馬方は心底労わりを見せて馬を見やり、体をさすりながら綱を曳きます。空はうっすらと赤みを帯び始めました・・・遠ざかってゆく馬の背中で、布団葛篭が揺れています。

「島田大祭:帯祭り」、私たちはこの葛籠馬の背中を最後にして島田の町を後にしました。もう少し待てば「鹿島踊り」のお行列もあったかもしれない。けれど他所から来た者は、切り上げる「時」を忘れてはいけないのです。

撮影日:2013年10月14日

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五日に渡って紹介した「島田大祭・帯祭り」。チャンスが有ればもう一度あの感動に浸りたいと思いつつ、九年の歳月が過ぎ去ってしまいました。たまたまフォローさせて頂いている方の記事で今年が島田の帯祭りだった事を知り、過去記事に一から手を入れての紹介です。翌日に間に合うのか・・の連続でかなり焦りましたが無事に終了できました😊

 

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2013年:島田大祭・帯祭り~其の四 in 島田市大井町

2022年12月04日 08時00分00秒 | 日本の祭り

ここで島田大祭を運営する「街(がい)」について少々。まず島田大祭は40歳以下の青年衆が運営する7つの「街」によって取り仕切られます。ちなみに40歳以上の方は中老と呼ばれ青年衆の補佐を担当されます。

また着用する法被は表看板と呼ばれ、その柄は所属する街や役職ごとに統一されており、どこの街の方か一目で判別できるようになっています。

因みに祭りの最終日だけは法被を裏返した「裏看板」を見せて着る事が許可されているそうで、この日のためにせっせと貯金される方もおいでとか(⌒∇⌒)

裏看板を見せてとお願いしたら、大きく両袖を広げて下さった方。とびきりの笑顔で記念写真に応じて下さった青年衆の方。どなたも、粋でいなせで最高にフレンドリーで、生涯心に残る思い出を沢山いただきました。

さて、第6街:鹿島踊りの「楽人」が通り過ぎると、鳥居の外に待機していた5基の屋台が順に後に続きます。屋根の上で大声を出して操縦する屋根屋。

屋台の向きを変えたり、動いたり止めたりを担当する梃子屋。それぞれの呼吸に合わせて若衆たちが綱をひき、操縦の妙技を競い合います。

屋台上には「上踊り」を披露する子供たちと、その関係者が乗り込み行列に華を添えます。子供たちの衣装や髪形はすべて実際の舞踊に使われるものと同じに誂えられ、むろん化粧・髪結い・小物に至るまで全て本格的。

さらに、上踊りに披露される三味線・鼓・長唄・・等々、全てその道のプロの方が担当されており、別名「長唄祭り」の異名もあるとか。

また、祭りには「一町内一余興」の大原則があり、屋台運行に従って地上を進む「地踊り」が披露されます。各街揃いの法被に身を包んだ青年衆が披露するこの「地踊り」も見所の一つ。。

地踊りには青年衆だけでなく、街のお子さんたちも参加し息の合った行進を見せてくれます。

未来の青年君たちも一生懸命に頑張っています。その手ぶりの可愛らしさに思わず拍手をしてしまう私・・(*´꒳`*ノノ゙

今日はとっても良いお天気、ずっと頑張った小さな地踊りの面々は、ちょっとお疲れかな?

一瞬、花が咲いたようにキラキラと、彩に溢れる地踊りのメンバー。いや~、女の子は華やかで良いですね(〃∇〃)

小休止・・・・「あ、かみふぶき、み~つけた♪」

青年衆に抱かれる上踊りのお子様。後90分くらいで屋台の上で踊りが披露されるそうです。恐る恐る(笑)写真をお願いすると、可愛い仕草で応えてくれました。こんな角兵衛獅子が角に立ったら、ヘソクリ全部上げちゃう!!そして・・、どんな鬼もヘロヘロになって降参しそうな可愛い桃太郎さん。

お行列が御旅所から戻ってくるまでの間を利用して、小走りの町歩き。と言っても遠くには行けないので近場をウロウロ(笑)。先ほど見かけた華やかな衣装のマネキン。呉服屋さんに並ぶのは、街の方々が羽織る法被。街とお名前が襟に染め抜かれています。

いわゆる裏看板と呼ばれる法被の絵柄。すべて手書きの一品物、こっそり聞かせて頂いた情報によれば、一着百万円也のお品も有るとか・・!

島田駅まで歩き、何とか売れ残っていた「おにぎり」を買い求めて、おもてなし広場の片隅でほおばる・・それでも食事にありつけただけでもラッキー(笑)。鹿島踊りと大奴の蛇の目傘をモチーフにした時計は一時を少し回っています。

島田の帯祭りお行列の紹介、いよいよ(笑)明日の「島田大祭・帯祭り~Ⅴ~」が最後です。

撮影日:2013年10月14日

 

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2013年:島田大祭・帯祭り~其の三 in 島田市大井町

2022年12月03日 08時00分00秒 | 日本の祭り

大名行列の後に続く神輿渡御。人の背丈の数倍もある「大榊」を曳航されるのは「新組」と呼ばれる新田町の方々。神輿渡御関連の役割を担っています。

御神輿に従うお行列の方々

導き、道教えの『猿田彦神』

黄金色の装束に草鞋履の担ぎ手16人。その肩にずしりと食い込む重さ400kの「御神輿」。鎮まられる御神体は女神様なので揺らさず静かに・・約1.7キロ先のお旅所へと向います。

御神輿の巡行に併せて、観客席にお賽銭籠が。素晴らしい時間を頂いた事に感謝を込めて。

鳥居の内にて御出立を待つ、六街「島田・鹿島踊」の方々

「白丁(はくちょう)」を先頭に「三番叟(さんばそう)」「お鏡」「鼓(つづみ)」「ささら」「楽人」と続きます。

「鹿島踊りは、大井神社が今のご社地にお遷しされているころ、町に流行った疫病を鎮めるためにお祀りした春日神社と一緒に伝わったもので、御神輿のお渡行が行われるようになると、一緒にお供するようになりました。」大井神社HPより

踊り子四役と呼ばれる「三番叟」二人を先頭に、赤い大黒頭巾の「お鏡」二人、「鼓」六人、「ささら」六人が同時に別々の型の踊りを披露すると言う事で、目移りする事甚だしく(((((^_^;)

縞の烏帽子に狩衣(かりぎぬ)、木綿たすきをかけて左手に扇、右手に鈴をもって舞う「三番叟」。一つ一つの所作は真に美しく、まさしく神に奉納する舞に相応しいもの。舞に併せて揺れる狩衣の青も一際に鮮やか。

続く「お鏡」は朱赤の大黒頭巾に広袖の衣裳。左手に御幣の付いた鏡を持ち、右手に鈴をもって舞います。いずれの舞もすべて、往来を踊りながら後ろ向きに進む所作が特徴です。

「鼓」は広袖に紅の指貫のいでだちで「お鏡」同様、大黒頭巾を付けています。「鼓」は左手に鼓をもち、天地を見るような上下の動きの合間に、鼓を打つ手振りを入れます。

「ささら」は「鼓」と同じ衣装で、左手に節が詰まった南天の幹で作った棒を持ち、右手に先を細く割った竹を持ち、両方をこすり付けてシャッ、シャッと鳴らします。この棒と竹を合わせたものを「ささら」と呼びます。

折々に挟まれるしばしの休息。足指に食い込む草履の緒の痛さは・・履き慣れない方達にはとても辛いだろうと思います。

疲れた表情の「お鏡」の顔を心配そうに除きこむ担当の方。疲れているだろうに、カメラを向けた私に笑顔を返してくれた「鼓」。凄く嬉しかったよ。

深紅の和傘が祭りの華やかさに色を添え、休憩時間さえもお行列の流れに見えます。みんな本当に凄い・・・なんだか前が曇って良く見えない (;_; )

「楽人」の演奏に合わせ、再び鹿島踊りの列は御旅所に向かって進み始めます。全長約500メートルにも及ぶお行列。祭りの最終日となればどのお役の方も疲れはピークと思われるのに、一つ一つの所作の美しい事!ただ、ただ感動の一時でした。

「鹿島踊りは千葉県房総半島から静岡県伊豆半島を中心に広く行われていますが、鹿島踊りの伝わる地域としては西限となるともいわれ、大奴のしぐさ同様、江戸時代からの動作を正確に今に伝えて、いち早く静岡県の無形文化財に指定されました。」大井神社HPより

明日は一街から五街による屋台の紹介「島田大祭・帯祭り~Ⅳ~」に続きます。

撮影日:2013年10月14日

 

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2013年:島田大祭・帯祭り~其の二 in 島田市大井町

2022年12月02日 08時00分00秒 | 日本の祭り

島田大祭帯祭りの主役でもある「大奴」。大きく上下する腕の動き、高く上げる足さばき・・草履の裏はきちんと見せなければならないという決まりもあるとか。指の先から足の先まで、その一挙手一投足すべての所作は、御神輿の先払いとして厳格に定められています。

鳥居の際に陣取って写真撮影に頑張ってくれたご亭主殿ですが、ついついその繊細な動きに気を取られて、何度もシャッターチャンスを逃してしまったと・・後でしっかり言い訳してくれました。

決して!沿道に陣取る観客の皆さんに手を振っているわけではありません。御亭主殿のシャッターセンスの所為です!!

約1.7キロ先のお旅所まで、大奴によるお祓いは続けられます。

髷の後ろに見える「花嫁衣裳」の看板が・・・ナイスタイミング(笑)

大奴に続く「挟箱」。三者三様の仕草は、独特の足の動きと共に「美しい舞」とも思える所作を見せつけ、沿道の観衆を魅了します。

「台傘」

続いて三人の若者による「大鳥毛(おおとりげ)」

白黒の鳥毛からなる頭の部分は「矛」と呼ばれ、天空の悪鬼を倒し世の中に平和と豊かさを。真紅の「房」は天空を舞う古代の鳥を象ったものと言われています。

重さ32キロ、長さ2.6メートルの大鳥毛渡しの瞬間。空を舞う赤は、歯を食いしばる若者たちの頬の色。

身長の倍近くもある大鳥毛を受け取った若者は、そのまま地を這うように走り込み、見事な技で空高く突き上げ更に真っ赤な弧を描きだします。

長さ2.8m、重さ12kgの「白熊(はぐま):赫熊(しゃぐま)」。目出度さを表す紅白の「赫(しゃぐま)」は、まるで自ら意思を持ったもののように宙を舞いながら相方の手にと移り、穢れ、災厄などを祓い清めます。

静から動へ::臨場感重視で(^^;)

「具足」

「御台弓(だいきゅう)」

「御弓」

「長柄」と続き・・

「お殿様:壱」の登場。

「お殿様:弐」に付き添うように進まれる留め袖姿の方は、お殿様のお母さま。真っ直ぐ前を見つめる姿勢の美しさ、そこに垣間見える晴れがましさは私などが想像する以上だろうと思います。

「葛篭(つづら)馬(御梱馬)」

背の両側に付けた葛籠の間には、お殿様がお使いになる寝具などが載せられています。その重さは約60k。三日連続の最終日です。きっとこの馬たちも疲れているんだろうな・・・馬方さんのご苦労は大変だろうな・・・やさしく馬をあやす方々を見ているとちょっと切なくなりました。

全長約500メートルにも及ぶお行列はさらに続きます。この先は明日の「島田大祭・帯祭り~Ⅲ~」で。

撮影日:2013年10月14日

 

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2013年:島田大祭・帯祭り~其の一 in 島田市大井町

2022年12月01日 08時00分00秒 | 日本の祭り

大阪編ブログの途中ですが、3年に一度のお祭りが今年開催されていた事を知り、やみくもに募る懐かしさに急きたてられて書き上げた「2013年:島田大祭・帯祭り」。祭りのアレコレを少しでも伝えられたら幸いです(⌒∇⌒)

3年に一度、寅・巳・申・亥の年の10月中旬に開催される島田大祭。2013年の開催は10月12日、13日、14日の三日間です。

私たちが島田大祭帯祭りの事を初めて知ったのは、2011年11月の車泊旅静岡編8日目の事。藤枝・焼津・島田と回り、蓬莱橋を見、且つご当地マンホールを探しつつ(笑)。予定通りのコースで参拝させて頂いた「大井神社」境内の「鹿島踊像 大奴像」の姿に釘付けになった時です。

圧倒的な迫力をもって展開されるその姿に魅了され、しばらくは息をするのも忘れそうなほどに魅入っていた二人。

更にダメ押しのように「大奴と鹿島踊」の顔出しまで。ブロンズ像と比べるとアレですが、華やかさは伝わってきます(笑)

そう言えば・・島田駅付近で撮影したマンホール。歌舞伎絵みたいなデザインの横に「帯祭」の文字があったわ!!

記念碑に書かれていた「日本三奇祭・島田の帯祭」・・・五日後に自宅に帰って早速検索をかけてみた所・・・大祭の様子と共に、2013年に開催される事が判明。パソコンの10年スケジュールに大きく印をつけ、その日を心待ちにして・・そして!当日を迎えました。前日は近くのPAで車泊。新東名:島田金谷IC近くで見あげた朝焼け、お天気も申し分なさそう(⌒∇⌒)

島田市交通安全茶娘人形の『茶子』ちゃんに出迎えられて・・

遠方から車で来て長時間の滞在が予想される私たちには、とっても有難い「島田大祭 無料駐車場」への案内看板。島田球場南側緑地公園に車を置き、もちろん道々でのマンホール撮影も忘れず

大井神社に向かう道は、既に「この先通行禁止」のバリケード。

ブルーシートに包まれて出番を待つ屋台、こうして見るとかなりの大きさです。

こちらではスタンバイの準備が始められている様子・・・何を見てもワクワクが止まらない二人。私たちのお祭りは既に始まっています。

一般に「帯まつり」の名で知られる「島田の大祭」。予備知識として大井神社のHPより、「当時(元禄8年頃)島田に嫁入りをすると大井神社に参拝の後、新婦が嫁入りの丸帯を持って町中全戸に挨拶回りをする風習があったが、次第に拡大する町並みに難儀していました。 そこで当時から安産の守護神である大井神社の御神輿の行列である大奴の大太刀にその帯を下げて披露するようになったのが始めと云います。」

元禄八年以降の初期の大奴(駿河記より)

一間(約1.8m)の大太刀を腰に。両の大太刀に掛けられた艶やかな文様の丸帯がその美しさを競っています。

また「日本三奇祭」の所以は「大奴のしぐさが奇妙」である事からですが、実はこの所作は「御神輿の前を歩きながらお祓いをしている」。と言う事で、足の上げ方、高さ、指先の動きにいたるまで厳格に今に伝えられており、静岡県無形文化財に指定されています。」

私たちが訪問したのは大祭の最終日。大井神社の境内では祭りを前に熱気とも取れる緊張感が漂っています。

お行列の先頭を行く「幟旗」の準備

祭り衣装の馬方役の方に曳かれて、御殿様が乗る芦毛の馬も到着しました。

境内から境外へ、粛々と進むお行列の方々。

愛らしい「赤鉄砲隊」もスタンバイ

羽織袴に陣傘姿が頼もしくも可愛い「徒士(かち)」

お殿様も無事、馬上の人となりました。

心地よく澄み渡る拍子木を合図に「御先駆」の出発。じっと座っているのがもどかしい程、気持ちの高ぶりを抑えきれません。

島田大祭:帯祭りのお行列は、第七街(がい)による大奴・大名行列に続き、元宮と新田町が神輿渡御を担います 。さらに第六街による島田鹿島踊。その後を第一街から第五街の屋台が続くのですが・・さて・・今回のブログ、きちんと終わりを迎えられるのか・・と、一抹の不安を抱えつつ

「島田大祭・帯祭り~Ⅱ~」は明日に続きます。

撮影日:2013年10月14日

 

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伊那の御柱~辰野:三輪神社~ in 長野県辰野町

2022年09月21日 08時00分00秒 | 日本の祭り

それはもう全くの偶然、マンホール撮影のために、その地域の大きな建物を写しておこうと思って立ち寄っただけだったのに、こんな幸運に遭遇するなんて!!

と、いきなりの御柱の画像ですが、「中央本線:辰野駅」の玄関口に歓迎 いっしょに伊那の御柱」の看板を見た時は、そうか御柱があるんだね。で、いつ?? 四月二十三日~二十四日・・・なんだ昨日までじゃん。朝方参拝した法性神社もやっぱり昨日が御柱祭だったんだよね・・😔

御柱って七年に一回。私たちの車泊旅の予定なんて何か月も前から出来上がっていて、お天気と体調に合わせての日程だから、祭り目当てでない限り、そうそう上手くいく筈は無い・・と、落胆しつつお弁当購入で立ち寄ったスーパーで遭遇した方達・・えっ!!25日なのにお祭り衣装!!

で、あつかましくもお声をかけさせて頂き、駅からさほど遠くない「三輪神社」では25日が建御柱祭で、既に一の御柱が立てられているとの事。今は二の御柱の筈。焦る気持ちを抑えて駅まで戻り、駐車場に車を入れて、取るものもとり合えず走る事数分。祭り幡が!鳥居が!男衆が!!

宮の四方に柱を立てる「建御柱」。Wikipediaによれば「冠落しが施された御柱(御柱の頭を三角錐に切り落とす)にワイヤを巻きつけ、車地という道具を使って巻きあげて御柱を建てていく。建御柱の際には御柱に多数の男たちが乗り、にぎやかに盛り上げる。御柱が建つと氏子によって穴埋めの儀が行われる。」

境内に走りこんだ私たちの目の前に最初に飛び込んできたこの光景!まさに言葉を無くすほどに圧倒的な凄さで・・・実際に形容すべき言葉が見つけられません。

少しずつ、少しずつ・・でも確実に御柱は角度を無くして天に向かって伸びていきます。ぎりぎりと動くたびに揺れる御幣。その場にいる誰もが、まさに手に汗握るという言葉がぴったりの面持ちでその様を見上げています。

拝殿の屋根よりも高く、境内の木々を圧倒して天を衝く御柱。

御柱の若衆たちにこぶしを振り上げて応える氏子の方々。熱気の渦の中で同じようにこぶしを振り上げる私。体中が熱に浮かされたように熱くほてり、知らず知らずに涙が・・

じりじりと、数センチ刻みで角度を増していく御柱

そうして・・・真っ直ぐに天を貫く「二の御柱」

柱の下では、「御柱穴埋めの儀」が始まっています。

その上では、御柱の男衆によって、手元の籠から菓子などの御ひねりが投げられます。「大人も拾って構わんよ」と言われて、一生の記念になるかもと厚かましくも輪の中に。

上手く拾えない私に、小さな男の子が「あげるよ」と言って手渡してくれた小さなフウセンガムの箱。色々とお話を聞かせてくれた杣(そま)衆のお一人方が、「縁起物だからね」と言って手渡してくれたお捻りには「稲銭」が。記念写真に応じて下さった杣衆の方が持たせてくれた金の御幣。あれから六年以上の歳月が流れてしまいましたが、写真を見返すたびに記憶は鮮やかに蘇り、今もなお目頭が熱くなります。

やがて御柱に色鮮やかな「くす玉」が届きました。

「平成二十八年 丙申」「感動をありがとう」「 御大祭 氏子の皆様に感謝

役目を終えた若衆たちは、御柱に繋がれた綱を伝って下界に下りてきます。

綱を引く方々

ひたすらカメラを向ける御亭主殿。

見事に立ち上がった御柱を見上げる若衆たちの背中には、晴れがましさと安堵が・・・

拝殿奥の本殿近く、三の御柱の上で気勢を上げる氏子の方々。

御柱は少しずつ高さを増し、やがて氏子の方々が飛び降りた後、真っ直ぐに天を衝いて立ち上がります。

穴に土がかけられ「三の御柱」の標識と共に穴埋めの儀が行なわれ、注連縄に垂らした紙垂が巻かれます。

境内の一画で出番を待つ「四の御柱」

氏子・若衆の方々の祝福を受けて

穴埋めの儀の準備に臨む氏子の方々

そうして無事に御建柱の儀が終わります。

御柱の曳行で使われたと思われる長持ち

御柱に建てられた四本の幣が納められた拝殿。礼服に身を包んだ方々が揃って出てこられました。多分神主による神事が終わったのでしょう。

拝殿前に置かれた菰樽も晴れがましそうです。緊張の中で繰り広げられた祭り絵巻の後は、多分、恒例の酒宴😊 社務所の方からは賑やかな笑い声が聞こえてきます。

思いがけない幸せな時間を頂き、本当に有難うございました。次の御柱にも来れたらいいねと言いながら、結局果たせない状況になってしまいましたが、私たちの中でこの日の思い出は決して色褪せることはありません。

訪問日:2016年4月25日

 

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小野神社・矢彦神社の田ノ実祭 in 長野県塩尻市&辰野町

2022年05月29日 08時00分00秒 | 日本の祭り

それは全くの偶然の僥倖。塩尻の三嶋山神社の参拝を最後に伊北ICまで走り、そこで高速に乗ったら後は自宅まで一直線。木曽路の楽しさに話を咲かせていた私達の耳に、何やら面白、妖しいお祭り独特のざわめき!!前方に見える鎮守の森(らしき)場所に、チラっと見える、神社の幟(らしき)白い祭礼幡。そして「らしきもの」が間違いなく祭りの光景とわかった時点で急遽!寄り道決定😆

旧三州街道(国道153号)沿い、塩尻市と辰野町の境に並ぶ二つの神社。塩尻市側が「小野神社」、辰野町側が「矢彦神社」。共に信濃の国二之宮の格式を持ちます。

両社が鎮座する小野盆地は、通称を「頼母(たのも)の里」または「憑(たのめ)の里」とも言い【信濃なる 伊那の郡(こおり)のおもふにも たれか憑(たのめ)の 里といふらん】と万葉集にも詠われ、都人に知られた地であったとか。

この「憑の里」に由来した「小野神社・矢彦神社の例祭」は「田ノ実祭」とも「憑祭」とも称され、九月朔日(現在は十月第一日曜日)に水陸様々な供物を神前に供し、豊作感謝の儀式が執り行なわれます。

私たちの目に一番最初に飛び込んできた祭りの光景は・・・それはもう?!?!?!が入り乱れて😅 気持ちの焦る事といったら。車はご亭主殿に任せて即下車!速攻でデジカメ片手に現場に!

御幣を立てた白木の長持ちに架けられた異様な長さの竿。それを担ぐのは派手で粋な揃いの法被を羽織った若者たち。そうして眼前に繰り広げられる不思議な所作。おそらくはこの祭り独特の行事と思うのですが、息を切らして駆け付けたご亭主殿共々、しっかりと心を鷲掴みされました!

一心不乱にデジカメを向ける私たちに気が付いたのか、所作を終えたメンバーの方たちが揃って手を振ってくれたのが、また無性にうれしく😆。

境外では、先とは違った法被を羽織った方たちのお行列。白木の長持ちに渡されるのは、長い・・長~~い檜の姫竿。長いがゆえにしなる竿を担いで、こうやって町内を巡回するのだとか。

御幣の前の「おかめの面」は何故か頬被り😄。多分ちゃんとした謂れが有るのだろうけど、理由がわからなくても列を進む方たちの所作も含めてとにかく見ているだけで楽しい。

偶然すれ違った方に「粋なデザインの法被ですね」と声をかけると、気軽に背中を見せてくれました。極彩色の風神・雷神を背中にしょって・・ああ、なんか凄く(後姿だけど)男前!!

境内へと急ぐのは、鮮やかな青地の肩一杯に羽を広げる鳳凰の法被を羽織った小粋な団体。彼らの後を追って、祭りの熱気と匂いに満ちた境内へ。

私たちがこの素晴らしいお祭りに遭遇したのは15時30分をいくらか回った頃。奉納相撲の神事があったと思われる土俵も、柱を残すのみで屋根などは片付けられていますが、境内には祭りに必須の屋台が様々な匂いを漂わせています。

弥彦神社神楽殿前の広場には何台かの山車が入っていて、何やら忙しく作業中。どうやら山車はすでにここで何時間かを過したようで、これから境内の外へと移動する様子。屋根にかけられたビニールは、午後から雨の予報の準備かな?

忙しく立ち動く方達には申し訳ないけれども、こんなチャンスは早々巡ってくるものでも無く・・と言う事で山車を背景に記念写真。

で・・・唐突に不思議な髪型、不思議な風体の何やら怪しき人たちを発見。

実はこの方達「雲助の長持ちかつぎ」だそうで、地区の青年団に入ったら必ずやらなければならない掟なんだそうです。おどろおどろしい化粧に、刺青を模した肉襦袢。前に垂れている赤い布は多分「おふんどし」😅 。脚絆にわらじ、腰には実に様々な物がぶら下げられていて、いや~~~もう、これを見せて頂けただけでも、途中下車の甲斐が有りました!!

しかもツーショットでの記念撮影にも快く応じて頂き、もう本当に感謝で一杯です。

「雨沢・友愛團」のメンバー揃っての記念写真。了解を頂いて私も記念に一枚撮らせて頂きました。おどろおどろに化粧された男前の雲助長持ちの方々。後ろにたなびく両の「日の丸」の、何と美しい事!!。ブログに乗せる為、素顔の方はぼかしをいれましたが、ぼかすのがもったいない美人ぞろいなんです。

記念写真が終わったところで、雲助さんたちは長持ちを担いで境内から出てゆきます。先頭の二人は「先棒かつぎ」と呼ばれる方達。

そして一番大変なのが・・・しこたま酒を飲み過ぎて酔っぱらってしまった雲助を演じる「後棒かつぎ」。

千鳥足で長持ちを担ぎながらの絶妙な足運び・・いや普通に歩くのだけでもそれなりの技術がいる筈なのに。で、見ている方は思わずハラハラしつつ、その楽しい仕草につい笑いだしてしまうのです。

先に境内を出ていた山車の列に並び、改めて山車が揃ったところで、今度は各々のダシの前での余興のお披露目。

こちらの山車の上では夫婦漫才かとツッコミが入りそうなお二人の楽しい日本舞踊。飛び交うお捻り😄 周囲は祭りの熱気もまじりあって、灰色の雲も蹴散らす勢い。

その賑わいの中で静かに下界に降ろされる祭礼幟。正装した役員の方々の手によって大切に大切に畳まれてゆきます。こういう場面を見ると、どんなに愉快に羽目を外そうとも、祭りは神事だと改めて感じます。

小野・矢彦の有名な祭りと言えば六年に一度、卯年と酉年の5月に行われる「式年御柱大祭」。社伝では『坂上田村麻呂』の戦勝祈願が叶い、天皇の勅によって御柱を建てたのが始まりとか。諏訪大社の勇壮さに比べ、小野・矢彦は、きらびやかな衣装が特徴とされ、古くから「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と称されたとか。綺羅の御柱・・叶うなら高速飛ばして見に来たいね!

撮影日:2010年10月3日

 

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日本一の連獅子:飛騨荘川ふるさと祭り in 岐阜県高山市荘川

2020年04月20日 08時00分00秒 | 日本の祭り

「日本一の連獅子!飛騨荘川ふるさと祭り」のポスターを目にしたのは、2012年10月に車泊させて頂いた砺波市の道の駅「庄川」。決して近くではないけれど、自宅から行く事を思えば間違いなく近い😣! 翌日に小矢部方面の観光&マンホール撮影を済ませ、その夜の内に高速を飛ばして荘川まで。

早朝の荘川、良いお天気を予感させる青空の中に、赤い獅子頭のアドバルーン。会場に一番近い第二駐車場に車をいれ、会場となった「荘川の里イベント広場」へと向かいます。

会場入り口のアーチも、高鳴る心を鷲づかみ😄 何といっても「日本一の連獅子」!!こんなラッキーな偶然、もうそれだけで最高にツイてる!!

会場の一番前に陣取り、ご亭主殿に留守番を頼んだら、開始までの間に沢山の出店を見てまわって・・ああ、イカン!!一人だもので、ついついお財布の紐がゆるんでしまう😅

いつの間にか両手一杯の荷物を抱えた私を見て呆れ顔のご亭主殿。でもね協力金だってほんの僅か。ほぼ無料で見せて頂けるんですよ。こういう時は何かお返しをしたいんです! 本気で力説する私に「まぁまぁ」と席を空けて笑うご亭主殿。そうこうしているうちに、笛や太鼓の音とともに登場する獅子。最初の演舞は「悪魔祓い」。御幣と太刀によって魔が祓われ、場が清められます。

所作が決まるごとに拍手をし、所作ごとにデジカメを向け、また拍手をし、デジカメを向け・・・と、忙しい事この上ない、最高の時間が流れてゆきます。

「飛桜会」の子供たちによる「荘川桜太鼓」、どの子も最高の笑顔で一生懸命に撥を振り、会場はそのたびごとに割れんばかりの拍手!!子供たちに負けてはいられないとばかり、成人男女による太鼓は、また異なった重さを響かせながら豪快なリズムを刻みます。

「ひるがの獅子舞保存会」に寄る獅子舞では、花取りと呼ばれる子役が、獅子をからかいながら軽妙な所作を繰り返します。鼻先にひらひらと触れる紙垂に次第にいらつく獅子。花取りは更に右に左にと軽妙な足運びで、獅子の苛立ちを誘うのですが、その阿吽の呼吸が最高に面白く、ついつい手に汗を握ります。

第一回目の連獅子が始まる前の僅かな時間は、揃い踏みの獅子たちとの触れ合いも😊 こんな温かい時間を頂けた事に、ただただ感謝、素晴らしい記念写真を有難うございました!🙏🙏!

威儀を正した獅子たちは、晴れの場所に向かって粛々と歩を進めます。一見同じように見えるけれど、油単(ゆたん)の色合いから巻毛柄、どれを見ても同じものは無く、それだけでも充分に楽しませて頂けます。

さぁ!!、いよいよクライマックスの「日本一の連獅子:30頭の獅子の揃い踏み」です。舞台の左側、一段と高くなった土手の上に一列に並ぶ町内各所から集まった獅子たち。一つ一つが素晴らしいのは言うまでもないのですが、一列に並んだその壮大な様子は、実際に見たものでなければ味わえない感動。

各神社ごとに見せる所作の違いを見比べるられるのも、一同に揃う連獅子ならでは、その微妙な舞の違いこそが、地元に息づいてきた歴史であり、伝統なのだと思わされます。

「六厩 白山神社:つき獅子」、第二部からは演舞者の紹介があったので、そのまま書き写しています。

「黒谷 白山神社:とび獅子」

「高山 荘川神社 上組」、ここでは5頭の獅子が舞うのですが、中央に黄金の獅子頭が登場しました。

明日の獅子の担い手となる子供たちに寄る獅子舞には、思わず胸が熱くなるような感動を・・この子達が正面のステージに立つ日もそんなに遠くは無いでしょう。

二度目の「日本一の連獅子:30頭の獅子の揃い踏み」が終了。獅子たちは観客から酒や肴を振舞われるのですが、それがまた何とも素敵!!何と獅子の口に直接差し入れるのです😲

最後はお約束の厄払い、子供だけでなく大の大人の差し出した頭も噛んでいただけました。きっと良い事が沢山あるでしょう。そうでない事も、きっと良いことにつながってゆくでしょう。そう思えることが一番大切なご利益なのです。

参加日:2012年10月14日

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宮川熊野神社:太々神楽 in 千葉県横芝光町

2019年09月11日 08時00分00秒 | 日本の祭り

それは幾つもの「たまたま」が重なった結果、まさかこんな幸運に出会えるなんて・・・・😍😍

この日の「熊野神社」参拝は、旅の行程のお天気具合とか、予想以上に距離が進んで一日早いけれど参拝しておこうとなった結果。 だから遠くで聞こえていたお囃子が、神社に近づくにつれ次第に大きくなった時の驚きと言ったら😲😲  駐車場に車を停めた後は、一刻を惜しんで楽の聞こえる境内へと、まさに駆け足。

神楽殿の舞台では、古式ゆかしい面の二人が、なにやら可笑しげな所作で笑いを誘っています。 神楽殿の前にある案内には【当社に伝わる神楽は、十三座(十三面)十二舞六曲の謡があり、農作業の安全と五穀豊穣を祈願して春季大祭に(三月十五日)に奉納されています。】

「一、天狗」 「二、細女命」 「三、三宝荒神」 「四、榊葉」 「五、春日社人」 「六、お多」 「七、保食神」 「八、田うなひ」 「九、種子蒔」 「十、八幡大武神」 「十一、恵比寿」 「十二、七五三切」
 以上の舞で構成されています。  平成三年三月  光町教育委員会

舞台の袖には「田うなひ」の文字。と言うことは、もう八番目の演目・・ああ、もっと早く来ていれば!!  いやいや、それは贅沢! 間に合うように導いてくれた、熊野の御祭神に感謝しなければ🙏🙏

「田うなひ」は漢字で書くと「田耡ひ」、田畑を耕し畝を作るといった意味合いの言葉です。 農耕の民にとって田畑を作る行為は非常に大切で、また、神への供物を得る為にも重要なもの。

田畑を耕し畝を作ったら、次は新しい実りの為の「種子蒔」、大切に、大切に種子を撒きます。

やがて種は芽を出し、田畑には実りが溢れ、人々は五穀の豊穣を寿ぎ、神に感謝を捧げます。

しかし、実り豊かな国を守るためには、時には戦いも必要となります。「八幡大武神」は武運の神。 そこには、綺麗ごとではない生きた人々の暮らしが有り、それを守るための力も必要なのです。

四方を海に囲まれた国では、海に生きる者たちもまた神の存在を抜きにすることは出来ません。 古来漁業の神として敬われ、島根の美保の海底には今なお「恵比寿神」が座すと云います。

おやおや、大きな鯛が!!一人では無理かも知れぬ!そうだ、先ほどの田うないの二人を呼ぼう! おお、来たか!!それでは早速、頑張って竿を引くのを手伝ってもらうとしようかの😄

それそれ、【一つとせ~ 一番ず~つに 積み立てて~ 川口押し~込む 大矢声~ 浜ァ~大漁だね~~】

【十とせ~ 十を重ねて 百となり~ 千を飛びこ~す 万漁年~ 浜ァ~ 大漁だね~~ ~この大漁船~~】

神楽殿の前で身振り楽しく拍子を取る人、お囃子の調子に合わせて一緒に唄う人、笑い声と笑顔。笛の音は高く清らかに境内の四方に響き、本殿に鎮まる神のもとに吸い込まれてゆきます。

御神前に奏舞する神楽も、この「七五三(しめなわ)切り」で結界が切られたら終わり。 『須佐之男命』の面を付けた舞人は、静かに、時に激しく舞いながらその瞬間を迎えます。

『須佐之男命』が持っている剣は「真剣」なんだよと、関係者のどなたかが教えてくれました。 真剣を使っての「七五三切り」は出雲大社遷宮の奉納神楽で一度見ましたが、あれとはまったく違う緊張感。

周りから音が消えてゆく感覚、ぴんと張り詰めた気配の中で聞こえるのは、あれは梛の葉擦れ・・ 神と人が一つになる瞬間があるとすれば、それは結界の中にいる舞人のこの瞬間かもしれない・・

そしてまた、大好きな狛犬もそっちのけで舞人に向かってシャッターを切るご亭主殿も・・ 振り下ろされる刃の下、結界が切られた瞬間、思わず体中の血が熱くなった気がしたと・・後で話してくれました。

このしおりは宮司様から頂いたもので、「宮川熊野神社の太々神楽」等の資料が掲載されています。 そこには、単なる神社の紹介以上の事が掲載されており、今回、参拝できた幸運を改めて感謝しました。

【当熊野神社は昭和61年に神社庁より規範神社の指定(海匝郡初)を受けている神社です。
規範神社:総代、氏子、地域住民が協恭一心敬神の誠を捧げて神威の発揚に努め社殿が清明で且つ端正であり鎮守の杜の護持育成に努め祭祀を厳修し神社の真資顕現に努めていくことが条件であり、他の神社の規範となる神社が対象。三年ごとに指定。】
(境内案内より)

ああ、こんなに心の底から参拝して良かったと思える神社だもの、当然過ぎるくらいだよね。 人が誰も・・・・すれ違い言葉を交わす人が誰も、無条件に温かく心地よい神社なんてそんなに多くはない。 その中に身をおき、参拝できた私たちは何と幸運なのだろう・・神のご神徳に心からの感謝を・・🙏🙏

参拝日:2019年3月11日

宮川熊野神社宮司様 神社総代様 社友会理事:役員氏子の皆様方、得がたい経験をさせていただきましたこと、本当に、有難うございました🙏🙏

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日原天満宮(春日神社)・奴道中 in 島根県津和野市日原

2018年09月15日 08時00分00秒 | 日本の祭り

毎年11月第2日曜日に開催される「日原天満宮の奴道中」は、御祭神である『菅原道真』の鎮魂を願って始められたといいます。 平安時代の貴族であった菅原道真さんと、江戸時代における大名行列の「奴道中」がどう結びつくのかはさて置き、時刻は午後一時少々・・いよいよお行列の姿が見えてきました。先頭は伊勢音頭に合わせて長持ちを担ぐ雲助さん。鮮やかな向日葵の心葉(こころば)で飾られた長持ち、中に納められているのは何でしょう??

祭りは、午後1時過ぎに神霊が宿った御神体などを神輿に移して、御幸する「御神行(ごしんこう)」がスタートして、そこから「長持ち」「大行事」・・・とお行列が続きます。

「大行事」「小行事」は天満宮の御神幸に奉仕するもので、御神幸の先導を勤める役。

「御神幸の神輿」。「御神幸」をお運びするのは軽トラック。人手不足を嘆いても何も解決しません。文明の利器は上手に使えばよいのだと妙に納得したシーンでした。

続いて「大弓」「小弓」を肩に担いだ人たちが、何とも不思議な足運びの所作を見せて続きます。こうした一つ一つの所作は、ある意味、お行列の見せ場とも言えるもの、出来ることなら動画で残したいくらいです。

その後に「鉄砲、太刀、摺箱」と続くのですが、ついつい皆様の所作に見とれて写真は今ひとつ(笑) それでも実際に見た私たちには、こんな写真でも当時のワクワクが完全によみがえって来るのです。

そして奴の行列!揃いの前垂れに大きく染め抜かれた「釘抜紋」。が鮮やか!!。ちなみにお豆腐を「やっこ」とか「冷奴」と呼ぶのは、この「釘抜紋」がネタ元なんですよ。江戸時代中期以降、豆腐を大き目の四角に切ることを「奴に切る」などと言ったそうですが、これは、奴の衣装につけられた紋が、白く真四角だった事からで、意味が分ると「なる程!」

「摺箱」を担ぐ奴に続いて、大きく両手を広げて続く奴。

ついつい話が脱線してしまいましたが、とにかく独特の「ふり」をつけて歩く奴の皆様、本当に最高! 

お行列は時折休息を挟むのですが、つかの間の時間にピースサインと笑顔で記念写真に一緒に収まって下さった奴の皆様、もうどんなに嬉しかったか(〃∇〃)

そうしてしばしの休息の後、厳かに軽やかに奴行列は続きます。

祭りの手順も役回りも全く不勉強なままで、私たちはとにかく奴道中の追っかけに徹し(笑) 決められた手順に従って毛槍を振る所作、軽妙な足捌きとともに大きく円を描く白・黒の鳥毛。エトセトラ・・エトセトラ

私達の周りに陣取るのはみなさん地元の方、中にはお母さんに抱かれた小さなお子さんが、奴になったお父さんに手を振っています。そう!私たちはこれが見たくて、観光用ではない本物の神事が見たくて、ここまで来たのです。

華やかな一団は、揃いの千早に緋袴、日原町の花:向日葵の心葉(こころば)の子供巫女さんたち。ブログに乗せても良い?と聞くと、カメラに向かって仲良くピースをしてくれました。足元のクロックスが、何とも愛嬌(笑)。

こちらは長持ちを担当された雲助さん。写真をお願いしたら笑顔で肩を組んで下さいました。 こんなに身近に人と触れ合え、神事でありながらも、人の繋がりを感じさせてくれた「日原天満宮の奴道中」

最後の時間まで見続けたかったのですが、旅の途中の二人にはどこかで切り上げる時が必要なのです。車の中から身を乗り出して見送った奴道中の後姿に・・素晴らしい時間を有難うございました!!

約150年の歴史を持ち、祭礼行事と参勤交代の特徴を今に伝える「日原奴道中」。天満宮祭の要素を伝承する民俗行事として2018年3月22日、津和野町無形民俗文化財に指定されました。

文中に登場する「心葉(こころば)」は、挿頭(かざし)としてつける造花の事です。

訪問日:2012年11月11日

 

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