車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 香川県琴平町

2021年03月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

仲多度郡琴平町(ことひらちょう)は香川県の南西部に位置する市です。北から北西に善通寺市、南西は三豊市、東及び南は仲多度郡まんのう町に隣接。町の南西部は大麻山から南東へ尾根続きの琴平山(象頭山)と、それに続く愛宕山の山地。金倉川と土器川の扇状地にあります。金刀比羅宮の鳥居前町として栄え、天明六年(1786)、象頭山のえのき谷から出土した平形銅剣三口の一口が金刀比羅宮博物館に所蔵。またニンニクの一大産地とし知られています。「町の木:オガタマ」「町の花:桜:美女桜」を制定。

キャッチフレーズは「門前町の風情漂う古のまち 心のまち・琴平町」

明治6年(1873)、諸官省布達により那珂郡金毘羅村を琴平村と改称。

明治23年(1890)、町村制の施行により、那珂郡琴平町(第一次)・榎井村が発足。

1955年、琴平町、榎井村が合併、那珂郡琴平町(第二次)が発足。

1956年、満濃町五條西地区一部。1957年、満濃町五條東地区一部を編入。

1958年、那珂郡象郷村を編入、現在に至っています。

マンホールには参拝客で賑わう「金刀比羅宮」と、周囲に「町の花:美女桜」がデザインされています。

大雨でも参拝客で賑わう金比羅宮

昭和47年(1972)12月18日制定の町章は「「コ」「ト」「ヒ」の三字を合体させて近代的にデザインし、全体として「ことひら」を表現した。 太い円はたくましさとゆたかさを、中央の円は融合と団結を象徴し、落ちつきと調和の中に限りなく雄飛する姿としたものである。また「ヒ」と「日」に共通点を求め、日本の歴史の中で繁栄した伝統と、全国津々浦々に知られた琴平町の未来を町章として表現するものである。」公式HPより

撮影日:2011年6月18日

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ご当地マンホール in 香川県善通寺市

2021年03月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

善通寺市(ぜんつうじし)は香川県の西北部に位置する市です。丸亀市、三豊市、仲多度郡琴平町・多度津町・まんのう町に隣接。西部に天霧山を負い、北部から東部にかけては平坦な地形。満濃池を水源とする金倉川は東部をほぼ北上し、丸亀市内を通過して瀬戸内海に注ぎ、小河川の弘田川は善通寺町有岡地区にある大池に源を発し、市域の西部を北西方向に縦貫して、多度津町を経て瀬戸内海に注ぎます。

中心市街地は、空海が父善通の菩提寺として創建した善通寺の門前町として発展。四国八十八ヵ所 75番札所として参詣者が多く、また市内には 72番曼荼羅寺・73番出釈迦寺・74番甲山寺・76番金倉寺などの札所が集中し、史跡の天霧城跡、有岡古墳群があります。「市の木:クスノキ」「市の花:菊」を制定。

キャッチフレーズは、「住んでみたい・住みつづけたいまち 善通寺」「人が活き まちが活きる 善通寺」

明治23年(1890)、町村制の施行により、多度郡善通寺村・吉田村・麻野村、那珂郡与北(よぎた)村・吉原村・筆岡村・竜川村が発足。

1899年、郡制の施行により那珂郡と多度郡が合併、仲多度郡となる。

1901年、善通寺村、吉田村、麻野村が合併、町制を施行し、仲多度郡善通寺町が発足。

1954年、仲多度郡善通寺町、与北村、吉原村、筆岡村、竜川村が合併、善通寺市が発足。

マンホールには市章を中心に、「町の花:キク」がデザインされています。

昭和29年(1954)10月4日制定の町章は「ひらがなの「ぜ」をモチーフにして作られたもので、市の融和と繁栄を表わし市勢の力強い発展を表現しています。」公式HPより

自治体章も自治体名もありませんが、文字は右から左に、制水弁の弁は、旧字体の「辨」という文字が使われています。

杉の木と五重塔を足して二で割ったようなキャラは、善通寺市商店連合会のものですが、特に固有名詞は無いようです。

撮影日:2011年6月18日

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ご当地マンホールとマンホールカード第12弾 in 香川県旧綾歌町(丸亀市)

2021年03月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧綾歌郡綾歌町(あやうたちょう)は香川県内のほぼ中央に位置した町です。坂出市、丸亀市、綾歌郡飯山町・綾南町・綾上町、仲多度郡満濃町に隣接。低い山地と、地区の南西端を流れる土器川とその支流によって侵食された谷がつくる起伏の多い地形で、谷をせき止めた多数の溜池がにより、農業用水を供給。南の高見峰、猫山、城山からなる連山の麓には四国最大のレジャースポット「ニューレオマワールド」があり、経営者陣のアイデア&努力により今も健在です。「町の木:もちの木(ヤマグルマ)」「町の花:菊」を制定。

旧キャッチフレーズは「農業と観光の町」

明治23年(1890)、町村制の施行により、鵜足郡栗熊村・富熊村・岡田村が発足。

1899年、郡制の施行により阿野郡と鵜足郡が合併、綾歌郡となる。

1951年、栗熊村、富熊村が合併し、綾歌郡久万玉村となる。

1959年、岡田村と久万玉村が合併、綾歌郡綾歌町となる。

2005年、(旧)丸亀市、綾歌郡飯山町と合併、新たに丸亀市となりました。

マンホールには、高見峰、猫山、城山からなる三連山と、「町の花:菊」がデザインされています。

昭和48年(1973)4月1日制定の町章は「綾歌町の「ア、ヤ」を図案化したもので 教育の町、産業振興の町、伸びゆく豊か な町を象徴し、限りない町勢発展を表し ている。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月16日&2018年12月15日

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マンホールカード、頂きました。

2020年7月1日、第12弾として全国53自治体で62種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「丸亀市C」のマンホールカードは、「丸亀市綾歌市民総合センター」でいただけます。

1998年に設置開始されたマンホールには「綾歌三山」、「町の花:菊」がデザインされています。

「丸亀市綾歌町は県下屈指の産地として菊の生産が盛んであることから、マンホール蓋前面に菊が大きくデザインされています。 菊の背後には、綾歌三山である城山(しろやま)・猫山(ねこやま)・大高見峰(おおたかみほう)がデザインされています。 城山の頂上からは、瀬戸内海、丸亀平野、飯野山(讃岐富士)が一望できます。 大高見峰は、山頂の高見峰神社に祀られている天狗「大高見坊」にちなみ、地元では「たかんぼさん」と呼ばれ親しまれています。 2005年3月22日の合併により綾歌郡綾歌町は丸亀市綾歌町となりましたが、合併前からのデザインが現在も使われています。」

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ご当地マンホールとマンホールカード第9弾 in 香川県旧飯山町(丸亀市)

2021年03月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧綾歌郡飯山町(はんざんちょう)は香川県のほぼ中央に位置した町です。坂出市、丸亀市、綾歌郡綾歌町に隣接。町名は、北端部の讃岐富士ともよばれる飯野山(422メートル)にちなみ、北東部には城山(きやま)、その裾野には多くのため池を持つ平野部が広がり、中央部から南部にかけて大束川が流れ、西側に土器川。米作のほか、モモ、ブドウ、ミカンなどの果樹栽培が行われ、とくにモモは県下一の産地で、モモの花の咲くころは、飯野山、城山の山麓はピンクに彩られれます。「町の木:サザンカ」「町の花:桃」を制定。

旧キャッチフレーズは「讃岐富士と桃源郷の町」

明治23年(1890)、町村制の施行により、鵜足郡法勲寺(ほうくんじ)村、坂本村が発足。

1899年、郡制の施行により鵜足郡と阿野郡が合併、綾歌郡となる。

1956年、坂本村と法勲寺村が合併、綾歌郡飯山町が発足。

]2005年、(旧)丸亀市、綾歌郡綾歌町と合併、新たに丸亀市となりました。

マンホールには「飯野山」「おじょもの足跡」、「町の木:山茶花」、「町の特産:桃」がデザインされています。

昭和41年(1966)1月1日制定の町章は「は、ん、几の各々の文字と山の絵をデザ インしたもので、文字の持つ可読性より も、純粋に造形性と同時に讃岐富士の具 象による象徴性を加味したもので、飯山 町の特質というものを端的に表現し、特 に円形は融和の精神、さらに若々しさと 飛躍・発展を表したデザインである。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月16日&2018年12月15日

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2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「丸亀市B」のマンホールカードは、「丸亀市飯山市民総合センター 業務担当窓口 」でいただけます。

2000年に設置開始されたマンホールには「飯野山」と「桃」」と「おじょもの足跡」、「町の木:サザンカ」がデザインされています。

「マンホール蓋の右手にデザインされているのは、丸亀市飯山町の特産品である「桃」。 その生産量は県下一を誇ります。 背後にそびえ立つのは、新日本百名山のひとつである「飯野山」です。 円すい形の美しい姿から、別名、讃岐富士と呼ばれています。 左手に描かれている、ひときわ大きな足跡は、飯野山に伝わる伝説の大男「おじょも」の足跡です。 飯野山に登ると、今でも「おじょもの足跡」がついた大きな岩を見ることができます。 2005年3月22日の合併により、綾歌郡飯山町は丸亀市飯山町となりました。 マンホール蓋の下方には、町の木であったサザンカがあしらわれています。」

訪問日:2018年12月15日

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ご当地マンホール in 香川県旧丸亀市(丸亀市)

2021年03月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧丸亀市(まるがめし)は香川県中西部に位置した市です。坂出市、善通寺市、綾歌郡綾歌町・飯山町・宇多津町、仲多度郡満濃町・多度津町、更に県を跨ぎ海上により岡山県倉敷市、笠岡市、 浅口郡寄島町に隣接。早くから海上交通の要衝として、また、物資の集散地として発展し、特に金刀比羅宮の参道口として大いににぎわいました。慶長7年(1602)、生駒氏が亀山に築城し、丸亀城と名付けたのが「丸亀」という名の起こりといわれており、以後、城下町として栄えてきました。丸亀城は扇の勾配と呼ばれる美しい石垣が有名で、その石垣は高さ日本一を誇り、現在も市のシンボルとして、また市民の憩いの場としても多くの人たちに親しまれています。「市の木:ヤマモモ」「市の花:サツキ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、那珂郡丸龜町・六郷村・南村・本島村・郡家村・垂水村・広島村、綾歌郡川西村・土器村・飯野村が発足。

1899年、郡制の施行により那珂郡と多度郡が合併、仲多度郡となる。丸龜町が市制を施行、丸龜市が発足。

1917年、丸龜市が仲多度郡六郷村を編入。

1951年、丸龜市が仲多度郡南村を編入。

1954年、丸龜市が仲多度郡本島村、郡家村、綾歌郡川西村、土器村を編入。

1955年、丸龜市が善通寺市原田町・金蔵寺町、綾歌郡飯野村の一部を編入。

1958年、丸龜市が仲多度郡垂水村・広島村を編入。

2005年、丸龜市が綾歌郡綾歌町、飯山町と対等合併、新たに丸亀市となりました。

明治33年(1900)4月1日制定の市章は「旧丸亀藩主京極家の馬印と して用いられた「立鼓(りゅうご)」を 採用。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月16日&2018年12月15日

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ご当地マンホールとマンホールカード第4弾 in 香川県丸亀市

2021年03月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

丸亀市(まるがめし)は香川県中西部に位置する市です。2005年 3月22日、(旧)丸亀市・綾歌郡綾歌町・綾歌郡飯山町が合併、新たに丸亀市が発足しました。坂出市、善通寺市、綾歌郡宇多津町・綾川町、仲多度郡多度津町・まんのう町に。また県を跨ぎ海上により岡山県倉敷市、笠岡市、浅口市に隣接。海岸線側ほぼ中央部に位置し、北は風光明媚な瀬戸内海国立公園、南は讃岐山脈に連なる山々、陸地部は讃岐平野の一部で、平坦な田園地帯が広がっています。市の陸地部の中央に標高422メートルの飯野山(別名、讃岐富士)がそびえ、その北方に青ノ山、中心には土器川が流れ、多数のため池が水辺空間を創出。「市の木:ヤマモモ」「市の花:サツキ」を制定。

キャッチフレーズは「お城と団扇のまち」「自然と歴史が調和し 人が輝く田園文化都市 ~協創でつながるまち 丸亀~」

マンホールには丸亀城が描かれた団扇をはじめ、数種の団扇がデザインされています。

丸亀団扇

旧飯山市のデザインで「飯野山」「おじょもの足跡」「山茶花」「桃」、自治体名が「まるがめ」と変更されています。

旧綾歌町のデザインで「連山」「町の花:菊」、自治体名が「まるがめ」と変更されています。

観光案内所の方が着用されている法被。後ろ姿のイラストには三つの自治体のシンボルがぎっちりと詰め込まれています。

2005年3月22日制定の市章は「旧丸亀市、旧綾歌町、旧飯山町をそれぞれワンピースと考え、1市2町が合併することにより、一つの完成された図案を構成し、強い団結と広がりを表し、新生丸亀市のシンボルを形作っています。さわやかなブルーをシンボルカラーとし、自然豊かな都市に吹くそよ風を表します」公式HPより

丸亀市のマスコットキャラクター『とり奉行 骨付じゅうじゅう』。 丸亀市の名物料理である骨付き鳥をモチーフに誕生しました。『うちっ娘』は国の伝統的工芸品のひとつ「丸亀うちわ」をモチーフにした女の子。『京極くん』は戦国の世から現代に舞い降りた、凛々しい顔立ちの戦国武将キャラ。二人は「活力ある地域づくり助成事業」の助成で誕生しました。

撮影日:2011年6月16日&2018年12月15日

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2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「丸亀市A」のマンホールカードは、「丸亀市役所 下水道課(別館2階)」でいただけます。

1987年に設置開始されたマンホールには「丸亀城の団扇」と「団扇」がデザインされています。

「現存木造天守十二城の一つに数えられる丸亀城。 その城下町として400年あまりの歴史を誇る丸亀市は、「うちわのまち」としても知られ、その生産量は全国の約90パーセントを占めます。 本マンホール蓋のデザインは、これら丸亀のシンボルをモチーフに制作したもの。 丸亀城は石垣の名城として有名で、大手門から見上げる天守は威厳に満ち、夕暮れの天守は優しさをまとって訪れる者の心を和ませます。 また、うちわのデザインには「丸亀城」、「朱赤に丸金印」、「立鼓(りゅうご:京極家の馬印でのちに船印となったものであり、旧丸亀市の市章でもあります)」がそれぞれ描かれています。」

訪問日:2017年8月10日

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ご当地マンホール in 香川県旧財田町(三豊市)

2021年03月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧三豊郡財田町(さいたちょう)は香川県の南西部に位置した町です。三豊郡山本町、仲多度郡仲南町に。また県を跨いで徳島県三好郡池田町・三好町に隣接。町域は讃岐山脈の山間地と財田川沿いの沖積地からなり、農業が中心産業。特産物にタケノコ、ミカン、キュウリがあり、農産物の缶詰加工工場もあります。町内に鎮座される「雨宮神社」の雨乞い「弥与苗(やよな)踊」・百足退治の伝説を歌った「八千歳(やとせ)踊」は県の無形民俗文化財に指定されています。画像は樹齢700~800年ともいわれる香川の保存木「財田駅前のタブノキ」「町の木:モッコウ」「町の花:コスモス」を制定。

旧キャッチフレーズは「人と自然にやさしく、豊かで活力のある町、財田町」

明治23年(1890)、町村制の施行により、三野郡財田村が発足。

1899年、郡制の施行により三野郡と豊田郡が合併、三豊郡となる。

1970年、財田村が町制を施行、三豊郡財田町が発足。

2006年、三豊郡仁尾町、高瀬町、豊中町、山本町、詫間町、三野町と合併し三豊市財田町となりました。

町域にはご当地マンホールの類は見つけられず、唯一自治体名のある空気弁一枚を見つける事が出来ました。

昭和44年(1969)12月19日制定の町章は「財田町のサを図案化したもので、2羽の鳩が向きあって平和と調和を保ちつつ、両翼に大きくひろがる羽根は「伸びゆく財田」そのふくらみは「豊かな財田」を象徴するものです。」旧公式HPより

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旧三豊郡豊中町(とよなかちょう)は香川県の南西部に位置した町です。観音寺市、三豊郡仁尾町・高瀬町・山本町に隣接。町名は、三豊平野の真ん中にあることから「豊中」としました。中央は財田川北岸の三豊平野で、特にブドウの栽培が盛ん。豊中町本山甲には、四国八十八ヵ所70番札所本山寺があります。「町の木:金木犀」「町の花:芙蓉」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により三豊郡本山村・笠田村・桑山村が発足。
1955年、本山村・上高野村・笠田村・比地大村・桑山村が合併し、三豊郡豊中村が発足。
1957年、豊中村が町制を施行し三豊郡豊中町が発足。
2006年、三豊郡仁尾町、高瀬町、山本町、財田町、詫間町、三野町と合併し三豊市豊中町となりました。

昭和43年12月2日制定の町章は、豊中町の頭文字「「と」と「T」を象ったものです。」

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旧三豊郡山本町(やまもとちょう)は香川県の西部に位置した町です。観音寺市、仲多度郡仲南町、三豊郡豊中町・高瀬町・財田町に。また県を跨いで徳島県三好郡池田町に隣接。町域はくの字に折り曲げたような外形で北東及び南に細長く広がり、辻字小松尾には四国八十八箇所霊場第67番札所 大興寺(小松尾寺)が所在。「町の木:梅」「町の花:牡丹」「町の鳥:うぐいす」「町の魚:鮎」「町の獣:うさぎ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、豊田郡財田大野村・辻村・河内村・神田村が発足。
1899年、郡制の施行により豊田郡と三野郡が合併、三豊郡となる。
1955年、辻村、河内村、財田大野村、神田村が合併し、三豊郡山本村が発足。
1957年、山本村が町制を施行、三豊郡山本町が発足。
2006年、三豊郡仁尾町、高瀬町、豊中町、財田町、詫間町、三野町と合併し三豊市山本町となりました。

昭和32年11月3日制定の町章は「全体の形で「山」を象ったものです。」

(※)旧三豊郡豊中町・旧山本町のご当地マンホールの類は見つけられませんでした。

撮影日:2011年6月16日

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ご当地マンホール in 香川県旧詫間町&旧仁尾町(三豊市)

2021年03月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧三豊郡詫間町(たくまちょう)は香川県西部に位置した町です。三豊郡三野町・仁尾町に、海を隔てて仲多度郡多度津町、観音寺市、さらに県を跨いで岡山県笠岡市、広島県福山に隣接。三豊平野の北部から荘内半島にかけて町域が広がり、中心集落の詫間は坂出港・高松港に次ぐ県下第3の貿易港でおもに木材を輸入。三野津湾の埋立地には木材加工団地や、造船・合板などの工場があり、海岸部では養殖漁業が行なわれています。北西部に紫雲出山、妙見山を頂く荘内半島を持ち、西側は響灘に面しており、北部には詫間湾を挟み粟島・志々島が浮かんでおり、その先には備讃瀬戸が広がっています。荘内地区は、かつて「浦島」と呼ばれていたことがあり、町内には浦島太郎に由来する地名がいくつか存在します。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、三野郡詫間村・荘内村・粟島村が発足。

1899年、郡制の施行により三野郡と豐田郡が合併、三豐郡となる。

1942年、詫間村が町制を施行、三豐郡詫間町(第一次)が発足。

1955年、 詫間町、荘内村、粟島村が合併、三豐郡詫間町(第二次)が成立。

2006年、三豊郡仁尾町、高瀬町、豊中町、山本町、財田町、三野町と合併、三豊市詫間町となりました。

マンホールには、亀の背中に乗って竜宮城に行く浦島太郎がデザインされています。

昭和36年(1961)1月1日制定の町章は「全体で「タ・ク・マ」を図案化したものです。」

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旧三豊郡仁尾町(におちょう)は香川県の西部に位置した町です。観音寺市、三豊郡詫間町・三野町・高瀬町・豊中町に隣接。江戸時代、仁尾では丸亀藩や土佐藩から茶の取引を許可され、茶のほか搾油、魚、肥料問屋や酒、醤油、酢などの醸造元の大きな店が数多くあり栄えてきました。沿岸部には漁港のほか、刃物、縫製、模造真珠などの工場があり、塩田跡の埋立地には住宅のほかエビ養殖場、太陽熱試験発電所、海水からウランを採取する工場などが立地。町域ではミカン、ビワなどの果樹栽培が盛んです。「町の木:松」「町の花:ツツジ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、三豊郡仁尾村が発足。

1899年、郡制の施行により三野郡と豊田郡が合併、三豊郡となる。

1924年、仁尾村が町制を施行、三豊郡仁尾町が発足。

2006年、三豊郡高瀬町、豊中町、山本町、財田町、詫間町、三野町と合併し三豊市仁尾町となりました。

マンホールには、200年以上前に始まったと言われる「仁尾竜まつり」にちなんだ龍と町章「町の花:ツツジ」「町の木:松」がデザインされています。

大正13年(1924)4月1日制定の町章は「古くは「仁保」と書かれていた事によるもので、「ニ」「ホ」を図案化したものです。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月15日

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ご当地マンホール in 香川県三豊市・旧高瀬町・旧三野町

2021年03月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

三豊市(みとよし)は香川県の西部に位置する市です。2006年1月1日、三豊郡仁尾町、高瀬町、豊中町、山本町、財田町、詫間町、三野町が合併して発足しました。善通寺市、観音寺市、仲多度郡多度津町・琴平町・まんのう町。さらに県を跨いで徳島県三好市、三好郡東みよし町。また海を隔てて広島県福山市、岡山県笠岡市に隣接。北東部は象頭山、大麻山、弥谷山などに接し、南東部は讃岐山脈の中蓮寺峰、若狭峰、猪ノ鼻峠、六地蔵峠など。北西部は、瀬戸内海に突き出た荘内半島があり、その南部には粟島、志々島、蔦島などの島しょ部もみられます。中央部には三豊平野が広がり、東部から西部に向かって財田川、東部から北部に向かって高瀬川などの河川が流れ、豊かな田園地帯を形成、その為のため池が多数点在します。庁舎玄関に飾られているのは、三豊市伝統工芸品に指定された「張子虎」。現在3名の伝統工芸士によって、伝統の技法を継承した「張子虎」が制作されています。「市の木:桜」「市の花:マーガレット」を制定。

キャッチフレーズは 「“豊かさを”みんなで育む市民力都市・三豊」

2006年1月1日制定の市章は「三本のラインは三豊市の「三」で、豊かさと海・山・田園を表すとともに、各人が互いの個性や可能性を活かすことによって、市がさらに安定し発展することをイメージしています。 上の円は市民の和を表し、白抜き部分で豊かな環境の中、美しい町を包むように広がる山を表しています。」公式HPより

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旧三豊郡高瀬町(たかせちょう)は香川県西部、三豊平野の東部、高瀬川上流域に位置した町です。善通寺市、仲多度郡琴平町・仲南町、三豊郡三野町・仁尾町・豊中町・山本町に隣接。東端に大麻山、西に七宝山の開析された溶岩台地があり、国市池、岩瀬池などのため池が多く見られ、また香川県最大の茶の産地「高瀬茶」の町として知られています。町域には国指定史跡の二ノ宮窯跡のほか、歓喜院の瓦窯跡などがあり、古くより開けていた事が伺えます。「町の木:茶」「町の花:桜」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、三豊郡上高瀬村・勝間村・麻村・二ノ宮村・比地二(ひじふた)村が発足。

1955年、上高瀬村、勝間村、比地二村、二ノ宮村、麻村が合併、三豊郡高瀬町が発足。

2006年、三豊郡仁尾町、豊中町、山本町、財田町、詫間町、三野町と合併、三豊市となりました。

マンホールには「お茶どころ高瀬」らしく、茶摘の様子がデザインされています。

昭和37年(1962)9月10日制定の町章は「「た」の字を図案化して高瀬町を表わし、翼により町の発展進歩、円形により町民の団結円満融和を表わしています。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月15日

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旧三豊市三野町(みのちょう)は香川県の西部に位置した町です。三豊郡詫間町・仁尾町・高瀬町、仲多度郡多度津町、善通寺市に隣接。町の中央部を流れる高瀬川の沖積地に元禄初期完工の三野津新田干拓地があり、周囲を開析された溶岩台地が取り巻いており、集落は山麓地帯に散在。南西部の下高瀬には日蓮上人命日を中心に開かれる高瀬大坊市で知られる本門寺があり、北東部の弥谷寺は四国八十八ヵ所の第 71番札所。南東部の火上山一帯は瀬戸内海国立公園に指定されています。町内で作られる「讃岐獅子頭」は、張子の手法が使われた表情豊かな獅子頭で、伝統工芸品の指定を受けています。「町の木:サクラ」「町の花:サツキ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、三野郡吉津村・大見村・下高瀬村が発足。

1899年、郡制の施行により三野郡と豊田郡が合併、三豊郡となる。

1955年、大見村、下高瀬村、吉津村が合併、三豊郡三野村が発足。

1961年、三野村が町制を施行、三豊郡三野町が発足。

2006年、三豊郡仁尾町、高瀬町、豊中町、山本町、財田町、詫間町と合併、三豊市となりました。

マンホールには、「町の木:サクラ」を中心に、「町の花:サツキ」がデザインされています。

昭和40年(1965)4月制定の町章は「「み」を図案化し、斬新性と町民の融和と固い絆の協力を現しています。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月15日

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旧高瀬町・旧三野町のマンホールはどうしても自力で探す事ができず、高瀬町下水道局の方に調べていただいて見つけることが出来ました。町の住人でもなく、市制に関する相談でもないのに、一生懸命質問に応えて下さった職員の方。心から感謝の念で一杯です。職員の方に調べていただいた地図を頼りに、無事目的を達成できました。本当にその節には有難うございました。🙏🙏

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ご当地マンホール in 香川県旧大野原町(観音寺市)

2021年03月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧三豊郡大野原町(おおのはらちょう)は香川県の西南部、讃岐山脈の北斜面に位置した町です。観音寺市、三豊郡豊浜町に。更に讃岐山脈を隔てて徳島県三好郡池田町、愛媛県四国中央市に隣接。讃岐山脈から流れる柞田川のつくった扇状地は水に乏しく、地名のとおり大野原の荒れ地でしたが、江戸時代に平田与一左衛門らにより井関池が築造され、溜池灌漑による豊かな農地に生まれ変わりました。昭和62年(1987)の雲辺寺ロープウェイ開通により、四国八十八か所の第66番札所、雲辺寺への参拝を便利にするとともに、雲辺寺山は観光地としてあらためて注目される事となりました。「町の木:クスノキ」「町の花:萩」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、豊田郡大野原村・五郷村・中姫村・萩原村が発足。

1898年、郡制の施行により、三野郡、豊田郡が合併、三豊郡となる。

1929年、大野原村が中姫村を編入。

1955年、大野原村、五郷村、萩原村が合併、三豊郡大野原町が発足。

2005年、(旧)観音寺市・三豊郡豊浜町と対等合併し(新)観音寺市となりました。

マンホールには、現存する日本最古の石積式マルチプルアーチダムで、国重要文化財の「豊稔池堰堤(アーチダム)」の放流の様子が描かれています。

讃岐山脈から流れ出る柞田川を上流で堰き止め、柞田川の左岸に広がる水田を潤している「豊稔池ダム」は、度重なる大旱魃への対策として大正15年(1926)に着工され、昭和5年(1930)に完成。このとき、地元住民による組合が部分請負して工事にあたり、延べ15万人による人海戦術により約4年の短期完成を実現するという地元一体となって成し遂げられた公共事業として、今も町史に語られます。

昭和45年(1970)5月14日制定の町章は「『上部は「大」を下部は「の」をあらわした』図案で、豊かで平和な町、そして飛躍と調和ある団結と産業文化の向上発展を単的に象徴してもの」合併協議会資料より

旧大野原町のマンホールに関しては支所の付近や大きな通りを探しても全く見つけられず、思い切って支所の方に尋ねてみようと言うことになりました。支所への訪問理由がマンホールの設置場所というのも、考えれば随分怪しい質問ですが、関西からわざわざマンホールを探しに来た変な旅行者に対して、対応はとても親切でした。

職員の方いわく、マンホールが設置されているのは、大野原中央公園の一箇所のみ。教えていただいた場所で無事にマンホールを見つけ出す事が出来ました。その節には貴重なお時間を頂き、心から感謝いたします🙏🙏

撮影日:2011年6月15日

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