車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 長野県旧山口村(中津川市)

2022年04月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧木曽郡山口村(やまぐちむら)は長野県の南西部に位置した村です。長野県南木曽町。また県を跨いで岐阜県中津川市、恵那郡坂下町に隣接。村の東部には標高1,000m以上の山々が連なり、西部には木曽川の河岸段丘が広がり集落が点在。南部にある旧中山道:馬籠宿は文豪島崎藤村の出身地として知られ、隣接する長野県の妻籠宿と共に観光客に人気のスポットです。「村の木:ツバキ」「村の花:ムラサキツツジ」を制定。する。

明治22年(1889)、町村制の施行により、長野県西筑摩郡山口村、神坂村が発足。

1958年、山口村が、神坂村馬籠・峠・荒町の三集落を編入。

1968年、西筑摩郡が名称を変更し木曽郡と改称、木曽郡山口村となる。

2005年、岐阜県坂下町・川上村・加子母村・付知町・福岡町・蛭川村と共に中津川市に編入、中津川市馬籠となりました。地勢的に山口村は長野県よりも岐阜県との繋がりが昔から深く、それが越境合併に至る最大の要因になりました。県を越えた合併は昭和34年(1959)に栃木県菱村が群馬県桐生市へ編入されて以来46年ぶりの事です。

マンホールには、「村の木:ツバキ」と「村の花・ムラサキツツジ」が交互に描かれています。

昭和50年(1975)11月1日制定の村章は「「山口」の2文字を合体させて村名を簡明に図案化。全体で平和で豊かな栄光へと限りなく躍進発展する山口村のたくましい姿をあらわし、さらに円形で、村民の親和を端的に象徴したもの。」合併協議会資料より

撮影日:2010年10月2日&2014年6月19日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧坂下町(中津川市)

2022年04月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧恵那郡坂下町(さかしたちょう)は岐阜県の南東部、長野県との県境に位置した町です。中津川市、恵那郡福岡町・川上村。また県を跨いで長野県木曽郡南木曽町・山口村に隣接。木曽川沿いの山間に開けた町で、川上川が町域を北から南へ貫流し、木曽川に注ぎます。町の中心部は河岸段丘上にあり、段丘面上を横切って阿寺(あてら)断層が通過。阿寺断層による断層崖と木曽川・川上川の河岸段丘が交差した坂の多い町です。また木曾義仲ゆかりの「坂下神社」で開催される「花馬」が有名で、「花馬祭りの里」として知られています。「町の木:ハナノキ」「町の花:ツツジ」を制定。

上記は2010年、こちらは2014年に同じ場所で見た花馬ですが、一段と華やかになって、しかも仔花馬まで一緒。花馬祭りのラストは勇壮で豪快な「花取り(奪い)」となり、見事奪い取った😅花串は、持ち帰って田んぼや神棚に供えられるそうです。

敷地内の花馬の像

明治22年(1889)、町村制の施行により、恵那郡坂下村が発足。

1905年、坂下村から川上村が分立、恵那郡川上村が発足。

1911年、坂下村が町制を施行、恵那郡坂下町となる。

2005年、恵那郡川上村・加子母村・付知町・福岡町・蛭川村、長野県山口村と共に中津川市へ編入。中津川市坂下となりました。

マンホールには「真ん中に旧坂下町の町章が描かれ、上半分は桧の森、下には川を泳ぐ鮎を描いています。旧坂下町は、町の東側に木曽川が流れており、鮎釣りが盛んです。また町の面積の約7割が森林で、昔から桧や杉が植林されているため、このデザインに決まりました。」公式HPより

昭和36年(1961)1月制定の町章は「坂下町の頭文字「さ」を図案化したものです。町の融和団結を太い円で、又雄飛発展の町勢を飛鳥の姿を以って表現しています。」合併協議会資料より

撮影日:2010年10月2日&2014年6月19日

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ご当地マンホール in 岐阜県中津川市

2022年04月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

中津川市(なかつがわし)は岐阜県の東南端に位置する市です。2005年2月13日、恵那郡坂下町・川上村・加子母村・付知町・福岡町・蛭川村、長野県木曽郡山口村を編入。現在の市域になりました。恵那市、下呂市、加茂郡白川町・東白川村に。また県を跨いで長野県木曽郡南木曽町・王滝村・大桑村、下伊那郡阿智村・平谷村に隣接。東は木曽山脈、南は三河高原に囲まれ、中央を木曽川が流れる自然豊かな町です。古くは、東山道、中山道、飛騨街道などの交通の要衝として栄え、近代においては中核工業団地の完成により企業も多数立地し、商工業都市として成長してきました。一方、豊かな自然環境のなかで、広大な森林から産出される東濃桧を代表として、優れた農産物などを産出する農林業地域でもあり、地場産業の盛んな都市です。「市の木:高野槇」「市の花:さらさどうだん」を制定。

キャッチフレーズは「自然ゆたかなまち  歴史と文化が薫るまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、恵那郡中津川村・駒場村・手賀野村・坂本村・落合村・阿木村が発足。

1890年、中津川村が町制を施行、恵那郡中津川町(初代)が発足。

1897年、中津川町と駒場村、手賀野村が合併、恵那郡中津町が発足。

1951年、中津町と苗木町が合併、恵那郡中津川町(2代目)が発足。

1952年、恵那郡中津川町が市制を施行、中津川市となる。

1954年、恵那郡坂本村を編入。

1956年、恵那郡落合村を編入。

1957年、恵那郡阿木村を編入。

マンホールには「旧苗木藩主遠山家で発見された絵図を基に再現された『風流おどり』がデザインされています。風流おどりは毎年8月13日に行われる「おいでん祭」で披露されます。」公式HPより(中津川駅付近の歩道に設置)

名古屋市下水道科学館:展示マンホール

マンホールには、中央に木曽山脈最南端の「恵那山」、周囲に「市の花:サラサドウダン」がデザインされています。

落合地区のマンホールは「中央に岐阜県の史跡に指定されている中山道:落合の石畳を配置し、周囲に自然を強調する生物や植物をアレンジしたデザインです。」公式HPより

ハンドホールには「市の花:さらさどうだん」がデザインされています。

昭和30年(1955)12月19日制定の市章は「近村合併で市域が輪のように拡がる姿を表すと共に、団結の和をも示し、これによって市勢が一段と躍進をみることを象徴したものです。」公式HPより

中津川どりとトマトの素材を活かした中津川市ご当地グルメ「とりトマ丼」キャラクター、『とりトマトちゃん』。頭のどんぶりはトレードマークの帽子です。

国産ちこりを栽培する中津川「ちこり村」に住む『ちっこりちこ蔵』。西洋野菜の「チコリ」がモチーフの忍者なのです。

撮影日:2010年10月2日

旧恵那郡川上村・加子母村・付知町・福岡町・蛭川村は未訪問の為、マンホール画像はありません。

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岐阜県中津川市のマンホールカード

2022年04月14日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

2017年8月1日、第5弾として全国50自治体で52種類(計191自治体222種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「中津川市A」のマンホールカードは、「中津川市観光センター・にぎわい特産館」でいただけます。

1988年に設置開始されたマンホールには「おいでん祭り」で踊られる「風流おどり」と「市の花:サラサドウダン」がデザインされています。

「中津川市で毎年8月13日に行われる「おいでん祭」。 その祭で披露される「風流おどり」をモチーフに制作したデザイン蓋です。 風流おどりは、旧苗木城主遠山家の土蔵から見つかった約400年前の絵図に起源を持ちます。 この絵図には、当時行われていた雨ごいか、あるいは豊作祈願と思われる祭の様子が描かれており、お殿様の御前で領民が舞い踊る姿が勇壮なことから、その衣装や道具、振付を再現しようという動きが生まれました。 そうして誕生したのが、風流おどりです。市民の熱い想いに支えられた伝統の復活劇にあやかり、本デザイン蓋には、「街の発展が続くように」の願いが込められています。」

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故郷:岡山県各地のマンホールや名所旧跡の紹介も昨日で一通り終了。今日から暫く、五度目となった車中泊の忘れ難い思い出を、マンホールカードやご当地マンホールを交えて紹介します。

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ご当地マンホール in 岐阜県旧春日村(揖斐川町)

2020年06月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧揖斐郡春日村(かすがむら)は岐阜県の最西端に位置した村です。揖斐郡揖斐川町・池田町・久瀬村・坂内村、不破郡垂井町・関ケ原町に。さらに県を跨いで滋賀県坂田郡伊吹町に隣接。村の中心部を揖斐川の支流:粕川が流れ、標高約400mの高山は「天空の茶畑」と呼ばれ、ここで栽培される古来茶は「天空の古来茶」としてブランド化されています。「村の木:トチ」「村の花:桜」「村の鳥:ヤマガラ」を制定。

粕川沿いで見かけたこの景色、おそらく色んな場所で見た筈なのですが、その名称がわかりません。支柱に刻まれた文字も確実に判読は出来ませんでした。

この建造物、「旧・瑞岩寺橋の主塔」である旨、「ひも爺様」より教えていただきました。粕川を挟んで斐川町瑞岩寺と揖斐川町市場の間に架かっていたものだそうです。貴重な情報をいただき有難うございました🙏

明治22年(1889)、町村制の施行により、池田郡六合村・美束村・川合村・香六村・小宮神村・中山村が合併、揖斐郡春日村が発足。

1897年、郡制の施行により、大野郡の一部と池田郡が合併、揖斐郡となる。

2005年、揖斐川町・谷汲村・久瀬村・藤橋村・坂内村と合併、揖斐川町となりました。

集落排水のマンホールは中央に村章の有る規格蓋

昭和48年12月18日制定の村章は「「か」を翼を広げた鳥の形に見立てて端的に図案化したものです。」

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「春日村さざれ石公園」パンフレットより

平安朝時代、文徳天皇(在位850-858年)の皇子『惟喬(これたか)親王』は、椀生地(わんきじ)を司る役目だった(椀・盆・杓子などの木地などを製作する、当時は重要な役目)。藤原朝臣石位左衛門(ふじわらあそんいしいざえもん)は、この惟喬親王に仕えていた。親王の命を受け、江州から伊吹山を経て美濃(岐阜県)の春日谷へ訪れた際に、椀生地に用いる良質な木材を発見し、一族とともに住み始めた。ある時、春日谷から近江の君ヶ畑や京都へ行き来する際、古屋笹又という谷間で、渓流に露出する「さざれ石」を見て「これは珍しい石、目出度い石「である」と見たまま、感じたまま、詠んで奉った歌を残した。【わが君は  千代に八千代にさざれ石の  巌となりて 苔のむすまで】

撮影日:2012年5月22日

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岐阜県のご当地マンホールは「旧春日村」で終了。明日からは高知県のマンホール・神社仏閣・名所に旧跡&迷所の紹介です。

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ご当地マンホール in 岐阜県旧谷汲村(揖斐川町)

2020年06月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧揖斐郡谷汲村(たにぐみむら)は岐阜県の北西に位置した村です。本巣市、揖斐郡揖斐川町、大野町に隣接。周囲を標高700メートル前後の山々に囲まれ、 村境に沿って根尾川が流れており、総面積の86%が山林で占められています。村名は『根元由来記』に、1200年前に谷の岩の間から油が湧き、それを汲んで灯明に使ったことからと言われ「谷汲山華厳寺」に因みます。徳積にある天台宗「華厳寺(けごんじ)」は、西国三十三所第三十三番札所、満願結願の寺院として知られています。豊かな自然に恵まれた谷汲は、岐阜県、島根県の2県に生息しているといわれている「ヒメハルゼミ」や、村の昆虫「ギフチョウ」の県下有数の生育地と言われています。「村の木:白梅」「村の花:桜」「村の鳥:ウグイス」「村の昆虫:ギフチョウ」「村の魚:鮎」を制定。

旧キャッチフレーズは「古の香り漂う 谷汲」

明治22年(1889)、町村制の施行により、名礼村・徳積村・大洞村・深坂村・大野郡長瀬村・横蔵村が発足。

1897年、郡制の施行により、大野郡の一部と池田郡が合併、揖斐郡となる。

1897年、名礼村・徳積村・大洞村・深坂村が合併、(初代)揖斐郡谷汲村が発足。

1956年、谷汲村、長瀬村が合併(二代目)揖斐郡谷汲村となる。

1960年、揖斐郡横蔵村を編入。

2005年、旧揖斐川町・春日村・久瀬村・藤橋村・坂内村と合併、揖斐郡揖斐川町となりました。

マンホールには「カタクリの花に止まる天然記念物のギフチョウ」が描かれています。

昭和52年(1977)7月27日制定の村章は「谷汲の『谷』を図案化してあります。その形は大きく羽ばたき伸びゆく郷土を表し、縞は年々増えてゆく年輪に願いを託しています。」旧公式HPより

「ギフチョウ」をはじめ世界の昆虫の標本が展示されている「谷汲昆虫館」。目印のモニュメントは美しく羽を広げる「ギフチョウ」。

谷汲山華厳寺門前町マスコットキャラクター『いのりちゃん』。マスコットキャラクターとしては初めて、三十三所の満願を達成しました。この功績は三十三所札所会に認められ、「西国三十三所PR大使」「補西国巡礼大使」に任命、また特命先達にも任命されているそうです。

撮影日:2012年5月22日

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ご当地マンホール in 岐阜県揖斐川町&旧揖斐川町

2020年05月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

揖斐郡揖斐川町(いびがわちょう)は岐阜県の最西部に位置する町です。2005年1月31日、旧揖斐郡揖斐川町、谷汲村、久瀬村、春日村、坂内村、藤橋村と合併し、新たに揖斐川町として発足しました。南は不破郡垂井町、関ケ原町、揖斐郡大野町、池田町に、東は本巣市に。さらに県を跨いで西は滋賀県米原市、長浜市。北は福井県大野市、今立郡池田町、南条郡南越前町に隣接。町の南西部から北西部にかけては、標高1,100~1,300m前後の山々がそびえ、その山間を縫うように揖斐川、坂内川、日坂川、根尾川、粕川などが流れています。山間部を流れる河川は揖斐川に注ぎ、根尾川は大野町南部で揖斐川に合流。また町の南東部は、濃尾平野の最北端に位置する平坦地となっており、市街地および田園地帯となっています。町域の91.1%が森林で、徳山ダム、横山ダム、久瀬ダム、西平ダムがあり、水力発電による電力供給と治水の役割を果たすとともに、日本最大の総貯水量を誇る徳山ダムのダム湖が観光の場として期待されています。「町の木:けやき」「町の花:花桃」を制定。

キャッチフレーズは「自然と歴史が育む ふれあいと活力のある健康文化都市」

2005年7月1日制定の町章は「ひらがなの「い」をモチーフに揖斐川の流れと新町の将来像から人々のふれあいと大人も子供も安心できる健康文化都市を表しています。また、らせんを描くカーブは次世代につなぐ自然と歴史を表しています。」公式HPより

見つけたマンホールは、ASD加工の耐スリップマンホールのみですが、一応下部に「いびがわ」の文字が刻まれています。

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旧揖斐郡揖斐川町(いびがわちょう)は岐阜県西部に位置した町です。揖斐郡久瀬村、藤橋村、大野町、谷汲村、養基村、春日村、池田町に、また県を跨いで福井県南条郡今庄町に。さらに滋賀県伊香郡余呉町・木之本町、東浅井郡 浅井町、坂田郡伊吹町に隣接。城台山頂上には、かって土岐氏の支族である揖斐氏が約200年にわたって居城とした「揖斐城(いびじょう)」が有りましたが、織田信長の美濃国侵攻に伴い、稲葉良通によって城は陥落。現在は城台山公園として整備されています。町域を流れる揖斐川はあゆ釣り」が盛んで、揖斐川町三輪の桂川橋には、活きの良い鮎が飛び跳ねています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、揖斐郡揖斐町・大和村・養基村、大野郡清水村・極楽寺村・房島村・上南方村・若松村、池田郡小島村・上野村・岡村・和田村・上東野村・市場村・瑞岩寺村・白樫村・新宮村・黒田村・粕河原村・田中村・沓井村・脛永村が発足。

1897年、郡制の施行により、大野郡の一部と池田郡が合併、揖斐郡となる。

1897年、極楽寺村、房島村、上南方村、若松村が合併、揖斐郡北方村が発足。

1897年、小島村、上野村、岡村、和田村、上東野村、市場村、瑞岩寺村、白樫村、新宮村、黒田村が合併、揖斐郡小島村となる。

1897年、粕河原村、田中村、沓井村、脛永村が合併、揖斐郡養基村(やぎむら)となる。

1955年、揖斐町、北方村、大和村、清水村、小島村が合併、揖斐郡揖斐川町が発足。

1956年、揖斐川町が養基村脛永地区を編入、他地区は池田町に編入。

昭和30年(1955)7月1日制定の町章は「「川」を中心にし、五つの「ビ」を円形に配し、「いび」を表したもの」

ここまで何も見つけられないと、いっそ清々しい・・筈がない!!😡

撮影日:2012年5月22日

(※)旧揖斐郡久瀬村・坂内村・藤橋村の3村は未訪問の為、マンホールは未確認。

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ご当地マンホール in 岐阜県旧真正町(本巣市)

2020年05月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧本巣郡真正町(しんせいちょう)は岐阜市と大垣市のほぼ中間に位置した町です。本巣郡糸貫町・北方町・穂積町・巣南町、揖斐郡大野町に隣接。町名は前身となった真桑村と弾正村から一文字ずつ取った合成地名。町域全体が濃尾平野に位置し、町の面積の約50%が農耕地で、古くから「マクワウリ」が生産され「真桑瓜発祥の地」としても知られています。 「町の木:マキ」「町の花: スイセン」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、大野郡政田村・浅木村・温井村・海老村・下福島村・小柿村・軽海村・宗慶村・十四条村・上真桑村・下真桑村が発足。

1897年、郡制の施行により、大野郡が揖斐郡と本巣郡に分割。

1897年、本巣郡小柿村、軽海村、宗慶村、十四条村、上真桑村、下真桑村が合併、本巣郡真桑村が発足。

本巣郡政田村、浅木村、温井村、海老村、下福島村が合併、本巣郡弾正村が発足。

1955年、真桑村と弾正村が合併、本巣郡真正村が発足。

1964年、真正村が町制を施行、本巣郡真正町となる。

2004年、本巣郡本巣町、糸貫町、根尾村と合併、本巣市となりました。

マンホールには、「町の花: スイセン」が美しく描かれています。

 昭和50年(1975)7月1日制定の町章は「円満な町政の和と力強い町の躍進、繁栄を象徴し、「シ」を丸くデザインしたものです。」旧公式HPより

「まくわうり」は 旧真桑村が原産とされ、その名称は真桑村の名に由来します。天正三年(1575)、『織田信長』がこれを朝廷に献上したとの記録も残されています。

撮影日:2012年5月22日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧糸貫町(本巣市)

2020年05月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧本巣郡糸貫町(いとぬきちょう)は岐阜県の西部に位置した町です。岐阜市、揖斐郡大野町、本巣郡本巣町・真正町・北方町に隣接。ほぼ全域が濃尾平野に属し、農業は稲作のほか柿の栽培が盛ん。中でも明治43年(1910)頃から始まった富有柿の栽培は町の名産として力がいれられました。町域の各所で柿の木の栽培地を見ることができます。「町の木:柿」「町の花:菊」「町の魚:ヤリタナゴ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、本巣郡有里村・石神村・数屋村・上高屋村・随原村・長屋村・見延村・屋井村・七五三村・早野村。席田郡上保村・郡府村・北野村・春近村・石原村・三橋村・仏生寺村・芝原村・加茂村が発足。

1897年、郡制の施行により、席田郡、本巣郡、方県郡の一部、大野郡の一部と合併、本巣郡となる。

1897年、本巣郡有里村、石神村、数屋村、上高屋村、随原村、長屋村、見延村が合併、本巣郡一色村が発足。

屋井村、七五三村、早野村が合併、本巣郡土貴野村が発足。

1955年、 一色村と土貴野村が合併、本巣郡糸貫村が成立。

1956年、糸貫村が本巣郡席田村上保・郡府・北野・春近・石原・三橋・仏生寺地区を編入。

1960年、糸貫村が町制を施行、本巣郡糸貫町となります。

2004年、本巣郡本巣町、真正町、根尾村と合併、本巣市となりました。

集配のマンホールには、町の木:柿 に囲まれた糸貫町のキャラクター『かきちゃん』が描かれています。

規格マンホール、中央の知章の部分に『かきちゃん』

糸貫町のキャラクターとして誕生した『かきちゃん』、本巣市になった今でも、「道の駅:富有柿の里いとぬき」の直販所で元気に活躍しているようです。

中央に『かきちゃん』が描かれた側溝蓋、カラーとモノクロの両方が設置されています。

昭和44年(1969)7月制定の町章は「「イト」を図案化したものです。」

糸貫川に架かる「富有柿橋」。橋柵には美味しそうに熟れた富有柿が、たわわに実っています。

撮影日:2012年5月22日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧根尾村(本巣市)

2020年05月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧本巣郡根尾村(ねおむら)は岐阜県の西部、福井県に隣接する山地に位置した村です。武儀郡板取村、山県郡美山町、本巣郡本巣町、揖斐郡谷汲村・久瀬村・藤橋村に。さらに県を跨いで福井県大野市に隣接。南北に長い村の中を、北から南に根尾川が流れ村役場付近で合流。根尾東谷川の上流には上大須ダムがあり、村の面積のほとんどは山林。根尾川沿いの僅かな平地に集落が点在します。根尾東谷の菊花石と共に、淡墨公園にある樹齢1500年の「淡墨桜」が有名で、花の季節には多くの観光客で賑わいます。

明治22年(1889)、町村制の施行により、本巣郡小鹿村・松田村・上大須村・下大須村・板所村・板屋村・口谷村・奥谷村・宇津志村・高尾村・水鳥村・松田村・大井村・大河原村・能郷村・ 長嶺村・市場村・神所村(こうどころむら)・中村・越卒村(おっそむら)・門脇村・天神堂村・長島村・黒津村・越波村(おっぱむら)が発足。

1897年、小鹿村、松田村、上大須村、下大須村、板所村、板屋村、口谷村、奥谷村が合併、本巣郡東根尾村が発足。

 長嶺村、市場村、神所村、中村、越卒村、門脇村、天神堂村、長島村、黒津村、越波村が合併、本巣郡中根尾村が発足。

宇津志村、高尾村、水鳥村、松田村、大井村、大河原村、能郷村が合併、本巣郡西根尾村が発足。

1904年、東根尾村、中根尾村、西根尾村が合併、本巣郡根尾村が発足。

2004年、本巣郡本巣町、真正町、糸貫町と合併、本巣市となりました。

マンホールには、中央に「NEO」の文字、上下に樹齢1500年以上とされる「淡墨桜」と「菊花石」が描かれています。

昭和53年6月20日制定の村章は「基本的に「根」を中心にし、無限を表すために木(きへん)を左右の翼で力強く表し、未来の雄和を象徴して丸く図案化したもの」旧公式HPより

可愛い桜の妖精は、根尾村のキャラクター『ねおまる』との情報を頂きました。ひも爺さま、有難うございます🙏

撮影日:2012年5月21日

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