車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

刑部(かたべ)神社:佐波良(さはら)神社 in 岡山県真庭市湯原

2022年04月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

真庭市社に鎮座される「刑部(かたべ)神社」。御祭神は『神阿多都姫命(かむあたつひめのみこと)』「佐波良(さはら)神社」。御祭神は『佐波良神(佐波良命)』

「刑部神社」「佐波良神社」ともに、美作国延喜式神名帳の「形部神社:佐波良神社」に比定される式内社の論社。 形部神社は、「刑部」とも書かれ、美作国五宮。佐波良神社は、形部神社の相殿に祀られており「佐原」とも書かれる美作国四宮。「形部・佐波良神社」とも称し、二つの神社が合併したものです。

「和気清麻呂が備前・美作両国の国造に任ぜられたのを機に、その高祖父祖で美作の国造である佐波良を御祭神とするようになったという説がある。」岡山神社庁HPより

拝殿下、石段の近くより神域を守護される狛犬さん一対。阿形さんの両足は何らかの理由で失われていますが、その顔立ちはこの上なく可愛いらしい。

境内社「荒魂神社(須佐之男命)」。「大山祇神社(大山祇命)」。「剣上神社(武甕槌命)」。「宮茂神社」。「祖霊神社」。

樹齢900年を超えると言われ、樹高43m。幹回り10mの巨木「佐波良の大杉」。2003年の某大河「宮本武蔵」で、武蔵が吊るされた木として登場します。

大杉の根元に祀られる小祠

参拝日:2012年4月23日

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ぶらり散策~湯原温泉郷 in 岡山県真庭市湯原

2022年04月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

真庭市湯原、「湯郷温泉」「奥津温泉」とともに美作三湯として知られた「湯原温泉」。湯原ダムの下流、旭川沿いに広がる温泉街の景色は、もう殆ど記憶の彼方に埋もれてしまったけれど、それでも見上げたダムの雪化粧をした雄大さだけは、今もはっきりと覚えています。

湯原の地名は、「湯ノ原」または「湯ノ河原」からと言われており、湯街の中上流域の河原部分は、どこを掘っても湯が湧き出ると言われています。殊に湯原ダムの下の川底から砂を噴きながら湧き出す「砂噴き湯(砂湯)」は、湯原温泉の古代からのお風呂の様子を唯一残す物として市の文化財に指定。また旅行作家の会代表の『野口冬人』による諸国露天風呂番付で、西の横綱にランクされています。

砂湯手前に架かる全長45mの吊り橋。正式名称は「湯橋」だそうですが、渡るときに揺れて寄り添う所から「寄り添い橋」と呼ばれています。

何を隠そうこの私、およそ吊り橋などと言う恐ろしい代物には、極力関わらずに生きてきました😱 たとえ長さ1mそこそこであっても、川からの距離が30cm程度であっても、命に係わる事でもない限り、見るだけで十分です😣

温泉薬師堂:砂湯分院

おふくの方湯治邸跡にたつ「おふくの方像」。元禄4年(1691)に編纂された作陽誌に「天正12年(1584)、豊臣秀吉の側室で、五大老宇喜多秀家の生母である「おふくの方」が病に罹った際、秀家が当地に湯屋を設けて療養した」と記されています。 

おふくの方像の近くに【 大悟せる 人の如しも水底に 川椒魚の 動かざりける木畑貞清 

湯原温泉の中心地にある「鼓(つづみ)橋」の対岸に見えるのは「鼓岳」。このつづみ橋から鼓岳を拝み手を打つと、鼓の様に音がこだまして返ってくると言われています。

鼓橋のたもとに建立された『与謝野寛(鉄幹):晶子』の歌碑

【 鼓橋を わがのる乗合自動車(くるま)渡りゆけば  礼する娘あり いで湯の街に 】 

鼓橋  湯山の橋を 渡るなり  奥美作の  夏の夕ぐれ  】

歌碑近くにある足湯・手湯でま~っ~~たり😊。 何時もながらの事ですが、もっと余裕をもって来ればよかったとちょっと後悔。

何とも味わい深いモニュメントは、おそらく特別天然記念物「オオサンショウウオ」と「カジカガエル」。湯原地域は、昭和19年(1944)に全国でも数少ない「カジカガエル」の生息地として、天然記念物の地域指定を受けています。

湯原温泉の名が歴史に登場するのは平安時代中期のこと。播磨の名刹、書写山圓教寺の名僧、性空上人が重病で倒れ、その時夢枕に天童が現れてこの湯を暗示したといいます。性空はその地に赴き、平癒。それ以後、薬湯として広く知られるようになりました。温泉街の中央には小さなお薬師様が祀られた「温泉寺薬師堂」があります。

薬師堂のすぐ横から湧き出る薬湯。いろいろと効能があると言う事なので、この先も達者でいられますように願いを籠めて一口ずついただきました。

元禄元年(1688)創業の「油屋」さんは、湯原温泉の老舗旅館。昔から旅人の道中の灯り油を用意していた事で、「油屋」と呼ばれるようになりましたた。

アルカリ性単純温泉で、源泉温度は40~44.9℃。15箇所の源泉があり、推定毎分6000リットルの豊富な湯量を誇る湯原温泉。旅の途中で温泉を楽しむ時間の余裕はありませんが、河川公園に設けられた足湯で歩き疲れた足を癒し、気持ちだけ温泉気分を満喫して次の目的地に向かいました。

訪問日:2012年4月23日

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旧湯本小学校とはんざき様 in 岡山県真庭市湯原

2022年04月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

湯原に入って最初に目にした建物。最初は学校だと思ったのですが「真庭市 湯原振興局」の札が掛けられています。

昭和26年(1951)に湯本小学校として建築され、昭和45年(1970)に湯原町役場に。真庭市に合併後は、湯原振興局庁舎として利用。

上部に配した折屋根の下には「湯原町立:湯本小学校」の校章

さらに少し・・いや、かなりポッチャリ系の二宮金次郎さん。懐かしい時代の校舎にはテッパンの銅像ですが・・誰だろう?、間違いなくメディアに露出していたコメディアンの誰かに似ている😲・・金次郎さん、ごめん🙇

旧校舎の建物がそのまま残された素晴らしい歴史遺産ですが、この記事を書いている現在、庁舎の移転によって取り壊されたと聞きました。時代の流れの中では致し方ないことかもしれませんが・・何とも惜しいと思います。

湯原振興局の近くには、毎年八月の「はんざき祭り」に温泉街を練り歩く、大はんざきの山車が展示されています。赤と黒の大はんざきは湯原の村に残る伝説をもとに生まれました。

伝説の元となった「大はんざき」が祀られる「はんざき大明神」

「かってこの辺りは龍頭ヶ淵と呼ばれており、長さ約11m・胴回り6mという巨大な「はんざき」が住み着き、通りがかった牛馬や人を引きずり込んで食っていた。文禄元年(1592)頃、近在の三井家の若者がこの化け物を退治した。しかしその後、三井家は滅亡。村にも様々な災いが起こり、村人は淵のそばに祠を建てて「はんざき」の霊を祀った。これが鯢大明神のはじまりである。」現地案内より抜粋

「はんざき大明神」の近くにある「はんざきセンター」では、国の特別天然記念物の「はんざき様」こと、生きた「オオサンショウウオ」を観察する事が出来ます。

水槽の中の「はんざき様」ですが、全体を写そうと思うとガラスしか映らないし、写るように近づけば体の一部分のみ😓 でも取り合えず雰囲気は伝わると思います。

1.6mの「はんざき様」の剥製

ここにしかない「はんざき のてぬぐい」。日本手拭いの収集を始めたご亭主殿、面白がって買い求めていましたが、この後の足湯の折に使って、そのまま置き忘れてしまいました。だから車に置いておくようにと言ったのに😩

満開の菜の花畑に出迎えられての、湯原温泉街のぶらり散歩。気分は上々。どんな素敵に出会えるか、ワクワクが止まりません。

実は・・私にとっては、実に〇十年ぶりの湯原温泉街、見所はまだまだ沢山ですが続きは明日のブログで。

訪問日:2012年4月23日

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勝山~町歩き其の二 in 岡山県真庭市勝山

2022年03月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

町歩きのほぼ終点に近い出雲街道沿いに見かけた文化1年(1804)創業の老舗「御前酒蔵元 辻本店」。店舗兼主屋をはじめ9つの建造物が国の登録有形文化財となっており、2007年には岡山県初の女性杜氏が誕生したことで話題になった建物です。

日本酒大好きなご亭主殿、ほんの少し目を離したすきに、町歩きの途中で荷物になるのも厭わず、速攻で店内に入り、速攻でお買い上げ😅。

何で目を離したのかって?だって、本店の並びにこの土蔵を見た瞬間、足も目も釘付け。御亭主殿がほんの数分姿を消したからと言って、気が付くはずが有りません。

機嫌よくお店から出てきた御亭主殿、改めて嬉しそうに土蔵を見上げ、デジカメのシャッターを押し続けてます😍。岡山県人ならなじみの深い1970年代のCM。岡山出身の長門勇さんの独特のニュアンスで「『御前酒』飲まにゃあ、ええ酒じゃ」、不意に思い出して一人笑い😊。

四隅上下に施されたなまこ壁の幾何学的な美しさ。一階・二階の土蔵の扉には龍や唐獅子の鏝絵。いや~~~~!眼福

興奮冷めやらぬままに、いつかまた再来できますようにと名残を惜しんだ町の景色。気が付けばこの時からすでに九年の歳月が流れています。

出雲街道の分岐、杉本履物・みやげ店の前に、元禄2年(1689)、嘉永5年(1852)、2012年に建立された「神橋の道標」

「元禄道標」

そもそも、今回の勝山行きは「のれんの町:勝山」のキャッチフレーズに惹かれて立ち寄った筈。それが予想以上の町並みの美しさに、結局のれんの紹介は後回しになってしまいました😅

お店は無論ですが、一般家庭の玄関先にも趣向を凝らした暖簾が下げられており、見て歩くだけでも気分がウキウキ。

どこかのお宅で見かけた素敵な一枚。これがヒントになって、母が若い頃に着ていた羽織をほどき二組の暖簾を作りましたが、我ながら良い出来でした。

これなど、真夏の日差しがきつい玄関先には是非とも拝借したいアイデア。もう袖を通さなくなった絽とか紗の着物が使えそう。

建物のイメージと暖簾の色柄がとてもしっくりと馴染んで、見飽きる事がない町歩き。実際に暖簾だけを見て歩く「勝山のれん街道:暖簾マップ」なんてポスターも見かけました。

暖簾を見ただけで何を商っているかが一目瞭然というのは、正しく暖簾の役目を果たしていると言えるかも。お互いの一押しをという事で、御亭主殿はピースのデザインが染め抜かれた暖簾。

私は「顔郵便マーク」が断然気に入りました😊 。元々は旧郵政省が郵便事業で使用していた記号なんですが、シンボルキャラクターの扱いでも良いと思っています。

訪問日:2013年4月23日

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勝山~町歩き其の一 in 岡山県真庭市勝山

2022年03月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

出雲街道の宿場町・城下町として栄えた勝山。土蔵に白壁、格子窓の古い町並みが残ることから、昭和60年に岡山県初となる「勝山町並み保存地区」に指定。特に何か特別な目的が無くても、ただ歩くだけで心がホッとするような、不思議な優しさを感じさせてくれる「勝山の町歩き」。さて、今日はどんな素敵に出会えるのでしょう😊

明和元年(1764)、『三浦明次』の勝山入部により建てられた武家屋敷群の一つ「勝山武家屋敷館:渡辺邸」。有能な家臣の1人であった『渡辺唐兵衛』は家老格の名門で、当時、百六十石取りだったと伝えられています。

長屋門を入ると母屋、土蔵、井戸などがあり、土蔵には甲冑、槍、衣類、古文書などが展示されているそうです。町歩きの後に時間があれば入館予定。

白壁、黒壁に挟まれた三浦坂をまっすぐに進むと、右手に醤油蔵を改装したアートスペース「勝山文化往来館:ひしお」の建物群が見えてきます。

「ひしお」という名称は、かつてこの場所にあった古い醤油蔵が作っていた「醤(ひしお)」から付けられたもの。木をふんだんに使い、古い瓦を再利用、建物上部に土壁を塗った、和風でいながらとてもモダンな外観。

勝山藩主三浦家の菩提寺、浄土宗寺院「安養寺」の山門。

山門前に置かれていた二体の童地蔵。そんなに古いものではないと思われますが、とても優しい表情で参拝者を迎えてくれます。

山門の屋根から下界を見下ろすのは、口元から牙をのぞかせる鬼。中々に良い面構えで、三浦家五代から十代までの墓所を護っています。

室町時代に始まったとされる「高瀬舟発着場跡」。今でも、旭川沿い約700mに渡って往時の面影が残されているそうです。

旭川の中州によって作られた水辺に下りられるように、各々の家の裏口に作られた玉石積みの石段。川端の町並みでは全国の各地に見られる独特の風景です。

勝山町歩き、もう少し続きます🌸

訪問日:2013年4月23日

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新見市内~あちこちウォッチ in 岡山県新見市

2022年03月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

新見の街歩きは新見の玄関口「新見駅前」から。ロータリーには新見藩初代藩主:関長治のお国入りを伝える 「新見大名行列」のモニュメントが来訪者を出迎えてくれます。

船川八幡宮秋季大祭に合わせて行われる無形民俗文化絵巻「御神幸武器行列」。300年の歴史をもつ新見藩初代藩主:関長治のお国入りを伝える神事。行列が通る沿道の氏子は、清めの盛り砂を作り腰を低くして敬虔に出迎えをするならわしから、「土下座まつり」とも呼ばれています。

この大名行列を題材にしたもの、市内各所で散見されますが、やっぱり梵天を持った奴さんが一番絵になるみたいですね。

「高梁川:新河合橋」親柱の奴さん

新見駅前には室町時代の中期、新見庄に実在した「祐清(ゆうせい)」と「たまがき」の像が建立されています。「京都の東寺から新見庄へ赴任した「代官:祐清」の身の回りの世話をし、祐清を慕っていたのが「たまがき」です。祐清は、年貢の取り立てを厳しく行った為、農民の反感を買い、領内見回りの途中で殺害されました。たまがきは、祐清の死を悲しみ形見分けを請う書状を東寺に送りました。この書状は、現存する中世の農村女性の書いた手紙として貴重な資料であるとして、1997年に「たまがき書状」として国宝に指定されました。」現地案内より抜粋

高梁川の土手にも書状をしたためる「たまがき」の絵があります。

新見御殿町の散策マップと睨めっこでのそぞろ歩き・・とは言え、どこに行くという確たる目的も無いままなので、訊ねた先が何処かなんて全然わかっていません😓

ここは三味線横丁と呼ばれる細い路地。

耳をすませて立ち止まれば、ほら、粋な姐さんが三味に合わせて口ずさむ小唄が聞こえてくるかも・・

御殿町通でなまこ壁の美しい建物を見て

昔の武家屋敷と思われる長屋門を見て・・

由緒ありそうな佇まいのお屋敷を見て・・

ラストは「御殿町センター」。ここで新見市の御殿町について一通りのおさらいをしたら、市内を離れ次の目的地へと向かいます。

訪問日:2013年4月23日

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高梁川の流域のカルスト台地である阿哲台(あてつだい)を中心とする「井倉峡」。あの有名な「井倉洞」や「満奇洞」はこの先にあります。

高さ60mの断崖から落ちる「絹掛の滝」。文字通り白絹を掛けたような神秘的で清浄な美しさにしばし時を忘れ・・上流には高さ12mの「中の滝」、高さ28mの「奥の院」と呼ばれる滝もあるそうです。

絹掛の滝から高梁川沿いを進むと、岡山県指定天然記念物「井倉洞」が見えてきます。

高さ240mの石灰岩の壁面に入口があり、全長1200メートル、内部の高低差90m。1958年に初めて発見され、翌1959年には新見市によって観光地として開発が進められました。

井倉洞のすぐ横の断崖を落ちる、高さおよそ70mの「井倉の滝」。実は井倉洞内の地下水を洞外へ排水するために作られた人工滝なんだそうです。

訪問日:2012年8月8日

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村社:天神社 in 岡山県吉備中央町

2022年03月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

吉備中央町竹部に鎮座される「天神社」。御祭神は『菅原道真公』

由緒「応永元年九月、備中竹部郷の鎮守として創建した。加持家一統が代々尊崇し、社殿を造営し社領として山林数十町歩を寄進するなどの至誠を捧げている。江戸期には備中芦守の藩主豊臣公定公の祈願所として崇敬が篤く、享保二年には公自署の桑華蒙求を献じ社領を奉っている。安永九年、社殿を造営した。昭和二年十月神饌幣帛料供進神社に指定せられた。」岡山神社庁HPより

石段参道の先に隋神門、その先にさらに石段が続き、拝殿が見えています。

隋神門の前左右より神域を守護されるのは、岡山県内では時折見かけるヒキガエル風味の狛犬さん一対。獅子にカエル顔とは無礼な奴!と叱られそうですが、どうしてもこのお顔を見ると、門柱の上で踏ん張る我が家のカエルさんを想像してしまうんですよ。

石段参道の先に開放的な拝殿が見えてきました。

石段下、左右より神域を守護されるのは瓦材なのか、それとも石材に釉薬を塗ったものなのか・・赤光する狛犬さん一対。色合いの所為なのか、沖縄のシーサーを想像させるお顔。

拝殿彫刻は龍と鶴。目一杯コントラストを上げてみましたが、龍の顔の上前方に鶴の顔が見えています。この構図はこれまであまり目にした事がなく、それと気が付いたときはちょっと感動。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、構えタイプの狛犬さん一対。阿形さんは口中に大きな球を含んでいます。このあたりの少し古い狛犬さんに共通する、びっくりしたように見開いた大きな目・・これがが特徴なのでしょうか?

参拝日:2015年4月25日

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鎮守提婆宮(だいばぐう) in 岡山県吉備中央町(旧加茂川町)

2022年03月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

吉備中央町円城、昨日紹介した円城寺の向かって左に鎮座される「鎮守:提婆宮(だいばぐう)」。御祭神は、鎌倉中期に創祀された円城寺の鎮守『提婆天(だいばてん)』

案内には「芸能の神」とありますが、屋根の上には狐の留め蓋瓦・・稲荷神でも無いのに何故に?と調べていくと古くから「加茂の提婆は人をとる」と言われており、呪詛の社としてよく知られている。深夜、提婆宮に参り、境内の古木に呪釘を打つと、この提婆宮の狐が相手に取り付いて殺してしまうという言い伝え。」とあります。それなのに芸能の神・・・・????

???の二人を見て、笑っておいでの鬼瓦😅

木にしがみついているのは猿?・・何で猿??😔❓

拝殿の後ろに続く本殿。予想外の華麗さに思わず感嘆😍。何というかこれだけのものを見てしまうと、お寺と鎮守社、どっちが本家なのか判断に迷います。

芸能であったり呪詛であったりと、色々な性格を持たれる祭神をお祀りしている「提婆宮」。境内の左右より神域を守護されるのは、平たい頭と大きな口が特徴の狛犬さん一対。

吽形さんのギョロ目は、まるで仕掛けた悪戯の成果を待っているように。阿形さんの耳元まで届く口元は、さらなら悪戯を企んでいるかのようで、とても印象に残った一対。

絶対に何か悪戯を相談している!!

境内の一隅に『岸田吟香(岸田劉生の父)』が円城寺に参詣した時、鎮守提婆宮の護摩堂の白壁に、「深山大沢必出龍蛇・垪和住人」と、落書きしたといわれており、その落書きが「岸田吟行落書壁」として残されています。・・・でも落書きですよね・・・

参拝を終えて境内を辞するときに見かけた鳥の巣箱らしきもの・・ああ、きっとあれは「ブッポウソウ」の巣箱。鳥の姿を見る事は出来なかったけれど本当にこの境内の森に棲んでいるんだね。

参拝日:2015年4月25日

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円城寺(えんじょうじ) in 岡山県吉備中央町(旧加茂川町)

2022年03月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

吉備中央町円城に門を構える天台宗寺院「本宮山:円城寺」報恩大師が建立した備前四十八ヵ寺の一つ、院号を観音院とし『千手観音菩薩』を本尊とします。

「霊亀元年(715)、東大寺創建の勧進にかかわった『行基』が本宮山山頂付近に開基した正法寺が起源。鎌倉中期の弘安五年(1282)に大火災に遭い、山上の全堂宇を焼失。 大火の翌年現在の地に移して再建され、円城寺と改称。現本堂は弘化三年(1846)の再建。内、中、外陣とも格子天井で一格子間ごとに極彩色の絵がはめてあり、一枚ごとに奉納寄進者の名が記されている。」公式HPより

徳川末期の再建と伝えられる、鎌倉中期の様式を深くとどめた二階造りの楼門。

本堂の向かって右手に建つ「阿弥陀堂」。旧阿弥陀堂は天保五年の再建と記され、十年余り仮りの本堂とされていました。本堂落慶の後そのまま新たに他所から弥陀三尊を迎えて本尊とし、阿弥陀堂として伝えられてきましたが、昭和48年に総桧造り:寄せ棟銅板葺に改築されました。

正面御拝の桁の上にある彫刻は雲龍に松と仙人の構図で精巧なノミ跡は大工棟梁「邑久郡宿毛村、田淵栄造源勝永」の作。

内陣入り口の彫刻

本堂外陣の格子天井。

格子に描かれた極彩色の天井画はどれも美しく繊細で、出来ればすべてを画像におさめたいほどですが自粛😅。

鐘堂は、楼造り二間四面、瓦葺。焚鐘は昭和35年に再鋳されたもので、重さは、百八貫(405k)。

宝篋印塔と石仏

参拝日:2015年4月25日

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大浦(おおうら)神社 in 岡山県浅口市寄島

2022年03月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

浅口市寄島町に鎮座される「大浦(おおうら)神社」。御祭神は『応神天皇・仲哀天皇・神功皇后』。通称「八幡様」と称されます。1927年建立の花崗石製明神鳥居は、2019年9月に登録有形文化財に指定。

社号標の文字は、岡山県出身の『犬養毅』元首相の揮毫による鳥居額の文字を、社号標ように拡大して刻んだもの。

由緒「その昔、神功皇后が三韓遠征凱旋の帰途、備中の国の沖合いに来ると景色の良い島々があったので、お立ち寄りになりました。この後、皇后が立ち寄られたこの小島を「寄島」と呼ぶようになりました。 そして、いつの頃からか不思議なことに、この島の西南の海中にひょっこり三つの小島ができました。里人は「この島は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三柱の神のお姿である」と敬い、「三ツ山」ととなえ、小さい祠(ほこら)を建てました。これが、大浦神社の起源であるといわれています。明治2年、八幡宮から大浦神社に改め、寄島町・笠岡市大島・里庄町の氏神様として現在に至っています。」公式HPより

「『神宮皇后』が三韓征伐から還御の時(250)、御舟を寄せられて天神地祇を奉祀された「三ツ山(三郎島)」。その後(997)、安部晴明がその霊地に応神・仲哀・神功の三神をまつり地方の氏神としたと伝える。永祿年間(1558~1569)、細川下野守通董(鴨山城主)が地頭・領家をして三郎島から現在地に遷祠。」岡山神社庁HPより

高さ10m、長さ15m、相互に約6mの間隔をおいて規則正しく並ぶ三郎島、干潮時には三つの島へ本土側から歩いて渡る事が出来ます。

表参道鳥居の内より神域を守護されるのは、私好みのびり口が可愛い浪花系狛犬さん一対。いつも思うのですが、阿形さんのこの口元、本当に可愛い!

拝殿

本殿の左右より神域を守護されるのは、昭和2年(1928)10月1日建立の、広島型玉乗り狛犬さん一対。鋭い眼光と親父っぽい顔、手にした玉とのギャップがまた良い😁

本殿彫刻・渦巻く波に鯉・・漁村だと鯔(ボラ)かも。

「祭典は往時、細川家・池田家より役人が立会し、神馬40頭を勤めさせ、当日は茶場を設けて領主が参詣の時、古式により献茶さ碗で接待した。現在は地頭・領家より各1頭を神馬として選び神幸還幸の際、往時に従い奴・御舟・千歳楽と共に神輿を奉迎し、宮入り神事の後、地頭・領家の馬宰領のもと競馬十二懸神事(町無形文化財)等諸種の神事の盛観は地方まれにみる特殊神事として知られている。」岡山神社庁HPより

参拝日:2014年4月2日

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