「霊峰:飯豊山(いいでさん)」の南麓に位置し、阿賀川が悠然と流れる山紫水明の里に門を構え、極楽浄土を願う善男善女の願いを受け止めてきた「鳥追観音堂・如法寺」。
海老虹梁・頭貫・木鼻・手挟み・・・龍の背中に乗った武人、相対するのは麒麟の手綱を曳く人物。どの部分を見ても思わずため息が出る彫刻の数々に、ついつい時間を忘れて見入る二人。
そして・・何と!こちらには『左甚五郎』が刻んだと伝えられる「如法寺の隠れ三猿」と呼ばれる彫刻があるとの事。公式HPには「観音の大慈大悲に祈願してこの三猿を探し得れば牡丹の蕾が花開くように幸運が開き「福マサル」といわれています。」。
最初の猿を見つけたのはご亭主殿。松の枝間から獰猛な目を光らせて猿を探す鷹。ここでの鷹は災難を象徴します。
松の葉陰に身を潜め、息を殺してやり過ごそうとする「隠れ猿」
二つ目は私が発見。猿を見失った鷹は辺りを見回し、やがて猿の事など忘れて次の獲物を探します。
無時に逃げおおせ、僅かに安堵の息を漏らす「逃れ猿」
三匹目はかなり難渋しましたが、それでもちゃんと見つける事が出来ました。最初は「まさかみたいだけど、あれじゃないかな?」「あれかな?」「あれだと思う」「本当にそうかな?」「うん!あれしかないよ!」
綺麗な牡丹の手挟み、パッと見では牡丹の蕾と見間違いそうな・・その突端の上に見える小さく柔らかそうな影。
花茎の間から見えるのは、幸せそうに手枕で寝ている「安楽に暮らし猿」。
何とか三猿を見つけてひとまず安堵、やっとその他の彫刻をゆっくりと愛でる事が出来ました。まずは定番中の定番ともいえる、迫力満点の獅子に牡丹。
百獣の王である「獅子」、百花の王と言われる「牡丹」の取り合わせは寺社彫刻の王道と言っても過言ではありません。わずかに残る獅子の口中と牡丹の朱が得も言われぬ雰囲気を生み出しています。
これも寺社彫刻には必須の龍。龍は水を司るものとして火災除けの呪いも有ります。
龍と言えば虎、共に均衡した力を持つ二頭は、互いに対立し合う英雄の象徴とされています。
場所の関係だったか、日差しの関係だったのか・・多分同じ方向からの画像なので場所的なものが大きく作用したと思われる貫の「獅子」。こちらにもわずかに朱の跡が残されています。
麒麟と言うよりも龍に近いような、それでも間違いなく蹄を持った「麒麟」です。
鳥追観音の由来
奈良時代、天平八年(736)の春、僧行基は会津巡錫(じゅんしゃく)の折、野沢のとある農家に宿されました。行基は、子にも恵まれず、鳥獣害による不作の貧苦で悲歎に暮れる農夫を憐れみ、念持仏である一寸八分の聖観音のご尊像をお授けになられました。以来、観音様は自ら鳴子の綱をお引きになり鳥や獣を追い払い、やがて一家は子宝を授かり、豊作に恵まれ、幸福な人生を全うし、観音様の導きにより、西方浄土に安楽往生が叶いました。やがて衆生は、この観音様を「鳥追観音」と尊称し、篤い信仰を集めました。
参拝日:2016年6月19日