車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

憧れの大内宿へ in 福島県下郷町

2025年01月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

下郷町大内、会津若松から今市に至る会津西街道(下野街道、南山通り)の宿場として栄えた「半農半宿」の宿場「大内宿」

江戸時代に会津若松市と日光今市を結ぶ重要な道の宿場町として栄えた宿場町は、今も往時の面影そのままに、茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並びます。

私たちは県道131号線から薬水の駐車場に車を置き、おおよそ観光地らしからぬ道を辿って宿場内に向かいます。

生憎の雨予報で右手には傘、左手に自作の街道町歩き図。七月初めと言うのに七分丈のジーンズが寒そう😥

そうして見えて来た集落の佇まい。生憎のというより、雨模様の下だからこそ見られる、しっとりと水を含む茅葺屋根はまた格別の風情。

大内宿の入り口ともいえる場所に建てられた鳥居は『弁財天』が祀られる「厳島神社」。申し訳なくも、鳥居下からの拝礼で失礼いたします🙏🙏

石段の横、山際に沿って建立されていた幾つもの石碑。読み取れたものは「辨財天」「白湯山」・・・

宿場に入った二人を迎えてくれた茅葺の大きな建物は「扇屋分家:浅沼食堂」さん。庭先左手には「湯殿山」の碑。

弁財天への石段よりも更に急な石段の先は「子安観音堂」「大内宿見晴台」に至ると言う事で、ご亭主殿の他にも沢山の人が石段を上っていきます。

ところが茅葺の御堂に参拝者の姿は皆無。その分、ゆっくり二人分のお参りが出来たと、これはご亭主殿の弁。

私の為にとご亭主殿が写してきてくれた境内の写真、どれも静謐に満ちて感動でした。

では、先ほど石段を登っていた方達は何処へ?。もちろん、見晴らし台から見るこの景色がお目当て。

福島県の車泊旅最終日、感動と根性で頑張ってはいるものの、流石に処方された痛み止めも「無理」を押し通すには力不足。いや、薬の所為じゃないのは十分承知しております😣 そんな訳で、私は指をくわえ、否、傘をさし、碑と並んで下界で待機・・😭

感動に満ちた大内宿・宿場歩きはこれからですが、続きは明日のブログで

訪問日:2015年7月3日

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塔の岪(へつり) in 福島県下郷町弥五島

2025年01月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

下郷町弥五島下タ林、南会津東部を流れる阿賀川が形成する渓谷で、大川羽鳥県立自然公園の一角を占める「塔の岪(へつり) 」

Wikipediaによれば「一帯は第三系凝灰岩、凝灰角礫岩、頁岩などが互い違いになっており、その軟岩部が長年の歳月による侵食と風化の作用によって形成された柱状の断崖」と紹介されています。会津地方の方言で「険しい断崖」を意味する「へつり」。太古百万年の歴史が創り出した「へつり」。岩壁が浸食され、その岩壁が塔のように並んでいることから「塔のへつり」と呼ばれるようになりました。

全長200メートルにわたって、大規模な奇岩が整列し、主なものには屏風岩、烏帽子岩、護摩塔岩、九輪塔岩、櫓塔岩、獅子塔岩、鷲塔岩などがあり、これらの岩を巡るように通路が彫られています。しかし経年による崩落等のため、吊橋を渡している舞台岩周辺以外は立ち入り禁止となっています。

総体的に橋は苦手で、中でも吊り橋は泣くほど怖い私ですが、一期一会のこの絶景の為なら、ありったけの根性を振り絞る値打ちは充分にあります。

藤見橋を渡って左の階段を下がり、岩肌に沿って歩くと石段があり、その石段を登った先の岩穴に「虚空蔵菩薩」が祀られています。

岩屋の奥には沢山の積み石が並べられています。誰がどんな願いで・・どのような想いを抱いて小さな石を積み上げたのか、その向こうにある人の願いを思う時、私もまた手を合わせずにはいられない気持ちになるのです。

赤い幟の先にある石段を上ると、大同2年(807)、坂上田村麻呂による創建と伝えられる虚空蔵堂があり、運慶が一刀三礼にて彫ったといわれる『虚空蔵菩薩』が祀られています。「智恵を授かる仏さま」・・さて、私たちが望む知恵とは何でしょう。

お堂を後にして再びへつりの下に立って見上げる。どれほどの力がこれほどの世界を作り上げたのか、気の遠くなる歳月などという、そんな生易しいものでは無い。そんな人知を超えた世界の中に立つ自分の存在を改めて確信するのです。

まるで巨大な獣の横顔、何と優しく何と雄々しい。それは例えばこの世とあの世とを行き来できるという伝説の聖なる獣。

鎌首を緑の水に預けてまどろむのは長首の竜。夢の中の竜は、きっと空高くを飛んでいるに違いない。それとも水底深くを駆け巡っているのか?

悠久の時が作り上げた不思議な道は、もう既に人の通る道では無くなった。けれどその道は、濃い緑の木々に包まれて確かに存在し、昔なじみの風だけが何のためらいもなく吹き抜けていく。

崩落の為に立ち入り禁止となった場所。この岩が何と呼ばれていたのか分からないけれど、きっと勇ましい名前が付けられていたのでしょう😊。

名残惜しさはどんな場所にだって付きまとうもの。そうして名残惜しさの分だけ、二人の思い出は膨らんでいく。この日の光景をきっと忘れない。私にカメラを向けるあなたの笑顔を、絶対に忘れない。

藤見橋を渡り終えたら、この不思議な世界ともお別れ。こんなに素敵な場所に連れてきてくれて有難う。立ち去りがたい想いは何時だってついて回るもの、ここだけが特別じゃない。それでもやっぱり、とびっきり特別な場所になったのは確か。

訪問日:2015年7月3日

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塔のへつり駅 in 福島県下郷町弥五島

2025年01月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

下郷町弥五島下タ林にある国指定天然記念物「塔の岪(へつり)」。目的地からさほど遠くない場所にあるという事で、スタートは会津鉄道:会津線の「塔のへつり駅」から。茅葺屋根が良い雰囲気の入り口には「塔のへつり駅」の文字。ちゃんとここで間違いないですと、その存在を主張しています。

右手に見える石碑にも「天然記念物塔」・・そこから下は、どうやら埋もれてしまったみたいですね😅

時刻表によれば、電車が入ってくるまでにはまだ間がある様子。特にこれと言って特別な何かがある訳ではないけれど、この鄙びた独特の雰囲気がたまりません😄

ホームにいるのは私と大きな「こけし」だけ・・こけし~??何故にこけし!!。で、調べたら、手前の弥五郎駅前には「奥会津こけし」などを製作販売する工房があるとか。でも暗闇で見るとちょっと嫌かも😱

電車が近づく気配に駅舎に戻れば、可愛くラッピングされた電車が。流石に午前8時前と有って乗降客の姿はありません。

駅舎の外から見送るラッピング電車。向かう先が深い緑の中だからなのか、それとも遠く離れた見知らぬ土地だからなのか、去ってゆく電車は何故か郷愁を呼び起こす気がする・・

線路の先は「湯野上温泉駅」・・温泉かぁ~、たまにはスケジュールに追われないでのんびりと温泉三昧もしてみたいね。・・多分無理だろうけど😓

駅から「搭のへつり」までは、この林のような道を突っ切ればすぐ・・の筈。私たちは車なので、へつりの大駐車場へ。

新観光名所福島三十景にも登録され、大切な会津のお友達が絶対に外せない名所として紹介してくれた「搭のへつり」。

明日のブログは、思わず息をのむ絶景「搭の岪(へつり)」です。

訪問日:2015年7月3日

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奥会津博物館:南郷館 in 福島県南会津町(旧南郷村)

2025年01月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町界川久保にある「奥会津博物館 南郷館」。館内には伊南川の漁撈用具、奥会津の燈火用具、麻織用具と麻製品、屋根葺用具と火伏せの呪具、南郷の歌舞伎衣装が展示されているそうですが・・毎度のことながら、時間が足りません😅。

今回のお目当ては、博物館の敷地内に保存展示されている二軒の民家の見学。小さな水車小屋を横目に見ながら奥に・・

夏だというのに肌寒い雨の所為で辺りは薄暗く、やはりこの辺りは山深いのだと再認識。積み上げられた萱は屋根の吹き替え用に用意されたものでしょうか?。

保存されている曲家は町指定文化財の「旧斎藤家住宅」。天明年間(1780~)建築で、桁行7間半、梁間4間の母屋に下手土間前方に間口3間、奥行き3間半の角屋を突き出しています。

続いては県指定重要文化財の「旧名主家住宅:山内家」。宝暦3年(1753)の建築で桁行7間半、梁間4間の母屋に下手土間前方に間口3間、奥行き3間半の角屋が・・・とは言え、この状態では何が何やら😱

残念な結果に終わってしまった「奥会津博物館」の茅葺住宅見学。まぁ長旅の予定の中では・・・ままある事です😭

訪問日:2015年7月1日

 

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伊南川の屏風岩 in 福島県南会津町(旧伊南村)

2025年01月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町大桃平沢山地内、国道352号からでも一際目を惹く「屏風岩」

何千年もの長い年月をかけて、伊南川の急流が作り上げた景観。むきだしの岩肌に彫りあげられた奇岩や怪岩がそそり立ち、その様はまさしく人知の及ばぬ神の造形。

岩肌を走る水は、気の遠くなる程の歳月をかけ、やがて幾筋もの道を作り上げ、白く色を変えて下流へと向かう。

そうして別れた筈の幾筋もの水は、互いを恋しがってまた一つになろうとする。出会いの瞬間、透明であるべき筈の水は真っ白に渦巻き、歓喜にしぶきを上げる。

ここは、流れゆく水が自らの休息の場として作り上げた一画。木々を映し、青い空を映し、どこまでも神秘で、どこまでも静謐に満ちた場所。

水の底にも都の有りましょうほどに・・ふと、滅びゆく貴人の言葉を思い出す。覗き込む事がはばかられるような・・そう、多分それ以上近づいてはいけない。何故だかそう思う。

名残惜しくはあるけれど、長居をしては先に進めない。

紅葉の名所としても有名で、遊歩道も整備されている「屏風岩」。お弁当など持参していれば少し早いお昼に出来たのにね。それにしても・・・今だにお店らしきものに出会え無い😓

訪問日:2015年7月2日

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大桃の舞台 in 福島県南会津町(旧伊南村)

2025年01月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町、旧伊南村大桃居平に鎮座される「駒獄(こまがたけ)神社」の境内に建つ農村歌舞伎舞台「大桃の舞台」

幕府直轄の天領だった江戸時代に農民歌舞伎が行われていた舞台で、現存する農村歌舞伎舞台は、明治28年7月9日の再建。国の重要文化財に指定されています。

江戸時代に隆盛した伊勢参りの際に、江戸で見た歌舞伎を村に持ち帰ったのが始まりと伝えられる「農民歌舞伎」

舞台の間口7.64m、奥行き8.56m。正面上部に破風をのせ、正面の小廂がついた切妻造で、全国でも珍しい兜造の茅葺き屋根。

舞台の中央部は、平舞台より一段高い固定二重二層機構の舞台で、上の二重の前後には唐紙をいれることができます。その奥は二重下の面と同じ高さに床が張られ、楽屋として使用。かっては、舞台上手に張り出してゲザと呼ばれる太夫座が常設されていましたが現在はなくなっています。

大桃の舞台は明治40年まで「習(ならい)芝居=地元の人が演じる地芝居)」が行なわれ、その後は「買(かい)芝居=専業劇団の興行や桧枝岐歌舞伎など他の地域の地芝居のこと)」を上演。昭和30年頃まで、毎年3回の宮籠りにも使用されていました。現在では、毎年8月第1日曜に田島祇園祭屋台歌舞伎などの民俗芸能を披露する「大桃夢舞台」が行なわれるそうです。

目を閉じれば、隈取の顔を高く上げ、大きく見得を切るのは・・あれは弁慶か? 白紙の勧進帳を読み上げる弁慶の後方に静かに座る白塗りの人は義経。 主君を守るため、愛しい我が子に毒見をさせるのは乳母の正岡。震える指先、僅かにおののく口元にその苦渋がにじみ出て、客席はシンと静まり・・やがてやんやの喝さい。

耳を澄ませば、どこからか聞こえてくるせせらぎ、有るか無きかの葉擦れ。時折、甲高く木々を揺らしていく、名も知らぬ鳥の声。他は声も無し・・・

訪問日:2017年7月2日

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会津田島駅 in 福島県南会津町

2025年01月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町田島地区で毎年7月22日、23日、24日の3日間開催される田出宇賀神社と熊野神社の祭礼「会津田島祇園祭」。「京都祇園、中の津島(愛知)」と並ぶ日本三大祇園祭の一つに数えられ、お祭りの期間中は4つの大屋台が立ち並び、大勢の観光客が訪れるそうです。

会津田島駅舎内に併設された「会津田島ふれあいステーションプラザ」の一画に展示されていた「会津田島祇園祭」の「子供歌舞伎屋台」

静岡県の島田帯祭りの祭礼もそうでしたが、子供だから、ただ可愛い等と考えるのは大間違い。多分、実際に見る事が出来たら、きっと感動で胸熱くなるだろうと思います。

祭礼の紹介で最も興味を惹かれたのが、祭神である『牛頭天皇(素戔嗚尊)』へのお供え物を運ぶ「七行器(ななほかい)行列」。約40名の花嫁たちが、神の来臨を請うため、漆塗りの角樽や曲物などの七つの「行器」にお神酒・赤飯・塩鯖を乗せ、神前に運ぶ神聖なお行列。絵で見ても荘厳で美しい眺めです。

別の場所にあった「七行器行列」の舗道タイル。国指定重要文化財「会津田島祇園祭」。多分、物凄く感動するだろうと思いつつも・・・流石に福島県は遠いです😥

会津田島駅に戻って、「明日への挑戦」と題された銅像。1995年10月の「ふくしま国体」において、レスリング競技会がこの地で開催されたことを記念して設置されました。

駅と言えば電車ですが、かっては日本のどの鉄道にも黒い煙を吐いて走る蒸気機関車の雄姿が見られました。

会津田島駅に情態保存されている「蒸気機関車C11 254号機」。残念ながら実際に運行されているSLには一度も乗車した事がありません。でもこうして改めて見るとやっぱり「カッコ良い」ですね  😍

C11 254号機のすぐ近くに祀られていた「子安観音堂」。8月7日の祭礼日には、駅前広場に櫓が組まれ盆踊りが行われます。

ところでこれ・・・何だと思いますか? 実はこれ「旧田島町の輪郭モニュメント」。高さ10.12mで、1990年10月12日の浅草~会津田島直流電化開業を記念して建てられました。

おや、ピンクの可愛いラッピング電車が入ってきました。「福が満開 福のしま」のキャッチフレーズと共に『んだべぇ・キボッコ・赤べぇ・会津じげん』等々・・見覚えのあるキャラクターが一杯😊

訪問日:2015年7月2日

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堀金家住宅&南泉寺楼門 in 福島県南会津町静川(旧田島町)

2025年01月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町静川風下甲の一画に建つ、登録有形文化財「堀金家住宅(臣の郷)隠居所」

敷地西側、主屋と対になる位置に建ち、建築年代は明治中期頃。2階建・寄棟造・茅葺で南北棟とし、東面と南面に出入口を設け、外観は民家と同様ですが、内部は床・棚を構えた座敷を備えるなど、近代の数寄屋風意匠となっています。

画像右側、母屋の後方に見える土蔵造2階建、鉄板葺の「土蔵」は江戸期(1830-1867)の建築、同じく登録有形文化財の指定。

堀金家住宅は、現所有者が旧農家の屋敷全体を再生し、小・中・高校生の宿泊体験学習用の施設「臣の郷」として活用されています。

堀金家住宅から4分ほど車を走らせた、南会津町静川西ノ沢口乙に門を構える、浄土真宗高田派寺院「松見山:南泉寺」の楼門。参拝は楼門からで失礼させて頂きました。

寛政6年(1794)建立の鐘楼門で、入母屋、茅葺、一間一戸、四脚楼門。江戸時代後期の楼門建築の遺構として貴重な事から2003年に県指定重要文化財に指定。内側に袖壁、上層部には花頭窓、正面中央には「松見山」の山号額が架けられています。

訪問日:2015年7月2日

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奥会津博物館 in 福島県南会津町(旧田島町)

2025年01月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町糸沢西沢山にある「奥会津博物館」。2004年に「奥会津地方歴史民俗資料館」として運営され、2009年より奥会津博物館と名称を変更。歴史、民俗資料の他、自然史等の資料を収集、展示しています。

博物館の東側には昭和63年(1988)にこの地に移築復元された茅葺屋根の古民家「馬宿・染屋・猪股家・山王茶屋」があり、当時の暮らしぶりを垣間見る事が出来ます。

糸沢字今泉平に所在した国指定重要有形民俗文化財「馬宿(旧大竹家住宅)」。享和元年(1801)築の寄棟造・茅葺曲家。下野街道(会津西街道)を自分の所有する馬(1 人 6 頭まで)で、自分の商いの荷など仕入地から目的地まで、駅継ぎせずに行き来した仲付駑者(なかつけどちゃ)専用の宿として利用されてきました。

その昔、ネット友達に「茅葺民家に憧れる」と話したところ、彼女いわく「子供の頃に住んでた家が茅葺で、大人になったら絶対に普通の家に住むと心に誓った!」と力説され、見ると住むの違いを改めて感じさせられました。

通路から見る「旧山王茶屋」の佇まい。

塩江字上坪に所在した町指定重要有形民俗文化財「染屋(旧杉原家住宅)」。江戸時代中期頃より昭和 40 年代まで続いてきた染屋で、屋内には石英安山岩をくり抜いた12個もの藍甕(あいがめ) があります。

本来であれば建物全部を鑑賞したいところですが、予定は目白押し。一か所ごとの移動距離は思った以上に長く、陽のあるうちに予定の車泊地に辿り着く事が難しくなります。

折角の茅葺民家ですが、敷地外からの見学でお茶を濁し、次なる目的地へGO!

訪問日:2015年7月2日

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旧南会津郡役所 in 福島県南会津町(旧田島町)

2025年01月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町田島丸山甲、南会津町の中心市街地を見下ろす愛宕山の麓にたたずむ木造一部2階建ての擬洋風木造建築「旧南会津郡役所」

「「郡区町村編制法」の施行により、明治12年1月、南会津郡が会津郡より分割設置。藩政時代の陣屋が庁舎に用いられた。明治17年会津三方道路が開削され、交通産業経済に大きな発展が期待された。ここに至り郡内の有志は「ソレ本郡既に大道開通シ人智随テ開ケ、郡治上ノ面目モ一変スベキ時機至レリ」として、県に郡役所新築を要望。これが認められ、翌18年工事費7700円(内県費3000円、郡民寄付金4700円)を投じ新築。」公式HPより

大正15年の郡制廃止に伴い、郡役所も廃止。以後、福島県南会津支庁・地方事務所となり、昭和45年田島合同庁舎の落成により合同庁舎隣に曳家移築。「奥会津地方歴史民俗資料館」として利用されてきましたが、同施設の新設により「旧南会津郡役所」に複する事となりました。

疑洋風建築の花形ともいえる二階バルコニー。下見板張りの壁、その左右に並ぶ上げ下げ窓。

見上げる正面玄関、ギリシャ建築を思わせる円柱

玄関扉の上部に輝く扇形のステンドグラス

館内には鴫山城跡や享保5年(1720)の「南山御蔵入騒動」に関する史料などが展示されているそうですが、お目当ては建物だけなので・・・😅

訪問日:2015年7月2日

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