車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 山口県旧由宇町(岩国市)

2024年08月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧玖珂郡由宇町(ゆうちょう)は山口県の東部に位置した町です。広島湾上の甲(かぶと)島の西半部を含み、岩国市、柳井市、周東町に隣接。地名の起こりは、中流にある温泉の「ゆ」が、いつか「ゆう」と呼び慣わせたと云われています。平野部は比較的少なく、由宇川沿いと下流に広がる沖積部に見られ、町内最高地は銭坪山で、大将軍の峰を併立させています。町内にはプロ野球・広島東洋カープの2軍の練習場があり、二軍戦の開催には多くの観客で賑わいます。「町の木:楓」「町の花:百合」「町の鳥:カワセミ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により玖珂郡由宇村、神代村が発足。

1926年、由宇村が町制を施行、玖珂郡由宇町となる。

1955年、神代村大番・城ヶ崎・原・時森地区を編入。

2006年、岩国市・玖珂町・本郷村・周東町・錦町・美川町・美和町と合併、岩国市由宇町となりました。

マンホールには、「町の木:楓」「町の花:百合」「町の鳥:カワセミ」がデザインされています。

農業集落排水マンホールには、中央に「町の花:ユリ」、周囲に「町の木:カエデ」がデザインされています。

「町の木:楓」「町の花:百合」、優雅に泳ぐニシキゴイがデザインされた消火栓。

「町の花:百合」と、優雅に泳ぐニシキゴイがデザインされた仕切弁

昭和27年(1952)4月1日制定の町章は「「由宇」を亀の甲に図案化したもの」

撮影日:2015年11月17日&2017年11月27日

 

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ご当地マンホール in 山口県旧錦町(岩国市)

2024年08月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧玖珂郡錦町(にしきちょう)は山口県の北東部に位置した町です。周南市、本郷村、美川町に。また県を跨いで広島県廿日市市、島根県益田市、吉賀町に隣接。山口県下では最も標高の高い地域にあり、 西中国山地国定公園の西の雄で、山口県の最高峰「寂地山」を擁し、錦川とその支流の宇佐川が町内を流れ、その川沿いに町域が開けています。「町の花:しゃくなげ」「町の鳥:カワセミ」を制定。

宇佐川の支流である寂地川の豊富な湧水は古くから地元住民の飲料源や特産物であるわさび栽培に利用されており、日本名水百選に選ばれています。また寂地峡(竜ヶ岳峡)には「日本の百選」にも選ばれた「寂地峡五龍の」があり、多くの観光客に人気となっています。

明治22年(1889)、町村制の施行により玖珂郡広瀬村・深須村・高根村が発足。

1940年、広瀬村が町制を施行、玖珂郡広瀬町となる。

1955年、広瀬町・深須村・高根村が合併、玖珂郡錦町が発足。

2006年、岩国市、由宇町、玖珂町、本郷村、周東町、美川町、美和町と合併し、岩国市錦町となりました。

マンホールには「町の花:シャクナゲ」と「オシドリ」、下に「アマゴ」がデザインされています。

昭和34年(1959)10月1日制定の町章は「「ニシキ」を図案化したもの」

岩国駅 - 錦町駅間で運行される「錦川鉄道錦川清流線」。終点の「錦町駅」駅舎

カワセミがデザインされた綺麗なラッピング電車が入線しました。NT3003「こもれび号」だそうです。

観光パンフレットで見た夢のような景色。山々の緑に染まった水の色、三色のラッピング電車の行く先は、きっと幼い日に夢見たおとぎの国かもしれません。

撮影日:2012年11月12日

 

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ご当地マンホール in 山口県旧玖珂町(岩国市)

2024年07月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧玖珂郡玖珂町(くがちょう)は山口県岩国市の南部に位置した町です。岩国市、周東町に隣接。北部は山地、南東部は丘陵地、南西部は玖珂盆地の東半部で、島田川支流である笹見川と水無川が南西に流れ、それらの川で形成された扇状地を中心に町が開けています。町内の西部臼田地区には、古墳時代の遺跡があり、他にも早くから人の住み着いた痕跡が残されています。

玖珂の名は、奈良時代(第44代元正天皇)に、当地から玖の玉(黒瑪瑙)と珂の玉(白瑪瑙)の2霊玉が出現したという伝説があり、それが町名の由来と云われます。「町の木:モミ」「町の花:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により玖珂郡玖珂村が発足。

1924年、玖珂村が町制を施行、玖珂郡玖珂町となる。

2006年、岩国市、由宇町、錦町、本郷村、周東町、美川町、美和町と合併し、岩国市玖珂町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:ツツジ」がデザインされています。

昭和36年(1961)3月30日制定の町章は「「ク」と「ガ」を図案化したもの」

鞍掛城まつり」のマスコットキャラクター『鞍隆くん。戦国時代に城があった鞍掛山と、鞍掛合戦を勇敢に戦った武将「杉隆泰」にちなんで名づけらました。たくましくて、優しい男の子。お祭りや行事のお手伝いに大忙し♪・・と、申しております😅。

撮影日:2015年11月18日&2017年11月27日

 

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ご当地マンホール in 山口県旧周東町(岩国市)

2024年07月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧玖珂郡周東町(しゅうとうちょう)は山口県の東部に位置した町です。岩国市、周南市、柳井市、光市、玖珂町、美川町、由宇町、田布施町の飛び地:小行司に隣接。町の中心となる高森地区は、玖珂盆地西部の商業、交通の中心で、国道2号が通じ、岩徳(がんとく)線周防高森駅があります。中世は「椙杜庄(すぎのもりしょう)」といい、近世には山陽道の宿駅として栄えてきました。

「町の木:ヒノキ」「町の花:梅」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により玖珂郡高森村・祖生村(そおそん)・米川村・川越村が発足。

1924年、高森村が町制を施行、玖珂郡高森町となる。

1955年、高森町・祖生村・米川村・川越村が合併、玖珂郡周東町が発足。

2006年、岩国市・玖珂町・由宇町・本郷村・錦町・美川町・美和町と合併、岩国市周東町となりました。

マンホールには町章を中心に、十字の四分割で「町の花:梅」がデザインされています。

昭和36年(1961)11月1日制定の町章は「「シ」を図案化したもの」

自治体名が無い防火水槽のマンホールですが、あまり見かけないタイプです。

周東総合支所の敷地内にあった「周防祖生(すおうそのお)の柱松(はしらまつ)」。牛馬安全の祈願を由来とする「周防祖生の柱松」は、祖生の中村・落合・山田の三地区で古来の習俗のまま継承されています。高さ20メートル前後の胴木の先に、はぎのこ・かんなくずなどを入れた円すい形の鉢をのせ、三方に大縄を張って立て据えます。神事のあと、いくつもの松明がその鉢をめがけて投げあげられ、点火・炎上させ、燃える柱松が夏の夜空を焦がすさまは、息を呑むほど美しく圧巻です。柱松の神事は1989年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。

撮影日:2015年11月18日&2017年11月27日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 山口県岩国市

2024年07月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

岩国市(いわくにし)は山口県の内陸部東端に位置する市です。2006年3月20日、旧・岩国市、玖珂郡由宇町、玖珂町、本郷村、周東町、錦町、美川町、美和町が新設合併し誕生しました。広島市と周南市の中間地点に位置し、市の中央を横断するかのように「岩国-五日市断層帯」が通っており、名勝・錦帯橋や国の天然記念物・白蛇(岩国のシロヘビ)生息地で知られています。光市、柳井市、周南市、田布施町、和木町に隣接。また、小瀬川を挟んで広島県:大竹市、廿日市市と接し、県を跨いで島根県:益田市、吉賀町、さらに海上を隔てて愛媛県:松山市に隣接。

岩国市の名の由来は、城山の岩から岩国になったという説があり、本来の岩国は錦帯橋周辺を指していると云われています。「市の木:クスノキ」「市の花:サクラ」を制定。

キャッチフレーズは「豊かな自然と都市が共生した活力と交流にあふれる県東部の中核都市」

マンホールは旧岩国時代の物がそのまま設置されており、便宜上デザインタイプのみこちらに掲載。市章を中心に「錦帯橋、錦川の鵜飼い、岩国城」がデザインされています。

知章が岩国市章に変わった旧周東町のデザインマンホール。十字に4分割し旧周東町の「町の花:ウメ」がデザインされています。

市章と錦帯橋がデザインされた側溝蓋。

岩国の観光大使『はあすちゃん』は、ハスの花をイメージして誕生した妖精。普通のレンコンよりも穴の数が一つ多い「岩国れんこん」をPRするため全国のイベントで活躍中!今日は山口県から来た『ちょるる』と一緒です。

2012年12月13日に開港した、岩国錦帯橋空港のPRキャラクター『ソラッピー』。空を飛ぶのが大好きで、ちびっ子の人気者。ただいま、地元はもちろん、首都圏で積極的に活動中です。

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旧岩国市(いわくにし)は山口県の東、広島湾に面していた市です。由宇町、玖珂町、周東町、和木町、美川町、美和町。県を跨いで広島県大竹市に隣接。江戸時代には吉川氏の治める岩国領の城下町として発展してきましたが、長州藩から永らく支藩として認められなかったため、岩国領が岩国藩となったのは大政奉還後の慶応4年の事でした。

大正14年(1925)に、現岩国駅周辺の麻里布地区に帝國人造絹糸(帝人)の工場が建設されて以降、岩国港を基盤にして山陽パルプ工業(現・日本製紙)、東洋紡績などの軽工業の工場が進出し、「人絹町」と呼ばれる工業地区が発展しました。中国山地に端を発し、広島湾に注ぐ錦川の作った三角州上の岩国飛行場には、海上自衛隊岩国基地、在日米軍(海兵隊)の基地が存在します。

明治22年(1889)、町村制の施行により玖珂郡岩国町(第1次)・横山村・麻里布村・川下村・愛宕村・灘村・小瀬村・藤河村(第1次)・御庄村・北河内村・南河内村・師木野村・通津村が発足。

1905年、横山村と合併、改めて玖珂郡岩国町(第2次)が発足。

1916年。藤河村が分割し、大字関戸・多田・阿品・田原に改めて藤河村(第2次)、大字御庄・大谷・持国に御庄村が発足。
1928年、麻里布村が町制を施行、玖珂郡麻里布町となる。

1940年(昭和15年)4月1日 - 玖珂郡岩国町・麻里布町・川下村・愛宕村・灘村が合併して岩国市(第1次)が発足。

1955年(昭和30年)4月1日 - 玖珂郡小瀬村・藤河村・御庄村・北河内村・南河内村・師木野村・通津村を編入。

昭和30年(1940)9月18日制定の市章は「錦帯橋(五つ反)と桜花を象徴したるものにして白色を以って之を表すものとす。」公式HPより

中央に「岩」の文字がある雨水用マンホール。古いものですが、岩国市の物なのか他の自治体の物か不明。

空気弁

仕切弁

消火栓

側溝蓋

撮影日:2012年月日&2013年4月20日&2015年11月19日&2017年11月27日

旧本郷村・旧美和町に関しては未訪問の為、マンホール画像はありません。

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マンホールカード、頂きました

2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「岩国市」のマンホールカードは、「岩国市観光交流所 本家 松がね」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「錦帯橋」と「鵜飼漁」「岩国城」がデザインされています。

「このマンホール蓋は、本市のシンボルである「錦帯橋」と「岩国城」を、伝統的な夏の風物詩である「鵜飼漁」と併せて描き、中心に市章を配置しました。 錦帯橋は1673年の建造以来変わらぬ佇まいで、多くの人々を魅了してきました。 幕末を描いたドラマなどでおなじみの篤姫が、嫁入りのために上京する途中に回り道をして岩国に立ち寄り、渡橋許可を待ちきれず強引に渡ってしまったという逸話があるほか、各地の大名たちも見学に訪れたという記録から、その美しさは当時から評判だったことが窺えます。 約1万7千本もの和釘を使用し、大工や職人達の熟練の技が光る錦帯橋をぜひご覧ください。」

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周防大島~あちこちウォッチ in 山口県周防大島町

2024年07月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

周防大島町久賀地区、大島大橋を渡って最初に目に留まったのは「椋野漁港」。不思議なもので何十年たっても漁港の風景と言うのは、奇妙な懐かしさを思い出させる。小さな漁師町で育った私にとって、漁船の形が違っていても、周りの景色が違っていても、ただ潮の香りという一点で懐かしい。それは幼い頃に染み付いた「故郷」を思い起こさせるからかもしれません。

437号線沿い、まるでポケットパークのような一画に立つ「大崎鼻灯台 。

眼下に見えた小さな岩礁、向こうにかすんで見えるのは何処だろう? そう言えば故郷の近くにこんな岩礁があって、私はそれを見るのが大好きだった。帰省の度に「そこに在る」事を確認してホッとしたっけ😊

旧大島郡久賀町(くかちょう)は山口県の東端、瀬戸内海に浮かぶ屋代島(通称周防大島)の中央に位置した町です。東と南は嵩山と嘉納山を主峰とする山脈を境として橘町に、西側は文珠山に連なる山脈を境にして大島町に隣接。「町の木:くろがねもち」「町の花:みかんの花」を制定。

「「久賀」の由来は、久賀町字追原に「竜頭様」という神様が祭られていて、村の開びゃく以来の鎮守神であったが、これがいつの頃からか「十賀様」と呼ばれるようになり、この「十賀」が地名となった。しかし、満つれば欠けるの理で、「十賀」が「九賀」に転じ、さらに「久賀」になったものと伝えられている。」旧公式HPより 

久賀町:町制施行100周年記念植樹「クロガネモチ」

昭和5年(1930)12月27日制定の町章は「「久」を中心に、「か」を象形化し、「久」を囲むようにして図案化したもの」

これだけ丹念に下調べして、二度目の訪問では真っ先に庁舎に寄ったのに・・肝心のマンホールが無い・・・一枚も無い😱

訪問日:2013年4月18日&2015年11月17日

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周防大島町安下庄、旧橘地区の県道60号線沿いの海岸にそそり立つ高さ40mの「竪岩」

「仕合わせ祈願所」立岩、巌門、帯石、岩屋の4つの奇岩をお参りして幸せを願う「四岩合わせ奇岩(仕合わせ祈願)」として信仰されています。」現地案内より

安山岩でできた奇岩は、その勇ましさから通称・男岩と呼ばれているとか。岩のほとりの小堂には「馬頭観音」が祀られているそうですが、生憎の雨・・マンホールデザインの「竪岩」のみ写して先を急ぎます。

二年後の旧橘地区、県道4号線沿いの車中で見かけたちょっと気になる素敵な眺め。三つ仲良く並んだ小さな島、グーグルマップで検索しても特に名称は無く、いわゆる無人島の類。後方に見える島影はおそらく「平郡島」。

同じく車中で見かけた光景、見れば碑なども建立されているようですが、子細不明。残念ながら「車は急に停まれません😓」

訪問日:2015年11月17日&2017年11月28日

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周防大島町平野、旧東和地区にある「東和総合支所」に併設して2007年にオープンした「星野哲郎記念館」。同町和佐地区出身の作詞家・星野哲郎氏の作品・資料等が展示されているそうです 。

敷地内には、氏の代表作「三百六十五歩のマーチ」に因んで、一歩目の足跡が記念館の入り口に設置・・・とりあえず最初に目についた二番目の足跡を😅。

訪問日:2015年11月17日&2017年11月28日

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周防大島町庁舎を後にして旧大島地区の県道4号線を走り海岸線へ。車窓から見える不思議な岩の造形に思わずデジカメを向けて一枚。もっとじっくり見たかったのだけど、何しろ「車は急に・・・以下略」😓

訪問日:2017年11月28日

 

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ご当地マンホール in 山口県旧東和町(周防大島町)

2024年07月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧大島郡東和町(とうわちょう)は瀬戸内海の西に浮かぶ屋代島(周防大島)の最東端に位置した町です。西に橘町、東・南は伊予灘から愛媛県に、北は安芸灘から広島県に海を隔てて相対。町の歴史は古く、町内で発見された土器片などから弥生時代の後期には、稲作農耕をする人々が住んでいたと推測され、さらに町の全域が「島末荘(しまずえのしょう)」と呼ばれていた事から、早くから平家の荘園が開かれていた事も判明しています。
三方を海に囲まれているため、県下でも下関市に次いで長い海岸線を有しており、「片添ヶ浜海水浴場」や、青少年旅行村の中にある「逗子ヶ浜 海水浴場」など、季節になると多くの海水浴客で賑わいます。「町の木:鳳来寺サクラ」「町の花:ミカン」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、大島郡油田村・和田村・森野村・家室西方村が発足。

1941年、家室西方村が、大島郡白木村に改名。

1955年、油田村・和田村・森野村・白木村が合併、大島郡東和町が発足。

2004年、大島郡久賀町・大島町・橘町と合併、周防大島町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の木:鳳来寺サクラ」「町の花:ミカン」「鯛」「ミカン」が四分割されています。

昭和35年(1960)5月10日制定の町章は「頭文字の「と」を図案化したもの。

撮影日:2013年4月18日&2015年11月17日

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2013年・2015年・2017年の車泊旅では「道の駅サザンセトとうわ」で車中泊をさせて頂きました。お土産に買った「山口大島みかんジュース」は皆に人気で、行くたびに購入。田舎餅も餡が私好みで、これも必ず購入。夜は専用Pが使えなくて心細く感じたけれど、不思議とお仲間が来るので心強いし。何より「片添ヶ浜温泉:遊湯ランド」まで10分弱という立地は、夜の運転を避けたいご亭主殿には、有難かったそうです。車で旅をする私たちにとってこの様な道の駅は、本当に有難く大切な場所です。改めて、その折には「有難うございました」🙏🙏

訪問日:2013年4月19日&2015年11月17日&2017年11月28日

 

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ご当地マンホール in 山口県旧橘町(周防大島)

2024年07月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧大島郡橘町(たちばなちょう)は山口県の南東部、屋代島(周防大島)の中央部に位置した町です。西は、大島町、久賀町、東は東和町に隣接。嵩山・飯ノ山・沓松の山の尾根を境に、北側の日良居地区は広島湾に面し、浮島、頭島、飛瀬島の3つの島を浮かべ、南側の安下庄地区と秋、吉浦地区は広大な伊予灘に面し、安下庄湾に立島があります。地名の橘とは、温州みかんのことで、嘉永年間に日前村の庄屋 藤井彦右衛門が郡内で初めて温州および紀州みかんの苗木を持ち帰り植栽したことに因むとされます。「町の木:ウバメガシ」「町の花:ミカン」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、大島郡安下庄町・日良居村が発足。

1955年、安下庄町・日良居村が合併、大島郡橘町が発足。

1956年、大島町大字秋の一部を編入。

2004年、久賀町・大島町・東和町と合併、周防大島町となりました。

マンホールには「奇勝立岩」と後方に「空海山」、「町章」。右下に「特産のミカン」がデザインされています。

鹿家地区にある「奇勝立岩」

集落排水のマンホールには、上に「橘町」「町章」。左上に「飛び跳ねる鯛」右下に「特産のミカン」がデザインされています。

中央に「いきいき橘」「町章」。左に「ミカン」、右に「鯛」がアップでデザインされています。

昭和40年(1965)3月11日制定の町章は「橘町をみかんで表したもので、円形はみかんの実で町民の和・平和を、上部の突端はみかんの葉で躍進を、また、中の三角はみかんのヘタをそれぞれ意味しています。」旧公式HPより

撮影日:2015年11月17日&2017年11月28日

 

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ご当地マンホール in 山口県周防大島

2024年07月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

大島郡周防大島町(すおうおおしまちょう)は山口県の最東端に位置し、瀬戸内海の西に浮かぶ屋代島(周防大島)、および周囲の5つの有人島と25の無人島から成る町です。2004年10月1日、大島郡久賀町・大島町・東和町・橘町が合併して発足しました。瀬戸内海に浮かぶ島では淡路島・小豆島に次いで3番目の面積を有し、島と本土とは大畠瀬戸を渡る大島大橋によって連結。柳井市、 岩国市。また松山フェリーで県を跨いで愛媛県:松山市、大洲市に隣接。「町の木:ミカンの木」「町の花:ミカンの花」を制定。

キャッチフレーズは「ひと・まち★きらり 元気 にこにこ 安心で 21世紀にはばたく先進の島」

2005年6月11日制定の町章は「周防大島町のイニシャル「S」と「O」をモチーフに、4町が合併して一つになる様子をデザイン。海の青・山の緑・みかん色で「文化・自然・人」の融合を表し「先進の島」の「発展力・創造力」を象徴している。」公式HPより

2017年の訪問では、中央に新町章のある規格タイプの親子マンホールを一枚見つけただけ😢

周防大島町のPRサポーター『みかとと君』は、周防大島町のお魚とおいしいみかんが合体。『みかきんちゃん』。は周防大島町のおいしいみかんと金魚が合体して誕生しました。周防大島町観光のイメージアップの為に活躍しています。

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旧大島郡大島町(おおしまちょう)は周防大島の西部に位置し、島内では一番広い町域を擁した町です。 町の東側は、久賀町及び橘町に接し、他の3方は海に囲まれ、西部は昭和51年7月に開通した「大島大橋」により、柳井市、大畠町に隣接。気候は概ね温暖で、急傾斜地が多く柑橘栽培の適地であり、 良質のみかんが生産されています。「町の木:桜」「町の花:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により大島郡小松志佐村・蒲野村・屋代村・沖浦村が発足。

1916年、小松志佐村が町制を施行・改称して大島郡小松町となる。

1952年、小松町、屋代村が合併、大島町が発足。

1955年、大島町が蒲野村・沖浦村と合併、改めて大島町が発足。

1956年、 蒲野村大字椋野が久賀町へ編入。沖浦村大字秋の一部が橘町へ編入。

2004年、大島郡久賀町・橘町・東和町と合併、周防大島町となりました。

大島町戸田地区集落排水マンホールには、特産のミカンと瀬戸内海をゆく二隻の漁船がデザインされています。

昭和27年(1952)制定の町章は「蜜柑を図案化し、五枚の蜜柑葉で「大」を象っている」

大島町:自治体名のみの集落排水マンホール

大島町自治体名のみの集落排水マンホール親子タイプ

大島町自治体名のみの仕切弁

「大島町」の自治体名と「町章」がある消火栓。

撮影日:2015年11月17日&2017年11月28日

 

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岩尾の滝 in 山口県柳井市大畠町

2024年07月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

柳井市大畠町神代。R437号線をひたすら下って右折、「岩尾の滝」を目指し、苦手なカーブが連続する山道を走る事しばし・・見事な紅葉に彩られた一画に無事到着😅 「廣濟宗厄難(こうさいしゅやくなん)」の碑に出迎えられました。

紅に染まる眼下には、水音と共に白く輝く三筋の滝。阿弥陀如来の四誓偈の一節「廣濟宗厄難」とは、「広く人々の災いを取り除く」。その文言通り「滝にうたれると脳病・肩こり・腰痛・のぼせ眼・脚気などに効能がある」と古来より云い伝えられる「岩尾の滝:雄滝」

延暦5年(786)、伝教大師(最澄)が摂津住吉明神の神託により神代(現:柳井市大畠)の地に下られ、観音像を刻み御本尊として建立された観音堂(現:岩尾山光明寺)。

川向うに見える赤い橋を渡れば「雌滝・白糸の滝・住吉の滝」に至ると案内にありましたが・・橋は閉鎖されています。

光明寺への参拝を済ませ、黄色く染まった落ち葉の道を進めば、広い一画には「観音の滝」の謂れともなった観音菩薩像、三十三観音碑、宝塔などが奉納され、古よりの崇敬の篤さを伝えています。

私たちの前に神秘的な姿を見せる「雄滝」。滝壺の右手には天然の窟屋へと続く石段が設けられ、窟屋のうちには地蔵菩薩像が祀られています。

高さ16m、二条の水流は駆け下る龍の如く岩肌を濡らし滝壺へと下り、赤く染まった水の中にかき消える・・・それを確かめるいとまも無く、新たなる水龍は飛沫を周囲に降り注ぎながら、先に行った龍の後を慕うように滝壺に落下し、波紋だけを残して・・繰り返されるその様は、時空を忘れる光景。

ご亭主殿の「危ないから!」の制止を珍しく振り切って窟屋まで登り、そして気が付く。違う!龍は滝壺に消えたんじゃない、滝壺から天の高みを目指して登ろうとしているんだと。言葉を忘れて真っ直ぐに向かい合う龍の目が優しく細められ、岩肌に縋りつく私を見返す。

それは今思い返しても不思議な瞬間でした。流れ落ちる滝に、私は確かに白銀に輝く龍の姿を見た・・と、今でも確信しています。

訪問日:2017年11月27日

 

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