車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県加東市

2023年06月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

加東市(かとうし)は兵庫県中央部やや南よりに位置し、播磨地方の東側に位置する市です。市域の東西を中国自動車道が貫き、市の西部を南北方向に一級河川の加古川が流れ、また日本標準時子午線が通る町としても知られています。東に丹波篠山市、三田市、南に三木市、小野市、西に加西市、北で西脇市に隣接。「市の木:桜」「市の花:コスモス」を制定。

2006年3月20日に、旧加東郡社町・滝野町・東条町が合併して発足。市名は、合併によって消滅した旧郡名から取られました。日本一の酒米と言われる「山田錦のふるさと」、また「播州針のふるさと」として有名です。

「播州針」は幕末の嘉永年間、『小寺彦兵衛翁』を元祖として旧東条町を中心とした地域に興ったと伝えられています。

キャッチフレーズ は「山よし! 技よし! 文化よし! 夢がきらめく★元気なまち 加東」

2006年3月20日制定の市章は「人と自然が息づくまち・加東市の頭文字「K」を、合併数を配して図案化したもので、豊かな自然と共生する人々の伸びやかな、活力に満ちたふれあいの田園都市を表したものである。」公式HPより

加東市マスコットキャラクター『加東伝の助』は、「釣り針」を伝えた「小寺彦兵衛」さんの思いを受け継いで誕生した江戸時代の男の子。チャームポイントは加東市の「か」の髪形。市域のあちこちで見かける伝の助君は何故かいつもゴルフをしています(笑)。旧東条町は町の面積に対するゴルフ場面積の割合が日本一、「ゴルフ場銀座」と称される程ゴルフ場が多いのです。

撮影日:2014年12月5日

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マンホールカード、頂きました

2020年6月1日、第12弾として全国53自治体で62種類(累計535自治体667種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「加東市」のマンホールカードは、「加東市観光協会」でいただけます。

1993年に設置開始されたマンホールには「闘竜灘と鮎」「アユッキー」がデザインされています。

「加東市の名勝である加古川・闘竜灘と、そこで飛び跳ねる特産の鮎をあしらったマンホール蓋です。 加東市への合併前に作られたため、蓋中央には旧滝野町のマスコット『アユッキー』が描かれています。 アユッキーは、その名のとおり鮎をモチーフにしていますが、単に特産品を擬人化したわけではありません。 かつて、環境悪化により漁獲量が激減した闘竜灘の鮎漁。 その過去をもとに、彼は、環境保護のシンボルとして誕生したのです。 マンホール蓋をはじめ、あらゆるところで環境保護を訴えた彼の活躍と、下水道などの整備が実り、現在、加東市では、鮎の住める清流が復活しています。」

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県宝塚市

2023年06月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

宝塚市(たからづかし)は兵庫県南東部、阪神間北部に位置しており、西は六甲山系、北は長尾山系に囲まれた市です。市名の「塚」は、「盛り土をした墓(古墳)」を意味し、宮の町地区に門を構える「宝塚山(ほうちょうざん)宝泉寺」の地に、神功皇后の母である『高額比売命(たかぬかひめのみこと)』を祀った古墳があり、この「高額塚(たかぬかつか)」が「宝塚(たからづか)」へ転訛したと言われています(他にも諸説あり)。神戸市、伊丹市、西宮市、川西市、三田市、猪名川町に隣接。市の中心部を流れる武庫川の畔には阪急阪神東宝グループの創始者:小林一三が手がけた宝塚歌劇団の本拠地:宝塚大劇場があり、『歌劇の街』として全国的に有名。「市の木:山茶花・山法師」「市の花:スミレ・ダリア」「市の鳥:ウグイス・セグロセキレイ」を制定。

また漫画家:手塚治虫が青少年期を過ごした町としても知られており、宝塚市武庫川町に「宝塚市立手塚治虫記念館」を設立。全国から多くのファンが訪れています。

キャッチフレーズは、「市民の力が輝く 共生のまち宝塚」

明治22年(1889)、町村制の施行により、川辺郡小浜村・長尾村・西谷村、武庫郡良元村が発足。

1951年、小浜村が町制を施行して改称、川辺郡宝塚町となる。

1954年、武庫郡良元村と合併、宝塚市が発足。

1955年、宝塚市大字荻野・荒牧・鴻池・大野新田を伊丹市に編入。

1955年、川辺郡長尾村、西谷村を編入、現在に至っています。

マンホールには「市の花:すみれ」と、「ベル」がデザインされています。

池田市マンホールサミット展示蓋

名古屋市下水道科学館:展示蓋

下二枚は同一に見えるマンホールですが、外枠に小さく入れられた矢印(↓ ↑)の向きが異なっています。この矢印によって流れの方向を表示しています。

「市の花:スミレ」がデザインされた小型マンホール

昭和29年4月10日制定の市章は「「タカラ」の⽂字を表し ています。 中⼼の太い⾈形の線は、武庫川 をはさんで合併した川辺郡宝塚町 と武庫郡良元村の融和を意味する 架け橋を表現しています。」公式HPより

街歩きの途次で見かけた建物は、昭和10年(1935)に建てられた「旧宝塚音楽学校校舎」。戦前戦後を除き、1998年までの約45年間にわたって、多くの卒業生を送り出してきた施設です。現在は「宝塚文化創造館」として、舞台芸術に関わる市民の活動の場となっているそうです。

中国自動車道:西宮名塩SA記念スタンプ:「宝塚歌劇団のラインダンス」

撮影日:2008年5月17日&2019年8月12日

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2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「宝塚市」のマンホールカードは、「宝塚市上下水道局総務課」でいただけます。

1988年に設置開始されたマンホールには「スミレ」と「ベル」がデザインされています。

「宝塚市の花「スミレ」、観光ロゴマークにも採用された「ベル」がデザインされたマンホール蓋です。 スミレは明るさと清潔感を出すためにスミレの花を中央に大きく、そして音楽の町・宝塚を表現するために楽器のベルを周辺に散りばめ華やかさを演出しました。 蓋のデザインについては汚水、雨水共通です。蓋に書かれている文字は当初、ローマ字表記でしたが、近年ひらがな表記に変更を行い、より分かりやすくしています。 「スミレ」という名の由来は、一説に、花の形が大工道具の「墨入れ(すみいれ・墨壺)」に似ていることからこの名があるとされています。」

訪問日:2018年8月12日

 

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世界の貯金箱博物館 in 兵庫県尼崎市西本町

2023年06月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

尼崎市西本町北通、この一画に尼崎信用金庫職員が趣味で集めたものを元に1984年4月に設立された「世界の貯金箱博物館」があります。古代から現代まで、日本はもちろん、欧米・アジア・中東など世界62ヵ国、約13,000点を超える貯金箱を収蔵する世界最大級の貯金箱博物館。

尼崎信用金庫では、貯蓄と人々の暮らしの関わりを示す資料として「貯金箱」に着目。レンガ作りの初代本店を改修し、昭和59年4月に、収集した貯金箱約600点を展示し「昔の貯金箱博物館」として一般に公開してきました。

その後収蔵点数が増加したため、1990年12月に、2代目の本店を改修。「世界の貯金箱博物館」と改称して拡大オープン。現在、世界62ヵ国約14,000点の貯金箱が収蔵されています。

入口正面のメイン展示コーナーでは、世界中の鳥の貯金箱が展示されています。このスペースは季節やイベントに応じて中身が入れ替わるそうですが、それにしてもすごい種類と数(^^;)

貯金箱と言えば豚さん!と言われるくらい有名な豚の貯金箱。ある時、知人と節約の話になった時「私はピンクの豚さんを太らせるのがとっても苦手なんです」と真顔で言われ、大爆笑した事があります。

鳥も豚も良いですが、個人的に動物の貯金箱と言えば「猫」。招福万来の招き猫さんは何と言っても鉄板中の鉄板!!前列に変なのが二体混ざってきますが、無視してください(笑)

福と言えば何と言っても!(こればっかり)、日本を代表する美人の「お多福さん」。今は「おかめ」とか言われて笑いを誘う担当ですが、平安のその昔は美人の代名詞だったんですよ。

女性ばかりではありません。福を招く事ではピカ一の「福助さん」。古いお店のウインドウなどに、今も時折見かける事があります。

でも福の神と言えば、この御両人の右に出る方はいませんよね。屋根の縁起物になったり、福笹の飾りになったり・・「恵比須:大黒様」のコンビは永久に不滅です。

七転び八起きの「達磨さん」。コツコツとためたお金で欲しかったものを購入できた時の喜びは、きっと最高の気分の筈。

「明治の初め、浅草の今戸焼土人形の一種として生まれた宝珠の貯金箱。如意宝珠といわれ、願望成就の珠、意のままに望みを叶えるといった縁起の良い珠。大きな目的のために小銭を少しづつ貯める器として最初に造られ、縁起物貯金箱の代表的なものです。」公式HPより  こちらでは来館記念として、縁起が良いとされる宝珠の貯金箱がプレゼントされます。

今も昔も、人は何かの為にと一生懸命にお金を貯めていたようです。でも昔は銀行は無論ですが、貯金箱なんて小じゃれた物もありません。そこで床下に銭坪を隠してお金を入れていました。時代劇なんかで、畳をはがして溜まったお金を数える場面が出てきます。

日本のお伽噺、昔話に題材をとった貯金箱。前列、たて島の着物を着ているのは、「ゆるキャラ」選挙の組織投票が指摘されて、グランプリを逃がした「こにゅうどうくん」のお父さんの「大入道」さん(笑) 見れば見るほど多彩で、これで入場無料だなんて太っ腹すぎ!

展示品の多彩さに思いがけず時間を忘れてしまった私たち、信用金庫のマスコットキャラクター『信ちゃん』に見送られて終了です。

「世界の貯金箱博物館」の北側に隣接するのは、2001年6月1日にオープンした「尼信博物館」。2階の常設展示室では、旧尼崎城に関する資料が展示され、復元模型も設置されています。また、世界の貨幣も体系的に展示されており、中々に興味深い内容のようです。

初代:貯金箱博物館として活用された「尼崎信用金庫記念館」。1990年1月5日「尼崎市都市美形成建築物」の指定を受けた記念名盤の下に、記念館の詳細が記されています。

「大正10年6月6日、有限責任尼崎信用組合(現尼崎信用金庫)創業時の本店事務所。初代組合長 小森純一翁所有の建物であったが、戦後当金庫所有となり、創業時を偲ぶ記念館とした。当初、現在の約50m南に建っていたが、新本店(当時・現本店別館)建設に伴い昭和47年、現在地に移し再建した。建設時期は明らかではないが、地元の古老の記憶などによれば、明治30年代には既に小森家の建物の一部として建てられていたようで、尼崎に現存する数少ない明治時代の煉瓦造りの建物として、貴重な歴史の証人である。」銘板より

尼崎市出身・在住の漫画家『尼子騒兵衛』さん作の「あましん・イメージキャラクター『あまちゃん・しんちゃん』。昔の丁稚さんコンビです(⌒∇⌒)

訪問日:2009年9月19日

 

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伊居太神社(いこたじんじゃ)&近松公園 in 兵庫県尼崎市

2023年06月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

尼崎市下坂部に鎮座される「伊居太神社(いこたじんじゃ)」。御祭神は『武甕槌神・天児屋根命・経津主神・姫大神』相殿に『市杵島姫命』。摂津国河辺郡の式内社の伊居太神社の論社の1つとされます。

由緒「創祀年歴は不詳。境内にある「伊居太古墳」は、坂合部連の氏族祖神の古墳とされる。その後古墳上に神社を建立して祖神を崇敬。当初は氏族の首長大彦命之及び子孫を御祭神として、長歳月にわたり祀られたが、藤原氏の全盛期、当地域を支配した藤原の祖神である春日大社を勧請奉祀。人皇第60代醍醐天皇が制定された延喜式神名帳に、川辺郡に式内小社伊居太神社とあるのは、当神社である。古老の伝承によれば昔、春日大社より神の使者、白い神鹿が到来したと云う。明治6年、村社に列せられる。」兵庫神社庁HPより

拝殿の前より神域を守護されるのは、ボールのような毛束と波口が特徴の浪花タイプの狛犬さん一対。三つ房付きの注連縄がとてもよくお似合い。

社殿が建つのは前方後円墳「伊居太古墳」の上とされており、墳丘長:約92メートル・後円部 直径:約46メートル・前方部 幅:約53メートルで、墳丘長は尼崎市内では最大規模。古墳時代中期の5世紀末頃の築造と推定されています。しかし墳丘が削平されていたこともあって古墳に関する出土遺物は見つかっておらず、伊居太古墳が確かに古墳であるとする積極的証拠は得られていません。

「伊居太神社」の近く、尼崎市久々知に回遊式日本庭園風の公園「近松公園」があります。目的はマンホール収集だったので、入り口付近をちらっと見ただけで終了(^^;)

近松の名を冠していますが、入り口近くに『近松門左衛門』のブロンズ像があるくらいで、特に関わりのある場所でもないようです。そうそう、公園に隣接した広済寺には彼の墓所があるそうで、知ったのは帰宅後の事。

園内は春先から水仙や桜が、初夏には池の周囲に菖蒲が咲きほこり、また秋には美しい紅葉など、四季折々の風情が楽しめ、芝生広場、休憩所などがあり、季節ごとに多くの人で賑わうとか・・。基本的に駐車場が併設されていない場所ではゆっくり散策は無理・・まぁ市民の為の憩いの場所ですから・・(^^;)

参拝&訪問日:2009年9月19日

 

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ご当地マンホールとマンホールカードA&B in 兵庫県尼崎市

2023年06月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

尼崎市(あまがさきし)は兵庫県の南東部に位置し、中核市および中枢中核都市に指定。伊丹市、西宮市に、また県を跨いで大阪府大阪市、豊中市に隣接。「尼崎」の地名は、漁業など海に関わる仕事に就く人々を表す「尼」に、地形を表す「崎」を合わせたもので、元は現在の阪神大物駅以南周辺の臨海部を指していたとされます。江戸時代後期の事典『守貞謾稿』にも「摂の尼ヶ崎略て尼とのみも云」と記されており、俗に「尼(あま)」と略して呼ばれます。尼崎藩の城下町を中心に工業都市へと発展を遂げた事から「工都」と号し、立ち並ぶ煙突が町の誇りとされる一方、公害の都市として全国的に有名になりました。しかし近年、工業用排水・生活排水による汚染が著しかった市の中心部を流れる庄下川が、魚の住める状態にまで改善されたとして、2000年度の建設大臣賞「蘇る水100選」を受賞するなど、美化事業に力を入れています。「市の木:ハナミズキ」「市の花:夾竹桃」「市の草花: ベゴニア」を制定。

キャッチフレーズは「ひと咲き まち咲き あまがさき」

明治22年(1889)、町村制の施行により川辺郡尼崎町・立花村・小田村・園田村、武庫郡大庄村・武庫村が発足。

1916年、川辺郡尼崎町と立花村大字東難波・西難波が合併、尼崎市が発足。

1936年、川辺郡小田村と合併し、改めて尼崎市が発足。

1942年、武庫郡大庄村・武庫村・川辺郡立花村を編入。

1947年、 川辺郡園田村を編入。

マンホールには、中央に「尼崎城復元天守閣」、周囲に「市の花:夾竹桃」が描かれています。

尼崎城復元天守閣

市制100周年記念マンホールには「尼崎市市制100周年記念ロゴ」がデザインされています。

以前より設置されていたマンホールには、中央に「庄下川に棲む水辺の生き物」、周囲に「市の花:夾竹桃」が描かれています。

尼崎市役所下水道部経営企画課:展示マンホール

「近松のまち」「あまがさき」の文字と、中心に近松シンボルマークを配したデザイン。近松シンボルマークは、尼崎ゆかりの劇作家・近松門左衛門が生きた時代とその作品を象徴する「マゲ」と尼崎市のローマ字の頭文字「a」を デザイン化したもの。

近松公園の「近松門左衛門:座像」

「やめようポイ捨て」「さわやか運動参加宣言」啓発:デザインストリーマーマンホール。

大正6年(1917)4月26日制定の市章は「尼崎藩の槍印をもとに、工都を象徴する「工」の字と尼崎の「アマ」の字を図案化したものであるとされている。小田村と解消合併した昭和11年(1936)8月3日の市会で新しい市章が決定された。旧市章に小田の「小」の字を組み合せたものであった。」公式HPより

水道用の小型蓋には「市の木:ハナミズキ」と「市の花:夾竹桃」がデザインされています。

側溝蓋

JR西日本:尼崎駅にあったマンホール。中央の知章が何なのか不明です。

右から左の旧書式で「阪急」「下水道」と記されています。

撮影日:2008年5月5日&2009年9月19日

&2017年8月14日&2019年12月14日

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2016年8月1日、第2弾として全国40自治体で44種類(累計64自治体74種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「尼崎市A」のマンホールカードは、「尼崎市役所下水道部経営企画課」でいただけます。(配布を終了)

2016年に設置開始されたマンホールには「尼崎市市制100周年」のロゴがデザインされています。

「尼崎市は、2016年に市政100周年の節目を迎えることを記念し、このマンホール蓋をデザインしました。背景に透かしのように 入れた紋章は尼崎市の市章です。これは、工都を表す「工」と「アマガサキ」の「ア」「マ」を図案化し、さらに小田村との合併(1936年)を 機に丸印を加えたものです。そして前面には「尼崎市政100周年」のロゴを打ち出すとともに、「下水道は浸水防いでます!」のメッセージを 下段にプリントしました。下水道の役割の中で、近年特に重要な浸水対策について、市民や事業者にもっと目を向けていただきたいとの想いから、 雨を連想させるカエルのイラストも添えました。」

配布先マンホール蓋の歴史と種類

訪問日:2017年4月16日

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2019年12月14日、第11弾として全国61自治体で種類(累計自治体種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「尼崎市B」のマンホールカードは、「あまがさき観光案内所」でいただけます。

2019年に設置開始されたマンホールには「尼崎城」と「市の花:キョウチクトウ」がデザインされています。

「尼崎城は戸田氏鉄により1618年から数年の歳月をかけて築城されました。 甲子園球場の約3.5倍にも相当する敷地、3重の堀、4層の天守を据えるなど、5万石の大名にしては大きすぎる城を作らせたことから、江戸幕府は大阪の西の守りとして尼崎をいかに重要視していたかがわかります。 1873年に廃城が決まるまでは、尼崎藩政の中心として、城下町尼崎のシンボルとして威容を誇りました。 尼崎城は尼崎市に縁のある家電量販店の創業者と市民の皆様の寄付によって再び、築城しました。 市で楽しく歴史を学べる施設として整備し、平成31年3月の一般公開を記念してデザインしました。」

訪問日:2019年12月14日

 

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西宮市立今津小学校・六角堂 in 兵庫県西宮市今津

2023年06月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

西宮市今津二葉町「今津小学校」の敷地に、木造下見板張り、寄棟造桟瓦葺2階建の洒落た洋風の建物があります。正門に南面して六角堂校舎が建ち、両翼に別棟の平屋建ての洋風校舎が配された建物が建てられたのは明治15年(1882)の事。

今津小学校の独立学舎として建てられた洋風の近代的な建物。建設費は、当時の今津・津門村の1年間の予算と同額の8000円。その内5200円は村民有志326名の寄付金により賄われ、地域をあげての大事業であったといいます。校舎を洋風建築で建てたのは、明治10年(1877)に布達された「兵庫県公立学校建築法」にて洋風校舎が推奨されていたこと、近くの西宮小学校が既に洋風校舎で竣工し刺激を受けたこと、文明開化の流れのなかで地域の教育にかけた熱意が大きかったことが背景にあったと言われます。

にわかに出現した六角形の塔屋を持つモダンな洋風校舎は近在から見学者が訪れるほど有名になり、それは地域の人々の誇りでもありました。太平洋戦争の戦禍を免れ、小学校の敷地内で校舎建替などに伴い何度か移転された後、現在の「酒蔵通り」に面した位置に移設。小学校校舎、今津公民館と用途は変わってゆき、昭和39年に取り壊しの危機を見ますが、人々の保存すべきという熱い思いにより「幼稚園の園舎」として使われることになり、当時の県知事によって正式に「六角堂」と命名されました。

1998年、校地南側正門横の現在の地に今津小学校学舎として移築改修され、1階は六角堂の歴史資料の展示コーナーと地域の人々へ開放する集会室、2階は視聴覚室として使用されています。

1998年「兵庫県さわやか街づくり賞(建築部門)」を受賞。2021年1月には、地域の景観づくりに重要な役割を果たしている「兵庫県景観形成重要建造物」に指定されました。

黎明期の日本国において、子弟の教育がいかに重要視されていたか、それを如実に物語るのが今も各地に残された学校建築だと思います。愛媛県・  山口県・岡山県・静岡県・ 滋賀県・三重県・石川県・ 山梨県・長野県・福島県・・私達が訪ねた明治の学校建築は、数え上げれば枚挙にいとまがありません。それほどまでに人々は教育を重んじ、また子弟も良くそれに応えてきました。残された校舎建築を見るたびに、人々の熱い思いがダイレクトに心に響き、胸が熱くなります。

訪問日:2009年9月19日

 

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灘五郷(今津郷・西郷)白鹿 in 兵庫県西宮市

2023年06月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

兵庫県の灘一帯にある5つの酒造地「灘五郷(なだ ごごう)」は、神戸市に位置する「西郷・御影郷・魚崎郷」、西宮市に位置する「今津郷・西宮郷」で構成されています。

日本酒造りに適した上質の酒米と、ミネラルが豊富な上質の地下水:宮水に恵まれ、寒造りに最適と呼ばれる六甲颪(おろし)が吹き、そして何よりも製品の水上輸送に便利な港があったことから、江戸時代以降、日本酒の名産地として栄えた灘五郷。

西宮市今津地区の酒蔵地帯:今津郷「大関」・「扇正宗」・「金鹿」などの銘柄が醸されています。甲子園にほど近い「今津港」、ここに「大関」の醸造元『長部家五代目長兵衛』によって文化七年に建之・安政五年に再建された市指定重要有形文化財の「今津灯台」があります。

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西宮市浜脇・用海地区の酒蔵地帯・西宮郷「白鹿」・「日本盛」・「白鷹」・「喜一」・「金鷹」・「灘一」・「寶娘」・「島美人」・「徳若」などの銘柄が醸されています。

西宮市鞍掛町にある、辰馬本家酒造「白鹿記念酒造博物館」。「生活文化遺産である酒造りの歴史を後世に正しく伝える」ことを目的に、昭和57年に設立された酒ミュージアムです。

博物館施設となった酒蔵館は、明治25年に建築された旧辰馬喜十郎内蔵、旧辰馬喜十郎住宅、旧辰馬喜十郎店から成り立ち、入り口近くの轍の上には、酒樽が積み込まれた大八車が展示されています。

立てかけられた道具の数々

酒蔵館には、昭和46年に西宮市指定有形民俗文化財に認定された灘の酒造用具一式517点、 酒造用桶・樽づくりの道具一式167点が展示。

酒樽づくりの様子を再現したコーナー

平成7年の阪神淡路大震災で全壊し、甚大な被害を受けた旧酒蔵館。破壊され散乱する収蔵品の数々・・・・・。

当時、大阪在住であった我が家も、人的被害こそ無かったものの・・あの日の記憶は生々しく鮮明で、今でも何かの瞬間に、砕け散ったコレクションの数々・・お気に入りの食器の破片で流した血の色を思い出してしまいます。様々な痛みにどう自分で折り合いをつけたのか・・・言葉に出来ない多くを飲み込んで、結局、建て替えたばかりの我が家を売却し、新たな終の棲家を今の地に求める事になりました。

再建された「明治の酒蔵・酒ミュージアム」の近くにある、県指定文化財「旧辰馬喜十郎住宅」

Wikipediaによると「日本人大工、山下某に神戸旧居留地の英国領事館を模すように命じたと伝わる1888年(明治21年)築の擬洋風建築。木造総2階建の母屋(外壁2面は煉瓦積)と木造平屋建の附属屋で構成される。列柱を配したベランダや両開き鎧戸など北野町異人館群と同様のコロニアルスタイル建築の特徴を有す。」

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西宮市用海町、日本盛の工場敷地内にある「日本盛酒蔵通り煉瓦館」。日本酒をテーマとし、日本盛のアミューズメントスポットとしてオープンした、ちょっとおしゃれなレストラン兼日本酒のミュージアムです。

ガラスで作る酒器・オブジェなどの制作過程を見学。あれ?酒蔵見学の筈なのに・・・(^^;)

訪問日:2006年8月13日

(※)山田錦の誕生は大正期であるとのご指摘を頂き、江戸時代以降、日本酒の名産地として栄えた灘五郷の酒米「山田錦」の固有名詞を削除いたしました。ご指摘、感謝いたします。

 

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灘五郷(魚崎郷)浜福鶴&櫻正宗 in 兵庫県神戸市

2023年06月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市東灘区魚崎・本庄地区の酒蔵地帯・魚崎郷「浜福鶴」・「櫻正宗」・「道灌」・「松竹梅」などの銘柄が醸されています。

レンガ造りの高い煙突に惹かれて立ち寄ったのは、神戸市東灘区魚崎南町にある「浜福鶴吟醸工房」

こちらでは酒造りの全工程が、ガラス張りの通路越しに見学できると言う事で、さっそく申し込み。

ガラス越しに見る巨大な醸造タンク。

近代的な機械とは対象的に整然と並べられた昔の酒造の道具たち。

フロアの突き当りに展示されていた「飾り樽(祝樽)」。単体だと大きさが伝わりにくいのですが、左右に掛けられた木梯子に登らなければ、樽の上部は見えません。

見学を終えた私たちに、お酒にまつわる楽しい話をして下さった浜福鶴の大将。自慢の一本を手にポーズをとってくれました。下戸の私に勧めてくれた甘酒はとても美味しく、自分用のお土産に(〃∇〃)。

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神戸市東灘区魚崎南町にある「櫻正宗記念館“櫻宴”」

一階はショップとカフェ、二階は酒造道具の展示と酒蔵ダイニングで構成。

二階:響宴蔵町通りは、創醸400年、創業300年の歴史を物語る酒造道具や懐かしい看板ラベル等の展示スペースで、個人的にはこのスペースが一番のお気に入り。ただし・・写真に残すには私のコンデジは相当に役不足(^^;)

ズラリと並ぶのは、未開封の櫻正宗の酒たち。趣向を凝らした酒瓶はライトの輝きの中にお行儀よく整列し、それだけで美しいアート作品。

櫻正宗の名を表す焼き印。

醸造に最も適していると言われる灘の「宮水」、これを発見したのは六代目当主『山邑太左衛門(やまむら たざえもん)』。天保年間、磨きぬかれた灘の宮水を用い、ひときわ精白の良い酒を送り出した「櫻正宗」「江戸一」の看板は、幕府の政策で生み出された「御免関東上酒」など足元にも及ばない、これこそ江戸で一番と言う自負なのです。

寛政年間,、徳川幕府は関八州拝借株を貸与し、関東の商人や農民に「御免関東上酒」の製造を命じ、江戸で直接小売販売を行わせる事で 関東地方の酒造業の保護, 育成を行いました。しかし生き物を扱うかの如き酒造りは成功を収めたとは言えず、殊に最終過程である「火入れのさじ加減」を会得するには至らず、関東の酒蔵品質が飛躍を見せるのは明治時代後期からであったと記録されています。

訪問日:2006年8月13日

神戸市から西宮市と順を追って紹介したつもりが、何故か神戸の魚崎郷が西宮市の後に・・・(^^;) コースの都合で市を跨ぐのは良くある話ですが、きちんとブログ投稿の日付を確認しなかった自分にちょっとばかりショックを・・(笑)

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県西宮市

2023年06月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

西宮市(にしのみやし)は兵庫県の南東部、大阪と神戸両市のほぼ中間に位置する市です。南北に長い市域は、北部の山地部と南部の平野部に分かれており、豊かな自然と恵まれた地理的条件、交通の利便性、数多くの教育・文化施設など、文教住宅都市としての優れた特性を有し、春・夏の高校野球大会が開催される「甲子園球場」のあるまちとしても有名です。尼崎市、伊丹市、宝塚市、神戸市、芦屋市に隣接。

市域には毎年1月9日から11日の十日戎で「福男選び」でも知られる「西宮神社」や、日本三大厄神の一つ「門戸厄神東光寺」など、多くの名所:旧跡を擁しています。えびす神社の総本社である西宮神社の門前町として長い歴史を持ち、江戸時代には西国街道の宿駅が設置されるなど、交通の要所としても栄えてきました。「市の木:クスノキ」「市の花:桜」を制定。

キャッチフレーズは「ふれあい 感動 文教住宅都市・西宮」

明治22年(1889)、町村制の施行により、武庫郡西宮町・今津村・芝村・大社村・甲東村・瓦木村・鳴尾村・有馬郡山口村・塩瀬村が発足。

1921年、今津村が町制を施行して今津町となる。

1925年、武庫郡西宮町が市制を施行、西宮市が発足。

1933年、西宮市が武庫郡今津町・芝村・大社村を編入。

1941年、西宮市が武庫郡甲東村を編入。

1942年、西宮市が武庫郡瓦木村を編入。

1951年、西宮市が武庫郡鳴尾村・有馬郡山口村・塩瀬村を編入。

1969年、平左衛門町を尼崎市へ編入。尼崎市から西昆陽字田近野を編入。

マンホールには、灘五郷の「酒蔵風景」と「甲子園球場」、それに「市の花:桜」が描かれています。

ハンドホールには「市の花:桜」と、汚水をきれいな水に「変える(カエル)」と言う語呂合わせの蛙がデザインされています。

西宮市消防局マスコットキャラクター「猫の消防士:ウーちゃん」がデザインされた防火水槽。他に消火栓もあるようですが未発見です。

大正15年4月1日制定の市章は「篭目紋・六芒星風の形をした「宮」を意味する片仮名の“ヤ”を3つ組み合わせ、中心の篆書体の「西」を囲み「西宮」を表す。」公式HPより

撮影日:2009年9月19日&2017年4月6日&2018年4月6日

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2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「西宮市」のマンホールカードは、「こうしえん観光案内所」でいただけます。

1988年に設置開始されたマンホールには「阪神甲子園球場」「酒樽」と「桜」がデザインされています。

「手前に平成22年に改修される前の「阪神甲子園球場」、その奥に昔ながらの木造の「酒蔵・仕込み樽」を描き、周囲を市花「桜」で飾りました。 西宮市の伝統産業である酒造は室町時代から盛んで、江戸時代の宮水の発見以来、現在も日本有数の酒処として灘五郷の一角を担っています。 阪神甲子園球場は日本初の大規模野球場として大正13年に誕生し、プロの世界では阪神タイガースの本拠地、アマチュア野球界では高校球児の聖地として親しまれています。 桜は市内に名所が多数あり、特に約1,660本の桜が咲き誇る夙川公園の美しさは格別で日本さくら名所100選に選ばれています。 本デザイン蓋を通して、是非、西宮の魅力を感じてみてください。」

訪問日:2018年4月6日

 

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灘五郷(御影郷)白鶴&灘泉 in 兵庫県神戸市東灘区

2023年06月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市東灘区住吉南町、白鶴酒造本社に併設する「白鶴酒造資料館」

明治43年(1910)頃に建造し、昭和44年まで本店1号蔵として稼働していた酒蔵をそのまま資料館に転用。日本酒醸造に関する博物館で、入口には新酒の出来を知らせる酒林と注連縄が張られています。

館内では等身大の人形を使った酒造りの様子が再現されており、道具だけとは違って興味深さもひとしお。

別のコーナーでは、蔵元から酒造りの全責任を任された杜氏集団の生活風景が再現されていたりと、一つ一つに驚いたり納得したり。酒は一滴も飲めない私ですが、日本酒の世界って本当に奥が深く、興味をそそられます。

つま先の冷えを防ぐ為に用いられた藁の雪駄「つまご」

「ガラス製の蓋」

「十升瓶」

膨大な酒瓶のラベルの一部

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神戸市東灘区「灘泉・泉勇之介商店」。初代泉勇之介により、明治15年に創業。銘柄「灘泉」は、立地する灘と姓(泉)に由来し、大震災で付近の酒蔵が全滅する中、昔ながらの姿を残す唯一の蔵元と言う事でしたが、生憎と本日休業の看板が下がっており、外観だけの見学となりました。

灘に残る唯一の木造酒蔵をはじめとした建物類は、国指定の登録有形文化財として、また酒蔵の2階は多目的貸しホールとしても活用されていましたが2013年に廃業。地元では酒蔵を残すための署名活動もおこなわれましたが、実を結ぶことなく取り壊されてしまったそうです。

訪問日:2006年9月23日

 

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