車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード第3弾 in 長野県犀川安曇野流域

2022年05月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

犀川安曇野終末処理場「アクアピア安曇野」では、旧梓川村・旧豊科町・旧穂高町・旧三郷村・旧堀金村の下水処理がなされており、各地区のカラーマンホールも展示されています。

犀川流域のマンホールには「安曇野の道祖神」と「犀川」「常念岳」がデザインされています。

犀川安曇野流域下水道事務所:展示マンホール

安曇野庁舎:展示マンホール

アクアピア安曇野:展示マンホール

 

双体道祖神

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2016年12月1日、第3弾として全国46自治体で46種類(累計109自治体120種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「犀川安曇野流域下水道」のマンホールカードは、「長野県犀川安曇野流域下水道事務所」でいただけます。

1997年に設置開始されたマンホールには「安曇野の道祖神」と「犀川」「常念岳」がデザインされています。

「安曇野には500体を超える道祖神が祀られており、様々な場所で私たちの暮らしを見守っています。 本デザイン蓋は、その道祖神を描いたもの。 背景には、日本百名山のひとつ常念岳とその麓に広がる田園風景をデザインし、安曇野の「水の郷」を未来永劫引き継ぐ願いを込めました。 犀川安曇野流域下水道事業は、流域2市(安曇野市、松本市)の下水を集めて処理する長野県の事業であり、市のマンホール蓋と区別するため「犀川 安曇野」と記載しています。 このデザイン蓋は流域のいたるところで使われていますが、カラー版は少なく、見つけたカップルは幸せになれると言われています。」

訪問日:2017年5月30日

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ご当地マンホールとマンホールカード第1弾 in 長野県諏訪湖流域下水

2022年05月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

長野県(ながのけん)は日本の中部地方に位置する自治体です。群馬県、埼玉県、新潟県、富山県、山梨県、岐阜県、静岡県、愛知県に隣接。海に面していない内陸県で、令制国名の信濃国にちなみ「信州」とも呼ばれています。県庁所在地は長野市。自治体は19市・14郡・23町(阿南町を除いて全て、まち)・35村(むら)を有し、日本の都道府県のなかでトップクラスの長寿の県として知られています。「県の木:白樺」「県の花:リンドウ」「県の鳥:雷鳥」「県の獣:日本カモシカ」を制定。

県内には国宝「松本城」や諏訪の四つの御社、日本最古と伝わる『一光三尊阿弥陀如来』を本尊とする「善光寺 」など多くの歴史遺産を有しています。

キャッチフレーズは「しあわせ信州」

明治4年(1871)、廃藩置県により、飯山県・松代県・須坂県・上田県・小諸県・岩村田県・椎谷県・松本県・高島県・高遠県・飯田県・名古屋県・伊那県・中野県が発足。

1871年、第1次府県統合により、飯山県、松代県、須坂県、上田県、小諸県、岩村田県、椎谷県を長野県に編入。伊那県、松本県、高島県、高遠県、飯田県、名古屋県、高山県が合併し、筑摩県となる。

1876年、筑摩県が分割され旧高山県は岐阜県に編入。伊那県、松本県、高島県、高遠県、飯田県、名古屋県が長野県に編入され現在の長野県が発足。

1889年、市町村制施行にともない、15町376村が発足。

マンホールは流域ごとにデザインが異なり、

諏訪湖流域のマンホールには、「式年造営御柱大祭」の様子がデザインされています。

諏訪湖流域下水道事務所展示マンホール

クリーンレイク諏訪:展示マンホール

「クリーンレイク諏訪:シンボルマーク」。「全体は諏訪の頭文字を、下部の楕円は諏訪湖で、流れいる水を浄化する様子をさわやかにデザインしています。美しい諏訪湖に汚水が流入することなく、流域をガードする流域下水道を象徴しています。」公式HPより

訪問日:2017年5月30日

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2016年4月1日、第1弾として全国28自治体で30種類の マンホールカードの配布が 開始されました。「長野県諏訪湖流域下水道」のマンホールカードは、「長野県諏訪湖流域下水道事務所 」でいただけます。

1990年に設置開始されたマンホールには「御柱祭」の様子がデザインされています。

「諏訪地域に伝わる7年に1度の天下の大祭、信州諏訪・御柱祭がデザインされています。諏訪大社の社殿の四隅に4本の御柱を建てる「建御柱」の様子が描かれており、ここで、奥山から曳行されてきたモミの大木は御神木になると云われています。このデザインのマンホール蓋にはカラーのものと無色のものとがありますが、カラー版は主に歩道に設置しています。諏訪湖流域下水道事業は流域内7市町村からの下水を集約して処理している長野県の事業です。そのため上部には「諏訪湖流域」と明記して市町村の設置する流域関連公共下水道のマンホール蓋と区別しています。」

訪問日:2017年5月30日

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小野神社・矢彦神社の田ノ実祭 in 長野県塩尻市&辰野町

2022年05月29日 08時00分00秒 | 日本の祭り

それは全くの偶然の僥倖。塩尻の三嶋山神社の参拝を最後に伊北ICまで走り、そこで高速に乗ったら後は自宅まで一直線。木曽路の楽しさに話を咲かせていた私達の耳に、何やら面白、妖しいお祭り独特のざわめき!!前方に見える鎮守の森(らしき)場所に、チラっと見える、神社の幟(らしき)白い祭礼幡。そして「らしきもの」が間違いなく祭りの光景とわかった時点で急遽!寄り道決定😆

旧三州街道(国道153号)沿い、塩尻市と辰野町の境に並ぶ二つの神社。塩尻市側が「小野神社」、辰野町側が「矢彦神社」。共に信濃の国二之宮の格式を持ちます。

両社が鎮座する小野盆地は、通称を「頼母(たのも)の里」または「憑(たのめ)の里」とも言い【信濃なる 伊那の郡(こおり)のおもふにも たれか憑(たのめ)の 里といふらん】と万葉集にも詠われ、都人に知られた地であったとか。

この「憑の里」に由来した「小野神社・矢彦神社の例祭」は「田ノ実祭」とも「憑祭」とも称され、九月朔日(現在は十月第一日曜日)に水陸様々な供物を神前に供し、豊作感謝の儀式が執り行なわれます。

私たちの目に一番最初に飛び込んできた祭りの光景は・・・それはもう?!?!?!が入り乱れて😅 気持ちの焦る事といったら。車はご亭主殿に任せて即下車!速攻でデジカメ片手に現場に!

御幣を立てた白木の長持ちに架けられた異様な長さの竿。それを担ぐのは派手で粋な揃いの法被を羽織った若者たち。そうして眼前に繰り広げられる不思議な所作。おそらくはこの祭り独特の行事と思うのですが、息を切らして駆け付けたご亭主殿共々、しっかりと心を鷲掴みされました!

一心不乱にデジカメを向ける私たちに気が付いたのか、所作を終えたメンバーの方たちが揃って手を振ってくれたのが、また無性にうれしく😆。

境外では、先とは違った法被を羽織った方たちのお行列。白木の長持ちに渡されるのは、長い・・長~~い檜の姫竿。長いがゆえにしなる竿を担いで、こうやって町内を巡回するのだとか。

御幣の前の「おかめの面」は何故か頬被り😄。多分ちゃんとした謂れが有るのだろうけど、理由がわからなくても列を進む方たちの所作も含めてとにかく見ているだけで楽しい。

偶然すれ違った方に「粋なデザインの法被ですね」と声をかけると、気軽に背中を見せてくれました。極彩色の風神・雷神を背中にしょって・・ああ、なんか凄く(後姿だけど)男前!!

境内へと急ぐのは、鮮やかな青地の肩一杯に羽を広げる鳳凰の法被を羽織った小粋な団体。彼らの後を追って、祭りの熱気と匂いに満ちた境内へ。

私たちがこの素晴らしいお祭りに遭遇したのは15時30分をいくらか回った頃。奉納相撲の神事があったと思われる土俵も、柱を残すのみで屋根などは片付けられていますが、境内には祭りに必須の屋台が様々な匂いを漂わせています。

弥彦神社神楽殿前の広場には何台かの山車が入っていて、何やら忙しく作業中。どうやら山車はすでにここで何時間かを過したようで、これから境内の外へと移動する様子。屋根にかけられたビニールは、午後から雨の予報の準備かな?

忙しく立ち動く方達には申し訳ないけれども、こんなチャンスは早々巡ってくるものでも無く・・と言う事で山車を背景に記念写真。

で・・・唐突に不思議な髪型、不思議な風体の何やら怪しき人たちを発見。

実はこの方達「雲助の長持ちかつぎ」だそうで、地区の青年団に入ったら必ずやらなければならない掟なんだそうです。おどろおどろしい化粧に、刺青を模した肉襦袢。前に垂れている赤い布は多分「おふんどし」😅 。脚絆にわらじ、腰には実に様々な物がぶら下げられていて、いや~~~もう、これを見せて頂けただけでも、途中下車の甲斐が有りました!!

しかもツーショットでの記念撮影にも快く応じて頂き、もう本当に感謝で一杯です。

「雨沢・友愛團」のメンバー揃っての記念写真。了解を頂いて私も記念に一枚撮らせて頂きました。おどろおどろに化粧された男前の雲助長持ちの方々。後ろにたなびく両の「日の丸」の、何と美しい事!!。ブログに乗せる為、素顔の方はぼかしをいれましたが、ぼかすのがもったいない美人ぞろいなんです。

記念写真が終わったところで、雲助さんたちは長持ちを担いで境内から出てゆきます。先頭の二人は「先棒かつぎ」と呼ばれる方達。

そして一番大変なのが・・・しこたま酒を飲み過ぎて酔っぱらってしまった雲助を演じる「後棒かつぎ」。

千鳥足で長持ちを担ぎながらの絶妙な足運び・・いや普通に歩くのだけでもそれなりの技術がいる筈なのに。で、見ている方は思わずハラハラしつつ、その楽しい仕草につい笑いだしてしまうのです。

先に境内を出ていた山車の列に並び、改めて山車が揃ったところで、今度は各々のダシの前での余興のお披露目。

こちらの山車の上では夫婦漫才かとツッコミが入りそうなお二人の楽しい日本舞踊。飛び交うお捻り😄 周囲は祭りの熱気もまじりあって、灰色の雲も蹴散らす勢い。

その賑わいの中で静かに下界に降ろされる祭礼幟。正装した役員の方々の手によって大切に大切に畳まれてゆきます。こういう場面を見ると、どんなに愉快に羽目を外そうとも、祭りは神事だと改めて感じます。

小野・矢彦の有名な祭りと言えば六年に一度、卯年と酉年の5月に行われる「式年御柱大祭」。社伝では『坂上田村麻呂』の戦勝祈願が叶い、天皇の勅によって御柱を建てたのが始まりとか。諏訪大社の勇壮さに比べ、小野・矢彦は、きらびやかな衣装が特徴とされ、古くから「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と称されたとか。綺羅の御柱・・叶うなら高速飛ばして見に来たいね!

撮影日:2010年10月3日

 

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矢彦(やひこ)神社 in 長野県辰野町小野

2022年05月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

辰野町小野に鎮座される信濃国二の宮「矢彦神社」。上伊那郡五十四か村の総鎮守で、御祭神は正殿に『大己貴命・事代主命』。副殿に『健御名方命・八坂刀賣命』。南殿に『天香語山命(あまのかごやまのみこと) ・熟穗屋姫命(うましほやひめのみこと)』北殿に『神倭磐余彦命(かみやまといはあれびこのみこと)・誉田別命』。明治宮に『明治天皇』を祀ります。

由緒「神代の昔、『大己貴命』国造りの神業にいそしまれました所、御子神事代主命・建御名方命をしたがえて、この地にお立ち寄りになったと伝えられ、暫くの御在所を、彌比古澤の須賀の地に定めました。その後、欽明天皇の御代(539~571)に正殿・副殿を整え須賀の宮と称し、越後一宮:彌彦神社の御祭神を南殿に奉斎し矢彦神社の姿が整いました。白鳳二年(674)天武天皇の御代に勅使を下向、新宮を造営し、正遷宮祭と御柱祭とが七年毎の式年祭と定められました。安徳天皇の御代、木曽義仲が宮材を木曾山林より伐り出し社殿を造営し、以後約七百年にわたって宮材を木曾山林から出材されることになりました。」

正面軒唐破風の拝殿・左右回廊は天明2年(1782)、諏訪立川流の棟梁『立川和四郎富棟』による造営。切妻・銅板葺・平入・白木造で、いずれも長野県宝の指定。これほどの社殿なのに、秋の日暮れは急ぎ足過ぎて画像が今一つ鮮明ではありません。

諏訪立川流の棟梁『立川和四郎富棟』は、「諏訪神社下社・秋宮神楽殿」を手掛けた人物。諏訪の地ではかなりの頻度で彼の残した寺社彫刻を目にします。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、天保13年(1842)建立の狛犬さん一対。瞼の上に深く影を作る前額、鼻下と顎に蓄えた髭もきちんと整えられており、いかにも紳士的風貌。

鮮明な画像を残せない事は時間的なものとその時は諦め、巡って来た二度目の参拝でリベンジを予定。それなのに「拝殿を直しています」の立て札・・😭  もちろん狛犬さんにも会えませんでした。

天保13年(1842)造営の「勅使殿」。切妻・銅板葺・白木造の四脚門で間口1間。同じく長野県宝の指定。

同じく天保13年(1842)造営の「神楽殿」。切妻・銅板葺・妻入・桁行4間、梁間3間で、彫刻は拝殿と同じく『立川和四郎富昌』作。長野県宝の指定。

神楽殿の左右に樅の巨木で作られた「弥彦神社:一の御柱と二の御柱」、裏手には 三・四の御柱があるのですが・・・😓

「宮内庁御寄附神社紀念標」「忠魂碑」

矢彦神社の池畔に芭蕉:句碑【古池や  蛙飛こむ  水のをと 】

「社地境界標・・・かって、小野・弥彦の両社は古くは1つの神社を成していたといわれるが、小野盆地において飯田城主:毛利秀頼と松本城主:石川数正の領地争いがあり、天正19年(1591)に豊臣秀吉の裁定によって盆地が北小野・南小野に分けられたことに伴い、神社境内も分割された。北小野・南小野の境界線は当社南方の小川であるため、両社の境内は北小野の地籍であったが、社叢南半分の矢彦神社が南小野の氏神となり、矢彦神社境内は南小野の飛地という扱いとなり、この状態が現在に至るまで続いている。」

「阿)お侍さんのやる事はよ~~わからんが、まぁ自分の領土を護れん御領主さまには誰もついて来んけに、そういう事もしかたないかもしれんなぁ」「吽)ほやのぉ。神さんのござらっしゃる土地を半分に分けるやなんて、秀吉はんもけったいな事を考えはったもんやのぉ~」・・・・なんてね😅

という事で、明日は小野・弥彦両神社の例祭を紹介します。

参拝日:2010年10月3日&2016年4月26日

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小野神社~其の二 in 長野県塩尻市北小野

2022年05月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

庭園側に設けられた鳥居、今日は祭礼が有るので真榊と紙垂が飾られています。

紋幕が下げられた社務所。華やいだ明かりの中に立ち動く人の気配・・お祭りの夜というのはどうしてこんなに心をワクワクさせるのでしょう。

今日は例大祭と言う事で、特別に小野神社資料館の神宝等が公開されています。思いがけない幸運に大喜びの二人。しかも、恐る恐る訪ねた写真撮影も「構いませんよ」と嬉しいお言葉。とは言え大切な神宝、フラッシュをたくのは気が引けるので、精いっぱいの高感度でコンデジ君に頑張って貰いました。

ショーケースに納められた種々の神宝。一番のお気に入りは「唐猫(狛犬)」さん。

説明では「狛犬はもともと社殿の屋根についていたものが下に降りて、さらに前に出て、現在の位置になった。」とあります。そう、これ狛犬の原型なんですね。

「狐面。製作年代推定室町時代後半 桧材・一本のくり抜。かって本社の祭事に用いられた舞楽面の一つと推定される」・・ショーケース越しに見るお顔は穏やかで優しいのですが、夜の境内で出会ったら間違いなく叫びます😱

手を合わせる人、首をかしげる人、腕組みをする人・・三者三様の姿ですが、説明を残し忘れたため詳細は不明。

謎の人物像😅 同じく詳細は不明。

「銅造千手観音坐像御正体残闕 市の有形文化財に指定されている小さな仏像です。神仏習合時代の小野神社・矢彦神社の祭祀に関わるとされる仏像で、鎌倉時代の作とされます。」

見事な流線を見せる「石槌(石棒)」。古代の剣の一種であったとも言われますがその実態は謎だそうです。

「小野神社の「鐸鉾(さなぎほこ)」は、古くから祭事に使われたとの言い伝えがある。鉾には十二個の鉄鐸が結び付けられ さらに、麻幣がふさふさと結び付けてあり、七年目毎に行われ る御柱祭に一かけずつの麻幣を結ぶ習わしである。この鐸鉾が どのような祭事に使われたかは不明であるが、麻緒が多数取り 付けられており、しかもその古いものはぼろぼろに崩れるほど になっているところから、おそらく一定の祭儀に用いられたこ とが推定される。」境内案内より

資料館の展示は多岐にわたり、いずれも興味深い物ばかり。本当はもっと子細に見て回りたかったけれど、口惜しいかな、時間がたりません。記念写真に気軽に応じて下さった責任者の方、改めて心からお礼申し上げます。

気になっていた境内のあれこれ、6年を経ての参拝で改めて画像に残す事ができました。「本殿に向かって左方に藤池と呼ばれる御手洗池があり、そのかたわらの玉垣内に「御鉾様(おぼこさま)」といわれる石があり、神聖の場として足を踏み入れてはならない磐座となっている。この石は方形で中央に孔があいているが、おそらくこの石に鉾を立て、祭儀のとき神霊を招き降ろした重要な磐座であり、この祭儀に神の依り代として使用した神器ではないかと考えられている。」(境内案内)

画像左「明治天皇 寶物天覧記念碑」。画像右は「頌徳碑」ですが詳細は不明。

参道の小川に架かる「下馬の橋」。案内には「小野神社前の道路が川島川を渡る折に架かっていた石橋で神社参拝などの藩主などもここで馬を下りたといわれている。」

明日は小野神社と同じ境内に鎮座される「弥彦神社」の紹介です。

参拝日:2010年10月3日&2016年4月26日 

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小野神社~其の一 in 長野県塩尻市北小野

2022年05月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

「この顔に ピンときたら コメントへ!!」 と二日前のブログに書きましたが、実はその日の内に「この顔」に遭遇しています。 阿礼神社や三島山神社の超ユニークな狛犬さんに比べると、洗練されてきたのか手慣れて来たのか、より狛犬らしくなっていますが、阿吽の後姿(尾)が、絶対に『赤羽要人さん』の狛犬だと主張している!(と・・思う)

いきなりの書き出しですがいつも通りに手順を踏んで・・・塩尻市北小野に鎮座される「信濃の国二ノ宮:小野神社」。御祭神は『建御名方命』

由緒「神代、建御名方命が諏訪へ移る際しばらくこの地に留まられた。崇仁天皇の時その旧跡に祭神を勧進奉斎する。のちに日本武尊が東征から凱旋の折に駐留した霊跡と伝わる。大同年間(806~810)、坂上田村麻呂は中房山掃討のさいに戦勝祈願し、のちに社殿修営および剣を奉納。木曽義仲は越中に兵を進めるさいに牛炬火を奉納して加護を祈ったとされる。矢彦神社とともに、信濃国二宮として尊崇されてきた。永禄七年(1564)に武田勝頼が梵鐘を奉納。慶長十九年(1695)には松本城主・小笠原秀政が社殿を修復。寛文十二年(1672)四月、本殿2棟ならびに八幡宮本殿・勅使殿が類焼されるも、同年九月、松本藩主・水野忠直によって再建される。」

祭礼の為、境内の写真をきちんと残せなかった事が残念でならず、6年後の春にやっと再訪が叶い、改めて画像に残した小野神社の拝殿・片拝殿。

拝殿の奥に御垣に囲まれた社殿。画像中央、杉の木の右手に見えるのが御門屋造りの「勅使殿」。真後ろに一間社流造の本殿・左に八幡宮本殿。左に副本殿が並んで鎮座され、いずれも県宝の指定を受けています。また本殿・副本殿とあるのは、御柱の年に御遷替される為です。

拝殿前左右より神域を守護されるのは大正7年8月建立の『(絶対に!)赤羽要人』による狛犬さん一対。

感動したので別の角度から、どうですか、この最高のカップル感😍

阿形さんの尾は鬼の角タイプ。吽形さんの尾はホイップクリームタイプという特徴的な後姿も!!大サービス😍

杉の巨木に守られるように建つのは、切妻造り妻入りの神楽殿

小野神社:一の御柱と二の御柱。三・四の御柱もあるのですが探しきれていません。御柱となる木は樹齢150年前後、直径は約1m、重さ約10t前後の「赤松」が選ばれます。七年に一度の大祭・・・その熱気を想像するだけで身が震えます。

いつもはひっそりと鎮座される境内社群も、2010年参拝のこの日は年に一度の祭礼とあって御神灯が下げられています。

『武田勝頼』寄進の梵鐘がおさめられていた鐘楼

ちょっと笑ってしまった謂れを持つ市文化財指定の「梵鐘」。要約すると「永禄7年(1564)、武田勝頼が戦勝祈願のため小野神社へ寄進。江戸時代以前の鐘としては、極めて勝れており、特に竜頭は特殊な型をしている。 ところが、いつの頃からか村人が雨乞いの為、上の山から霧訪山へ引き上げて鐘を打ちならし、帰りは山頂から転がし落としたので、鐘の一部は破損し、鐘銘も磨滅・・以下略」

境内北東端にある「小野神社の庭園」は、大正中期に庭師:萩原苔山によって作庭されたもので下段の池・中段の池・上段の池からなる池泉回遊式庭園。

社叢の深い緑を映しこんだ水の色は、揺らぎ一つ見せず静かで・・それはこの上なく神秘的でもあり、未知なる世界への入り口にも見えて身がすくみます。

同じ池の画像なのに、秋の日暮れ前と春の昼下がりでは、木々や水の色さえこんなにも違って見えます。

2016年の訪問の際に見つけた句碑には1996年に開催された「全国短歌フォーラム in 塩尻」での撰者3人の歌が刻まれています。
【ひらひらと  峠越えしは鳥なりしや 若さなりしや 聲うすみどり】
【日くれ径 幼きものら摘みためし ほたるふくろに 灯の点りこよ 】
【さみどりの 朴の新芽のひらく庭 夢のごとくに 母われを呼ぶ 】 

小野神社の紹介、長くなるので続きは明日のブログで

参拝日:2010年10月3日&2016年4月26日

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ふらり寄り道~塩尻の町 in 長野県塩尻市

2022年05月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

「三島山神社」の境内近くで見かけた「市有形文化財」の標柱。傍らには「青木家に伝わる、江戸時代から明治・大正期にわたる古文書・書状・書簡類・・」と子細が書かれていますが、青木家が何処に有るのか、閲覧できるものなのかさえ全く不明。

おなじく「三島山神社」の境外にあった「二十三夜塔・庚申塔・文字道祖神碑」

これはこれで興味深いのだけど、やっぱり道祖神と言えば、馬籠宿や奈良井宿で出会った「双体道祖神」。あの何ともホンワリと優しいイメージが、木曽の風景に溶け込んですっかりファンに。だからまさかの三体目の「道祖神」に出会った時は思わず目をゴシゴシ(笑)

塩尻市洗馬、琵琶橋の袂に並ぶ文字碑の中に、互いの肩を抱き合うように寄り添い手を取る「双体道祖神」。噂では信州には1000体以上の「道祖神」が有るという・・・いつか道祖神を訪ねてみたい・・漠然とした願いが形を持った瞬間です。

記念すべき「道祖神」が置かれた地は、古来より洗馬郷の出入口に当たり、殊に琵琶橋は重要な交通路であったといいます。「本洗馬歴史の里資料館周辺:ガイドマップ」の説明によれば「江戸時代は、高遠藩により架け替えをした橋で、洗馬騒動の要因の一つでもある「琵琶橋事件」の舞台でもありました。」

塩尻市観光協会HPに「一条天皇の時代に盲目の法師が橋の近くでいつも琵琶を弾いていた。村人に「琵琶の弾奏で皇室に奉仕をしたいが諸国をめぐり琵琶を極めたい」と語っていた。と、ある夜不思議というほどの霊曲と演奏の仕方を語り天子様に差し上げるに十分な曲ができ京都を目指し洗馬を去って行った。のちにこの岩橋を「琵琶橋」と呼び、盲目の法師こそ天下第一の琵琶の名手蝉丸であった。」と記されています。

木曽平沢から塩尻市に入る道々に見かけたリンゴの木。じっくりと見たかったけれど容赦なく先を急ぐご亭主殿のせいで、カメラに収められたのはこれ一枚😥

そうそう、塩尻市で記憶に残った風景と言えば、この葡萄畑も忘れられない一コマ。

創業1911年の信州塩尻桔梗ヶ原のワイナリー「五一わいん」。メチル以外は何でもこいと豪語するご亭主殿ですが、実は意外と好みが激しいのです。でもって実はワインは大好きだったりします。

旅の終わり近くで見つけてしまったのは、もうこれは運命かもなどと勝手に車を停めて、速攻で建物の中へ。ねぇねぇ、もう既に奈良井宿で「杉の森」買ってますよ!!・・って、聞いちゃいません😩

木曾の山々を背景に一面に広がる葡萄畑。こんな素敵な光景を今独り占めできる幸せにしばし酔いながら、ご亭主殿を待つとしましょうか。

本来ならご当地マンホールと合わせて、旅で出会ったあれこれを紹介するのですが、塩尻市に関しては次の機会に

撮影日:2010年10月3日

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三島山(みしまやま)神社 in 長野県塩尻市峰原金井

2022年05月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

塩尻市峰原金井に鎮座される「三島山(みしまやま)神社」。神社庁のHPにも記載が無く、御祭神を含めて詳細は不明。

拝殿の御神紋は「山形に一つ鷹の羽」。先の 「阿禮神社」の御神紋が「山形に二つ鷹の羽」。どちらも珍しい紋で、何らかの関連があるのか非常に興味があります。

鳥居の内より神域を守護されるのは、皇紀2600年(昭和15年)建立。石工『赤羽 要人』氏による超!!個性的な狛犬さん一対。

今回はお尻の方からも一枚! どうですこの素晴らしく個性的な尾の形。エジプトの造形物を想像させると思ったのは私だけでは無い筈。

境内社・御祭神は不明

後日、この狛犬さんの写真を田舎の義姉に見せたら大爆笑。彼の作品、もしかして他にもまだあるのなら是非とも探して廻りたいものです。
        「この顔に ピンときたら コメント欄へ!!」

何て言いながら、実はもう探して回る事なんてできなくなったのだけど・・でもね、それでもまだ望みは捨てていないのです。いつかまた、きっとまたいつか。

参拝日:2010年10月3日

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阿禮(あれい)神社 in 長野県塩尻市塩尻町

2022年05月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

塩尻峠に近い集落、塩尻市塩尻町大宮に鎮座される「阿禮(あれい)神社」。御祭神は『素盞鳴命・大己貴命・誉田別命』。

「創建は不詳、延喜式神名帳に登載された古社で旧社格は県社。もとは塩尻峠の東山山麓の五百砥(イオト)岩付近に社があったのを、仁寿二年(852)に柿沢の神明平に新たに社を建て奥社とし、さらに寛保三年(1743)に現在の所に社殿を建て阿禮神社とした。」

前宮と左右の相殿からなる社殿は、寛保三年(1743)の再建。

御神紋は「山形に並び鷹の羽」

前宮の玉垣の外より神域を守護されるのはユニークという以外に形容する言葉が思いつかない何とも超!個性的な狛犬さん一対。石工は『赤羽 要人』詳しい事は分りませんが、大正から昭和にかけて活躍された方のようで、この狛犬さんもその頃のものと推察されます。

何もかもが型破りで、それでいて目が離せない特別な何かがある、これだから狛犬さん巡りは止められないのです(あ!もちろん参拝は必須!)

前宮玉垣の内より神域を守護されるのは・・先の狛犬さんとは全く別の意味で個性的な狛犬さん一対。島根方面の出雲、関西の浪花みたいに、もしかしたら中信地方にはこんな狛犬さんがデフォなのかも。これは是非とも巡って見なければ!!

それにしても随分と痛々しいお姿、何があったのか分かりませんが、それでも御祭神の側近くに置かれている事に、狛犬好きは安堵するのです。

前宮の側近くに祀られる境内社

お社内に奉納されていた福の神

「和魂神社」。一般的に「和魂」とは、神の威徳の守護に関わる部分を担当されていると言います。であるなら、最後まで無事に旅を続けられますように🙏🙏。

「阿禮大神」の石碑。天神は、古代の有力豪族の祖先とされる神々を指す場合が多く、天神(あまつかみ)とも称されます。

「阿禮神社例大祭」の舞台がデザインされた絵馬。

忠魂碑

まるで見本市のように種類の異なる奉納石灯籠

境内入り口にあった水場。

水場の側に設置された井戸のようなもの、上の丸い平石は蓋の役目をしているのでしょうか?位置的に見て龍らしき彫刻の口の部分が出水口になるのでしょうか?何もかもが推測の域を出ず、頭の中は疑問符だらけ。

この場所に関しての情報が無いので不明なままですが、細かく細工された状態を見ても、それなりの謂れがあったように思われます。

御神木

参拝日:2010年10月3日

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木曽路を行く・漆工の町 in 長野県塩尻市木曽平沢

2022年05月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

木曽の山あいにある「漆工の町・木曽平沢」。江戸時代中期、中山道を往来する旅人の土産物として、ヒノキやトチなどを材料とした櫛、曲物、ろくろ細工などが作られ、木曽代官だった山村氏の庇護を受けて発展していった「平沢漆器」。その技術は、時代を経た現在においても、日本有数の漆器生産地として高く評価されています。

漆工町として、全国初の重要伝統的建造物群保存地区に選定を受けた町並みは、漆器業が発展していくにつれ、時代に合わせた建築がされてきました。奈良井川の河川敷に広がる集落の中央には、漆器の店舗が並び独自の景観を見せています。

確かな技術と伝統に裏打ちされた「本物」を見るのはこの上なく心躍るもの。値札を見てはため息をつき・・実際には手が出せない品を見ながら、あれこれと使い道を考えて、後でちょっと空しくなったり😅

そぞろ歩く私たちの前に展開される漆器の店並みは、観光地化されてしまった俗物さが無く、それだけにややともすれば取り澄まして見えるけれど、でも実際にそこに居ると伝わってくる優しが何とも心地よい町並みなのです。

建物と一体化したお店の看板、屋号。それは鏝絵であったり高級漆器であったり木工細工であったりと形は様々。それらを一つ一つ見て歩くのも、また楽しみの一つ。

どこかの店先で見つけたざるの中の不思議な植物は、なんと「うるしの実」。常識で考えれば分かる筈なのに、恥ずかしながら漆に実がなる事、この時まで知りませんでした😅

どこかのお店のショーケースに飾られていたものですが、何やら難しい文字が並んでいます。で、結局その正体はわからず仕舞い。

ああでもない、こうでもない。いや、それはこういう事で、だからこうなんだよ!と😄  他愛ない会話に興じつつ、何でもない事が可笑しくて楽しくて堪らないのも旅がくれた魔法。

膨大な画像の中に詰め込まれた思い出を辿りながら、そうしてその時々の些細な事を思い出して笑ったりしんみりしたり。今振り返れば何とキラキラと輝いた時間を過ごしていた事か・・・・改めて思い至ります。

訪問日:2014年6月21日

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