車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 静岡県旧浜北市(浜松市)

2021年04月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧浜北市(はまきたし)は静岡県の西部、遠州地域の北端部に位置した町です。天竜川の流域に位置し、浜松市、磐田市、天竜市に隣接。地名は「浜名郡の北方に位置すること」に由来します。市域には、岩水寺採石場・根堅洞窟で発見された浜北原人の人骨化石や、北谷遺跡芝本遺跡・東原遺跡等があり、古くより集落が営まれていた事が立証されています。「市の木:マキ」「市の花:サツキ」「市の鳥:メジロ」を制定。

旧キャッチフレーズは「みどりのまち・はまきた」

明治22年(1889)、町村制の施行により、長上郡小野田村・平貴村・美島村、豊田郡竜池村・中瀬村・赤佐村、麁玉郡麁玉村が成立。

1896年、郡制の施行により、長上郡、豊田郡が浜名郡に、麁玉郡が引佐郡に編入。

1908年、小野田村半田地区が積志村に移り、平貴村平口地区を加えて小野口村が発足。同年平貴村と美島村が合併し、浜名郡北浜村が発足。

1951年、竜池村が北浜村に編入。同年小野口村が町制を施行し浜名郡浜名町となります。

1956年、浜名郡浜名町・北浜村・中瀬村・赤佐村、引佐郡麁玉村が合併、浜名郡浜北町が成立。

1963年、浜名郡浜北町が市制を施行し、浜北市が発足。

2005年、浜松市に編入し浜北地域自治区に。2007年に浜北区となりました。

マンホールには「飛竜祭り、市の花・サツキ、森林公園のつり橋」、マスコットの「みどり君」がデザインされています。(浜北グリーンアリーナ周辺の歩道に設置)

流石にこのマンホールは・・一生懸命草取りしましたがこれ以上は自然破壊になりそうなので自粛(^^;)。

こちらは、放射状に「市の花・サツキ」、その周囲を「市の木・マキ」で囲んだデザイン。

これは旧市章を中心に「市の花・サツキ」を全体に散らしたもので、他の自治体でもよく見るデザイン。

昭和31年(1956)制定の市章は「「ハマ北」を表現したもので、昭和31年に町章として制定され、市制施行後に継承されました。」

上水道関連の市章つき規格蓋、仕切弁・空気弁・制水弁・防火水槽・消火栓・量水器があります。

農林水産省の規格蓋「農水の空気弁」、特に遠州地区ではどの自治体でも目にした気がします。

浜北市イメージキャラクター『みどり君・さつきちゃん』。雄大な自然と緑の中で生まれた、森林を舞う“妖精”なんだそうです。

撮影日:2016年12月16日

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浜名湖ガーデンパーク in 静岡県浜松市

2021年04月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市の車泊旅、最後は湖畔の美しい自然と、 開放感あふれる景観が特徴の、静岡県営大規模公園「浜名湖ガーデンパーク」。2004年に、第21回全国都市緑化しずおかフェア「浜名湖花博」が開催。その跡地が浜名湖ガーデンパークとして無料開放されているとの情報で訪ねてみました。

ガーデンパークは、いくつかのエリアに分かれており、私たちが足を運んだのは「里のエリア」。花博と言えば、何といっても世界各地の庭園は最大の見所と言うことで、国際庭園を目指します。

イオニア風の白い円柱を彩るのは絶対に真紅のバラが良い!その向こうに佇んでいるのは、多分美の女神。

階段状になった円形の花壇を彩っていたのは、どんな花々だったのでしょうか・・・・映画のワンシーンのような舞台設定に心がときめきます。

イングランド中西部を中心に昔からあると言う「ガーデナーの小屋」。このような建物は今も実際に残されいるそうです。これは500年前の建築様式を元に造られたものですが・・さらっと500年前と言うのが凄くないですか?

これは「アメリカサンタフェスタイル」と呼ばれるもので、奥にかすかに見えるのがアドービ式住居。この地域は高山砂漠性で、全体に乾燥、温度変化が激しいのが特徴で、その感じが良くわかります。

いかにも東南アジア風の建物は「タイガーデン」。残念ながら花は一本もなく、立ち入りも禁止されていました。大阪の花博跡地でも同じ様な状態になり、美しい異国の建物が無残に朽ち果てています。

規模の大小を問わず。こうした催しには付き物のキャラクター、もちろん浜名湖花博にもいます。パークのキャラクターが勢ぞろいした案内看板には、6人のキャラクターが紹介されていました。

まずは主役の『のたね』、芽が出ている状態の植物の種で『キュウタン』と言うガールフレンドがいるそうです。

オレンジ色の花のキャラクターで「のたね」のお母さんの『ママフラ』。右に居るのは「のたね」の仲間で、頭に球根を載せている植木鉢の『ハッチー』

ブリキ製のじょうろの『ジョウロン』・・・名前の付け方が覚えやすいと言うか安易と言うか😅

花博の跡地に来て花画像が無いと言うのも如何なものかと言うことで、私の好きなガーデンから二点

訪問日:2010年4月18日

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中田島砂丘と浜松まつり会館in浜松市

2021年04月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市南部、遠州浜(遠州大砂丘)の一部を成す「中田島(なかたじま)砂丘」。某所で見かけた観光マップには「日本のどまんなか中田島砂丘」と紹介されていました。

南北約0.6km、東西約4kmに渡って広がる砂丘は、アカウミガメの産卵地としても知られており、産み落とされた卵は囲いに入れられて孵化の後、人によって放流されています。

鳥取砂丘しか知らなかった私には、中田島砂丘のこじんまりとした感じは少々驚きですが、それでもやっぱり初めての場所は新鮮さが加味されて充分に見応えがありました。

風と砂がおりなす「風紋」・・砂丘の見所の一つとして有名な現象も部分的にですが見ることができました。

これもまた砂丘によく見られる「海浜植物:コウボウムギ」。砂とのコントラストが綺麗で絵のようだったし・・と、おおむね満足😃

中田島砂丘と隣接する位置に「浜松まつり会館」があり、砂と戯れたあとはそちらに直行。

残念ながら既に開館時間は過ぎており、見られたのは外観とガラス越しの内部一部のみ😔 自然は逃げないのだから、見る順番が逆だろうとの指摘は、本人たちも十分に自覚しています。

館内には地域ごとに定められた図柄の凧を手に、法被をまとった小さな人形、他にも何体かあったようです。きっとお祭りの装束なんでしょうね。ああ・・・もう少し早い時間に此処にきていたら・・砂丘を後回しにしていたら

「浜松まつりの凧揚げ」は、毎年5月3日~5日のゴールデンウィークに開催されるそうで、その会場も砂丘の近くにあります。巨大な凧が一斉に空に舞う情景は、さぞ凄いんだろうと思います。マンホール探しの際に偶然目にしたものですが、下準備か予行演習の一幕だったのでしょうか。揃いの法被に巨大な凧・・カッコ良かったです😊

訪問日:2010年4月18日

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元城町(もとしろちょう)東照宮 in 静岡県浜松市中区

2021年04月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市中区元城町に鎮座する「元城町(もとしろちょう)東照宮」。御祭神は『徳川家康公、事代主命、大国主命』。通称「出世神社」とも呼び親しまれています。

由緒「明治維新後、浜松藩代であった旧幕臣・井上八郎が明治17年(1884)にこの曳馬城跡に家康公を祭神として東照宮を創建。元城町の氏神として村社に列せられましたが、昭和20年(1945)の空襲により焼失。昭和34年(1959)に社殿などが再建されました。」境内案内より

こちらの神社、非常に判りにくい場所にあり、また駐車場も有るのか無いのか不明だった為、国道152号線・最寄のパーキングに車を入れて徒歩での参拝となりました。坂道にゲンナリしたのも一瞬、手水舎の前に立った瞬間、ニンマリ😄 日光東照宮の眠り猫には及ばないかもしれませんが、この満足げな猫の表情。

手水舎の天井には、青雲の中を飛ぶ金彩色の翼竜。しかも何と!!鏝絵なんですよ😍

挙鼻には鋭い目つきであたりを睥睨する翼竜・・何と言うか・・予想外の出会いにテンションは上がりっぱなし。

手水舎でこれほどのものがあるのなら社殿は・・の期待は見事に的中。木鼻に絡みつく阿吽の龍、何と!これも見事な漆喰細工ではないですか!。

もうご亭主殿、大喜び😆。もちろん私もj🐣さんも、頑張って坂道を歩いた甲斐があったというもの。

ご本殿の画像をと横手に回ってまたしてもビックリ!。この拝殿の脇障子が鏝絵の細工付きなのです。神社に参拝してこんなに立派な鏝絵を幾つも見ることが出来るなんて、浜松・・東照宮・・とにかく侮れません😲

あまりの感動に忘れてしまうところでしたが、拝殿前より神域を守護されるのは紀元2600年を記念して建立された狛犬さん一対。昭和15年(1940)建立の吽形さんの顔立ちは、まるで孤高のライオンのような風格。阿形さんは体丸ごと能天気風😅

境内入ってすぐの場所にあった「権現道」と刻まれた碑。

鳥居の前に建立されていた「曳馬城址」の碑。「曳馬城(引間城)」は、浜松城の前身といわれ、かって浜松城の東:約300mに位置していたそうです。

 

参拝日:2010年4月18日

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賀久留(かくる)神社 in 静岡市浜松市西区

2021年04月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市西区神ヶ谷町に鎮座される「賀久留神社(かくるじんじゃ)」。御祭神は『闇御津羽神(くらみつはのかみ) 、闇淤加美神(くらおかみのかみ)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、誉田別命、玉依比賣命』。

由緒「延喜式神名帳(九二七年)所載「遠江国敷 知郡賀久留神社である。祭神「闇御津羽神」 「闇淤加美神」の二神は、五穀豊穣、水分、生寿、 福賀、厄除の神である。のち「気長帯比賣神」 「誉田別命」「玉依比売命」を合祭し武運長久、交通 安全、護身の神である。~中略~もと、八幡宮と称していたが改称の儀、明治拾六年 一月許可され、昭和四年七月四日、県社に列格せられる。昭和五年五月、昭和天皇行幸の御時に当社所有宝物の天覧の光栄を賜う。」参道案内より

一の鳥居から若干急な石段参道を進むと前方に、随身門が見えてきました。

こちらの随身門には「唐傘」の彫刻が施されています。何故この場所に「唐傘」の彫刻があるのか・・?特に謂れとかの説明は有りません。

神社名の「賀久留」は、神が隠れ籠もる地という意味ともいわれています。また、本来は雨乞いの神を祀っていたと言う事ですので、唐傘も何かの呪いなのかもと思ってみたり・・・

玉垣の内、御本殿前より神域を守護される狛犬さん一対。離れた位置からのズームなので、あまり綺麗には撮れませんでしたが、良いお顔をされています。阿形さんの頭にあるお団子のような宝珠が個人的にはツボ。

石段の上、拝殿前左右より神域を守護されるのは、いわゆる岡崎型と呼ばれる狛犬さん一対。

岡崎の地名が冠せられていることからも分かるように、岡崎在の6代目:酒井孫兵衛という石工さんが最初に生み出した狛犬。個人的に好みは有るのですが、石工の間では評判が良かったのでしょう。瞬く間に全国の石工さんがこれを手本に狛犬を彫り上げてゆきました。結果・・・狛犬ファンからため息をつかれる存在になったことは何とも皮肉ですが・・(特に中国による岡崎型を模倣した狛犬は、価格の安さもあいまって日本中の神社を席巻し始めた為、その傾向は顕著になりました。)

境内左手には、樹齢800年といわれる御神木の「夫婦木楠」

「夫婦木楠」の前に『須山長次氏』歌碑。【罪あらば 吾を罰せよ天津神 ひとの悪きは 我が悪きなり】

ちなみにこの歌碑と非常に良く似た文言・・京都伏見稲荷で頂いたお御籤にもありました。(罪あらば我を咎めよ天つ神 民はわが身の生みし子なれば)一説には明治天皇の御製とも云われています。

参拝日:2010年4月17日

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五所神社・諏訪神社 in 静岡県浜松市

2021年04月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

2010年4月18日に参拝した「五所・諏訪神社」。2016年、御朱印を頂くために再度の参拝。

浜松市中区利町に鎮座される「五社神社」。御祭神は『太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神』。「諏訪神社」。御祭神は『建御名方命、八坂刀売命(やさかとめのみこと)、事代主命』。ともに『徳川秀忠』の産土神とされた事で、子守りの神として人々の崇敬を集めています。

五所神社由緒に「曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建した事に始まると伝えられる。後、徳川家康公、浜松城主となり天正7年(西暦1579年)4月7日、秀忠公誕生に当り産土神として崇敬し、現在地に社殿を造営し天正8年(西暦1580年)遷座す。元々は祭祀を司どる神である『太玉命』を祀る神社でしたが、春日大社の祭神四柱を勧請して現在の五柱となりました。
相殿に『応神天皇、徳川家康、菅原道真、大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)、稲倉魂命、大日女命、素戔嗚命』を合祀。」

広い参道の石段をあがると、1989年生まれの、青銅製の狛犬さんが出迎えてくれます。護国タイプに似ていますが、相当のガチムチ系。特に下半身の安定感が半端ない。

諏訪神社由緒に【延暦10年(西暦791年)、坂上田村麻呂が東征の砌、敷智郡上中島村に奉斎と伝えられる。弘治2年(西暦1556年)に曳馬城下、大手前に遷座される】

もとは隣接して鎮座されていましたが、昭和35年に法人格を一つとして合祀、新たに「五社神社・諏訪神社」としてこの地に鎮座されました。
諏訪上社の御神紋「諏訪梶の葉」、春日大社の「下がり藤」は、五所神社の御神紋のようです。

かって「お江戸見たくば五社諏訪ごろじ お江戸まさりの五社や諏訪」と謡われた旧社殿。 旧国宝に指定されていた権現造の社殿・透塀・唐門・楼門は、昭和28年の戦災により全て焼失。現在の社殿は、昭和57年(1982)に竣工されたもので、一社殿内に両社の御祭神を奉斎しています。

この豪華絢爛な彫刻は本殿のほんの一部分ですが、まさに王朝絵巻を思わせる艶やかさ。

本殿の横にある「神輿庫」の扉には、「諏訪・五所」両社の御神紋。

参道石段を上がって直ぐの左手に鎮座される、朱も鮮やかな「稲荷社」

その後方に「獅子頭岩」。 昔からこの神社に伝わる自然石ですが、こうして横から見るとまさに獅子の頭です。

二度目の参拝で見かけた絵馬は「家康公出世手形」。鷹を腕に、束ねた長い黒髪を風になびかせた美少年。 大きく染め抜かれた葵の紋からしても確かに家康がモデルなのでしょうが、流石にこれは無いわ😅

朱塗りの手水舎の「手水鉢」は、寛永十五年に浜松城主『高力摂津守』の寄進。

最期は、鳥居の右手後方に、明和四年に建立された「光海霊神(うなてりのみたま)碑」。 江戸時代中期の国学者で歌人でもあった『賀茂真渕』が、幼少の頃、師と仰いだ五社神社・神主『森暉昌』の功績を記した顕彰碑だそうです。

参拝日:2010年4月18日&2016年12月16日

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有玉(ありたま)神社・俊光将軍神社 in 静岡県浜松市東区

2021年04月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市東区有玉南町に鎮座される「有玉(ありたま)神社」。「延喜式神名帳」にある「朝日波多加神社(遠江国・長上郡)」に比定される式内社(小社)の論社。御祭神は『天照意保比留売貴命(あまてらすいほひるめきのみこと)・御年神・伊邪那岐命・伊邪那美命、外十八柱』

「昔、天竜川河口近くに三千年を経るという赤大蛇が住んでいた。 坂上田村麿将軍が東征でこの地を訪れた時、美女に化けた赤大蛇と恋仲になり2人の間に子供が出来た。美女は将軍に子供を産むところを絶対見ないと約束させ、赤大蛇になって産む。しかし、将軍は思わず赤大蛇が子供を産むところを見てしまう。赤大蛇は将軍に子供を託し、川の底に戻ってしまう。 この子は成人し、俊光将軍といわれる武将になり再び父子で東征の命を受けこの地を訪れる。その時、磐田の海が大荒れで困り果てるが、親(赤大蛇)から授かった「潮干の珠」を投げ入れると、荒れた海はスーッと引いて底に広い平野が現れた。この平野にやがて人が住み村が出来た。ある年、毎夜東の方に美しく輝く光が見られるようになった。村人がその光を探すと、そこに一個の珠があった。その珠を祭ったのが有玉神社だといわれる。」有玉神社の伝説より

拝殿前より神域を守護されるのは、おそらく国外からの奉納と思われるエキゾチックな狛犬さん一対。阿吽の別が無く胸元に装飾を施した狛犬さん・・大阪花博の東南アジアゾーンで何度も見かけています。

朱塗りの鳥居は、御祭神の中に『稲倉魂命』がおいでになるからだろうと思います。

「有玉神社」に隣接する「俊光将軍神社」。御祭神は『俊光将軍』

俊光将軍の死後、東区有玉西町の「大菩薩山・俊光将軍社」に鎮座されていましたが、現在は有玉神社に合祀。

こちらには狛犬さんは居ませんが、屋根の上に素敵な細工瓦を見つけました。まるでサーフィンでもしているような・・亀に乗った『黄安(亀仙人)』

大きな鯉に跨る『琴高仙人』

参拝日:2010年4月17日

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御神名一口メモ

『天照意保比留売貴命(あまてらすいほひるめきのみこと)』、有玉神社にのみ祀られる神。この社がもと神明宮だったことから、天照大神の事と考えられる。

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エアーパーク(航空自衛隊浜松基地 浜松広報館) in 静岡県浜松市

2021年04月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市西区西山町にある「エアーパーク」、正式名称は「航空自衛隊浜松基地 浜松広報館」。浜松への車泊旅で楽しみにしていた訪問先の一つ。入館料は無料、国民に航空自衛隊をより理解してもらう事を目的として1999年4月にオープンしました。

戦闘機、練習機、ヘリコプターや装備品等の展示をはじめ、操縦シミュレーターや、全天周シアター等、見て・触れて・楽しめる、空自初の博物館形式の施設。たとえばこれは、ナイキミサイルと発射台。ミサイルですよっ!ミ・サ・イ・ル!!

屋外展示はすべて一部を除いて実機という事で迫力も桁違い!。先頭部分の赤が際立つ機体は、航空自衛隊で創設期に導入された「C-46輸送機」。物資輸送、空挺隊訓練、人員輸送などで幅広く活躍しました。

くの字になった形から“空飛ぶバナナ”と呼ばれた「H-21B救難ヘリコプター」。昭和35年〜昭和42年まで人員輸送や救難用として使用。

そして目の前に現れた「F-86F(ブルーインパルス仕様)」。昭和35年、第1航空団の「空中機動研究班」として発足したブルーインパルスが目の前に!!もう三人揃って大興奮😍

資料館から展示格納庫に行く途中に見かけた「無人標的機 UF-104j」。画像では捉えられませんでしたが、尾翼の部分にカッコいい「さそり」のマークがあります。

屋内最初の展示は、実物大模型の戦闘機「XF-2支援戦闘機」。アメリカ製F-16戦闘機をベースに、日米で開発を進めたもので、洋上の敵艦隊や領空内に侵入した敵機を攻撃する役割があります。実物大模型・・要するに巨大なプラモデル!、ご亭主殿、なぜか大喜び😍

レーダー探知機や無線、実際に使われるものと同じ機器を使ってのシュミレーション。これは・・オタクでなくとも間違いなく嵌ります😄

メカニックな胴体は「F-1戦闘機」の機体の一部を外したもの。ターボファンエンジンを実際に見られるという貴重な体験ですが・・実は何がどうでどうなっているのか全く無知な私😅。説明によれば航空自衛隊が誕生して後に製作された日本初の国産機で、実際に使用していたものです。

尾翼に描かれた兜の侍の横顔・・・カッコいいんだけど何となくアメコミっぽい感じで、もっと「武将」らしい雰囲気が欲しかったかな😊

展示格納庫にはブルーインパルスをはじめ、実際に使われた歴代の戦闘機やヘリコプターなど、19機が展示されています。手前に見える機体は「零式艦上戦闘機『五十二型』43-188号機」。昭和38年にアメリカのグアム島で発見され、修理された後に展示されました。

どれを見ても「カッコいい!」「凄い!」としか形容が出来ない私たち。機種を見て○○○だと、言い当てられる知識など皆無に等しく、殆どが広報用資料の受け売り。でもずらりと並ぶ戦闘機や輸送機の迫力はしっかりと伝わってきます。

画像下に見える、胴体からのびた双動機が特徴の「DHII5バンパイヤ」。空自の開発用に投入されたものです。

群青とスカイブルーの機体に日の丸が鮮やかなブルーインパルス仕様の「T-2超音速高等練習機」

こちらでは、コックピットへの着座も出来るという事で、空自の制服を着用して乗り込んでみました!!二人ともすっかりその気になって、ポーズを決めて悦に入ってます😃😃

こちらは「F-1支援戦闘機」、T-2を単座化し、全天候攻撃・航法システムを追加した戦闘機だそうです。

コックピットにずらりと並んだ計器、何が何だかさっぱりわかっていませんが、とにかくカッコいい!!😍

アースグリーンのフライトスーツに身を包んだ二人、何だか背筋まで伸びた気分で、動作も何時になくキビキビ!。着替えがめんどくさいと私服のままだったJ🐣さん、「やっぱり着替えればよかった😔」

二人が着用したパイロットスーツ・ヘルメット・ブーツにキャップは15分間ですが、無料で貸して頂けます。思い出として残すには最高の経験でした。

施設内にあった角蓋は何かの点検用でしょうか?自衛隊の施設らしく、桜の紋章が描かれています。

数々の実戦機を見、ほんのままごと程度の体験ですがシュミレーションもし、思うことは・・これらが使われずにすむ世界は、本当に理想であり、誰しもが望んでいる事だろうと言う事。けれど世界の中の日本と言う国を見たとき、この国は本当に平和でしょうか?何者にも脅かされず、一ミリたりとも侵略を受けていないと、本当に言い切れますか?日本の竹島において、日本漁船328隻が拿捕され、日本人44人が殺傷、3929人が抑留されたのは昭和31年(1956)のことです。なぜ自分の国で漁をしていた彼らがこのような目に遭わねばならなかったのか、誰か答えて下さい。この国際法違反の行為をした国は、竹島を自国の領土だと公言して憚りません。ある日突然、愛する家族が行方不明になる・・手引きしたのは日本にいる某国の人間たちです。何故こんな事が許されるのか、何故そんな犯罪者がこの国で大手を振って住めるのか、誰か教えてください。

訪問日:2010年4月17日

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ご当地マンホール in 静岡県旧浜松市(浜松市)

2021年04月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

昨日に続いての浜松市マンホール、今回は旧浜松市の紹介。ホンダの発祥地として知られ、スズキが本社を構えるなど全国でも有数の自動車工業都市であり、東海工業地域の中心的地域。また、ヤマハやカワイ、ローランドや鈴木楽器製作所といった多数の楽器メーカーが立地する「楽器の街」として知られ、「楽都」とも称されています。戦国時代には浜松城の城下町として、また江戸時代には、東海道の宿場町として栄えてきた浜松。 新東名「浜松SA」の記念スタンプには、家康の居城であった「浜松城」がデザインされています。「市の木:マツ」「市の花:ハギ」「市の鳥:ツバメ」を制定。

旧キャッチフレーズは「産業と文化の調和ある豊かな人間都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により、敷知郡浜松町他20村、長上郡に15村が発足。

1896年、郡制の施行により、浜名郡および長上郡・敷知郡の大部分、豊田郡の一部の区域をもって、改めて浜名郡となる。

1911年、浜名郡浜松町が市制を施行、浜松市が発足。

1936年、浜名郡曳馬町、富塚村を編入。

1939年 、浜名郡白脇村、蒲村を編入。

1951年 、浜名郡新津村、五島村、河輪村を編入。

1954年 、浜名郡笠井町、長上村、和田村、中ノ町村、芳川村、飯田村、吉野村、三方原村を編入。

1955年、引佐郡都田村、浜名郡神久呂村を編入。

1957年 、浜名郡入野村、積志村を編入。

1960年 、浜名郡湖東村を編入。

1961年 、浜名郡篠原村を編入。

1991年、浜名郡可美村を編入。

浜松市中区千歳町にある浜松モール街には独自のマンホールが存在します。旧市章と左右に「二匹の鮭」、周囲には「カモメ」がデザインされています。

同じようなデザインですが、旧市章の左右には「ヒラメ」と「水玉」がデザインされています。

浜松モール街の側溝蓋にも同じように「ヒラメと水玉」がデザインされています。

こちらの側溝蓋には「カツオと波」がデザインされています。

「旧町の花:ハギ」がデザインされた側溝蓋もあります

浜松モール街の公式キャラクター『モルン♪』。「モルン♪」は、昔お母さんたちが持っていた「買い物籠」の妖精です。

旧市章を中心に幾何学模様を重ねて、紋章のようにデザインされています。

樹木カバーには、旧市章と「旧町の木:松」がデザインされています。

明治44年(1911)7月1日制定の旧市章は「浜松市が波濤逆巻く遠州灘に臨み、古くから松の景勝をたたえられた事を象徴している。周囲は遠州灘の浜に打ち寄せる波を表し、色は波の白で、波に囲まれた部分は、松の字体(公と木)をデザイン化し、色は松の緑。」HPより

旧市章の規格蓋。おそらくその気になって些細な違いなども見分ければ、掲載するのが嫌になるくらいあると思われます。

ちなみに浜松市の上水道が完成したのは、まだ浜松町であった昭和6年(1931)の事だそうです。

下の三枚は、最近良く見かけるようになった「可愛い消防士」と「いかつい消防士」がデザインされたもの。一見同じに見えますが、一番上は消火栓、下の二枚は防火貯水槽で、これも一応規格蓋です。

電気用のマンホール、市章はありませんが下に「浜松市」の文字があります。

撮影日:2010年4月18日&2016年12月15日&2018年11月15日

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ご当地マンホール in ホワイトストリート(静岡県浜松市)

2021年04月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

浜松市中区佐鳴台の通りにはホワイト・グリーン・レモン等、5つの色名がつけられています。 そのカラフルな通りの一つ「ホワイトストリート」には、そこだけ限定の洒落たご当地マンホールが設置されています。
「車を止めて歩きたくなるような通り」の思惑とは違いますが、(下を向いて)歩きたくなる通りです。

某所に車を停め、お目当てのマンホールを求めて、ひたすら下を向いて両サイドの歩道をテクテク。 見つけたマンホールでコンプリートなのかどうか、ぱっと見では確証のもてないのがいささか歯がゆくはあるのですが😅 後で調べたら、路面の色に合わせたサンド塗装の違いは別にして、デザインは8種類との事。まず最初のデザインは、鱗型の波の中に魚を大きく、その中に「佐」の文字をはめ込んだもの。

太陽を中心に「魚・カタツムリ・亀・蝶・カニ・カマキリ・イカ・カブトムシ」が、賑やかに描かれています。

中央に雲の上を飛ぶ小鳥、上空に虹、虹の上に太陽と月と星、周囲に市松柄と「WHITE STREET」の文字。

四つ葉のクローバーを方位磁石にしたデザイン。周囲に「SANARUDAI」の文字とオリーブの葉。 ピンクっぽくみえるマンホールは、いわゆるサンド塗装されたもので、デザインは同じです。

佐鳴湖で羽を休める「ミコアイサ」(潜水ガモの一種で、大きさは一般的な小鴨位)。 佐鳴湖のマスコット的存在で、鴨の上下には「佐鳴湖」「WHITE STREET」の文字があります。

説明に最も悩んだのがこのデザイン、ぱっと見た感じでは「さざ波が立つ佐鳴湖の湖面」。 それでは中央の曲線は川?それとも、抽象的に「ホワイトストリート」をイメージしたもの??

手を挙げて横断歩道を渡る二人の女の子。女の子の上にはバスや車、自転車が描かれています。

「ホワイトストリート」最期のデザインは「花の音符の五線譜に囲まれた佐鳴湖」でした。

特定の区域にこれだけの種類のデザインマンホールが存在する事にまずは驚きました。 それ以上に、「マンホール」という媒体が、街の景観に寄与していると認識されている事。
奇異な目で見られながら😅、何年にも渡ってマンホールの写真を撮り続けてきた私には、何よりの嬉しさです。

撮影日:2016年12月16日

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