車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

のと里山空港 in 石川県能登半島

2017年11月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

飛行機は絶対に乗らないと言い切っている私ですが、何故か近くで見るのは好き。で、機会があれば空港見学に行くのですが、伊丹空港を除いてそのほとんどが地方空港なので、飛行機が離着陸する場面は中々見られず、いつもかなりの時間を費やして「あ~~あ (-_-;)」とため息(笑)
それでも懲りずに、今回は輪島市、穴水町、能登町にまたがる「のと里山空港」にやってきました。

いかにも可愛いゆるキャラは、のと里山空港のマスコットキャラクター『スカイのっぴー』。 広げた両手は飛行機の翼、ブルーの機体に機長の帽子がとてもよく似合っています。可愛いお子様的な風貌ですが、実はこう見えて「演歌」が大好きなんですって(笑)。

素敵な係りの方に勧められて「スカイのっぴー」と記念写真(^^;) だって帽子までお揃いで用意してくれたら断れませんよ。(笑)

こちらの一画は、某テレビ局・朝の連続ドラマ「まれ」に登場する「朝市食堂まいもん」のセット。 リヤカーを改造したテーブル、ランプ、トロ箱・・・不思議な空間を背景に、早速記念撮影。でも「まれ」って一度も見た事ない(笑)

側に置かれた巨大ケーキは、「まれ」の主人公が作りたかったケーキの逸話にちなんだもの・・らしい(笑)。 薄暗いセットと華やかなケーキ、全く正反対の二つの撮影スポットは、意外と人気のようです。

折りよく流れてきた飛行機の到着を知らせるアナウンス。早速送迎デッキに。 デッキから見る飛行場は、意外と広い・・。まぁ当然ですよね、何てったって飛行場なんですから(笑)

あれは搭乗の準備でしょうか、真下に見る光景に思わずフェンスに張り付いてしまう私(笑) もう本当に田舎モノ丸出し(-_-;)。でも誰にも迷惑かけてないし騒いでないし、良いじゃないですか。

滑走路を走り、やがて空に飛びたつ飛行機。滑走路の向こうにははるかに能登の海が見えます。 とりあえず離着陸も見たし、本日の空港見学はこれで終了。いや、中々楽しい時間でした。

お次は「道の駅・のと里山空港」へ。と言っても目と鼻の先。 何と!この「のと里山空港」には、道の駅が併設されているのです。空の交通手段としてだけでなく、能登地域の観光情報拠点としても活躍しているんですね。

訪問日:2015年5月22日

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重蔵(じゅうぞう)神社 in 石川県輪島市河井町

2017年11月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

輪島市河井町、わいち通りの突き当たりに鎮座される「重蔵(じゅうぞう)神社」。御祭神は『天之冬衣命(あめのふゆきぬのみこと) 、大國主命』。 『延喜式神名帳』にある「鳳至比古(ふげしひこ)神社(能登国・鳳至郡)」に比定される式内社の論社。

創祀年代は不詳、社伝によれば「遠く崇神天皇の御代の鎮座とされ、「延喜式」の神名帳に載せられる「鳳至比古神社」、あるいは「辺津比咩(へつひめ)神社」にもあてられてきた。天平勝宝八年(756)五月、『泰澄』により寺院が建立された。以後、神仏習合の社として、「十蔵権現」あるいは「重蔵宮」と称せられたが、後に「重蔵神社」と称された。七堂伽藍の立ち並ぶ、壮大な境内で、多くの社人・社僧・衆徒の奉仕するところであった。明治5年9月郷社に列せられ、本殿は明治三十九年特別保護建造物に指定せられた。」

本殿玉垣の近くより神域を守護されるのは明治二十八年(1895)八月三日建立の出雲構え狛犬さん。反対側には阿形さんがおいでなのですが、立ち入れない位置の為、吽形さんのみ。

境内入り口より神域を守護されるのは慶応四年(1868)建立の狛犬さん一対。本来なら鳥居のうちなのですが・・ 一の鳥居は能登半島地震で倒壊したそうで、それを知れば、狛犬さんの無事が何よりも救いと思えます。

西側入り口より神域を守護されるのは昭和十五年(1940)十一月建立の護国狛犬さん一対。

神仏習合の名残を伝える拝殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは。明治十五年(1882)三月吉日建立の狛犬さん一対。阿吽ともにあどけなさの残る顔は、今でいうところの癒し系?

拝殿の前、赤い鳥居の奥には、地震を鎮めるとされる「要石」が玉垣の中に鎮座しています。人の世界と神の世界との結界とも言える鳥居の崩壊。その後に起こった未曾有の東北大震災。 どうかどうか、地の神様がお鎮まりになりますように・・・人はただ首を垂れて祈るのです。

境内には六つの境内社があり、左手に「秋葉社」「白山社」「金比羅社」が鎮座します。 「金比羅社」の御祭神は『大物主神』

鳥居の内より神域を守護をされるのは、丹後系出雲構えの狛犬さん一対。

境内右手には『菅原道眞』を御祭神とする「天満宮」『稻荷大神』を御祭神とする「稲荷社」

「稲荷社」の前より神域を守護されるのは、明治三十六年(1903)一月吉日建立の丹後系出雲構えの狛犬さん一対。阿形さんのあごがわずかに欠損しているのは、もしかして地震の所為?

『稻田姫神』を御祭神とする「子安社」。『須佐之男神』と結婚された事で、縁結びの神ともされます。灯りが入った拝殿は独特の張り詰めた空気に包まれて、それだけで非現実の世界を彷彿させます。

御朱印を頂く為、2015年に二度目の参拝をしました。とても素敵な女性の宮司さんにお目にかかり、御朱印まつわる話など一時の楽しい時間を過ごさせて頂きました。明日は朝市通りに「重蔵神社 産屋」が開かれるという事で支度にお忙しい中、心温まるお時間を頂き、感謝で一杯です。巫女さんが写してくださった記念写真を見返すたびに、胸が一杯になります。

参拝日:2011年10月16日&2015年5月23日

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御神名一口メモ

『天之冬衣命(あめのふゆきぬのみこと)』、十七世神(とおまりななよのかみ)の一柱で国津神。「刺国若比売」を娶り『大国主大神』の父神となる。「重蔵神社」社伝には、出雲よりはるばる能登まで来臨し、同地を平定した神とされる。

 

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住吉神社 in 石川県輪島市鳳至町

2017年11月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

輪島市鳳至町、輪島魚港の近くに鎮座される「住吉神社」。御祭神は『住吉三神、神功皇后』。『延喜式神名帳』にある「鳳至比古神社(能登国・鳳至郡)」に比定される式内社の論社。『鳳至比古命(ふげしひこのみこと)、大己貴命』を配祀。

一の鳥居左右より神域を守護されるのは、安政二年(1855)建立の狛犬さん一対。鬣(たてがみ)にあわせたのか、横顔がどこかのおばちゃんみたいに人懐こくて・・、まるでさっきまで境内で市を開いていたお母さんみたい。

ちょっと珍しいタイプなので、別角度からもう一対。

社伝に寄れば「第16代仁徳天皇12年、『住吉大神』を能登に初めて奉斎し、海上鎮護、万民守護の大神と称えられたのが当社。一説には、第10代崇神天皇の御代の勧請とも伝わる。当社は初め、大屋庄の御霊地山に鎮座し、神宮寺を「鳳至院」と称した。その後、水難や兵乱のため現在地に遷座。明治7年(1874)に摂末社の「大国魂神社、八坂神社、稲荷神社、大姥神社、恵比寸神社、白山神社、金山神社、塗師祖神社」を合祀した。」

拝殿の後方にある覆屋の中、市重要文化財の社殿は文化10年(1813)に建造されたもの。垣の外からなので見えるのは本当に一部分ですが、それでも向拝に施された鳳凰の彫刻は優美。

本殿左右より神域を守護されるのは、とても美しい木製の神殿狛犬さん一対。外からのズームなので画像はこれだけですが、玉と思われる目がとても印象深く思慮深さを醸し出しています。

本殿と拝殿の間より神域を守護されるのは、明治四十一年(1908)建立の丹後系出雲構えの狛犬さん一対。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和56年(1981)建立のブロンズ製狛犬さん一対。時代を超えて何体もの狛犬さんが奉納されている事から、地域の方々の崇敬の篤さが伺えます。

境内社「市姫社」。女人厄除け、市場守護の神様として知られており、京都の「市比賣神社」が有名です。一千年以上も前から続く「輪島の朝市」。市場守護の神様が鎮座されるのは当然ですね。

奉納御神馬の腹掛けには「鳳凰」の神紋。

参拝日:2011年10月15日

 

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輪島前(わじまさき)神社 in 石川県輪島市輪島崎

2017年11月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

輪島市輪島崎町、小さな半島中ほどの輪島漁港近くに鎮座される「輪島前(わじまさき)神社」。 御祭神は『少彦名神、菅原道真、伊弉冉尊(いさなみのみこと)、大山咋神』

創祀年代は不詳、社伝によれば「『少彦名神』を奉祀して、「天神社・手間天神社」と称し、仁平4年、京都北野から菅公を勧請して「天満宮」と称するようになる。文治2年、地頭職『長谷部信連』が社殿社領を寄進し、また、日本で初めて作った鳴る音が異なる、形の変わった鐘を蔵したというが、天保3年の津波、元禄3年の大火で社宝の悉くを焼失。従来は本社の外に左右に「熊野社・日吉社」の社殿を併立したが、天保13年、三社を現在の本殿内に併祀する。明治初年、「輪島前天神社」を現社号に改称。」

拝殿前より神域を守護されるのは、四肢の逞しさが際立つ大正七年(1918)八月建立の狛犬さん一対。 阿形さんの口元にはわずかに朱の後が見られ、奉納時は更に鮮やかに彩色されていた事が伺えます。

 

拝殿の横壁に収蔵されている竹の鯛は、輪島前神社大祭で使われる「鯛キリコ」の骨組みのようです。 動画などで拝見しましたが、漁師の祭りに相応しい豪快な「鯛キリコ」が走り抜けていました。

摂社「蛭子(えびす)社」は、大漁祈願の神様。漁師町には欠かすことの出来ない存在です。

かってこの神社が天神様であった頃の証。参道に奉納された一対の神牛。

輪島前神社の大祭で繰り出される神輿が収められた庫には、勇壮な瓦材の龍が屋根と庇の間から下界を見下ろしていますす。「キリコ」が舞い、「鯛キリコ」が走る夏の大祭、叶うなら一度は見たい祭りの風景です。

参拝日:2011年10月15日

 

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御陣乗太鼓 in 石川県輪島市

2017年11月26日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

「天正4年(1576)、越後の上杉謙信は、能登の名城であった七尾城を攻略し、その余勢をかって奥能登平定に駒を進めた。現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた。武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌まで持ち出して上杉勢を迎撃する準備を進めたが、あまりにも無力であることは明白であった。しかし郷土防衛の一念に燃え立った村人達は、村の知恵者といわれる古老の指図に従い、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけた。上杉勢は思いもよらぬ陣太鼓と奇怪きわまる怪物の夜襲に驚愕し、戦わずして退散したと伝えられている。村人達は名舟沖にある舳倉島の奥津姫神の御神徳によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭に仮面をつけて太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至っている。」

2011年石川県の旅、能登の輪島で「御陣乗太鼓」の実演を見ることが出来るということで、それに併せて日程を組みました。実演場所は「輪島・道の駅 ふらっと訪夢」。生憎の雨ですが屋内開催なので問題は無し。

冒頭の説明は、「御陣乗太鼓」の実演に先立って紹介されたもの。室内の灯りが落とされ、ややあって「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!」の声と共に、妖しい人影が躍り出ます。 乱れた髪をおどろに振り乱し、撥を持った両手を振り上げながら、飛ぶように太鼓に近づくのは憤怒の形相から「神の怒り」と形容される「夜叉」

強く、大きく、高く、低く、短く、長く、腹の底に響く太鼓の音が、天井に吸い込まれていく・・ やがて小さく刻まれる太鼓の音に誘い出されるように、夜叉の背後に現れたのは「土左衛門」とも呼ばれる「幽霊」

途切れる事無く続く太鼓の音と共に、それぞれの所作で次々と入れ替わる「爺面」。唯一、「仏」の位置づけにある「達磨」

夜の闇が普通であった頃、荒れる日本海の波音に混じって突如聞こえてくる不気味な音。 迷信が日常の中に生きていた時代、いかに武勇に秀でていたとしても、闇に蠢くおどろの影はとてもこの世の者とは思えなかったでしょう。

演技が終わった後は記念撮影の時間まで用意して頂き、心に残る能登の一夜を終えました。その夜は流石に興奮してなかなか寝付けなかった事も・・懐かしい思い出です。

2015年に能登を訪れた時、偶然「能登キリコ会館」で「御陣乗太鼓」の実演がある事を知りました。 しかもその場所は、今夜の車泊地から歩いていける距離というのですから、何というチャンス(*^^*) 一番前の席を確保するために、時間よりもずっと前に座ってワクワクしながら開演を待ちます。 やがて豪華絢爛なキリコをバックに打ち鳴らされる太鼓の音・・・、その響きは四年前と変わらず心を揺さぶり、息する事さえ忘れさせます。

恐ろしげな面に、櫛も入らぬ乱れた髪を振り乱して、太鼓を打ち鳴らす鬼たち。 一見同じに見えて、でも実際に自分の目で見て、自分の耳で聞けば、そのどれもが全く同じでないと分るのです。

そうしてますますこの素晴らしい演目に魅了され、いつの日かもう一度と思うのです。能登の夜を切り裂く鬼たちが叩く「御陣乗太鼓」は、昭和38年に石川県無形文化財に指定されました。

締めくくりは希望者による記念撮影。おどろおどろしい鬼の筈なのに、なぜか写真に写る鬼の方々の表情はとても穏やかで優しくて・・最高の思い出を有難うございました。

輪島市街地から13Kmほど東にある海沿いの漁村に、「御陣乗太鼓の地」碑がありました。 碑にはここ名舟町が発祥の地である旨がイラスト共に紹介されています。

名舟沖約50kmの日本海上に浮かぶ「舳倉(へぐら)島」。そこに鎮座されるという「奥津姫神社」。鳥居は『奥津姫神』が鎮まられる神域への遥拝所かもしれません。

訪問日:2011年10月&2015年5月23~24日

 

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ご当地マンホール in 石川県旧輪島市(輪島市)

2017年11月25日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧輪島市(わじまし)は石川県北部、能登半島の北部に位置する市です。古くから港町として栄え、室町時代には国人の温井氏が天堂城を築城し、戦国時代に入ると温井氏の城下町として栄えてきました。輪島を代表する観光スポット「輪島の朝市」は1000年以上の歴史を持ち、新鮮な海山の幸を求める買い物客で賑わいを見せています。

また、白米町には、日本海に面して、小さな田が重なり海岸まで続く絶景「白米の千枚田」があり、日本の棚田百選、国指定文化財名勝に指定され、奥能登を代表する観光スポットとして親しまれています。「市の木:あて(あすなろ)」「市の花:水芭蕉」「市の鳥:カモメ」を制定。

旧キャッチフレーズは「住んで楽しく、訪れてうれしい 人が行き交うにぎわいのまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により鳳至郡(ふげしぐん)輪島町・大屋村・河原田村・鵠巣村・西保村・三井村・南志見村・町野村・西町村・岩倉村が発足。

1908年、町野村、西町村、岩倉村が合併、鳳至郡町野村が発足。

1940年、町野村が町制を施行、鳳至郡町野町となる。

1954年、鳳至郡輪島町、大屋村、河原田村、鵠巣村、西保村、三井村、南志見村が合併、輪島市が発足。

1956年、輪島市が鳳至郡町野町を編入。

2006年、鳳珠郡門前町と合併、改めて輪島市となりました。

マンホールには旧市章と、日本三大朝市である「輪島の朝市」がデザインされています。

旧市章と、伝統的工芸品に指定された「輪島塗の漆器」お椀とお箸がデザインされています。

昭和32年10月2日制定の旧市章は「中心の輪をカタカナの「マ」が4つでかこみ「輪4マ」で「輪じま」を表し、市民の協和と市勢の飛躍発展を念じています。」合併協議会資料より

撮影日:2011年10月15日&2015年5月23日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 石川県輪島市

2017年11月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

輪島市(わじまし)は石川県北部、能登半島の北部に位置する市です。2006年2月1日、鳳珠郡(ほうすぐん)門前町と合併し、改めて輪島市となりました。古くから港町として知られ、中世には三津七湊という日本を代表する港の一つとなり、北前船の世紀には「親の湊」と呼ばれ、海上交通の要衝として栄えてきました。曹洞宗大本山總持寺を有し、伝統産業である輪島塗や輪島朝市、御陣乗太鼓などで知られており、多くの観光客に親しまれています。「市の木:アテ(档)」「市の花:雪割草」を制定。

キャッチフレーズは「"あい"の風がはぐくむ 快適・活気・夢のまち」

マンホールには能登を代表する無形文化財「御陣乗太鼓」がデザインされています。

2006年2月1日制定の新市章は、「輪島市の頭文字「ワ」を基本にして、「ワジマ」の文字をデザイン化し、 自然と調和したまちを表現しています。 また、ゆるやかな曲線が、快適な暮らし、活気ある未来、交流の輪を象徴し、美しい自然や肥沃な大地、豊饒の海、輪島塗をイメージし ています。」HPより

撮影日:2011年10月15日&2015年5月23日

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マンホールカード、頂きました

2020年6月1日、第12弾として全国53自治体で62種類(累計535自治体667種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「輪島市A」のマンホールカードは、「輪島キリコ会館」でいただけます。

1996年に設置開始されたマンホールには「御陣乗太鼓」がデザインされています。

「輪島市名舟町発祥の「御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)がデザインされています。 御陣乗太鼓は、夜叉や幽霊の面を被った打ち手が叩く異様な陣太鼓で、 天正5年(1577年)、当時の名舟村に攻めこんできた上杉謙信の軍勢に対して、 武器を持たない村人達が村の知恵者の指示に従って樹の皮で面を作り、 海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけ、 戦わずして追い払ったという故事に由来します。 以来、氏神への感謝を捧げるため、奥津比咩(おきつひめ)神社の夏の大祭で 神輿渡御の先駆をつとめる習わしとなっています。 他の太鼓にはない一種独特な迫力を是非体験してみてください。」

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2020年12月17日、第13弾として全国50自治体で50種類(累計557自治体717種類)の マンホールカードの配布が開始されました。「輪島市B」のマンホールカードは、「国指定重要文化財 旧角海家住宅」でいただけます。

1995年に設置開始されたマンホールには「雪割草」と「あての葉」がデザインされています。

「輪島市の花「雪割草」がデザインされたマンホール蓋です。 雪解けの頃、春の訪れと共に花が咲き出すことから「雪割草」と呼ばれ、その可憐で美しい姿が、日本だけでなく世界的な人気を集めています。 花言葉は「忍耐」であり、輪島市民の寡黙で粘り強いところと相通じるものがあります。 雪割草はキンポウゲ科ミスミソウ属オオミスミソウに分類され、本市門前地区にある猿山岬一帯は、日本一ともいわれる一大群生地です。 3月中旬」から4月上旬にかけて、色とりどりの花が目を楽しませてくれます。 また、例年雪割草の見頃に合わせ總持寺祖院周辺で「雪割草まつり・門前そばの市」が開催されます。」

 

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珠洲市内あちこちウォッチ~其の二 in 石川県珠洲市

2017年11月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

旅の楽しみの一つが道の駅めぐり、ここは珠洲の海岸沿いにある「道の駅・すず塩田村」。記念スタンプには、打桶(おちょけ)で潮撒きをする人の姿が描かれています。

塩ポン酢目当ての二度めの訪問ですが、今日は少し時間に余裕があったので、揚げ浜式塩田での塩作りの様子を見学させて頂きました。

日本最古の製法で作り続ける珠洲の塩、まずは海岸の海水を汲み上げる事から始めます。 今、目の前に広がる海はそんなに荒れている感じではないですが、これが早朝なら・・・海風は予想以上に強く、打ち寄せる波は驚くほど強い力で、思い荷を担ぐ足元をすくいます。潮汲み3年、潮撒き10年と言う言葉があるそうで、ただ水を汲めば良いと言う訳ではありません。

人の力と自然の恵みだけを頼りに手間ひまかけて、そうして約600リットルの海水から、120kgの塩ができます。この塩田村では、今も多くの方が古来の製法にのっとって、日本古来の美味しい塩をつくり続けています。

船の舳先をイメージした展望台、前回見かけたものですが、今回は無かった様な気がします。 あの時は舳先につけられた日の丸と、眼前の日本海の荒波が何とも素敵で一緒に写真も撮りましたが、どこに行ってしまったんでしょう。

道の駅を後にして5分ほど走ったところで、次の目的地「真浦海岸」に到着。 目的は「垂水の滝」ですが、その手前で不思議なモニュメント?らしき岩を発見。

何故こんな道路沿いにこんなモニュメントが?? と思ったのですが、実はモニュメントではなく、本物の岩を配したポケットパークでした。主役は二つの「帆立岩」。なんと約2千万年前に作り出された海底火山の凝灰石なんだそうです。

長い長い年月、波や風の浸食が巨大な岩肌を削り、そうして生み出された不思議な造詣。巨大であった筈の岩石は波の力で少しずつ崩されてゆき、自らが波の形となってしまいました。  当初は海岸線の波打ち際にありましたが侵食が激しくなり、現在地に移された旨が案内に記されています。

一日の旅の終りは大概の場合、車中泊のための道の駅(時々、高速のPA・SA)でお土産選び。「道の駅・すずなり」では、2011年と2015年の二度、車中泊でお世話になりました。

ここは2005年まで運行されていた「のと鉄道能登線の珠洲駅」だった場所だそうです。廃線となった後、その跡地にバスターミナル&タクシーのりばを併設し、道の駅として整備されました。

日帰り温泉の場所を聞いた時には、一緒に地図とにらめっこをして下さり、お土産にお勧めのものをと聞けば、真剣に説明をして下さったりと、本当に懐かしい思い出が一杯です。

車で旅をするものにとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました

訪問日:2011年10月17日&2015年5月22日

 

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珠洲市内あちこちウォッチ~其の一 in 石川県珠洲市

2017年11月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

珠洲地域の中心部に当たる飯田町、潮の匂いに惹かれて漁港にやってきました。漁業に従事される方には決して早いとはいえない時間のせいか、人の姿は見られません。瀬戸内海の小さな漁船しか知らない私には、ここに横付けされた船はどれもとても大きく見えます。

港の一角に見つけたイルカの壁画。能登の沖では、昔イルカ漁が盛んだったと言います。「イルカ漁」なんて書くと、漁業に従事しない無関係者が「イルカが可哀想!」とか喚きそうですが・・・。でもそんなことを言ってたら、牛も豚も鶏も魚も、否植物だって、命を提供してくれる全ての食料が可哀想になりますよ (ーー゛); ともあれ、この近辺でも、こんな風に水面を遊ぶイルカの姿が見られるのでしょうか?

珠洲市の飯田町内を抜けて、ほんの少し山側へと車を走らせます。お目当ては珠洲市上戸町寺社にある、推定樹齢900年と伝えられる「倒さスギ」。とりあえず、見た目で理解できる(笑)天然記念物は、押えておかなければデス。

伝承によると、昔、八百比丘尼が巡錫(じゅんしゃく)で高勝寺に訪れ、昼食後に使用した杉の箸を地面に差したところ、たちまち根付き枝葉が出たとか。枝が下を向き地面を這うような姿から「倒さスギ」呼ばれるようになりました。

樹高21m、幹周7m・・内側から見上げれば、生茂った葉に視界が遮られわずかに空の青が見えるのみ。これほどの巨木が900年の時をかけて育った事を思うと、自然界の凄さにただただ圧倒されます。

上戸町の「倒さスギ」は、昭和44年に石川県指定天然記念物に指定されました。

ここから再び海岸線を走り、珠洲神社、金剛崎、狼煙を経て折戸町木ノ浦の椿峠に。2011年に一度来ていますが、今回もまた「椿展望台」に立ち寄ってきました。

眼下に広がるヤブ椿の林と、その向こうに広がる能登・外浦の海岸線、何度見ても雄大で美しい。「奥能登絶景海道」、看板に偽りなしです。

2月下旬から4月頃にかけて、この椿山一帯にはヤブ椿が真っ赤に咲き誇るとありました。 さぞかし見事であろうと思いながら、結局その季節に訪れる機会がありませんでした。

展望台広場の中心に、一本の大きなヤブ椿の木が植えられています。濃い葉陰の下に立つと、何とも言えずさわやかな風が吹き抜けていきます。

ツバキ展望台を後に、奥能登絶景海道をドライブ。途次に見かけた小さな島と橋桁らしきもの・・お天気が良いと何でも素敵に見えるね(〃∇〃)

訪問日:2015年5月23日

 

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ランプの宿 in 石川県珠洲市三崎

2017年11月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

珠洲市三崎町、能登半島の突端・金剛崎の小さな入江にある「葭ヶ浦(よしがうら)温泉」。かっては船でしか行けない海辺のギリギリに建ち、奥能登最先端の秘湯とも評され、約450年前から続く一軒宿の温泉。

能登の旅を計画中に、初めてネットでこの画像を見たときの衝撃は、今も鮮明に覚えています。市の観光案内やウイキペディアなどによると、数年前まで電気が通っていなかった為、館内の照明はすべてランプの灯りだけでまかなわれていたとか。現在は電気も通り通常に供されていますが、客室には今も変わらずランプが灯され、その幻想的な美しさゆえに「ランプの宿」と呼ばれ、海外の富裕層からも注目を集める名所となっています。

「葭ヶ浦温泉」の創業は天正6年(1578年)。もとは刀禰(とね)家が営んでいた廻船問屋。豪商であった刀禰家には千石船が出入りし、その為の港は現在よりもさらに絶壁の入り江にありました。そのため陸路からの出入りは難しく、ほとんど船を使って海から出入りしていたと言います。

初めて見た「ランプの宿」。その時の感動は何年たっても褪せる事はありません。秋の午後、打ち寄せる日本海の波は岩にぶつかり、真っ白の泡となって砕け、岩を噛んで渦になります。宿泊者以外立ち入り禁止なので、私達が見るのは駐車場の上からと言う限られた場所から。

お手頃価格のコンデジに目一杯頑張ってもらって、何度も何度もズームを繰り返し・・そうして最初の訪問から三年半たっての再訪では、もう少しグレードアップしたコンデジに頑張ってもらいました( ̄^ ̄) 

ところで、この素晴らしい上からの眺めを、更にもっとよく見られる場所があるのですが・・それが海抜30mに位置する空中展望台「スカイバード」。敷地内にある「聖域の岬」に行く事も出来て、入場料は大人1名500円。ですが足場が無い空中の高所なんて、たとえ十倍のお金を貰っても無理!絶対に!無理!(笑)

二度目の来訪は五月の午前中という事もあって、時間的に付近の散策が出来る余裕があり、海に続く遊歩道をのんびりと散策。眼下に見えるのは、「ランプの宿」のプライベートビーチ「みかづきヶ浜」。当然一般人は立ち入り禁止。というか降りられないようになっています。

駐車場の一画にある石のモニュメント。真四角な穴は絶対に覗き窓を意識してるに違いありません。 だってこの穴から見えるランプの宿も日本海も、まるで小さな絵葉書みたいに素敵。

訪問日:2011年10月16日&2015年5月23日

 

コメント (2)
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